青い狼の女4
あの最低な修道女。ルシール・フェアバンクスが不正蓄財の罪を告解した。
全て馬鹿正直に話すヤツがあるかと内心で憤慨するロビンだったが、その後のディートの裁きは優しさに溢れるものだった。
「全ての罪は、傲慢な教会と聖女エリシャ・カルバートの無知非道にある」
ディートのこの裁きにより、ルシールは以前の強い信仰を取り戻した。
ロビンも、そのディートの口から正式に「俺の騎士」だと認められた。
ルシールの不正をあえて見逃していたロビンにとって、その行為は背信に他ならない。だが、認められ、しかもその行為を評価された。複雑な気分だ。
ロビンの思う母という神は、これを赦すほど優しくない。死神は誰にも微笑み掛ける。例外は存在しない。
だが、ロビンの仕える『アスクラピアの子』なら、その例外足り得るかもしれない。
ルシールもロビンも共に赦され、犯した過ちすら評価された。
そもそも……『アスクラピアの子』とは、いったいなんなのだ?
ロビンは深く考える。
その正体は『神の子』ではないのだろうか。違うような気がする。そして、そのディートを、個人的に愛おしく思うロビンがいる。
「ディートさん……」
ロビンは…………
◇◇
「行くよー」
「うおお! 来たな! この痴女め!!」
司祭の寝室では、ベッドを挟んで牽制を繰り返すロビンとディートがいた。
「今日のお姉さんは、無敵だよー!」
「うおーっ」
ディートは雄叫びを上げ、頭から突っ込んで来て正面突破を図るが、所詮、十歳の子供の力だ。これを受け止めるのは、ロビンにとっては容易い事だ。
「えいやっ」
と、ディートをベッドに押し倒すと、その身体から、ほんのりと伽羅の匂いが揺れて漂う。
『信仰』は……ある。
ディートのそれは、狂信者呼ばわりされるロビンをして、時に恐ろしくなるほど母の教えに忠実だ。
だが、それだけではない。
ルシールとロビンを赦したように、優しさがある。蜂蜜より甘い。死神は、恐ろしくなるほど『公正』だ。ロビンは、それがどうにも気に掛かる。
この蜂蜜より甘い優しさが、いずれディートハルト・ベッカーを殺すのではないか。
レネ・ロビン・シュナイダーの剣は『護る』剣だ。騎士としての当為がそう決めた。
その当為は、時にディートの当為と衝突して諍いの種になるが、衝突を繰り返す度に二人の距離は近付く。
例えば、こんな風に。
「なぁ、ロビン。もっと優しくしてくれよ……」
「していますとも」
その髪を優しく指で梳いている。ロビンには、なんとも言えないぐらい甘美な時間だった。
馴れ合いの関係でなく、互いに真剣な意思の衝突が培った結び付きは強い。
恋愛経験はない。
だが、青い狼の女、レネ・ロビン・シュナイダーは、確かに恋愛している。本人はそうだと気付かないままに……
◇◇
そして、あまりにも激しいディートの当為が始まる。
殺人施設『ムセイオン』で五年の修練を積んだロビンですら、死を覚悟したほどの厳しい試練だ。
ヒュドラ亜種との決戦では、何度も駄目だと思った。アレクサンドラ・ギルブレスは正気を失いながらも豪剣を振るい、ディートは高位神法の行使を繰り返すが、それでも足らない。
ダンジョンの奥に、これ程の怪異が潜むとはロビンも知らなかった。
――護り切れない。
意を決したロビンは前に出るが、『神話』クラスの魔物の攻勢は猛烈を極める。
ロビンの『超能力』は不完全な代物だ。切り札である『サイコ・クラッシュ』を使うには長い『溜め』の時間が必要だった。
ロビンは騎士であり、『戦う者』だ。決死の覚悟で挑む強敵との死闘には、苦しくも甘美な快感が付きまとう。軍神の加護はそういう業を背負っている。
一身に神話クラスの魔物の攻勢を集め、必死で堪えるロビンは最後の切り札を使う。それでもう、何も残らない。固く誓った当為ですら戦場の中に消えていく。
――お前は良くやった。後は任せろ――
戦士の最期だ。薄れ行く意識の中、ロビンは確かに母の言葉を聞いたように思った。
◇◇
そして、目を覚ましたとき。
ロビンが愛した全ては変わっていた。
ディートハルト・ベッカーの髪は忌々しい『聖女』と同じ色に染まり、その瞳は、いつか見た少年のように闇色に沈んでいる。
その小さい身体には、あの聖女に勝らぬとも劣らぬ神力の滾りを感じる。
――不吉。
だが小賢しい妖精族の血を引くルシールは、その恐るべき変化を目にしても気にも留めない。
「あの怪物とディートを一緒にするなんて馬鹿げてます。そもそも『聖女』を造ったのは、お前たちでしょう。いい加減、ディートから離れて、聖女の元へ戻ったらどうですか?」
ルシール・フェアバンクスの事は以前から気に入らなかったが、この発言で、ロビンの嫌悪と苛立ちは最高潮に達した。
そして、ディートは休む間もなく死の疫病が蔓延るパルマに乗り込むのだと言う。
承服できない。幾ら母の示す道だとしても、ディートが進んでその道を行くのだけは納得できない。
確かにアスクラピアは偉大だ。
だが、ロビンには納得できない。その信仰の行き着く果てにあるものが『死』である事は、『アスクラピアの子』の深い業だ。
それは許せない。そのアスクラピアの下したディートの当為に、ロビンの守護は届かない。馬車と詩人を競わせるようなものだ。馬鹿げている。その二つは同列にするべきではない。
激しく苛立つロビンに向けられた言葉は……
「……ロビン、幸せになれ……」
「え……?」
「教会騎士なんぞやめろ。誰か男でも捕まえて、子供でも作れ。そして当たり前の幸せを手に入れろ」
「ディートさん? な、何を言って……」
何を言われているのか、さっぱり分からない。レネ・ロビン・シュナイダーだけが、ディートハルト・ベッカーの唯一無二の騎士である筈だ。それが……
「ロビン。お前はクビだ」
◇◇
最初は冗談だと思った。
だが、ロビンの戴いた主の気性は激しく、そして一度決めた事に関しては恐ろしく頑固だ。
泣こうが喚こうが、ディートの心は変わらない。ロビンは暇を出されたのだ。付いて来るな、もう顔を見せるなと三行半を突き付けられたのだ。
「…………」
自らの居室で呆然とするロビンの文机の上に、使い古された一冊のノートが置かれている。
ダンジョン攻略の隙を突いてアシタに盗って来るように命じたディートのものだ。
その中身は見た事もない言語で綴られており、ロビンには解読できない。アシタの言った通り、『よく分からない』文字だ。何度も読み返したが、分かるのは体系化された言語だという事だけだ。
ルシールの使う神字でもなければ、エルフ言語でもない。残る可能性はただ一つ。
希少文字……。
異世界人……稀人の言語だ。ディートがその日記を希少文字で書いたのだとすれば、隠さなかった訳にも一定の理解が出来る。その内容は、この世界の誰にも判読できない物であるからだ。
ディートにしてみれば、見られた所で何の問題もない。
そしてよく考えれば分かる事だが、ディートは己の正体を隠す事にはあまり興味がない。
それでもディートの説得を試みるロビンは、先ずアシタに当たらせて様子を見るが、これは簡単に術で躱されてしまった。
「せめて、この程度の術には耐えられるようになってから言え」
ディートは決心を固めた時、実力を持たない者の言葉に価値を置かない。これは感情に訴える事の無意味を示している。
これについて、ベル氏族の生き残りの少女アシタはこう語っていた。
「ディ? 嫌いじゃないよ。分からず屋じゃないし、あたいの話も真面目に聞いてくれる。でも……すげー冷たくて怖い所がある。おそらくだけど……感情より、頭で考えた事を優先させる所があるんだと思う……」
それは、未熟な子供の在り方ではない。感情に走らない大人の在り方であり、成熟した男の思考だ。
だからこそ許せない。
ロビンの心を踏み躙った男を許せない。
「……許さない……ディートハルト・ベッカー……後悔させてやる……! 絶対に許さない……!!」
女であるレネ・ロビン・シュナイダーにとって、ディートハルト・ベッカーは特別な男だ。
特別な『男』だったのだ。