青い狼の女1
狼人の殆どが優生学的思想に基づき、傲慢だ。優れた者が生き、劣った者は死ぬ。世界の常は敗者必滅、優勝劣敗。
狼人は希少種であり、他の獣人種たちとは一線を画する優れた生物である。
◇◇
ザールランドの国境を北に越えた『死の砂漠』に、『ムセイオン』という獣人の戦士を養成する施設がある。
『夜の傭兵団』の団長である白蛇は、このムセイオンを蛇蝎の如く嫌っている。
「ただの殺人施設だ」
しかし――
歴史に名を残すような完成された獣人の戦士は、その『ムセイオン』での修行を最低でも一年は経験している。獣人が『超能力』を完璧に修得するためには、この『ムセイオン』での修行が必要不可欠と言われる所以であるが、その訓練過程は殺人的に厳しい。
超能力の完全な修得の為には、精神の修行は勿論、肉体も同様に鍛えなければならない、という理念のためだ。
超重量の重りを背負ったままの遠泳や、一週間以上にも渡る断食、苦痛に対する耐性を付けるための拷問じみた訓練。訓練生の一年辺りの死亡率は、実に五〇%を超える。
レネは、そのムセイオンで五歳から十歳までの期間を過ごした。
あまりに過酷な幼少期を過ごしたレネの家族に対する記憶は酷く希薄だ。『シュナイダー』という己の家名を知ったのも、二つ年上の双子の兄と姉がいる事を知ったのも、ムセイオンを出てからの事だ。
身体能力、良し。
実技能力、良し。
魔力耐性、良し。
呪術耐性、良し。
しかし、獣人種の切り札的能力である『獣化』はならず、『超能力』の習得に関しては壊滅的だった。
兄アルベールや姉であるジゼルが一年でこのムセイオンの訓練過程を修了した事を思えば、レネは『落ちこぼれ』である。それでも殺人的な訓練過程を生き抜き、ムセイオンを卒業した……と言えば聞こえはいいが、実際は、これ以上の成長の見込みなしとして『追い出された』というのが実情だ。
レネの父と母は教会騎士だ。
アスクラピアへの信仰心が篤い二人は、自らの子供らもまた教会に所属する騎士になるよう、進んでムセイオンに三人の子供を送り込んだ。
レネがトリスタンの実家に帰省した時、既に兄と姉の二人は教会に所属する騎士として寺院に仕えていた。
地獄のような訓練過程を生き抜き、帰ったレネを待っていたのは、両親の失望と落胆の言葉だった。
「……お前は、本当に青い狼の血を引く狼人なのか……?」
父のその言葉は、疲れ果てたレネの心をズタズタに引き裂き、僅かに残っていた家族愛を粉々に粉砕した。
家名の『シュナイダー』を名乗る事は許されたものの、故郷であるトリスタンでの洗礼を受ける事は許されず、父にザールランドに向かうように命じられた。
体のいい厄介払いだ。
ミドルネームである『ロビン』は、ザールランドの寺院で授かった洗礼名である。
こうして、教会騎士『レネ・ロビン・シュナイダー』は誕生した。
父と母は嫌いだ。死ねばいいと思っている。顔も知らない兄と姉については他人同様だ。
家族の中では落ちこぼれのロビンだったが、外に出れば優秀な戦士の一人である。ザールランド帝国の寺院では、ムセイオンでの経歴を評価され、問題なく『騎士』の叙勲を受けた。
ロビンのレイシズムは劣等感の裏返しだった。他種族を見下す事で自らが優秀であると固く信じた。
ロビンは家族を嫌っている。憎んでいると言ってもいい。だが、『教会騎士』は嫌いになれなかった。教会騎士にはムセイオン出身の者が多く、中にはロビンと似たような境遇の者も居り、階級こそあれ、血より固い絆によって結束していたからだ。
一つ、仲間を裏切ってはならない。
二つ、仲間を『絶対』に裏切ってはならない。
三つ、仲間を『絶対』の『絶対』に裏切ってはならない。
『神敵』には容赦ないが、何より仲間内での横の繋がりを大事にする教会騎士に囲まれ、レネ・ロビン・シュナイダーは多感な時期を過ごした。
そんなロビンにとって、固い絆で結ばれた周囲の教会騎士たちは家族同然だった。
そして、他の教会騎士と同様にアスクラピアへの信仰心に目覚める。
復讐と癒しの女神、アスクラピアは『愛』と『憎悪』の二つを持っており、その教えは傷付いたロビンの心を癒した。
◇◇
密かに己を固く保持せよ。
己の周囲は荒れるに任せよ。
お前が人である事をより多く感じるほど、お前は神々により多く似るだろう。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
アスクラピアは多くの言葉を残した。そのどれもに立ち止まり、ロビンは深く考え込むと同時に信仰を深くして行った。
いつしか、ロビンは周囲と同じように、一人の教会騎士として哲学的な思考や神官との問答を好むようになった。
ロビンが特定の神官に仕える事を夢見るようになったのはこの頃だ。いつの日か、己の前に本物の『アスクラピアの子』が現れ、この胸の中にある形にならない『真理』を、はっきりと形にすると固く信じた。
様々な教会に出向き、様々な神官に会った。中には優れた神官も居た。だが、誰もしっくり来ない。ロビンの中にある、あまりにも激しい『何か』を形に出来る神官は居ない。
時は流れる。
ロビンは十八歳になり、そこで聖女に出会う事になる。
膨大な神力。文句なしの第一階梯。しかし、瞳に刻まれた『聖痕』は人が背負うには分不相応であり、不気味である。それがロビンの見解であったが、それは教会騎士の中でも同じ見解だった。
教会騎士にはムセイオン出身の者が多く、超人的な感性が聖女を不吉と訴えるのだ。
そのロビンら教会騎士たちの懸念は『戦争』という最悪な形で実現する事になる。
ニーダーサクソンにある本神殿の教えを主流とする派閥と、ザールランド帝国の聖女を頂く派閥の間で戦争が起こった。
元を辿れば、ザールランド帝国皇族に対する洗礼を、教皇を頂く派閥と聖女を頂く派閥の、どちらが与えるかという些細な問題であったが、これが小競り合いに発展し、過熱した結果、遂には教皇を主とする旧派閥と聖女を頂く新派閥とに別れ、両派閥が互いに『神敵』認定を下した事で『戦争』という規模の争いになった。
壮絶な仲間割れとも言える。
新派閥は少数であったものの、多数派である旧派閥は、遠くサクソンに居る教皇が無関心であった事で求心力に欠けた。これに、ザールランド帝国が不干渉を貫いた事もあり、この戦争は一年近く続いた。
本来は小競り合い程度に収まる筈の戦争であったが、これが長期化した最大の原因は、当時七歳の聖女が旗印になり、軍の指揮を執った事による。
聖女の口癖は――
「突っ込めー! 突っ込めー!」
この杜撰な指揮により、新旧の派閥を問わず、教会騎士は多くの犠牲者を出した。
確かに聖女の神力は強力だった。傷の治療に関しては問題ない。しかし、その聖女がいかに強力な神力を持とうとも、即死した者はどうにもならない。
そして、だ。
戦傷を負った教会騎士の中には四肢を失った者もおり、これに聖女が行った治癒は、口にするのも憚られる悲惨な結果を招いた。
聖女の術により再生された四肢は、元のものより脆弱で、時に恐ろしい奇形を起こし、対象に深刻な後遺症を残した。後に、これには箝口令が敷かれる事になる。
一年近く続いた戦争を終え、新派閥はなんとか勝利したものの、聖女に強い不信感を抱いた多くの教会騎士たちがザールランドを去った。そして、ロビンは各地の教会を転々とする遊歴の立場を取る事で寺院と距離を取った。
――実家のあるトリスタンには、絶対に帰りたくなかった。
聖エルナ教会に逗留し、そこの修道院長であるルシール・フェアバンクスと知り合ったのはこの時だ。
種族的な相性もあったが、外遊に訪れたエリシャの無慈悲と無知により、ルシールとロビンの仲は徹底して険悪なものになった。
頑なに遊歴の立場を取り続けるロビンの立場は寺院内では強くなく、エリシャの蛮行を止める事は出来なかった。
ルシール・フェアバンクスは信仰を見失い、以降、不正蓄財に手を染めるが、ロビンはそれを知りつつ、あえて見逃すという歪んだ関係になった。
『アスクラピアの子』ディートハルト・ベッカーとの出会いには、まだ三年の月日を待たねばならない。
教会騎士はファイトクラブ方式。
『ロビン』は重要なキャラクターです。ちょっと長目の尺を取っております。決定的なシーンまでは暫く掛かりますが、お付き合いして下さると幸いです。