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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
164/308

157 かみのこ、しんだ3

 地獄のような静寂があった。


 玄関前の広間エントランスでは、ルシールら七人の修道女シスタ戦乙女ヴァルキュリアにより拘束され、地べたに押さえ付けられている。


 ――分かっていた。


 ジナに顎を蹴り砕かれたゾイが俯せに倒れ込み、びくびくと痙攣している。その意識は、遥か彼方に飛んで行った。

 俺は嘲笑った。


「ジナ、フランキー、良くやった」


 フランキーは俺に対する不意討ちに反応して守り、ジナは目配せ一つで俺の意図に応えた。従者としては百点満点をやっていい。


 腕力、体力、生命力に於いて人間を遥かに凌駕する獣人種は、その反面で魔力を持たない者が多く、魔術や呪術に対する抵抗値が低い。しかし、その反面で『超能力』に目覚める者が多く存在する。

 ジナが目配せ一つで俺の意図する所を汲んで、ゾイを蹴り上げた事と無関係ではないだろう。


「……」


 広間エントランスの吹き抜けになった二階部分の通路を見上げると、この光景に絶句したアシタが俺たちを見下ろしている。


 ……分かっていた。皆、信頼する頃になって俺を裏切る。俺を怖がる。そして誰も――


 俺に、迷う権利を許さない。


「アシタ、お前はどっちだ?」


 広間エントランスでは、血反吐をぶち撒けたゾイが俯せで痙攣している。ジナがやった事だが、俺がやったのと同じ事だ。


 ゆっくりと二階へ続く階段を上がる。

 俺は変わらない。

 腰の後ろで手を組み、堂々と胸を張ってこの道を進む。


「…………」


 アシタは目を見開き、昏倒するゾイと俺とを何度も見比べている。


 俺が近付くと、アシタは腰を抜かし、その場にへなへなと座り込んだ。


「ゾ、ゾイは、あ、あんたのお気に入りだったろ……?」


 俺を見るアシタの顔は恐怖に歪み、口元まで震えている。その目尻に涙が浮かんでいるのは無意識のものだろう。


「な、なんで、ゾイを……」


「問い掛ける方向を間違っている。俺に選択するよう強要したのは、あっちだ」


 俺は改めて言った。


「アシタ、お前はどっちだ?」


「え……あたい……?」


「そうだ。お前は、ロビンの従卒だろう。ルシール(あいつ)らより、こっちに付くべきだ。そうだな?」


「……」


 目尻に涙を溜めたアシタは、口元を震わせて答えない。

 この表情は知っている。

 向こうの世界でも何度も見た。


「……俺が怖いのか……?」


 俺は……時にやり過ぎる。

 お袋が死んでからは、誰にも舐められないように、必死で突っ張って生きて来た。


 そんな俺に、誰も迷う権利を許さない。


「お前は決断せねばならない。この地には多くの道があり、多くの場所に通じている。しかし、最後に辿り着く場所は全て一つだ。そこには大勢で向かう事が出来る。恋人と向かう事も出来る。友人と向かう事も出来る。だが、最後の一歩は必ずお前一人で踏み締めねばならない。だから、一人で往くという事に勝る知恵も能力も、世界中の何処にも存在しない」


 これが最後の問い掛けになる。


「それで……アシタ、お前はどっちだ?」


 俺は口の中に伽羅の破片を放り込み、恐怖に震えるアシタの答えを待ったが、反応がない。


 玄関の大扉を鉄製の籠手で強く叩く音が広間エントランスに響き渡った。



「ベッカー神父は居られるか! 今一度、我らと会話の機会を頂きたい!!」



 応答のない俺たちに痺れを切らしたのだろう。何処かで聞き覚えのある教会騎士の声がエントランスに響き渡った。


 誰もが、俺に迷う権利を許さない。


 俺は、未だ答える事が出来ずにいるアシタに向かって、口の中の伽羅を吐き掛けた。


 唾液混じりの伽羅が、恐怖に震え、瞬き一つ出来ずにいるアシタの顔を汚して床に転がる。


 言った。


「口先だけの腰抜けめ」


 薄く嗤う。


「あれだけロビンを庇うような事を言っておきながら、答える事が出来ないのか」


 これを口先だけの者と言わずして、どう言えばいいのだろう。俺には分からない。


「そこで震えていろ。お前には、誰も守れやしない」


 俺は神官服リアサの裾を翻す。話す事は何もない。


 俺は再び階段を下り、ジナとフランキーの二人と合流する。


「流石、師匠。そこに痺れる憧れるぅ!」


 お調子者のフランキーがそう言って、俺は一頻り笑いに噎せた。


 運命とは不思議なものだ。

 結局、下水道で拾ったフランキーと、俺を殺し掛けた愚かなジナ。そして裏切者のロビンの三人が俺の手元に残った。


「三人共、覚悟はいいか?」


 教会騎士は手練れの集団だ。錬度だけで言うなら、帝国騎士より随分上だ。しかも『神官』を熟知している。戦闘になれば、俺を討ち取る算段もあるだろう。

 覚悟を決め、前を向く俺にルシールが叫んだ。


「待って! ディート、後生です! 待って下さい!」


「……」


「教会騎士は、神官あなたの強味も弱点も、全てを知り尽くしている相手です! 自殺行為です!」


 だから、どうだと言うのだ。

 俺は、ルシールを含む八人の背信者に最後の道を説く。


「人と人とを取り囲む様々な状況から発する過ちは赦すべく、それは往々尊敬に値する。しかし、過ちを繰り返す者を公正に遇する訳には行かない。お前たちの真理は、とうに魅力を失っている。お前たちの過ちは、味も素っ気もなく、嘲笑うべきものだ。犯した過ちから脱する事は不可能だ。偉大な人物や天才を以てしても困難だ。お前たちの過ちの頑固さには腹が立つ。その強情は不愉快で癪に障る」


 それだけ言って、俺は未だ腑抜けたままでいるロビンの脛を軽く蹴った。


「何をしている。お前は、俺の唯一の騎士だろう。いつまで腑抜けたままでいるつもりだ」


「……」


 そこで、ロビンは呆れたように微笑む。


「……貴方は優しい。優し過ぎる。蜂蜜より甘い……」


「俺が? お前もどうかしているな……」


 先ず、過ちは赦すべきである。――『慈悲』。


 ルシールが声を枯らして叫んだ。


「シュナイダー! お前が! お前一人が行けば、それだけで済む話なんですよ!!」


 しかし、過ちを繰り返す者を『公正』に扱う訳には行かない。


「ジナ、フランキー、ロビン。死ぬなよ。先ずは自分の命の事だけを考えろ。無理だと思った時は、迷わず離脱しろ」


 ――『慈愛』。心掛け、それを大切に思うこと。


 各種身体強化の術を重ね、俺は三人を限界まで強化して補助する。短時間だが、これでやりあえるだろう。尤も……手練れの教会騎士相手に何処まで通用するかは分からないが……


 フランキーは笑った。


「なんか、みなぎって来た……!」


 ジナも嬉しそうに笑った。


「……ジナも……」


 しかし、ロビンだけは諦念の漂う笑みを浮かべている。


「ディートさん、貴方は間違っています。ルシールの言う事の方が正しいですよ?」


「ロビン……」


 だが、まだ生きている。生ある者が、運命に抗って何が悪い。

 確かにロビンは罪を犯した。

 だが、俺の信仰する神は、そのロビンに機会チャンスを与えた。


「それでは、行こう」


 死神アスクラピアが、俺を呼んでいる。


◇◇


 彼の一は、永遠に一である。


 多に分かれても一。永遠に一。


 一の中に多を見出だせ、多を一のように感ぜよ。


 そこに始まりと終わりとがあるだろう。


 俺は静かに聖印を切り、邪悪な母に短い祈りを捧げる。


「…………」


 残念ながら、今回、死神オリジナルの術は使えない。そもそもあれは、一人で戦う事を念頭に作った術だ。対象を選ばない。この場の全員を殺してしまう。


 ジナとフランキーが、両開きの扉を開け放つ。


 俺は腰の後ろで手を組み、いつものように胸を張る。


「よく来た。教会騎士キチガイ諸君。だが、残念ながら、諸君らの要求を受け入れる事は出来ない。即刻、立ち去れ」


 喧嘩を売るのだ。俺は尊大に言って退けたが、目の前の教会騎士は跪き、胸に手を当てて『騎士』としての『礼』を尽くしている。


「…………」


 目の前の教会騎士たちの数は、凡そ二十人という所だ。全員が跪き、騎士の礼を取っている。逆印を受けた者たちだろう。俺との対話を望んでいる。


 目の前に跪く、一人の教会騎士が顔を上げる。


 金髪。彫りの深い顔立ちの騎士。見覚えがある。兜を脱ぎ、上げたおもての額には逆印が刻まれているが、甲冑にある教会騎士の紋章である『蛇』は、未だに残っている。


 ……まだ信仰があるということ。


「私の名は、マクシミリアン。マックスとお呼び下さい」


 なんだ、こいつ。というのが俺の印象だ。逆印を刻まれ、尚、信仰を失わず、俺に向かって騎士の礼を尽くして対応している。


 ――不気味。


「そうか、マックス。俺からは、先ほど述べた通りだ。お前の要求に従う事は出来ない。要求を通したければ、力を以て為せ。先に抜剣する事を赦す」


「……」


 マックスは跪いた姿勢で俺を見上げ、動かない。


 マックスだけではない。この場の教会騎士全員が跪き、顔を上げて俺の顔を見ているだけで動かない。

 俺は改めて言った。


「レネ・ロビン・シュナイダーは俺の唯一の騎士だ。例え、この命と引き換えになろうとも、身柄の引き渡しという要求に応じる事は出来ない」


「…………」


 マックスは跪いた姿勢で項垂れ、しかし、その口許には微かな笑みが浮かんでいる。


 そこに敵意を感じないのが、俺には最高に不気味だった。

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― 新着の感想 ―
『ディート』という本性を見ても一緒にどこまでも旅しようと言えるアビーやフランキーやジナは素晴らしい。文句のつけようがない。 一方で、何度も間違えるルシールやロビンよりも、一番許せないのは、どっちつかず…
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