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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
162/308

155 かみのこ、しんだ1

 人頭税を廃止しろ。

 その俺の提案に、ゲオルクのみならず、トビアスまでもが視線を険しくして俺を睨み付ける。


「……大神官殿は、内政にも興味がおありのようだな……」


 敵意すら滲む、低く威圧的な声。

 空気が歪む。雰囲気が一気に剣呑なものに変化して、入口の扉を守るフランキーとジナが僅かに身構えるが……

 俺は笑って言った。


「はは、二人共、恐ろしい顔をしているな」


 ゲオルクは酷く冷淡な表情で言った。


「……幾ら大神官殿と言えど、帝国の内政に干渉する資格はない。無関係で居てもらいたいものだ……」


「そう尖るな。ゲオルク団長。ただ、そうしろと言ってるんじゃない。代替案があると言いたかっただけだ」


 そう言って、俺はテーブルの上に分厚い紙束の提案書を投げ出した。


「あん? なんじゃこりゃ」


「…………」


 嫌そうに提案書の紙束を見るゲオルクとは対照的に、憲兵団団長のトビアスは胡散臭そうに提案書の紙束を手に取り、興味なさそうにペラペラと中身を斜め読みして――

 不意に片方の眉をつり上げた。


「……健康保険? 医療税制? 年金制度……?」


「うん、まぁ、取り入れてくれればだが、大きな財源が幾つか出来ると思う」


「……!」


 そのトビアスの驚きように、ゲオルクの方も顔色を変えて提案書を手に取って中身に目を通す。


 二人は分厚い紙束の提案書を互いにやり取りしながら、難しい表情で考え込み始めた。


「……別に、無理にとは言わん。人頭税自体も否定はしない。ただ自国民から人頭税を取るのはどうかと思ってだな……」


「待て、大神官。少し考えさせろ」


「おや、内政に干渉されるのは嫌ではないのかね?」


 実現すれば、実質的には増税だが、民衆は安く寺院や教会での治療を受けられる事になり、老後の生活にもある程度の保証が約束される事になる。

 俺は嗤う。


「上手くやれば、パルマからも徴税できるかもしれないな……」


「む、う……」


 提案書を読み進めるトビアスは、厳つい顔をしかめ、何度も首を振った。


「大神官殿、少し待ってくれ。我らは武官であって、文官ではない。これは……我らの手に余る」


「だろうな」


 俺は薄く嗤った。

 脳筋の武官二人ですら興味を引く新しい改革案だ。


「持ち帰って構わない。次は文官も連れて来る事だな」


 雰囲気がまた変わる。

 ゲオルクは額にうっすらと汗を浮かべ、提案書の紙束を凝視している。


「……なんじゃこりゃ……これは……これも……アスクラピアの知恵からか……」


「そんな所だ」


 勿論、嘘だ。俺の居た世界では当たり前にあった『保険制度』や『福利厚生』の幾つかを適当に書いただけの事だ。古臭い封建制度を掲げる原始人には思いも付かない制度だろう。


「……」


 手を止め、俺を改めて見るゲオルクとトビアスの顔には、はっきりとした畏れの色が浮かんでいる。


「何が狙いだ。大神官」


「……狙いと言われてもな……俺には『無欲』の戒律があるし……利権には興味がない。あくまで民衆の為を思って考えた事だ」


 悩め悩め。俺は内心で悪魔の笑みを浮かべる。


 これで、近く帝国の制度は改革され、新しく『福利厚生』と『医療制度』が生まれる。実質的には増税になるが、民衆は安くなった医療費と老後の保証を歓迎して受け入れる。安心して国に税を納めるようになる。


「きょ、教会と寺院にも税を掛けるのか……!?」


「多少の優遇措置は入れてあるが、そうだ」


 というのが、俺たち神官には『無欲』と『奉仕』の戒律があり、場所と金に縛られない。実際の現場に立つのは、どうしても癒者のクラスを持った者が多くなる。それ故、医療従事者には優遇措置を組み込んだ。

 それでも――

 『寺院』や『教会』はある種の神域であり、帝国では『課税』の対象ではなかった。出来なかったと言うべきか。武官とはいえ、これに関心を持たない者は居ない。


「そろそろ宰相でも連れて来るかね?」


 この帝国では、文官のトップだ。武官であるゲオルクやトビアスより裁量権は大きい。宰相が出て来れば、新しい改革案は通ったも同然。


「……」


 ゲオルクとトビアスは唸り、提案書を手に取ったまま、険しい表情で固まっている。


「諸兄らの手に負えまい。宰相殿や陛下を交え、よく考える事だ」


 そこで、これまで動きがなかったロビンが前に進み出て、俺が提示した提案書の紙束を手に取って中身を覗き込む。


「…………」


 提案書を読む進めるロビンは、最初無関心な表情をしていたが……暫くして刮目し、その表情が徐々に険しいものに変わって行く。


「ディートさん、これは……」


「俺は、この帝国の神官だ。帝国の利益と民衆の幸福を考えている」


 勿論、嘘だ。綺麗事を言った。


「あは……!」


 ロビンは少し吹き出して笑い……それから、何処かしら諦念を感じさせる自嘲的な笑みを浮かべた。


 ロビンは笑い続け、ゲオルクとトビアスは提案書片手に固まっている。この改革案には、それだけの意味と価値があるという事だ。


 そこで、俺は指を鳴らしてゲオルクとトビアスの注意を引き付けた。


「所で話は変わるが、『人工勇者』の件を教皇に報告するような馬鹿な真似はしてないだろうな?」


 話は武官の領域に戻った。ゲオルクとトビアスは、二人揃って眉間に皺を寄せる。


「当たり前だ。誰が味方で敵かも分からんような状態だ。もし教皇が絡んでいたら、世界的な大事件になる」


「分かっているならいい」


 だが、大勢の前で派手にやった。聖女の頭が弾け飛び、大司教が正気を失う程の大事件だ。

 黒幕がいるのは言うまでもない。

 そして、人の口に戸を立てる事は出来ない。いずれ表沙汰になる。


「まあ、俺としては、帝国を守る二人の『勇者』対策に期待している。今度こそ、何かの役に立ってほしいものだ」


「ぐっ……!」


 ゲオルクとトビアスは、纏めて苦虫を噛み潰したような苦渋に満ちた表情で押し黙る。

 先の寺院との抗争では、騎士団も憲兵団も立つ瀬がなかった。二人の面目は丸潰れだ。

 俺がやったのだ。

 結果論ではあるが、徹底的に二人の面子を潰してやった。思う所は多々あるだろう。


「さて、爺さんとおっさんの顔は見飽きた。大神官殿はお疲れだ。そろそろ帰れ」


「……」


 ゲオルクとトビアスは額に青筋を浮かべ、新しい改革案を記した提案書の紙束を毟り取るようにして手に取り、黙って踵を返した。


「それでは、ご機嫌よう」


 俺は、帝国と仲良しごっこをするつもりはない。王族だの貴族だのとの関わりも真っ平だ。嫌われているぐらいで丁度いい。


◇◇


 ゲオルクとトビアスの二人が去り、ソファに深く腰掛け、両足をテーブルに投げ出した俺は、フランキーに肩を揉んでもらっていた。


「師匠、お疲れ様でした」


「うん、奴等の顔は傑作だったな……」


 フランキーは吹き出し、ジナは訳も分からず追従して笑っている。


 ロビンは、いつになく上機嫌だった。


「ディートさん、素晴らしい改革案でした。実現すれば、帝国の人民には必ずや安寧が訪れるでしょう」


「さぁ、それはどうだろうな」


「え……違うんですか?」


「違いはしない。実現すれば、帝国の繁栄は約束されたようなものだ」


 それが罠だ。死神アスクラピアは誰にも公正に微笑む。それは別に、人間だけが対象じゃない。

 俺は嗤った。


「だが、奴等にあれが使いこなせるかな?」


 そこには巨大な利権が発生する。ましてや王族や貴族を掲げる封建制度。腐敗の温床になる事は間違いない。

 保証してもいい。

 新制度は必ず破綻する。その時、人民の怒りが爆発する。帝国内で血で血を洗う革命戦争が起こる事になるだろう。


「どうなるだろうな。新しい王権が起つか。それとも……」


 民主主義の風が吹くか。

 帝国はいずれ亡国の憂き目に遭う。その時になって、この俺の顔を思い出し、血涙を流して悔やむ事になる。


「し、しかし、実現する事が出来れば……」


「人心は安定し、帝国の治世は永く続くだろう。一つの理想郷とも言えるな……」


 だが、無理だ。異世界人である俺は知っている。幾ら制度を整えようと、それを扱う人間が完璧でない以上、この制度は破綻する。詰まるところ……


「幾ら綺麗に装って見ても、所詮は人の問題だ」


 ロビンは笑っている。なにが可笑しいのか、満面の笑みを浮かべている。


「うふふ……ディートさん。貴方は素晴らしい。貴方は一つの道を示された。それが如何に困難を伴う道であったとしても、我々は目的に向かって進んで行ける」


「……ロビン?」


 ロビンは諦念の漂う歪んだ笑みを浮かべている。


「貴方はダンジョンで神話種を討ち取り、パルマでは疫病に喘ぐ人民に手を差し伸べ、そして一人で寺院に乗り込んで不正を糺された」


「……」


「貴方は、正に『神の子』だ。そんな素晴らしい貴方に比べて、私は……」



 ……裏切者のレネ・ロビン……



「……私は、貴方に相応しくない……」


 俺は、元会社員だ。駄目になる奴の特徴を知っている。ロビンはもう……


「……貴方の優しさを、何一つ理解しなかった大馬鹿者……」


 ロビンは笑った。


「……逆に守られて……そんな私が貴方を『護る』なんて、こんなに滑稽な話はない……」


「やめろ、ロビン。今は考えるな」


 思った。

 旅に出よう。なるべく長い旅がいい。随員は厳選する。なるべく少ない方がいい。勿論、その一人はロビンだ。苦労するだろうが、必ず考えは変わる。


 ロビンは自嘲の笑みを浮かべる。


「……私はアスクラピアに『招かれた』んです……」


 そこで、フランキーとジナが、同時に、すんと鼻を鳴らした。


 一瞬でフランキーの顔付きが変わる。


「……鉄の匂いがする。師匠……結構な数のお客さんが来てます……」


「そうか……」


 死神アスクラピアの手は誰も見逃さない。それは、俺自身も例外ではない。


「鉄の匂いか」



『……兄弟、お前はいつもやり過ぎる。血を見るのが好きなのか……?』



 思い出すのは、あの白蛇の言葉だ。



『アルフリードが睨んでいるぞ。忘れるな。アスクラピアは『剣』によって殺されたのだ。お前は俺とは違う。純然たる『アスクラピアの子』だ。その意味が分かっているか?』



 そうだ。俺は軍神アルフリードに睨まれている。



『いいか、兄弟。『鉄』だ。特に『純鉄』は不味い。『鉄』に気を付けろ。母を殺した剣は純鉄だ。母は剣を嫌うんじゃない。鉄が嫌いなんだよ』



 死神アスクラピアの手は誰も逃さない。そして、今の俺は軍神アルフリードにも睨まれている。


 奇跡の代償を払う時がやって来た。しかも別件絡みのおまけ付きでだ。


 死神アスクラピアの手が俺をいざなう。


 軍神アルフリードの剣が俺の心臓を狙っている。


◇◇


 君の墓石には、こう記されるだろう。


 お前は、確かに人間であった。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇

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