154 変わるもの3
組織には、パワーバランスが必要だ。
俺は夜着のまま、深く椅子に腰掛け、ぎろりとルシールを睨み付けた。
これでも、会社員をやっていた時は管理職の端くれだった。表向き、なんの権限も持たないルシールが新しい教会法を制定し、俺の活動内容まで掌握している現状は不味い。
面倒臭い。だが、捨て置く訳には行かない。先ずはルシールの力を削ぐ事から始めなければならない。
「……ルシール。草案には、ロビンも目を通してあるのか……?」
「え、シュナイダー卿に関係あるんですか?」
「……新しい教会法の制定確認には、二人で取り掛かるように言ってあった筈だが……何を聞いていた」
帝国とは合意に至ったようだが、あいつらが何か仕掛けないはずがない。それにルシールが一人で対抗出来ると思うのは無理がある。教会法やその組織図に詳しいロビンを入れて尚、『国』との折衝は難しい。それが俺の見解だ。
俺は激しく舌打ちした。
「馬鹿が……!」
それだけじゃない。
「……ここはアビーの所有する物件だ。改装して祭壇を作るのはいいが、アビーにちゃんと許可は取ってあるんだろうな……」
「そ、それは……」
たちまち顔色を変えたルシールは、何やら言い訳を口にしようとするが、俺は鋭く睨み付ける事でルシールを黙らせた。
「あぅ……」
高位神官の眼力だ。強い圧力を受けたルシールは、項垂れ、口を閉ざした。
「元通りにしておけ。そんなに祭壇が恋しいなら、聖エルナ教会に帰るといい。止めはしない」
話し合いはしない。力で黙らせる。上下関係をはっきりさせる為には、時にこういった力業が必要だ。
「ルシール、最近のお前の専横は目に余る。出て行け。暫く、顔を見せるな」
そこで、扉の前に立っていたフランキーが扉を開け放ち、ルシールに前室から出て行くように促した。
「そんな! ディート、私は……!」
「やかましい。……フランキー!」
そこで静かに頷いたフランキーが、ルシールの腕を掴んで前室から放り出した。
「……」
俺は痛む眉間を揉んだ。
扉の外では、ルシールが何やら泣きそうな声で言い訳しているが、その全てを無視した。そして――
「ロビン」
「は……」
まず、何から言うべきか。今のロビンに、叱咤は逆効果という事だけは分かる。
「…………」
考えるが答えは出ない。俺という男は、そんなに器用に出来てない。ロビンを元気付ける言葉など思い当たらない。少し人間としては致命的なような気がするが……とにかく……
「ロビン、何故、武装していない。剣はどうした。それで、どうやって俺を守るつもりだ」
「……」
ロビンは答えない。
ルシールが余計な圧力を掛けた事は察しが付くが、それをロビンが口にするのは『密告』に他ならない。幾らルシールが気に入らなかろうと、プライドの高いロビンが、そんな事をする筈がない。
勿論、ロビンは強い。素手でもそれなりのものだろう。だが、『騎士』としてのこいつが真の実力を発揮するのは、やはり剣と盾による攻防だ。
いや、今考えなければならないのは、そんな事ではない。俺は悩みに悩み……
また関係ない事を言った。
「……俺にアシタをけしかけたのは、お前か……?」
「ええっ!?」
ロビンは途端に狼狽え、視線を忙しなく動かした。
「……」
そのロビンの様子に、俺は頭を抱えた。先の行動は、どうもアシタによる独断の行動のようだが、現状を客観視すると、俺がロビンを追い詰めているようにしか見えない。
俺はまたしても悩み……また関係ない事を言った。
「あいつは弱すぎる。少し鍛え直せ」
「は、はい。申し訳ありません……」
ロビンとしたいのは、こんな不毛な会話ではない。俺は、ずきずきと痛む眉間を揉んだ。
「とにかく……ルシールは暫く謹慎させる。その間は、ロビン。俺の身の回りの事は全てお前に任せる。いいな……?」
「は、はい……分かりました」
「では、今日は休め」
ロビンは、ぺこりと頭を下げ、振り返る事なく部屋から出て行った。俺とは一度も視線を合わせなかった。
「……」
俺は……会社員だ。駄目になる人間は何人も見て来た。
目を合わせない。挨拶をしない。元気がない。他人の評価を気にしない。愚痴が減る。或いは増える。他にも色々あるが、ロビンの態度はその大半に当てはまる。
一連のやり取りを見ていたフランキーが、眉を八の字に寄せている。
「師匠、余計な事かもしれないけど……」
「言うな。分かっている」
レネ・ロビン・シュナイダーは、もう終わってる。『戦う者』としては、死んでいるのと同然だった。
◇◇
翌日、アシタを伴って現れたロビンは、ちゃんと帯剣しており、甲冑を纏っていた。しかし、甲冑に刻まれた『教会騎士』の紋章である『蛇』は削り取られており、外套も無地のものになっている。
裏切者のレネ・ロビン……
かつて、仲間であった逆印を刻まれた教会騎士たちがロビンに残した傷跡は深い。
そして従卒のアシタは、怒りに燃える目で俺を睨み付ける事を止めない。
そのアシタには、即座にフランキーが反応した。
「アシタ、テメーは出てけ」
「あ? なんだと?」
「テメーは、師匠を守るつもりなんてないだろうが。そのクソみたいな面を見てると、こっちまで苛々するんだよ」
俺は答えなかった。フランキーの言う通りだったからだ。
アシタは言葉にこそ出さないものの、全身で俺に対する不満を表現している。護衛として役に立つとは思えない。フランキーが苛立つのは当然の事だった。
そして、ロビンは、そのアシタとフランキーとの間で板挟みになって困惑している。以前のこいつなら、アシタの態度を厳しく嗜めただろうがそれもない。
「二人とも、やめろ……」
俺は呆れ、大きく溜め息を吐き出した。フランキーは、ハッとして控えるが、アシタは反抗的な目で俺を睨み付けて来る。
「……アシタ、少しだけ時間をやる。言いたい事があるなら、全部言え……」
その俺の言葉に、アシタは途端に食って掛かって来た。
「ディ、ロビン姉ちゃんがこんなんなっちまったのは、全部テメーのせいだろ!? テメーが、ろくすっぽロビン姉ちゃんに説明しないから、こんな事になったんだろうが!!」
俺は短く息を吐く。
「そうだな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……」
「あ、なんだそりゃ?」
俺は言った。
「アシタ。今から、アビーとエヴァとゾイ、スイを殺す。手伝ってくれ」
「え……?」
突然の言葉に困惑しているアシタに向けて、俺は首を振った。
「……お前は馬鹿だ。俺が寺院と事を構えるという事は、ロビンにとってこういう事なんだよ……」
アシタが即答できなかったように、ロビンが即答できる訳がない。
「言葉が足りなかった事は認める。だが、間違った事をしたとは思っていない。理解されなかった事を非常に残念に思う」
やはり、俺は鬼人が嫌いだ。腕力頼りで考えに欠ける所がある。好きになれない。
「あ……」
アシタは短く呻き、漸く俺の気持ちを理解したようだ。困惑して、助けを求めるようにロビンを見るが、そのロビンは首を振るだけで答えない。
感情だけでは駄目だ。アシタの情に厚い性格は嫌いではないが、それだけで全てを計ろうとすると失敗する。
例えば、こんな風に。
「アシタ、出て行け。お前の顔は見たくない」
◇◇
やがて、帝国騎士団団長のゲオルクと憲兵団団長のトビアスの二人が僅かな従者を伴ってやって来た。
一応、『大神官』という肩書きを持つ俺との話し合いは長時間に及んだ。
「のお、大神官。王宮に住まんか? 不自由はさせんと約束する」
「断る。俺は、このパルマから離れるつもりはない」
王宮に入ったが最後。俺は閉じ込められ、二度とパルマに帰る事はないだろう。
「サクソンの教皇から、何か返答はあったか?」
「ふん……連絡はしたがな……」
遠距離での通話を可能にする魔道具だ。
「肝心の首検分が済んどらん。早馬を飛ばしとるが、ジャッジの首がサクソンに届くまで、あと一ヶ月は掛かる。だが、まぁ……向こうも状況は把握しとるから問題ない。ただの事実確認よな。それと、お前さんに、一度本神殿に来んかと打診があった」
「ふむ……サクソンの本神殿か。教皇には、一度会ってみたいな……」
「阿呆。帰って来れると思っとるのか? そんな所に我が国の大神官を送り出せるか」
「ははは」
俺は笑って見せるが、勿論、内心では笑ってなどいない。それはゲオルクの方でもそうだ。
話題は、新しい教会法の制定について変わり、俺は今一度この問題を棚上げして時間を稼ぐ事にした。
「もう少し吟味したい。時間をくれ」
「あのルシールとかいう修道女はどうした?」
「あれなら謹慎させた。専横が過ぎるのでな。今後の話は……」
ロビンに、と言い掛けて、俺は首を振った。
「今後は俺が直接話す。ルシールは、あいつはただの修道女だ。なんの権限もない。以降の話は俺を通してもらおうか」
「そ、そうか」
ゲオルクは、やりづらそうに顔をしかめた。やはり、新しい教会法の草案には罠がある。
俺は一つ咳払いして、言った。
「所で、俺から帝国に一つ提案がある」
「おん? なんじゃい、言うてみい」
俺は頷いた。
「人頭税を廃止してもらいたい」
死神からのプレゼントだ。
この古めかしい封建制度の国に、恐ろしい毒を流し込んでやる。
明日も続きます。
よろしくお願いいたします。