15 酷い絵面
俺は暴力は嫌いだが、それを完全に否定するような馬鹿じゃない。それが効果的な場面があるからこそ暴力はなくならないし、『戦争』とかいうクソみたいな事象が存在する。
これも、その一つなのだろう。
「ゾイ! ゾイ!!」
ガキ共が騒ぎ立て、勝利したゾイを歓声で称える中、俺は慌てて駆け寄ってゾイを抱き寄せた。
「あ、ディ……」
ゾイは余程集中していたのか、そこで漸く俺の存在に気付いたようだ。口元を緩ませ、微かな笑みを浮かべて顔を上げた。
「なんて事だ……」
ゾイの負傷は、猫娘の攻撃をガードした両腕に集中している。その全てが浅い傷だが、見る限りでは傷の数は二十を越えている。
重傷ではない。だが放置していい傷でもない。俺は迷わず『蛇』を呼び出し、ゾイの傷を治療した。
両の腕に黒い蛇がとぐろを巻いて現れる。エメラルドグリーンの光が辺りを照らし、ゾイの傷はたちまちの内に消え失せた。
一つ一つの傷は大したものじゃない。だが傷の数が多すぎる。その数に比例して、大量の神力を消費した俺は強い目眩を覚え、その場に倒れ込みそうになったが、今度は逆にゾイが抱き支えてくれた。
「……」
俺は短く息を吐く。
喧嘩の理由に興味はない。
ゾイは穏やかな子だ。喧嘩をするなら、それなりの理由があるのだろう。だから、つまらない問いはしない。
そしてまた、ゾイの方も説明はしない。そもそもドワーフは寡黙な種族だ。やるべきと思った事をやる。無駄なお喋りはしない。
ガキ共が上げる歓声の中、俺とゾイとはお互いを支えるように抱き合っていた。
そこで漸く風呂上がりのアビーが帰って来た。
「…………」
先ず、アビーは抱き合う俺とゾイを見て眉間に皺を寄せ、続いて壁の大穴の向こうに転がる猫娘と、動揺して目を忙しく泳がせる鬼娘とを何度も見比べ……意外そうに言った。
「まさか……やったのはゾイかい?」
そう確認したアビーは、厳しい表情で鬼娘を睨み付けた。
「……」
対する鬼娘は小さく頷き、視線を床まで下げた。
アビーは鋭く言った。
「アシタ。ちょっと来な……!」
風呂場でのアビーは、鬼娘の腕力を高く買っていた。少し考えれば分かる事だが、この集団での鬼娘の役割は『抑止力』だ。集団内での警察機構と考えていい。
今回、鬼娘はその役割を果たさなかった。猫娘がぶっ飛ばされた事は問題じゃない。問題は、鬼娘が役割を果たさなかった事だ。
アビーの期待を裏切った事だ。
そして、ゾイが年長で古参の猫娘をぶちのめした。これがどういう結果に繋がるか。
集団内の序列が変わる。
それも、リーダーであるアビーの意図しない形での話だ。
「アシタ……あんた、これがどういう事か、分かってんだろうねぇ……!」
アビーの怒りは深刻だった。糸目を吊り上げ、鬼気迫る表情で鬼娘を睨み付けていた。
◇◇
その後、俺はガキ共の治療を中止した。
今はまだ皮膚病程度で済んでいるが、その内、何らかの感染症が発生する。そうすれば恐ろしい事になる。死人も出るだろう。それはもういい。
俺は、このガキ共に三行半を突き付ける事にした。
アビーの予想通り、猫娘をぶちのめしたのが鬼娘だったなら、それはアビーの手の内の出来事であり、何も変わらない。俺は変わらず、アビーの為に動いただろう。
この一件は、俺とアビーの関係に修復不能の傷を入れたと言っていい。
猫娘に思い知らせたのが、アビーの期待通りに動いた鬼娘なら、俺はこの集団を『ゴミ箱』にはしなかった。出来なかった。
「アビー。俺とゾイは別の部屋に移るが、異存はあるか?」
「……つっ!」
アビーは賢い。すぐさま俺の考えを理解したのか、ぐっと唇を噛み締めた。
俺はゾイを贔屓している。ゾイは俺の側に立っているという事だ。そのゾイが喧嘩するというのは、俺が矢面に立つ事と等しい。
喧嘩の勝ち負けは関係ない。鬼娘は、どんな事をしても、ゾイと猫娘をぶつけるべきではなかった。それは、アビーとアビーの集団が俺を受け入れないと宣言するようなものだからだ。
俺はゾイの耳元で囁いた。
「……こいつらは移る病気だ。あまり近寄るな……」
「うん。分かったあ」
ゾイはいつものように甘ったれた口調で言って、俺の腕にぴったりと張り付いた。
「……」
アビーは唇を噛み締めたまま黙っている。
どうする、女王蜂。
集団を舐めていただろう。思い通りに動かない集団が、どれほど始末に負えないか理解したか?
大怪我をした気分はどうだ?
「…………」
アビーは黙っていた。その顔に浴室で見せていた余裕は一切ない。額に珠のような汗を浮かべ、頻りに頭を回転させているようにも見える。
低く、押し出すように言った。
「……このケジメは着ける。考え直してくれないかい……」
「……」
俺は答えず、黙ってアビーに背を向けた。
こいつの小遣い稼ぎに付き合う義務はない。これからは好きにさせてもらう。
ゴミはゴミ箱に、だ。
最後に言った。
「アビー、若いうちの過ちは極めて結構だ。それがお前を成長させるだろう。だが、愚か者と年寄りはそうするべきではない。何故か分かるか?」
――どちらも、命が短いのだから。
◇◇
その日の晩は、ゾイと二人で寒さに震える羽目になった。
格好を付けたのはいいが、隙間風の吹き込む貧乏長屋の一室は人間の身体には堪える。ガキ共があれほど密着して眠っていた訳を痛いぐらい理解した。
ゾイは少ない薪を燃やし、震える俺の為に必死に暖を取ろうとしたが無駄だった。最後には自分の衣服すら燃やそうとしたが、勿論、それは制止した。
「……これは堪らん。ゾイ、朝にはここを出てアレックスのクランに身を寄せるぞ……」
筋肉ダルマは笑うだろうが、背に腹は変えられない。
薄っぺらい毛布とゾイを抱き締める俺は、がちがちと歯を鳴らしながら極寒の夜を耐え忍んだ。
そして、朝陽が差す時間になった頃の事だ。恐ろしい事件が起こる事になる。
少ない荷物をまとめ、この場を引き払おうとした俺を呼びに来たのは、蜥蜴娘のスイだった。
「どうかしたか?」
良くも悪くも、俺はこの蜥蜴娘に特別な思い入れはない。
「……これ」
スイは、一瞬だけ恨めしそうな視線をゾイに向け、小さな手提げ袋を差し出して来た。
「なんだ、これは……」
「アビーが……ディに……」
ぼそぼそと呟くように言うスイは、上目遣いに俺の顔を見たまま、袋を差し出した姿勢で動かない。
「……」
挨拶するような義理もない。ゾイだけ連れて出て行こうとしていた俺だったが、それはアビーにはお見通しだったようだ。
「なんだ、これは。餞別ならいらん――――」
俺は小さく舌打ちして、スイから受け取った袋の中に手を突っ込み、そこで指先に感じたぬるりと滑った感触に絶句した。
「…………」
まず、袋の中から取り出したのは、細長い紐のような……見覚えのあるそれは……
猫娘の尻尾。
根元から切り落とされていて、傷口は半ば血が固まりかけている。俺が術で繋いでしまわないように敢えて時間を置いたのだ。
袋の中には、もう一つ凄惨な代物が入っている。
こいつも見覚えがあるものだ。
下水道で目を覚ましたあの日、腰に当たって痛かったあれ……
鬼娘の角。
皮膚片がこびり付いており、こちらも時間経過が見られる。
「…………」
俺は、アビーが用意したこの『ケジメ』の代物に絶句して言葉もない。
俺もまた舐めていた。ガキが……アビーがここまでやるとは思いもしなかった。
ショックを受け、愕然とする俺から袋をもぎ取り、中身を覗いたゾイは小さく悲鳴を上げた。
「ひゃあっ!!」
だが、ゾイの方は免疫があるのか、俺よりもショックは少なそうに見える。
暫くして落ち着いたのか、呆れたように言った。
「……こんなの貰っても、薪の代わりにもならないよ……」
正にその通りだ。こんなものには何の価値もない。
「……」
黙ったままのスイが、その場に膝を付き、額を地面に押し付けた。
「許してください。この通りです」
アビーは自ら率いるガキ共の手前、表だっての謝罪は出来ない。
だから、スイに命じた。
全面降伏の完全謝罪。
これはアビーにとって最大限の謝罪であり、また最大限の譲歩でもある。この謝罪を蹴れば、俺も後がない。間違いなく血を見る羽目になるだろう。
俺は疲れ……右手で顔を拭った。
「……アビーに伝えてくれ。謝罪は受け取った。この件は水に流す……」
「はい。ありがとうございます」
スイが……小さいガキが土下座で俺に詫びを入れている。
この酷い絵面に、俺は喚き散らしたい気持ちだった。
全ての物事には因果というものがある。
俺はまだここに居て、為すべき事があるようだ。
女王蜂の執着心故か。
それとも……