146 いずれも同じ
どうやら……
母は、俺と同様、笑えない冗談が好きなようだ。
やがて強い風が吹き、俄に垂れ込めた暗雲を押し流して行く。
『うぅ……ううぅ……』
呻くような聖女の泣き声が耳障りで、俺は眉をひそめて息を吐く。
『許さない! 許さなぁい!!』
まるで子供だ。自分の思い通りにならない事に憤り、喚き散らす子供。
「……」
母が命を欲しがるぐらいだ。どんな邪悪な存在かと思ったが……こういうガキに必要なのは強い躾で、殺してしまう程でもない。空に描かれた名の中に、ロビンの名を見てしまった事もあるが……
「今さら、やる気がなくなったから止めると言っても、許してはくれんのだろうな……」
その俺のぼやきに答えたのはエリシャだ。
『当たり前だあ! 許すかぁっ!!』
残念ながら、我らが敬愛する母も同じ意見だ。だが……
(どうする?)
再び駆け出した俺は考える。
このまま行けば、戦力が集結しつつある奥の外陣で聖女と相対する事になるだろう。それはいい。
『聖女』エリシャ・カルバートは危険な存在だ。そして、恐らくはその聖女を造り出した『大司教』コルネリウス・ジャッジもまた危険な存在だ。
その邪悪な存在二人の巻き添えになって、多くの命が花を添える。
(ロビン……)
ゲオルクの爺さんは間に合いそうにない。まぁ、これは無茶振りだった。仕方ない。
「……だが、なんの援護もなしとはな……」
生きて帰った暁には、この事で散々苛め抜いてやろう。
そして、また雰囲気が変わる。
空にはギラギラと灼熱の太陽が輝くが、空中に青白い稲光が発生している。
これも俺が知らない術だ。
馬鹿なガキだ。高度な術を使えば使う程に、それを奪われるとは考えていないのだろう。
エリシャが叫んだ。
『死ねえ! ディートハルト・ベッカー!!』
「……」
俺は足を止め、小さく欠伸した。
『聖なる光』
その次の瞬間、辺りが真っ白になり、遅れて轟音が降って来た。凄まじい神力の迸り。それは正しく神の力。人が制御できない超自然の為せる業。
――稲妻というやつだ。
雷とも言う。だが、残念なるかな。今、正に死神の力を顕現させている俺には、少し痺れたという程度だ。辺りの建物は吹き飛んでしまったが。
「……勿体ない。素晴らしい芸術品であったのに……」
それらは全て、聖女の力によって瓦礫の山と化した。
『……つっ!?』
「いい術だ」
これが自然発生した稲妻であれば、俺は問題なく木っ端微塵になって死んでいただろう。
『な、なんで生きてるの……あなたは何? いったいなんなの!!』
「やかましい」
実の所、俺にもよく分からない。今、使っている術の影響もあるだろうが、母の干渉も強く感じる。
そして問題なく『奪った』。
しかし、聖女は面白い術を知っている。俺とは違う方向に成長していると言っていい。
「返すぞ。ほれ」
俺の周囲に十二の聖印が現れ、それは吸い取られるようして瞬く間に天に昇って行って、上空で弾けた。
「こうか……? 聖なる光」
次の瞬間、またしても周囲が真っ白に染まり、後になって轟音が降って来る。
稲妻というやつだ。ただ、それが落ちたのは俺にじゃない。エリシャの方だ。
「う~ん……よく分からんな……」
俺とエリシャとでは違う。狙いが甘い。正確に俺の位置を把握していたエリシャと違い、俺にはエリシャの位置が大体でしか分からない。
エリシャが絶叫した。
『ぎゃあああああッ!!』
「ふむ……命中せずとも遠からずという所か……」
稲妻は、神の怒りと評される事もある。これぞ正に天罰。妙に納得した俺は、腰の後ろに手を組み、胸を張って歩き出す。
瓦礫がもうもうと巻き上げる煙の向こうに、聖女が戦力を集結させている外陣が見えて来た。
「しかし……祝詞もなしにこんな力を使うとは脅威だな……」
そうだ。聖女は祝詞を詠唱する事なく術を使っている。余裕……ではないような気がする。だとすると……
「まさか……祝詞を知らないのか……?」
考えるが答えは出ない。聖なる光という術に限って言えば、凄まじい威力の術だった。これ程の術になれば必ず祝詞が存在する筈であるし、その術を詠唱破棄して使用すれば、今の俺のように不完全な術になる筈だ。
「……まあいい」
砂混じりの風が吹き、瓦礫から巻き上がる煙を拐って行く。
俺の聖なる光で散り散りになってしまっているが、エリシャが開けた外陣に集結させた戦力は凡そ五~六百という所か。
「……約三個中隊規模か……」
俺の名を聞いて逃げた者もいるだろう。あくまでも想像だが、寺院には千人以上の教会騎士や神官、修道女が詰めていたと思われる。
……ここに一個中隊を率いたロビンが戻って来れば厄介だ。殺すしかなくなる……
「悪いな。急がせてもらう」
俺は『死神』の術を解く。呪詛に集中する為だ。
そして――
◇◇
命の木から葉が落ちる。
一枚。また一枚。
今はまだ熱く燃えているものが、間もなく燃え尽きる。
骸の上を冷たい風が吹きすさぶ。
お前の上に、母が身を屈める。
だが、母の目はもうお前を見ない。
全てのものは移ろい、消え去る。
全ての者は死ぬ。喜んで死ぬ。
その中で、母だけは永遠に留まっている。
母の戯れる指先が、儚い虚空にお前の名を書く。
《死の言葉》
◇◇
「汝、これより、夜の住人」
俺にとっては最強の呪詛である『死の言葉』だが、相手はあの聖女と教会騎士だ。あのロビンをして中隊長クラスなのだ。それ以上の猛者が居たとしても不思議ではない。
「おまけしてやる。釣りはいらん。取っておけ」
この時の為に作った術ではないが、やはり対象を死の底に導く強烈な術がある。
「刮目して見るがいい」
俺は呪われている。殺す為の呪詛は事欠かない。これは『聖女』との大きな差違だ。
「死を見て掴もうとし、虚空を見て死が遠くで嘲りの口笛を吹く」
そこで、俺は初めて聖女を視界に収める。
「お前は寝床に探り寄る。眠れるものなら眠ってしまうものを……」
俺と同じ銀の髪。紫の瞳。白いドレスに似たワンピースの衣服を着ている。故意か偶然かは分からないが、裾の長いそれは、見ようによっては白い神官服のようだ。
「眠りは怯えた鳥のようになって引き留めておくのは難しいが――殺すのは容易い」
エリシャの紫の瞳と、俺の夜の瞳とが交錯する。
「死の鳥が羽ばたき、鋭い嘲りの声で口笛を吹きつつ飛び去る」
名付けるなら《死の鳥》の祝詞という所か。
やがて、何処からか現れたカラス共が嘲りの声で鳴く。
無数に現れたカラスが鋭い嘲りの笛を吹く。命が消える。飛び去って行く。
「……素晴らしい。そんな事も出来るのか……」
エリシャは神力をバリアのように展開し、周囲の数十人程の教会騎士たちも含めて、俺の呪詛から守って見せた。
額に脂汗を浮かべ、両手を広げて制止するような格好で神力のバリアを展開するエリシャの足元に、神官服を着た一人の老人が怯え、頭を抱えるようにして踞っている。
「……エリシャ・カルバートとコルネリウス・ジャッジか……」
さて、大勢殺した俺だが、やんちゃが過ぎた。この辺が限界だ。神力も尽きて来た。
酷い目眩がする。魔法酔いだ。
千人近く殺ったか?
どうでもいい。考えると気が滅入る。
そして、聖なる光という大技に、俺の強烈な呪詛を二つ防いだエリシャも肩で大きな息をしている。
生き残りも百人を切った。
我ながら、散々殺した。
二人きりなら「また今度」と言って別れる所だが、そうも行かないのが辛い所だ。
「……なあ、エリシャ。少し話がある。いいか……?」
天然痘を知っているか。母にあった事はあるか。『外法』や『邪法』。『刷り込み』に『焼き付け』。聖女エリシャ・カルバートに聞きたい事は山ほどあった。
エリシャは肩で大きな息をしている。俺と同じように限界である事は間違いない。
しかし、美しい少女だ。
雪花石膏のようなきめ細かく白い肌。睫毛まで銀色で、造りものめいた芸術品のような美しさがある。
「なあ……何処かで会った事があるか?」
エリシャは答えない。柳眉をつり上げ、バイオレットの瞳を怒りに燃やしている。
俺を指差して叫んだ。
「あいつを殺せ! 殺せぇえぇえぇえ!!」
「……まぁ、そうだな。話し合う雰囲気でもないな……」
短く溜め息を漏らす俺の前で、同胞を殺されて怒りに燃える教会騎士たちが抜剣する。
さもありなん。この時点で、奴等の死傷率は九割を超える。少々、殺し過ぎた。憎まれても仕方ない。
俺はもうガス欠だ。
この期に及んでは是非もなし。
殺し過ぎて少し疲れていた所だ。そろそろ幕引きにしたいと思っていた。
俺は胸に手を当て、気取った仕草で頭を垂れる。
「……青ざめた唇の女。本性は蛇。復讐と癒しを司り、自己犠牲を好むしみったれた女神、『アスクラピア』に永遠の祝福(災い)あれ……」
最期の挨拶だ。
跪き、力なく項垂れる俺に、数十人の教会騎士が殺到する。その瞳は嫌悪と憎悪に燃えている。
「それでは、ご機嫌よう」
さて、これから俺がする事は術の行使ではない。一つの『権利』だ。
先の『刷り込み』で、母より授かった権利を行使させてもらう。
全員、『間合い』に入った。
それでは、行こう。
足下から世界が崩れ去り、底なしの虚無が広がって行く。元よりこうするつもりだった。
「ようこそ! 奇妙な部屋へ!!」
生と死とは表裏一体。二つは一つに絡み合っている。行き着く先に待ち受けるのは何か。地獄の叫びか、太陽の御空か。どちらに向かうとしても――
いずれも同じ。
神との邂逅が始まる。
第二次選考突破しました!
ありがとうございます!
あと一息でございます。これからも『アスクラピアの子』をよろしくお願いいたします。