145 死神降臨
銀の髪が揺らめき立ち、そこに星が舞っている。
青白く輝く身体。
俺は胸に手を当て、気取った仕草で頭を垂れた。
「聖女エリシャ・カルバートと大司教コルネリウス・ジャッジの命を貰う。道を譲って頂きたい」
門番をやっていた二人の教会騎士の内、一人は顔中の孔という孔から血を噴き出して昏倒し、もう一人は激しく咳き込んで喀血した。
「全ては母の意志だ」
一人は死に、一人は病を得るに留まる。皆、殺して回るのが真の死神の在り方ではない。
寺院内の警戒は薄い。
当然といえば当然だ。第一階梯の神官とはいえ、十歳の子供がただ一人で聖女と大司教の命を目的に乗り込んで来る等と、誰が予測出来ようか。
ただ、ロビンだけが俺の性質を見越して警戒していただけだ。
そうして死神と化した俺は、門戸を抜け、石畳の敷き詰められた外陣を闊歩する。
「ふむ……確か円形神殿だったな……」
先ずは内陣を目指して歩く。
寺院内には十八の建築物があり、それぞれ建築様式は異なる。
「……素晴らしい」
それらは、俺から見れば、建築物というより彫刻に近い芸術品だった。
そして――
未だ襲撃者と見なされずにいる死神と行き交う人々の反応は様々だ。
修道女に教会騎士。中には雑役を担う者も居ただろう。皆、それぞれが血を吐き昏倒したり、病人のようにその場に踞り咳き込んだりして道を譲ってくれた。
内陣を目指して歩く死神は、災厄を振り撒き続ける。
さて、災厄を受けた何人が生き残るだろう。それこそ神のみぞ知る。
「母の戯れる指先が、儚い虚空にお前の名を書く」
選ばれた者だけが死ぬ。災厄とはそういうものだ。いや……
「同様に、運の悪い者も死ぬ」
それが『災厄』というものだ。寺院内は強力な神聖結界の加護がある。それが運の尽きだ。
斯くして、俺は死神となって降臨する。
……全ては、神聖で、よい……
俺は無責任に言った。
「母よ。あんたの汚れたケツは、あんたが自分の手で拭くんだ」
俺に拘りはない。全て死神の手に委ねる。
広大な寺院を道なりに歩く俺は、気付けば外陣を抜け、敷地内にある脇陣部分に入っていた。ルシールの言っていた通り、寺院は確かに広大だ。方向音痴の俺には厳しい程度には。
「すまん。ちょっといいかね」
そこで、俺は黒い神官服を纏う一人の神官を呼び止める。襟章は赤。第三階梯の神官だから、力の方はそれなりだ。
襟章が茶色の四階梯。黒色の五階梯の神官は、俺が呼び止めただけであっさり死んでしまった。修道女や教会騎士に至っては、近付いただけで昏倒してしまうので話にならない。
少し年かさの男。三十代に見えるが、どうだろう。顔中に赤黒い血管が浮き上がっていて、正確な年齢が分からない。死神の存在に多大な影響を受けている。
「兄弟、酷い顔色だ。母から何も聞いていないのか?」
男はその場に踞り、激しく喀血を繰り返すだけで答えない。答える余裕がない。
「今、帝国では恐ろしい疫病が流行っている。大勢が死んだ。こうしている今も、大勢の者が死の危機に晒されている。知っているか?」
「…………」
男は答える事なく昏倒して、その場で死んでしまった。
「なんだ……益体もない……」
第三階梯の神官なら大丈夫だと思ったが、会話する事すら出来ないとは思わなかった。
「――む」
そこで、周囲の気配が変わる。どうやら俺の襲撃に気付いたようだ。神聖結界が力を増し、円形のバリアのようになって寺院全体を囲み、肉眼視可能な程の強力な守護領域を展開して行く。
「愚か者が」
これが悪魔や死霊の類いなら有効な神聖結界の強化だが、生憎、俺はそんなに優しい存在ではない。
俺の夜の目が捉えた神力の色は『銀』。結界の強化を施したのは聖女だ。
俺は吹き出した。
どうやら『他所の子』は、俺に力を貸してくれるようだ。この無知を嘲笑わずにはいられない。
そして、俺はまた強くなる。
このまま、慌てふためく奴等の狂態を嘲笑っていてやっても構わないが……
この術は神力の消費が激しい。俺も、このままピクニックを楽しむ気分じゃない。
俺は新たに二百体ほどの聖闘士を召喚して、四方に散開した。
この無駄に広大な寺院の構造を把握する為だ。
「…………」
目を閉じ、集中して寺院の構造を探る。円形神殿の位置を探る。
「……長方形の敷地。外陣が二つある……」
ここから少し進んだ先に、開けた外陣があり、そこに教会騎士を含めた戦力が集結しつつある。
聖女と大司教を守る為だろう。
「では、挨拶に行くとするか」
俺もまた、戦力を集結して奥まった外陣目指して駆ける。
時折、馬鹿な教会騎士たちに襲撃を受けたが、ある者は死に、ある者は病み、またある者は逃げ出した。
逃げた者は俺の顔を知っている連中だろう。しみったれた母の手が見逃した命はどうでもいい。
そこで神聖結界を媒体に、寺院全体にデカい声が響き渡った。
『侵入者。お前は誰ですか?』
外陣を目指して駆ける俺は、鼻で嘲笑った。
「お前こそ、誰だ」
『……私は、エリシャ。エリシャ・カルバート……』
「そうかね」
話し合いに意味はない。このまま外陣に突っ込み、連中全てを『死神』の手で終わらせる。
『汝、礼に倣わざるは卑賤の輩。名乗りなさい!』
「断る」
『他所の子』に礼儀はいらん。理由はそれだけじゃない。名を教えるだけで特定され、呪詛を送られる可能性がある。そうなったら厄介だ。
『名乗りませんか。そうですか……!』
怒気が乗った少女の声が響き渡った。
『では……』
「……?」
そこで、急に辺りが暗くなり、日中であるにも関わらず空に暗雲が垂れ込める。
その暗雲に浮かび上がったのは……
―― Diethard Becker ――
ディートハルト・ベッカー。俺の名だ。
「……やるじゃないか……」
見も知らぬ相手の名を空に炙り出す。正に『奇跡』。俺ですら知らない術だ。だが……
「見たぞ」
俺の『闇の目』が、見た。観た。視た。はったりにも使える面白い術だ。足を止めて目を凝らす。勿論、『奪う』。
「……」
問題ない。『奪った』。
再び駆け出しながら、俺は短く鼻を鳴らした。暗い空に名を描かれたのは縁起が悪いので書き直しておいた。
―― Elisha Calbert ――
俺は爆笑した。
母も、きっと笑っているだろう。
「ついでだ。ほれ」
俺の戯れる指先が、暗雲垂れ込める空にその名を書く。
―― Cornelius judge ――
ついでに、大司教コルネリウス・ジャッジの名を刻んでおく。我ながら気の利いた冗談に、俺は腹が抜けるほど笑った。
『なっ……』
僅かに狼狽する聖女の声が聞こえ、俺はそれが可笑しくて堪らず一頻り笑いに噎せた。その気配は神聖結界を通してエリシャにも伝わっているだろう。
『わ、笑うなっ、笑うなっ!』
勿論、俺は爆笑した。
そしてエリシャの怒りと動揺は甚だしい。
『えいっ! えいっ!』
エリシャは、気合いを込めて空に描かれた己と大司教の名を消そうと必死だが、消えない。消せない。
『……うぅ、何をしたあっ!』
「……」
何もしていない。俺は嫌な予感がして、暗雲垂れ込める空を見上げる。
―― Elisha Calbert ――
―― Cornelius judge ――
そこから、更に無数の名が浮かび上がる。俺の仕業じゃない。これが俺でもエリシャの仕業でもないとすれば、それが出来る存在は限られる。
「まさか……アスクラピア?」
母の戯れる指先が、儚い虚空に無数の名を書く。その中の一つに――
―― Renee Robin Schneider ――
「……」
俺は震える息を吐く。
レネ・ロビン・シュナイダーという同姓同名の別人がいる事を祈る。
だが、しみったれた母は俺が思うほど甘くない。
その他の者と同様に、死神はロビンの命を欲している。
ネトコン二次通過を祈る!
本日18時発表!