143 悪戯者
高い壁に囲まれた寺院が見えて来た。
幅広い一本道。
強い風が吹いて来て、砂粒を巻き上げて過ぎ去って行く。
「……やはり、居るか……」
広大な寺院を背に、教会騎士の一団が陣を張っている。その数は一個中隊(200人)という所だろうか。
神聖結界内では、俺に対抗する事は難しいと考えた賢い連中だ。
「……踏み潰すぞ。攻撃型突撃陣……!」
ルシールが朝星棒を構える。
俺とルシールを中心に剣闘士。先陣は聖闘士が切る。陣形を組み、先ずは目前の教会騎士中隊と一戦して力を測る。
開戦の言葉はいらない。
俺は純然たる戦闘が好きだ。意思と意思のぶつかり合いが好きだ。決着の瞬間、命の花が咲いて散る。
刹那が揺蕩う。
力が漲る。教会騎士は強い。あのロビンの力を教会騎士の平均値とするなら、この戦いは非常に不利なものになるだろう。
目前の教会騎士も攻撃型突撃陣の陣形を敷いている。賢い。神聖結界内ではともかく、結界外に於いて母の加護なしには召喚兵の力など取るに足らん事を知っている。
場所は広い一本道。期せずして『会戦』の形になる。
部隊としての力は向こうが上だが、数はこちらが上だ。勝目は十分ある。
「百の勝利。千の栄光。戦う者に絶えぬ祝福を……!」
個々の戦力比を強化の術で埋めて行く。戦える。踏み潰す。言葉は不粋。推し通る。やはり『向かって来る』者はいい。戦い甲斐がある。『死』はただの結果に過ぎない。
「……ディート、笑っています。楽しいのですか……?」
「ああ」
先ずは目前の部隊を蹴散らし、寺院内部に突入する。聖女と大司教が居る円形神殿に辿り着く事が出来れば……
ルシールが冷静に言った。
「……教会騎士は強いです。如何な貴方といえど、乱戦になれば勝ち目はありません……」
「さて、どうかな」
俺は帝国が言う所の『大神官』様だ。その力は、最早『第一階梯』等という誰かの定めた基準には収まらない。
「空虚な世界。青い蝋燭の光が微かに揺らぐ」
先ずは挨拶してやろう。
直接的な攻撃の術こそ少ないが、母の術の真価は対象の強化と弱体化にある。
「冷たい場所。雨が降っていて、柔らかく木の上に落ちる」
教会騎士が強いなら、弱くすればいい。
俺は嗤って祝詞を紡ぐ。
「お前は休み、凍えながら歩く。朝が来て、また夜がやって来る」
そこで、目前の教会騎士を率いる隊長が吠えた。
「ディートハルト・ベッカー! 何をしに来た!!」
「……」
戦いの前の口上は好きじゃない。抜かれた剣は血塗られずに置かぬものだ。
「幾度もの朝。幾度もの夜がやって来る。絶えずやって来る。だが……」
ぐだぐだ抜かすな。『戦士』なら実力で物を言え。
「お前は、決してやって来ない」
空気が歪む。奴等は粘性のある水のように、辺りの空気が重たく感じる事だろう。
先ず動作を抑制させてもらった。
「ま、待て! 先ずは話を! 話を――」
母は復讐を是とする神だ。俺は言った。
「くたばれ」
祝詞を破棄しても良かったが、初戦ぐらいは丁寧にやりたいものだ。
丁寧に殺す。
一人も生かして返さない。
「アスクラピアの二本の手。一つは奪い、一つは癒す」
しみったれた母の手は二本ある。俺も同様に二本の手を持っている。善と悪とがそれだ。
戦いの場に於いて運命を決めるのは、一瞬間の他にない。長く経験を積んだとしても、決定的な事は瞬間に訪れる。即ち――
覚悟は済んでる。俺に油断はない。
「狂信者諸君、御託は結構だ。掛かって来たまえ」
俺の信仰する神は、無抵抗を好む優しい神じゃない。先ずは黙って殴られろと言うような頭お花畑の神じゃない。
さて、次は戦意を奪ってやろう。次なる術は――
「お前たちは、母の前で身を屈める」
だが、目の前の教会騎士は慌てるだけで剣を抜こうともしない。
「ま、待て、待って下さい!!」
前に出た教会騎士が兜の面頬を上げ、顔を見せる。
「……!」
その見知った顔に、俺は思わず祝詞を紡ぐ口を閉ざして眉を寄せた。
大声を張り上げ、大袈裟な身振りで俺を制止するその表情に焦りの色が浮かんでいる。その教会騎士は……
ルシールが鋭く叫んだ。
「シュナイダー卿!」
目前の教会騎士一個中隊を率いるのは、レネ・ロビン・シュナイダー。
俺は、こいつを殺したい。俺の期待と信頼を裏切ったこいつを殺したい。
俺は低い声で呻いた。
「久し振りだな、ロビン。ポリーは何処だ。まさか、もう殺しましたとは言わんだろうな……?」
祝詞が止まり、中断された呪詛の気配を感じ取ったのだろう。ロビンの顔に安堵の色が浮かんで消える。
一瞬後にはその表情を引き締めた。
「ディートハルト・ベッカー! 重ねて問う! 何をしに来た!!」
俺は嗤った。
「まだ分からないか? お前たちを殺しに来たんだよ」
「……つっ!」
いつもは冷淡なロビンの表情に強い焦慮の色が浮かび、僅かに俺も困惑する。
「なぜ焦る。なぜ困る。お前は、いったい何を考えている」
ゾイもマリエールも、ロビンにはポリーらを害する事は出来ないと言ったが、この様子から察するに、確かにそれは間違いないように見える。
ロビンは、呆然として言った。
「……なんです? その白い神官服は……」
その問いに答えたのはルシールだ。
「今のディートは、このザールランド帝国の大神官です」
「大神官……?」
鸚鵡返しに問うロビンには答えず、ルシールは毅然として言った。
「大神官、ディートハルト・ベッカーの名に於いて、聖エルナ教会の修道女、ポリーら四人の身柄の返還を要求します。ポリーたちを返しなさい!!」
そのルシールの宣告を聞いていたロビンだが、まるで腑抜けたように口を半開きにして、俺とルシールとを何度も見比べた。
「帝国の、神官……?」
ルシールは嘲るように鼻を鳴らした。
「耳が悪くなったんですか、シュナイダー卿。私には、何度も同じ事を言う趣味はありません」
「…………」
ロビンは呆然としている。
何故、こうなったのか理解できないとその顔に書いてある。
――先生には、絶対に理解できない――
何故か分からないが、自信たっぷりにそう言ったマリエールの顔が思い浮かんだ。
「……」
ロビンの動揺が伝染して、俺は僅かに鼻白む。酷い行き違いがある。そう思った。思ってしまった。
ポリーらは無事だ。間違いない。
だとすると、俺とロビンとの間には話し合いの余地がある。
そう思う俺の目の前で、ロビンの端正な顔が、くしゃくしゃと歪んだ。震える声で言った。
「な、なんで、私たちが殺し合うんですか……?」
その問いに答えたのはルシールだ。厳しく言った。
「貴方たちは、聖エルナ教会を警告なく襲撃しました。先に手を出したのは貴方たちです」
ロビンの目はルシールを見ない。ただ、俺だけを真っ直ぐ見つめている。叫んだ。
「ああでもしないと、貴方は私とまともに話をしてくれない! 違いますか!!」
「……」
沈黙は肯定の証。またヘマをやったと目を逸らす俺の右腕に、ロビンが険しい視線を向けた。
「その右腕は……」
俺は溜め息を吐き、首を振った。戦意の欠片もないロビンの様子からして、どうしようもない行き違いが発生しているという事だけは分かる。
「……聖痕がある。母は、聖女エリシャ・カルバートと大司教コルネリウス・ジャッジの命を御所望だ……」
ロビンは、だらりと肩を落とし、ぽかんとした。俺の言葉を疑う事すらしない。
「聖痕、ですって……? それは、ひょっとしなくても、凄く不味い状況なのでは……」
「……」
俺は答えない。最早、賽は投げられたのだ。
ロビンは呆然としている。
「……母が、聖女らを……あぁ、分からない話ではないです……」
レネ・ロビン・シュナイダーは、俺の敵ではない。少なくとも、ロビンの方に敵対の意思はない。
俺は激しく舌打ちした。
「退け。お前との話は後だ。用があるのは、聖女と大司教だ」
この教会騎士一個中隊を指揮するのが目の前のロビンであれば、戦う事なく寺院に入れる。
そう考えての言葉だったが……
「ディートさん、その指輪は……ダンジョンの……」
ロビンは未だ腑抜けたままだ。だが、俺の左手の薬指に填まった指輪を食い入るように見つめている。
「その指輪の効果を、知らない訳ではないですよね……」
そこで、妖精族の血を引く悪戯者が、これ見よがしに左手を差し出し、自らの薬指に填まった深紅のルビーが輝く指輪をロビンに見せ付けた。
「……ルシール……お前が、何故……」
「シュナイダー卿、それを聞くのは野暮というものでは?」
思い出したのは、アシタの言葉だ。
「妖精族っつうのは、すげえ悪戯好きなんだ。『人間』とは無茶苦茶に相性がいい」
強い目眩がして、俺はその場に座り込みそうになった。
「気を付けろとまでは言わねえよ。妖精族は人間好きだからな。でも、あっと驚くようなとんでもない事があるかも知れねえ。見た目だけで判断しない方がいい」
俺はアシタに言いたい事がある。確かに、あっと驚くような事があった!
その上で、俺はアシタに大声で言ってやりたい事がある。
あいつは、ルシールを絶対に甘く見るなと俺に強い警戒を促すべきだったのだ!
◇◇
嫉妬は消極的不満で憎悪は積極的不満である。それ故、嫉妬がたちまち憎悪に変わったとしても不思議ではない。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
その瞬間、空気が弾けるような音がして、俺が行使していた術の効果が強制的に断ち切られた。
ロビンの雰囲気が変わった。
身に纏うものだ。瞳が血のように赤く染まり、それは強い狂気を連想させた。
「ルシール! ルシールゥうゥう……!!」
ロビンの母に対する信仰は、確かにカルトと呼べるものだったが、一般常識に於いて、俺はロビンの正気を疑った事はなかった。
結果から言おう。
手に負えない悪戯者の悪ふざけで、ロビンが狂った。