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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
148/309

141 悪い男

 ルシールらを伴い、外に出た俺は灼熱の太陽を見上げる。


「さて、ここから先は、皆に命を賭けてもらう。当然だが、無理強いはしない。少しでも怖いと思う者は去れ」


 ここでフランキーやジナ辺りは脱落するかと思ったが、意外にも二人は平然としている。

 フランキーが言った。


「なぁ、師匠。あんたの出鱈目に生き残って、寺院をぶっ飛ばしたら、オレは赦されるか……?」


 俺は笑った。


「無理だ。お前は業が深すぎる。地獄行きは間違いない」


「そっかぁ……」


「気にするな。俺も一緒だ」


「そっか! 師匠となら、地獄も楽しそうだな!」


 愚かで忠実なジナには、こう言った。


「ジナ、もういいぞ。お前は、もう充分に苦しんだ。これからは自由に生きろ。俺の無謀に付き合う必要はない」


 この戦いで、一番死ぬ可能性が高いのがこのジナだ。向こう見ずで、敵対した者には迷わず突っ込む。『格闘家グラップラー』というクラスの性質上、接近戦を余儀なくされるジナは真っ先に死ぬだろう。


「……んっ?」


 そして、相変わらずジナの頭のネジは何本か跳んでいる。にこにこと笑っていて、俺の言葉の意味を一つだって理解しているかどうかも怪しい。


「……ジナ、行き場がなければ、グレタとカレンに付いて行け……」


 にこにこと笑うジナは、何でもない事のように首を傾げて言った。


「やだ。ディといる」


「いや、だから……」


「……んん?」


 これは少し骨が折れそうだ。俺は溜め息混じりに首を振り、再度説得を繰り返す。


「駄目だ。俺に付いて来たら、お前は必ず死ぬ」


「うん」


「…………」


 駄目だ。こいつが『死』という概念を理解しているかどうかも俺には分からない。


「何故だ。何故、拘る……」


「……ん?」


 ジナは首を傾げている。少し言葉が難しかったようだ。

 俺は少し考えて言い直した。


「……これから、喧嘩をしに行くんだ。あのエヴァより強いヤツがゴロゴロ居るような場所だ。お前は必ず死ぬ……」


「……」


 ジナは、ぽうっとして在らぬ方向を見つめ、馬鹿なりに少し考えているように見えた。


「……ジナは、ディにかわれてるから、しかたない……」


 そこで俺は首を傾げた。


「何の話だ? かう?……買う……交う……まさか、飼う!?」


 勿論、俺にはジナを飼っているつもりなど微塵もない。困惑して視線を泳がせると、冷たい視線を向けるルシールとゾイと目が合った。

 ルシールが険しい表情で頷いた。


「ええ、あの時、ディートは確かに了承しましたね」


「……あの時?」


「彼女は、貴方に全てを委ねたんです。しらばっくれるんですか? 最低ですよ?」


 地獄の長屋でジナを助けた時、余りの寒さに耐え兼ね、適当に何かしらの問いに頷いた覚えがある。それの事だろうか。勿論、俺には人を飼うような歪んだ趣味はない。

 困り果て、ゾイに視線を向けると、こちらからも非難の言葉をもらった。


「……ディ、気の多い男は最低だよ……」


「いや、それは、ちょっと誤解が……誤解…………」


 言い訳は全て卑劣だった。


「……」


 だが、ここで俺は迷い躊躇う。ジナの顔には天然痘に罹患した形跡を物語る痘痕あばたがある。俺の術でも消えないスティグマ(差別や嫌悪の対象)だ。


 ジナには、どこにも居場所がない。


 馬鹿だ馬鹿だと思っていたジナだが、本人がその事を一番理解しているのではないか。だとすれば、このおかしな経緯にも一定の理解が出来る。


 ……死なせたくない。


 俺は、この愚かで可哀想な犬人ワードッグを死なせたくないと思っていた。それは、ゾイに関しても同じ事が言える。


 生真面目で頑固なドワーフは、躊躇いなく己の運命に殉じるだろう。それが俺には耐えられない。


 俺が何者かも分からない内から、親切で居てくれたこのドワーフの少女を死なせたくない。


「……」


 ルシールを見ると、穏やかな笑みを浮かべて小さく頷いてくれた。

 俺は、ホッとして小さく息を吐く。


「皆、最後に目を閉じろ。祈りを捧げる。黙祷」


 そこで、皆が皆、目を閉じて最後の祈りを捧げる。

 俺は聖印を切った。


「命も愛も終わりがある。アスクラピアよ……どうか、この二つの糸を同時に切って下さい」


 皆、黙って俺の祈りの言葉を聞いている。


「いつも変わらぬ事が本当の愛だ。例え、全てを与えられようと……例え、全てを拒まれようと……」


 俺は冷たくて悪い男だ。


「愛する者の欠点を美徳と思えない程の者は、その者を愛しているとは言えない」


◇◇


 愛がくさびの役目を果たさなかったなら、それは全て破滅の道へと繋がる。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 目を開けた時、ゾイとジナは倒れ伏し、静かに寝息を立てていた。


「……すまん、ルシール。お前には嫌な役目を押し付けた……」


 隙を突き、術でゾイとジナの二人を眠らせたのはルシールだ。


「……いえ、安心している私も居ます……」


 死ぬと分かっている者を連れて行けない。

 そして、俺は動揺するフランキーに向き直る。


「そこにひざまずけ、フランキー」


 眠りに落ちた二人を見て、フランキーは困惑している。


「え……オレは……」


「俺の気が変わらん内に、早くしろ」


「わ、分かったよ……」


 何をどう勘違いしたのか知らないが、跪き、命乞いするように手を組んだフランキーの顔には諦念のようなものがあった。

 俺は再び聖印を切った。


「フランチェスカ。お前を俺の弟子として、正式に認める」


「……!」


 フランキーは、一瞬、強く身震いして、それから静かに視線を伏せた。


「妬むな。憎むな。常に慈悲深く情け深くあれ。人は知ることが早く、行うことの遅い生き物だ」


 今はまだ邪悪なフランキーだが、十五歳という年齢だ。十分、やり直せる。


「犯した過ちが去る事はないだろう。だが、崇高な意志と努力とが、お前を正道に引き戻す」


「…………はい」


「お前は残れ。ジナを頼む。そして、出来る事なら、ゾイの事も見守ってやってくれ……」


 俺は左手の親指を食い破り、自らの血でフランキーの額に聖印を描き込んで祝福を与える。


 これで、フランキーは俺の正式な『弟子』になった。


 俺が課した『戒め』を守り、自省し、たゆむことなく努力を続ける内は、俺との間に切れない絆が生じる。そこには、俺が持つアスクラピアの加護も含まれる。


「師匠……師匠……!」


 いつもは斜に構え、何処かしら小狡い印象を与えるフランキーのつり上がった目が垂れ下がり、ぽろぽろと涙を流した。


「嘘だろ? そんな事、オレみたいなクズに出来る訳がねえ。連れて行ってくれよ……」


 このフランキーもまた、死ぬ覚悟は出来ていた。以前とは変わりつつある。

 だからこそだ。

 例え、神が許さぬとしても、俺だけはこのフランキーに機会チャンスを与えてやりたいのだ。


「……」


 俺は優しく笑み、再び聖印を切る。


「また会おう、フランキー。お前には伝えたい事が山ほどある。それまで壮健であれ」


「そんな……」


 またしても邪道に堕ち、俺との間に生じた絆が切れた時が、このフランキーの悪運が尽きる時だ。

 俺の信仰する神は容赦ない。

 これは祝福であると同時に、強い呪詛でもある。


◇◇


 心の奥から出た言葉でなければ、心を惹き付ける事は決して出来ない。


《アスクラピア》の言葉より。


◇◇


 学者共が『不完全種』と名付ける植物がある。また同様に不完全な人間もいる。能力と行動とが釣り合わない者がそれだ。


 未熟なフランキーが、どの道を辿り、どのような最期に行き着くのかは分からない。


「……いつも見ているぞ、フランキー……」


「……」


 全てを委ね、俺は神官服リアサの裾を翻す。


 その背中には灼熱の日輪が刻まれている。


 フランキーは泣き崩れ、嗚咽を漏らして俺の背中を見送った。

 思いの外、信心深いヤツだ。

 その胸に去来する感情は分からない。それを知るには、俺の心は少々草臥くたびれ過ぎている。


 猛烈に煙草が吸いたくなった。


 あの冷たい雨が降る波止場が妙に恋しくなった。


 あいつは……まだ居るのだろうか。


 漠然と、そんな事を考えた。


◇◇


 ルシールと二人、パルマの道を行く。


 全ては計算通りだ。地獄へは、俺とルシールの二人だけで向かう。

 ルシールが微かに笑う。


「……ディート、漸く二人きりになれましたね……」


 俺は鼻を鳴らした。

 この妖精族の血を引く悪戯者が、おかしな真似をしなければ、もっとスマートに事は運んでいただろう。不細工なこと甚だしい。


 いつの間にか、頭の足りない犬人ワードッグを飼い、邪悪なハイエナ種の獣人を弟子にした。


 ……だが、楽しかった。


 ルシールは笑っている。当の昔に覚悟は出来ており、当為ソルレンを果たす為にこの道を行く。

 ここからは大人の時間だ。

 故に、このルシールだけは連れて行く。


「所で、ディート。まだ聞いてなかった。貴方は……いったいなんなのですか……?」


「……」


 俺は少し考える。どう答えていいか分からない。『ディートハルト・ベッカー』の中にある言葉で、一番適した表現は……


「……俺は稀人だ。この身体は借り物よな……」


 『稀人』とは、時折、この世界に流れ着く異世界人の総称だ。数は少ないが、そういう人間がこの世界には存在する。

 ルシールは納得したように頷いた。


「ああ、別の世界から来られた。道理で……」


 一方、俺は意外だった。

 俺はおかしな事を言っている。気が違ったと思われても仕方がないような事だ。


「驚かないんだな」


「ええ、貴方の感性は子供のものではありません。成熟した精神でなければ『刷り込み』に耐え切れず、あの『聖女』のような化物に成り果てていたでしょう」


 まぁ、ロビンが気付いていたぐらいだ。間近に居たルシールが気付いていたとしても不思議ではない。


「その身体が借り物なら、貴方の本当の年齢は幾つですか?」


「三十二歳」


 不気味な子供だ。俺はそう思ったが、ルシールは嬉しそうに笑った。


「私の二つ年下じゃないですか」


「そうか。惹かれる訳だ」


「……」


 俺の告白に近い内心の吐露にも、ルシールは驚いた様子もなく笑みを絶やさない。


「私も遠ざけますか?」


「いや、死ぬつもりはない。勿論、ルシール。お前を死なせるつもりもない」


 俺の言葉にルシールは益々笑みを深くした。だが、その笑顔で言った。


「……信じられませんね。どうしましょう……」


「そうだな……」


 俺はポケットを探り、吸血鬼君主ヴァンパイア・ロードのドロップ品である指輪を取り出した。


 吸血鬼女王ヴァンパイア・クイーンのものは、中石に深紅のルビーが填まっているが、吸血鬼君主ヴァンパイア・ロードのものは、中石に青いサファイアが填まっている。


 死の婚約指輪(デス・エンゲージ)


 この二つの指輪は、対になっている呪われた品だ。男女で填める事でその命がリンクする。どちらか一方が死ねば、もう一方も死ぬ。


「まあ……!」


 その呪いの効能を教えた時、ルシールの浮かべた笑みは、それはもう見た事もないような満面の笑みだった。

 俺は言った。


「では、死が二人を別つ事のないように」


「はい」


 俺たちは、二人揃って同時に指輪を填めた。


 高位神官の俺は、いつだって解呪してしまえる。もし致命傷を受けた時は、即座に解呪して一人で死ぬつもりでいる。


 ――すまない、ルシール。


 俺が悪い男だなんて事は、言われるまでもなく知っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] こっそりとアスクラピアの子応援SSを投下します。 https://syosetu.com/usernovelmanage/top/ncode/2207376/
[良い点] この作品で一番えっちなのってディートだと思います いいぞもっとやれ
[一言] 目頭が熱くなった。 ありがとう。楽しみにしてます。
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