141 悪い男
ルシールらを伴い、外に出た俺は灼熱の太陽を見上げる。
「さて、ここから先は、皆に命を賭けてもらう。当然だが、無理強いはしない。少しでも怖いと思う者は去れ」
ここでフランキーやジナ辺りは脱落するかと思ったが、意外にも二人は平然としている。
フランキーが言った。
「なぁ、師匠。あんたの出鱈目に生き残って、寺院をぶっ飛ばしたら、オレは赦されるか……?」
俺は笑った。
「無理だ。お前は業が深すぎる。地獄行きは間違いない」
「そっかぁ……」
「気にするな。俺も一緒だ」
「そっか! 師匠となら、地獄も楽しそうだな!」
愚かで忠実なジナには、こう言った。
「ジナ、もういいぞ。お前は、もう充分に苦しんだ。これからは自由に生きろ。俺の無謀に付き合う必要はない」
この戦いで、一番死ぬ可能性が高いのがこのジナだ。向こう見ずで、敵対した者には迷わず突っ込む。『格闘家』というクラスの性質上、接近戦を余儀なくされるジナは真っ先に死ぬだろう。
「……んっ?」
そして、相変わらずジナの頭のネジは何本か跳んでいる。にこにこと笑っていて、俺の言葉の意味を一つだって理解しているかどうかも怪しい。
「……ジナ、行き場がなければ、グレタとカレンに付いて行け……」
にこにこと笑うジナは、何でもない事のように首を傾げて言った。
「やだ。ディといる」
「いや、だから……」
「……んん?」
これは少し骨が折れそうだ。俺は溜め息混じりに首を振り、再度説得を繰り返す。
「駄目だ。俺に付いて来たら、お前は必ず死ぬ」
「うん」
「…………」
駄目だ。こいつが『死』という概念を理解しているかどうかも俺には分からない。
「何故だ。何故、拘る……」
「……ん?」
ジナは首を傾げている。少し言葉が難しかったようだ。
俺は少し考えて言い直した。
「……これから、喧嘩をしに行くんだ。あのエヴァより強いヤツがゴロゴロ居るような場所だ。お前は必ず死ぬ……」
「……」
ジナは、ぽうっとして在らぬ方向を見つめ、馬鹿なりに少し考えているように見えた。
「……ジナは、ディにかわれてるから、しかたない……」
そこで俺は首を傾げた。
「何の話だ? かう?……買う……交う……まさか、飼う!?」
勿論、俺にはジナを飼っているつもりなど微塵もない。困惑して視線を泳がせると、冷たい視線を向けるルシールとゾイと目が合った。
ルシールが険しい表情で頷いた。
「ええ、あの時、ディートは確かに了承しましたね」
「……あの時?」
「彼女は、貴方に全てを委ねたんです。しらばっくれるんですか? 最低ですよ?」
地獄の長屋でジナを助けた時、余りの寒さに耐え兼ね、適当に何かしらの問いに頷いた覚えがある。それの事だろうか。勿論、俺には人を飼うような歪んだ趣味はない。
困り果て、ゾイに視線を向けると、こちらからも非難の言葉をもらった。
「……ディ、気の多い男は最低だよ……」
「いや、それは、ちょっと誤解が……誤解…………」
言い訳は全て卑劣だった。
「……」
だが、ここで俺は迷い躊躇う。ジナの顔には天然痘に罹患した形跡を物語る痘痕がある。俺の術でも消えないスティグマ(差別や嫌悪の対象)だ。
ジナには、どこにも居場所がない。
馬鹿だ馬鹿だと思っていたジナだが、本人がその事を一番理解しているのではないか。だとすれば、このおかしな経緯にも一定の理解が出来る。
……死なせたくない。
俺は、この愚かで可哀想な犬人を死なせたくないと思っていた。それは、ゾイに関しても同じ事が言える。
生真面目で頑固なドワーフは、躊躇いなく己の運命に殉じるだろう。それが俺には耐えられない。
俺が何者かも分からない内から、親切で居てくれたこのドワーフの少女を死なせたくない。
「……」
ルシールを見ると、穏やかな笑みを浮かべて小さく頷いてくれた。
俺は、ホッとして小さく息を吐く。
「皆、最後に目を閉じろ。祈りを捧げる。黙祷」
そこで、皆が皆、目を閉じて最後の祈りを捧げる。
俺は聖印を切った。
「命も愛も終わりがある。母よ……どうか、この二つの糸を同時に切って下さい」
皆、黙って俺の祈りの言葉を聞いている。
「いつも変わらぬ事が本当の愛だ。例え、全てを与えられようと……例え、全てを拒まれようと……」
俺は冷たくて悪い男だ。
「愛する者の欠点を美徳と思えない程の者は、その者を愛しているとは言えない」
◇◇
愛が楔の役目を果たさなかったなら、それは全て破滅の道へと繋がる。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
目を開けた時、ゾイとジナは倒れ伏し、静かに寝息を立てていた。
「……すまん、ルシール。お前には嫌な役目を押し付けた……」
隙を突き、術でゾイとジナの二人を眠らせたのはルシールだ。
「……いえ、安心している私も居ます……」
死ぬと分かっている者を連れて行けない。
そして、俺は動揺するフランキーに向き直る。
「そこに跪け、フランキー」
眠りに落ちた二人を見て、フランキーは困惑している。
「え……オレは……」
「俺の気が変わらん内に、早くしろ」
「わ、分かったよ……」
何をどう勘違いしたのか知らないが、跪き、命乞いするように手を組んだフランキーの顔には諦念のようなものがあった。
俺は再び聖印を切った。
「フランチェスカ。お前を俺の弟子として、正式に認める」
「……!」
フランキーは、一瞬、強く身震いして、それから静かに視線を伏せた。
「妬むな。憎むな。常に慈悲深く情け深くあれ。人は知ることが早く、行うことの遅い生き物だ」
今はまだ邪悪なフランキーだが、十五歳という年齢だ。十分、やり直せる。
「犯した過ちが去る事はないだろう。だが、崇高な意志と努力とが、お前を正道に引き戻す」
「…………はい」
「お前は残れ。ジナを頼む。そして、出来る事なら、ゾイの事も見守ってやってくれ……」
俺は左手の親指を食い破り、自らの血でフランキーの額に聖印を描き込んで祝福を与える。
これで、フランキーは俺の正式な『弟子』になった。
俺が課した『戒め』を守り、自省し、たゆむことなく努力を続ける内は、俺との間に切れない絆が生じる。そこには、俺が持つ神の加護も含まれる。
「師匠……師匠……!」
いつもは斜に構え、何処かしら小狡い印象を与えるフランキーのつり上がった目が垂れ下がり、ぽろぽろと涙を流した。
「嘘だろ? そんな事、オレみたいなクズに出来る訳がねえ。連れて行ってくれよ……」
このフランキーもまた、死ぬ覚悟は出来ていた。以前とは変わりつつある。
だからこそだ。
例え、神が許さぬとしても、俺だけはこのフランキーに機会を与えてやりたいのだ。
「……」
俺は優しく笑み、再び聖印を切る。
「また会おう、フランキー。お前には伝えたい事が山ほどある。それまで壮健であれ」
「そんな……」
またしても邪道に堕ち、俺との間に生じた絆が切れた時が、このフランキーの悪運が尽きる時だ。
俺の信仰する神は容赦ない。
これは祝福であると同時に、強い呪詛でもある。
◇◇
心の奥から出た言葉でなければ、心を惹き付ける事は決して出来ない。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
学者共が『不完全種』と名付ける植物がある。また同様に不完全な人間もいる。能力と行動とが釣り合わない者がそれだ。
未熟なフランキーが、どの道を辿り、どのような最期に行き着くのかは分からない。
「……いつも見ているぞ、フランキー……」
「……」
全てを委ね、俺は神官服の裾を翻す。
その背中には灼熱の日輪が刻まれている。
フランキーは泣き崩れ、嗚咽を漏らして俺の背中を見送った。
思いの外、信心深いヤツだ。
その胸に去来する感情は分からない。それを知るには、俺の心は少々草臥れ過ぎている。
猛烈に煙草が吸いたくなった。
あの冷たい雨が降る波止場が妙に恋しくなった。
あいつは……まだ居るのだろうか。
漠然と、そんな事を考えた。
◇◇
ルシールと二人、パルマの道を行く。
全ては計算通りだ。地獄へは、俺とルシールの二人だけで向かう。
ルシールが微かに笑う。
「……ディート、漸く二人きりになれましたね……」
俺は鼻を鳴らした。
この妖精族の血を引く悪戯者が、おかしな真似をしなければ、もっとスマートに事は運んでいただろう。不細工なこと甚だしい。
いつの間にか、頭の足りない犬人を飼い、邪悪なハイエナ種の獣人を弟子にした。
……だが、楽しかった。
ルシールは笑っている。当の昔に覚悟は出来ており、当為を果たす為にこの道を行く。
ここからは大人の時間だ。
故に、このルシールだけは連れて行く。
「所で、ディート。まだ聞いてなかった。貴方は……いったいなんなのですか……?」
「……」
俺は少し考える。どう答えていいか分からない。『ディートハルト・ベッカー』の中にある言葉で、一番適した表現は……
「……俺は稀人だ。この身体は借り物よな……」
『稀人』とは、時折、この世界に流れ着く異世界人の総称だ。数は少ないが、そういう人間がこの世界には存在する。
ルシールは納得したように頷いた。
「ああ、別の世界から来られた。道理で……」
一方、俺は意外だった。
俺はおかしな事を言っている。気が違ったと思われても仕方がないような事だ。
「驚かないんだな」
「ええ、貴方の感性は子供のものではありません。成熟した精神でなければ『刷り込み』に耐え切れず、あの『聖女』のような化物に成り果てていたでしょう」
まぁ、ロビンが気付いていたぐらいだ。間近に居たルシールが気付いていたとしても不思議ではない。
「その身体が借り物なら、貴方の本当の年齢は幾つですか?」
「三十二歳」
不気味な子供だ。俺はそう思ったが、ルシールは嬉しそうに笑った。
「私の二つ年下じゃないですか」
「そうか。惹かれる訳だ」
「……」
俺の告白に近い内心の吐露にも、ルシールは驚いた様子もなく笑みを絶やさない。
「私も遠ざけますか?」
「いや、死ぬつもりはない。勿論、ルシール。お前を死なせるつもりもない」
俺の言葉にルシールは益々笑みを深くした。だが、その笑顔で言った。
「……信じられませんね。どうしましょう……」
「そうだな……」
俺はポケットを探り、吸血鬼君主のドロップ品である指輪を取り出した。
吸血鬼女王のものは、中石に深紅のルビーが填まっているが、吸血鬼君主のものは、中石に青いサファイアが填まっている。
死の婚約指輪。
この二つの指輪は、対になっている呪われた品だ。男女で填める事でその命がリンクする。どちらか一方が死ねば、もう一方も死ぬ。
「まあ……!」
その呪いの効能を教えた時、ルシールの浮かべた笑みは、それはもう見た事もないような満面の笑みだった。
俺は言った。
「では、死が二人を別つ事のないように」
「はい」
俺たちは、二人揃って同時に指輪を填めた。
高位神官の俺は、いつだって解呪してしまえる。もし致命傷を受けた時は、即座に解呪して一人で死ぬつもりでいる。
――すまない、ルシール。
俺が悪い男だなんて事は、言われるまでもなく知っている。