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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
146/308

139 太陽の紋章

 旧ベックマン邸。

 その豪邸にあるベックマンの広い居室。三つある暖炉に火がくべられ、適度に室温を保っている。


「ディ……少しだけでも眠った方がいいよ」


「……そうだな。そうさせてもらう……」


 教会騎士の尋問はルシールとフランキーが別室でやっている。

 フランキーは残虐性を隠さず、嬉しそうにしていたから酷い事になるだろう。そして、ポリーらの安否を懸念するルシールも怒りに燃えている。

 残虐な女と怒りに燃える女。

 あまり良くない組み合わせだ。俺なら、知っている事は全て話す。予想できる事も全て話す。


 ゾイの勧めに従い、寝室に向かった俺が寝間着(ナイトローブ)に着替えた所で、ジナがフランキーを連れてやって来た。


 たちまち気分を害した怖いゾイさんが、眉間に深い皺を寄せた。


「毒犬、寝室には誰も入れるなって言ってあっただろ……」


 段々、ゾイが素顔を隠さなくなって来た。露悪的な俺の行動が原因かもしれない。

 そのゾイの剣幕に怯えたジナを庇うように前に出たフランキーが、おどけたように肩を竦めた。


「そう尖るなっての。何か分かったら、すぐ伝えろって師匠が言ってたじゃねえかよ」


 しかし、ゾイは油断しない。壁に立て掛けてあったメイスを手に取り、寝間着(ナイトローブ)姿の俺の前に立つ。

 俺は首を振った。


「フランキー、俺は寝る。話は手短にな……」


「あ、ああ……すまねえ……」


 ゾイが警戒を解かない理由は、フランキーが腰に二本の短刀を差している為だ。

 フランキーは馬鹿ではない。

 その事に気付いた直後、二本の短刀が差してあるベルトごと扉の向こうに放り投げた。

 ゾイは、メイスを持ったまま、静かに言った。


「次、武器を持ってディの寝室に入ったら殺す」


 生真面目なドワーフの言葉だ。ゾイは生真面目に実行するだろう。元アビーの部下であったゾイとフランキーの間には深い確執がある。それを想起させる一幕だ。

 その脅しでも何でもない言葉に、流石のフランキーも肝が冷えたのか、仰け反るように一歩引き下がった。


「お、オレが悪かった。気を付ける……」


 フランキーは調子に乗りやすい所がある。これも躾の一環だ。俺はゾイのする事に口出ししなかった。


◇◇


 その後のフランキーの話で、俺は困惑する事になった。


「ポリーたちは行方不明だと……?」


 聖エルナ教会の襲撃後、教会騎士に捕縛されたポリーら四人の修道女シスタらは居場所が秘匿されていて、三人の教会騎士たちも知らないという事だった。


「姐さんが体に聞いたから、嘘は言ってないと思う」


「そうか……」


 俺は痛む眉間を揉んだ。

 ポリーらが無事だと言ったゾイの言葉に信憑性が出て来たが、まだ確証はない。


「シュナイダーらしい、いやらしいやり方だね」


「……全くだ」


 依然、ポリーらの安否は確認出来ない。ロビンは神経戦を仕掛けて来ている。

 俺には有効だ。認める。

 すぐにでも寺院に行って、奴等の手足を引き千切ってでもポリーらの安否を確認したい。

 そこで、フランキーは怯えたように自分の肩を抱き締めた。


「けど、ルシール姐さん、容赦なかったぜ。そういうの(・・・・・)は、オレのが得意だと思ってたけどな……」


「……」


 拐われたのは、ルシールにとって家族同然の者たちだ。そしてルシールはアスクラピアを信仰する修道女シスタだ。

 そもそも教会騎士は、ルシールの慈悲と慈愛に百杖の打擲ちょうちゃくという理不尽を以て報いた前科がある。そこに当為ソルレンがある以上、尋問は苛烈なものになっただろう。


 俺は、哀れな教会騎士三人の為に聖印を切った。


「……それで、聖女の事だけどよ……」


「ああ……」


 その名に反応したのか、右手の聖痕が、ずきんと強く痛んだ。

 フランキーは言った。


「天然痘の事は、何も知らねえらしいぜ……」


「……なんだと?」


 フランキーの言葉に、俺は、一瞬頭が白くなった。


「これだけの事があって、何も知らないだと……?」


「ああ、本殿で遊んでるらしい」


「遊ぶ?」


 フランキーは不快に思うのか、険しい表情で続けた。


「お嬢様暮らしさ。取り巻きの教会騎士や神官たちとお茶を飲んだり、詩を吟ったりして過ごしてる。ここ最近は外遊もせず、寺院の奥にある本殿から出て来ないらしい。花壇を散歩してる所を見たって、あの教会騎士たちが言ってたな」


「お花畑で散歩だと?」


 このザールランドに住む、何千、何万の人々が天然痘の危機に晒されているのに、聖女エリシャはそれを知らない?


「うぐっ……!」


 聖痕が激しく痛み、俺は右腕を抱えた。


 ――他所よその子。


 教会騎士、レネ・ロビン・シュナイダーの言葉。


 ――いらない子。


 しみったれた母の言葉。


「ディ!」


「師匠!」


 激痛に身悶えし、右腕を抱えて唸る俺に、ゾイとフランキーが悲鳴を上げて駆け寄る。


 白蛇が、聖女を『無知の産物』と言った訳が分かった。


 聖女は悪ではない。ただひたすら、何も知らないだけなのだ。都合の悪い事は教えられず、寺院の奥で蝶よ花よと愛でられているただのお飾り。

 ゾイが叫んだ。


「毒犬! 先生を呼んで来い! 今すぐ!!」


 死神アスクラピアが急げと言っている。この無知の産物を許すなと言っている。


 あまりの激痛で遠退く意識の中、俺はアスクラピアの思いを理解した。


 アスクラピアの心の根底にあるのは『慈悲』と『慈愛』だ。そこに神性がある。


 ――知らなかった、では許されない。


 軍神アルフリードの『剣』によって斬り殺された母は、死んで行く者の『無念』を知っている。非道を憎む心を持っている。

 俺は無意識の内に祝詞を口ずさむ。


「……アスクラピアの二本の手……一つは癒し、一つは奪う……」


 『善』と『悪』は神の両手とは、よく言ったものだ。


 急げ! 赦すな! 青ざめた唇の女。その本性は蛇。復讐と癒しを司る女神アスクラピアが怒っている。


 俺のやり方は、手ぬるいのだ。


◇◇


『……吟味せよ……不実の子らは……いらない……』


 また、命の選別をせねばならない。


『太陽の御空に導くにせよ……地獄の叫びに導くにせよ……いずれも同じ……』


 誰もが死ぬ。喜んで死ぬ。次の選別は苛烈なものになるだろう。


『……真理を弄んではならない……不実の子らに、死と更生と久遠の墓を……』


 造られた聖女と真理を弄んだ寺院に神の鉄槌を。


 母の戯れる指先が、儚い虚空にその名を描く。


 ――エリシャ・カルバート――


 ――コルネリウス・ジャッジ――


 まだまだ続く。母の指先は恐ろしい速度で多数の名を描く。その数が多過ぎて、俺には読み取る事すら出来ない。


 だが、母よ……

 俺は少々殺し過ぎたように思うのだ。この両手は既に多量の赤い血で汚れている。見るに堪えん。あんたの代わりは、もうやりたくない。


 白蛇……

 あいつは優しい男だ。こうなる事を知っていて、母の不興を買うのを承知で横槍を入れた。


 何故だ、兄弟。何故、そんなにも優しい。何故、このような俺にそんなにも心を砕く。お前が俺に向ける心根は同胞に向けるそれを越えて、露悪的な俺には過ぎた代物だ。


 まさか……


 まさか…………



 ――兄さんを探しているんだ。



 白蛇、お前がそうなのか?



 ――兄さんを探して欲しい。



 だとすれば、白蛇よ。

 遅かった。もう手遅れだ。俺は、お前の好意に返すものが何もない。あまりにも優しいお前に、俺は残酷な言葉を告げねばならない。



「お前の弟は、もう行ってしまった。ここに居るのは、お前の本当の弟ではない」



 すまない。本当にすまない。

 お前の優しさが肉親に向ける愛情なら、俺はそれに返す気持ちを持たない。見た目こそ同じだが、肝心の中身は、赤の……他人だ……。


 俺は……


 俺は…………


◇◇


 その翌朝、目を覚ました俺の右腕は、びっしりと神字が書き込まれた包帯でぐるぐる巻きになっていた。


 赤黒く染まった神字は、それがルシールの血によって為された『呪詛』である事は一目瞭然。

 『蛇封じ』の呪詛だ。

 いつものものとは違う。血で書き綴られたそれは、紛う事なき呪詛であり、呪いだ。

 そんじょそこらの神官なら、この呪詛で術を行使できなくなるばかりか、廃人になってもおかしくない程の強力な呪詛だ。だが……

 時間稼ぎにもならない。痛みは軽減されたがそれだけだ。

 依然として、俺は俺の中の蛇が健在である事を感じるし、聖痕が刻まれた右腕は酷く痛む。


「……」


 ベッドの上で身体を起こし、辺りを見回すと、ゾイ、フランキー、ジナ。そして、憔悴した様子のルシールの姿があった。


「……俺は、また何日眠っていた……?」


 ゾイは、殆ど泣きそうな顔で言った。


「……三日間……」


「そうか」


 ここに来て、また『刷り込み』だ。俺は、あの邪悪な女神にどんな力を刷り込まれた?


「…………」


 特別な力は感じない。聖痕が疼くがそれだけだ。


 見れば、蛇封じの呪詛を施したルシールも今にも泣き出しそうな顔をしている。

 俺に残された時間は少ない。


「それで、首尾は? アビーは上手くやったか?」


「……はい。アビゲイルさんは上手くやりました。ただ……向こうも中々の遣り手です。ゾイ……」


 ルシールに名を呼ばれたゾイは、袖でぐいと涙を拭い、棚の上にあったそれを持って来た。


「……」


 俺に差し出された新しい神官服リアサは、抜けるような純白だった。


 背中にはザールランド帝国の旗印である太陽が刻まれている。


 このパルマに於ける徴税権の完全廃止と自治権を引き換えに、帝国は天然痘ワクチンの製造法を得た。

 そして――

 唯一、寺院に属さない神官『ディートハルト・ベッカー』をザールランド帝国の麾下きかに置いた。

 ルシールは消え入りそうな声で呟いた。


「アビゲイルさんが、よく承知しましたね……ディート、これも計画の内ですか……?」


「ああ。可能性の一つとして考えてはいた」


 たかがスラム街とはいえ、完全な自治権など、一国家が簡単に許す訳がない。

 だが、今回はそれをやった。

 そこまでしてでも、帝国が欲しがるものと言えば、ただ一つ。


 寺院に属さない第一階梯の神官。あの聖女に勝るとも劣らぬ存在。この俺『ディートハルト・ベッカー』しか居ない。

 俺は鼻を鳴らした。


「……まあ、予想の範疇だが、食えない爺さんだな……」


 以降の俺は、このザールランド帝国に所属する唯一の神官になる。


 ――全てよし。


 この状況は、未だ俺の掌中にある。


 早速だが、ゲオルクの爺さんには後悔してもらう。


 これより、ザールランド帝国を巻き込み、寺院と戦う。巨大組織の一つを叩き潰す。言った。


「遊びは終わりだ」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 仕事しつつ2日に一作のペースとは大変だと思います。 あまり無理のないよう、面白い作品を楽しみにしてますね。 [一言] 青ざめた唇の母。 そんな母の戯れる指先が、超高速で多数の名を描く。…
[一言] ベックマンやフランキーとか、ワンピースでしか見たことない名前だからフランキーって名前が出てくるたびにコーラを飲んでる上裸のおっさんしか頭に浮かばなくて頭こんがらがる
[一言] 信仰対象に蛇蝎のごとく嫌われている(蛇だけに)聖女がなんでいつまでも力を所持できているのが不思議だったんですがいわゆるペーパードライバーがゴールド免許所持できるのと同じ理屈だったんですかね?…
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