137 丸投げ
しかし……
ゾイの言った通り、ロビンのヤツは来なかった。
だとすると、ポリーらも無事でいる可能性が高い。
「ディ、大丈夫……?」
いつの間にか隣に佇むゾイが、労るように俺の右腕を撫でた。
「少し威し付けてやっただけだ。俺は大丈夫だ。何もしていない」
「流石、師匠だ! 口だけで教会騎士を追っ払っちまうなんてよ!」
瞬間、俺はギクリとした。
夜陰に紛れていたとはいえ、話し掛けられるまでフランキーの気配に気付かなかった。
そう。俺は無敵の存在じゃない。今、フランキーが『その気』なら、手もなく殺されていただろう。
「……口だけとはなんだ。このろくでなしめ……」
デキる護衛が要る。少なくとも、このフランキーの接近に気付く程度には鋭い感性を持つ護衛だ。
「ジナを呼び出せ」
ジナは強いが向こう見ずな所がある。『格闘家』のクラスを持っているが、接近戦を主とするその性質上、乱戦には向かない。その為、置いて来たが感性だけを取ればフランキーと同等かそれ以上だ。それより――
「出て来なさい。そこの者」
油断なく朝星棒を取り出したルシールの呼び掛けに、物陰から三人の男たちが姿を現した。
通常、神官の正式な礼は右手を胸に当てて頭を垂れるという仕草だが、今の俺は右腕が動かない。やむを得ず左手を胸に当てる仕草で頭を垂れる。
「申し訳ありません、帝国の方。事情があり、今は右腕が動きません。非礼をお許し下さい」
「いや……構わない……」
三人横並びの男たちの中央にいる髭を生やした紳士的な初老の男が首を振った。
見るからに立場のある男だ。
白い外套にはザールランド帝国の旗印である太陽の紋章が刻まれている。剣を帯びているが鎧は纏ってない事からして交戦の意思はない。
「はじめまして、帝国の方。私はディートハルト・ベッカー。元第三階梯の神官でした」
さて、帝国がどの程度俺を調べ上げているかは分からないが、挨拶ぐらいはしておくべきだろう。
三人横並びの内、右に立っていた鋭い目付きの男が何事か耳打ちして、髭の紳士は僅かに鼻白んだ。
「……すまんが、とても第三階梯の神官には見えん。君の力は、そんなものではないだろう……」
「さて、どうでしょうね」
耳打ちした男は、恐らくだが『宣告師』かそれに似たようなスキルか能力を持っている。
「所で、貴方は?」
髭の紳士は一瞬たじろぎ、慌てて胸に手を当てて正式な騎士の礼を取った。
「こ、これは失礼した。ワシはザールランド帝国騎士団団長のゲオルクだ」
礼に倣わざるは卑賤の輩。
神官との交渉や話し合いでは、最低限の『礼儀』が必要とされる。それがない者は獣扱いされるからだ。髭の紳士の様子から察するに、俺に何かの交渉事、或いは要請があってやって来た。
しかも三人だけ。
彼らは見るからに身形がさっぱりとしていて、全員が高官と見て間違いない。敢えて護衛を引き連れずやって来たのは、誠意と覚悟を示す為だろう。
「これはこれは。騎士団長殿ですか」
そんな大物が、治外法権のスラム街にやって来るなど、ただ事ではない。まぁ、おおよその見当は付いているが……
「見たところ、寺院との関係は剣呑なようだが……」
さて、ここからが『交渉』だ。
俺は腰の後ろに手を組み、アスクラピアの神官らしく胸を張る。
「所で団長殿。まだ挨拶が終わっていない。同行者が居られるな」
その言葉に、ゲオルクは慌てて随行者の紹介を始める。
「これは失礼した……左は副団長のイザーク」
やたら目付きの鋭い男。ゲオルクに耳打ちしたヤツだ。年の頃は四十半ばという所か。頭も切れそうだ。
「右のは憲兵団団長のトビアスだ」
ゴツい大男。先程から表情一つ変えない。スラム街は嫌いだと顔に書いてある。規則には厳しそうだ。
「そうですか」
多少、後手に回った所があったが、礼を失しているとまでは言えない。
俺は小さく頷いた。
「それでは、こちらも改めて。私は、ディートハルト・ベッカー。冒険者ギルドの宣告師からは、第一階梯の宣告を受けた神官です」
「……」
沈黙があり、三人が息を飲む。
あまり驚いた様子こそないが、教会騎士との経緯をその目で見て、俺の力を確信した。そして強く警戒している。そんな所だろう。
「所で団長殿。イザーク殿にトビアス殿もそうだが、ここで立ち話もなんだ。中に入られよ」
多少居丈高に聞こえるだろうが、俺は第一階梯の神官だ。あの『聖女』がここに居ると例えてもいい。
この三人が俺を認めているなら、これが好意と取られる事はあっても、無礼と取られる事はない。
三人の中央に立つ男、ゲオルクが進み出て言った。
「これは忝ない。老体にこの寒さは少々堪えると思っていた所だ」
良くも悪くもベックマンの残した塒は豪邸だ。このザールランド帝国の重鎮と話し合うには都合がいい。
◇◇
場所をベックマン邸の客室に移し、俺は深くソファに腰掛けた。
その背後にルシールが朝星棒を持って控えている。
「さて、今日は、どのようなご用件で来られた」
ゾイにはお茶を淹れるように頼み、育ちの悪いフランキーには残った三人の教会騎士と共に邸の入口の警備を命じた。
「……」
一拍の沈黙の後、ゲオルクは深く大きな溜め息を吐き出した。
「腹の探り合いは好かん。ざっくばらんに行こう。構わんか?」
「……」
これは少し驚いた。帝国の重鎮は、思ったより話せる性格をしているようだ。
「願ってもない事です。ご用件を、どうぞ」
「……疱瘡の事だ……」
予想通り、天然痘の事だ。
感染爆発は最早帝国全体に及んでいる。フェーズ5への進行は時間の問題。国家間の外交から爪弾きにされる可能性がある。そうならずとも国家存亡の危機だ。
ゲオルクは険しい表情で髭を撫でた。
「今、帝国は非常な危険に晒されている」
そんな事は、とうの昔に知っている。俺は小さく頷くだけに留めたが、背後のルシールが失笑した。
「自ら見捨てておいて……今更……」
正しくそうだ。このパルマを切り離した事がここに至る道を遠ざけた。ルシールはそれを嘲笑ったのだ。
そのルシールの言葉は辛辣を極めた。
「貴方たちに、国を治める資格があるとでも?」
俺は黙っていた。
このパルマが見捨てられた事には、俺よりルシールの方が余程怒っていた。
『防疫』の観点からすれば、パルマの切り離しは正しい判断だ。この俺も彼らと同じ事を考えていたぐらいだ。だが、正しい判断が正当な報いを受けるとは限らない。
斯くして因果は巡る。
慈悲と慈愛。ルシールは癌患者の為に聖女に伏して懇願するような女だ。そんな優しい女の怒りが激しくない筈がない。
「…………」
俺はポケットから伽羅を取り出し、それを口の中で転がしながら、ゲオルクたち三人の様子を見守った。
我ながら意地が悪いと思わんでもないが、どう答えるのか気になった。
ルシールは嘲笑った。
「罰が当たったんですよ。いい気味です」
「…………」
「大勢死にましたか? 貴方たちがお茶を飲んでいる間も、死んでいるんでしょうね」
母はこういった因果と復讐が大好きだ。そういう意味では、ルシールは信仰に忠実に行動している。
ゲオルクは項垂れるようにして視線を伏せた。
「……その結果は、重く受け止めている……」
だからこその『三人』だ。ゲオルクにとって、これは最大限の反省であると共に、パルマを救った俺に対する敬意なのだろう。
だが、残り二人の目付きが気に入らない。黙っているが、上目遣いにルシールを睨み付けている。
「ゾイ! ゾイ!」
ルシールは強く手を打ってゾイを呼び出した。
たちまち現れたゾイに、ルシールは厳しく言い放った。
「この方々に、お茶は必要ありません。この街の水を出してあげなさい」
このパルマと隣接するアクアディの水ですらドブ臭いのだ。スラム街の水を祝福による浄化なしで飲むのは危険だ。勿論、ルシールはそれを承知で言っている。
「え、先生、でも……」
困ったように視線を向けるゾイに、俺は口の中で伽羅を転がしながら言った。
「爺さん、一人で来るべきだったな……」
イザークとトビアスが慌てて視線を伏せるが、もう遅い。
「ゾイ。爺さんたちにはパルマの水で充分だ。それとアビーを呼んで来てくれ」
俺の結論は決まっている。
難しい話は親分とやってくれ、というのが俺の考えだった。