136 問答
俺は声高らかに言った。
「よくぞ来た! カルト教団の狂信者諸君!!」
――では死ね!
と続けたい所だったが、俺はこの狂信者共と少し話しをしてみたい。こいつらに『戦士』としての矜持はあるのかどうか。
俺たちが信仰する神はしみったれていて邪悪だが、その根本にあるものは『慈しみ』の心だ。『愛』がもたらす自己犠牲を好む悪心も、『愛』に最も大きな価値を置くが故の事だ。
俺は、是非とも尋ねてみたいのだ。
お前らは、本当の母の姿を知っているのかと。
会話の門は開かれている。
だが、大挙して押し寄せ、このベックマン邸を取り囲む狂信者共は、そこから先を進もうとはしない。
――厄介なヤツらだ。
俺は、ベックマン邸にてこの狂信者共を待ち受けていた訳だが、考えもなく待っていた訳ではない。
現在、このベックマン邸には強い結界が張ってある。俺が自身の手で抜かりなく綿密に施した神聖結界だ。
その効果は、外に向かっては魔物避け、内に対しては魔物の弱体化等、人間以外の『悪なる者』に効果を発揮するように出来ているが、更にもう一つ効果がある。
神力の充実するこの結界内での俺は単純に強い。普段の三割増し程度ぐらいには強い。その効果は、同じくアスクラピアを信仰する修道女であるルシールや、修道女見習いのゾイ、不肖の弟子のフランキーにまで及ぶ。その強化の効果は信仰心に比例するが、結界内は強烈な強化空間だ。
「どうした。入って来い、『不実の子』ら」
同じく母を信仰し、その信仰を母に認められた者なら、この結界内での強化条件は同じだ。恐れるに足らぬはず。それが入って来ない。
黒ずくめの甲冑を纏う教会騎士は、ベックマン邸を取り囲むだけで、扉の中にいる俺たちと相対しようとしない。
実に面白くない。
俺は鼻で嘲笑った。
「どうした。聖女のおっぱいが恋しくなったのか?」
黒い甲冑。その黒い兜の面頬を下ろした教会騎士たちの表情を窺い知る事は出来ないが、この侮辱の言葉に顔をしかめている事だろう。
「重ねて言おう。入って来い。狂信者諸君」
面倒臭い事に、この狂信者共は『神官』を熟知している。扉を潜れば、そこが己の死地になる事を知っている。それは取りも直さず、己らの行いが『不実』に類いするものであった事を知っているという事だ。
母は、『復讐』に力を貸す神だ。
俺が張ったこの神聖結界内に於いて、母への信仰心は役に立たず、寧ろその信仰心故に俺に太刀打ち出来ない事を知っている。
「少しばかりの羞恥心はあるようだな。ちょっとだけ安心したぞ」
俺の嘲弄の言葉にも、教会騎士共は動かない。ベックマン邸を取り囲み、遠巻きに俺の様子を窺うのみだ。
俺は呆れ、小さく欠伸して見せた。
「このまま、睨めっこでもするつもりか。情けないヤツらだ」
重ねるが、俺は『待ち受けて』いた。この膠着状態も想定した状況の一つに入る。
「それでは、こちらから」
少し趣向を凝らして、後込みする奴等のケツを引っ叩いてやる事にしよう。
斯くして、俺……神官『ディートハルト・ベッカー』は説く。
「人の最大の値打ちは、外界の事情に左右されず、出来うる限り意志を左右する所にある」
神力の伴う言葉には力が宿る。
「世界の一切は、粘土細工のように転がっている」
有難いお説教だ。力の宿った言葉が届く場所まで結界は拡がって行く。
「我々の信仰は、その粘土細工を、出来るだけ、しっかりと目的に沿うよう、心の中にある原型を作り上げるよう努める所にある」
ロビンが聞けば泣いて喜ぶだろう。
「外部の一切の事情は要素に過ぎない。否、我々に付属する全てが要素に過ぎないと言っていい」
アスクラピアの神官大好きな狂信者共は、この説教に聞き惚れて動かない。
俺の言葉は拡がって行く。
「我らの信仰の奥深くには、斯くあるべきものを創り出す事のできる創造力がある。即ち……」
そこで説法を止め、俺は腰の後ろに手を組み、静かに続ける。
「ここに集う諸兄らに問う。諸兄らの当為とは?」
――為すべきこと。
「答えよ。狂信者諸君」
俺の言葉に乗って神聖結界が拡がり、この狂信者共の命は既に俺の掌中にある。
暫くの沈黙があって――
ふらふらと三人の教会騎士たちが、同僚の制止に逆らって前に出た。
特に信仰心の篤い者たちだ。
「……レネから聞いてます。幼い方。貴方は、ベッカー神父その人か……?」
「いかにも、俺がディートハルト・ベッカーだ。だが……レネ? あぁ……あの裏切り者か……それがどうかしたか」
寺院の言いなりになっている雑魚に用はない。
ぞんざいに答える俺の前で、その三人の教会騎士が兜を脱いで小脇に抱え、胸に左手を当てた格好で静かに頭を下げた。
――『騎士』の礼だ。
何処までも厄介なヤツらだ。
礼に倣わざるは卑賤の輩。母の『警句』。俺には、こいつらの話を聞く必要がある。
一人の教会騎士が言った。
「レネから、『戦士の死』について聞きました……」
どうにも訳が分からないが、ロビンは仲間内に俺の言葉を吹聴して回ったようだ。目の前の教会騎士は、その言葉に感銘を受けたのだろう。敵意は感じない。
俺は鼻を鳴らした。
「誇り高き戦士の死に手向ける言葉だ。多数で聖エルナ教会を襲撃したお前らには無縁の言葉だな」
「あ、あれは寺院の命令で已む無く……」
「俺の話の何を聞いていた。言い訳は全て卑劣と知れ」
「……」
「お前たちの死を称える者は、この世界の何処にも居ない」
『戦う者』として、これ以上の侮蔑の言葉はないだろう。だが、教会騎士たちは、そう非難されても仕方ない事をしたというのが俺の言い分だ。
「聖エルナ教会を警告の言葉すらなく襲撃したな? 無抵抗の者を蹂躙した気分はどうだ? お前たちは戦士ですらない。況してや『騎士』でもない。ただの無頼。人殺しの集団だ」
俺は続ける。
「俺は『アスクラピアの子』。怪我人も死人も好かん。だが、お前たちを殺しても、俺の心は痛まない」
俺の敬愛する母は、復讐を是とされる邪悪な神だ。
「話し合うのも面倒だ。そろそろ死んでみるかね」
教会騎士は強い。個々の武力もそうだが、呪詛や魔術に対しても高い抵抗力と耐久力がある。そのように鍛えられている。
だが、殺せる。この神聖結界内。こいつらが母を信仰しており、強力な神官である俺……ディートハルト・ベッカーならという条件付きでだが、殺れる。
俺は少し考えて、言った。
「大勢いるな。何人で来た」
兜を脱ぎ、抗戦の意思なしと態度で表明する三人の教会騎士の一人が消え入りそうな声で呟いた。
「……三個中隊……です……」
「十歳の子供一人に、大人が六百人か。恥ずかしいとは思わんかね」
まぁ、ディートハルト・ベッカーはただの子供ではないが。
「……」
そこで目の前の騎士たちは、腰に差した剣を地べたに置き、完全降伏の態度を見せた。
「情けないヤツらだ。権威に流された者の顛末がこれよな」
◇◇
自らに命ざぬ者は、いつまで経っても奴隷に留まる。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
視線を上げ、周囲を見回すと、狂信者共は動揺甚だしく、じりじりと引き下がりつつある。最早、死地にある事に気付いたのだ。
俺は闘争を好む。だが、後込みする無抵抗の者を殺して楽しむ殺人快楽者ではない。
俺は呆れて首を振った。
武装を放棄した三人の教会騎士にはこう言った。
「……赦す。お前らは残れ。少し聞きたい事がある……」
聖エルナ教会に残されたポリーらの事。聖女の動向。俺は『寺院』と『聖女』を知らなすぎる。そして――
「 動 く な ッ ! 」
『雷鳴』。狂信者たちはその信仰心故に動けない。信仰が強い者ほど影響が強く出る。中には失神して、その場に倒れ込む者もいる。
俺の雷鳴により、六百人の狂信者たちは、立ち尽くすだけのカカシになった。
ただ、問題が一つある。
やはり信仰の強いルシールまで金縛りに遭い、動けなくなってしまった。『雷鳴』の欠点はこれだ。対象を選ばない。
俺は小さく溜め息を吐き出す。言った。
「この部隊を率いる隊長は前に出ろ」
雷鳴の効果は長くない。
時間にすれば五分程だろうか。勿論、こいつらを皆殺しにするには充分な時間だが、俺はその機会を見送った。
いつでも殺れるからだ。
その五分が経過して、部隊の後方で騒ぎがあり、集団から一人の教会騎士が押し出されるようにして前に出て転がった。
兜に白い羽飾りが付いており、一人だけ外套が赤い騎士。おそらくは指揮官だろう。
俺は嗤った。
「お前には死んでもらう」
その結果を以て、この俺……ディートハルト・ベッカーは寺院との完全なる敵対を表明する。
「ちょっ、待っ……!」
「案ずるな。沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ」
違うな。これは前に使った。もっと面白い言葉はないだろうか。
「……そうだな……」
少し考えていると、隊長格の騎士は剣を投げ出して命乞いを始めた。
「ま、待ってくれ! この通りだ!」
「…………」
俺は無視して考える。
ややあって、閃きがあった。
「そうだ。母に会える術がある。痛みもない。信仰上の理由からも打って付けだ」
吸血鬼君主に使った術がそれだ。痛みもなく、母の手が対象の命を連れ去る。
「た、頼む! 俺は結婚したばかりなんだ!!」
「とは言っても……一人ぐらいは死んでもらわんと、俺も格好付かんからな……」
『闇の瞳』で見るが、嘘は言ってない事だけしか分からない。そして、悲劇的な事に俺は神官だ。魔術師であれば適当に痛め付ける術があるのだが、痛め付けるより、癒しと殺す方に特化している。全く以て不便な存在だ。
「……そうだ! レネだ! レネ・ロビン・シュナイダーを差し出す! それで勘弁してくれ……!」
「いや、それは自分でやる。あいつだけは、この手で殺したい」
「…………」
仲間であるロビンを売ってまで命乞いした隊長だが、俺の決意が固いのを知り、がっくりと項垂れた。
「なんだ。それだけか?」
その光景を見て、俺は急激に殺意が萎むのを感じた。
「つまらん」
俺は純然たる闘争を好む。意思と意思の衝突を好む。決着の瞬間の刹那が好きだ。
無理をして手に入れたものだけが、晴れて王冠に値する。こいつの命にそこまでの価値はない。
やる気がなくなった俺は、虫でも追い払うように手を振った。
「失せろ。散れ散れ。気が変わらん内に帰れ」
今は見逃す。これも神官の『慈悲』と『慈愛』の内だ。だが……
「次は迷いなく殺す。各々、覚悟して任務に当たる事だ」
その言葉に場の空気が緩み、狂信者たちは蜘蛛の子を散らすように方々に逃げ散った。
一人の死人もなく、事を済ませる。これも神官の『徳』の内だ。
甘いが、決意表明ぐらいにはなっただろう。しくしくと痛む右腕を擦りながら考える。
分からないのはロビンの事だ。
あの無駄に有能なレイシストが、この結果を想像できない筈がない。
「……くそッ」
やはり何人か殺しておくべきだったか。
忌々しく思いながら、俺は静かに聖印を切る。
砂混じりの冷たい風が頬をなぶるようにして吹き抜けて行く。
神聖結界内は俺の領域だ。
人の気配のあるなしぐらいは分かる。狂信者共は逃げるように去って行った。
この顛末に恐怖を覚えながら、それでも逃げ出さない物好きに、俺は言った。
「そろそろ出て来てはどうだ。帝国の方」
全ては、この手の内の出来事だ。
決着の時は近い。