135 夢のまた夢
スラムヤクザといえば、金を持っていて豪邸に住み、大勢の女を侍らせているというのが、スラム出身のガキ共の大抵のイメージだが、実際はそんなに甘くない。
スラムヤクザ共は二つの目的の為に活動している。
『金』と『権力』がそれだ。
しかし、ヤクザになったからといって、その二つが必ずしも手に入るとは限らない。末端の構成員は小遣い程度の賃金しか得られないというのが実情だ。
大金を稼げるようになるのは、俗に言う『縄張り』を任せられるようになった幹部やボス連中だけだ。
殆どの構成員が貧乏で苦しい生活を強要されている。
そして幹部になったからといって、その後の暮らしが安泰という訳ではない。
身を守る為、家族を守る為、あらゆる場面で投資を迫られる。『犯罪組織』で働くというのはそういう事だ。
スラムヤクザ共にとって、身を守る為の投資というのは当然の事で、中にはそういった投資が原因で金銭的に追い詰められる事例が少なからず発生する。
そうしてスラムヤクザ共は犯罪に手を染めて行く。
終わらない地獄。負の連鎖。
それらを断ち切る為、俺はこのパルマに巣喰うスラムヤクザ共を皆殺しにした。
『ベックマン』の旧塒は三階建ての大豪邸で、あの『オリュンポス』のクランハウスより豪勢な造りをしている。
ベックマンが打って出て、アビーとの決戦に臨んだのは、ここを戦場にして血で汚したくなかったからだろう。
そのベックマンが残した豪邸のエントランスで俺は胡座をかき、静かに瞑想を行っている。
遠造……エンゾ・デル・テスタは元スラム街出身だ。生まれた時から背中が曲がっていて、どうせ長生き出来まいとパルマに捨てられた。
天性とも言える戦闘の才能と盗賊顔負けの手先の器用さ。抜け目ない頭脳を持つ遠造は過酷なスラム生活を生き残り、後にギュンター・ファミリーの幹部にまで登り詰めた。
だが、その生活は裕福なものではなかった。
毎日のように繰り返されるベックマンやブラームスとの小競り合い。遠造自身はよくとも、愛人として囲う女共はそうも行かない。常に人質として拐われる可能性があった。
いずれ子供も生まれる。
そうなれば、『守る』為の負担は計り知れない。その未来をはっきりと予測した時、エンゾ・デル・テスタはパルマから姿を消した。
全財産をかき集め、溜め息橋を越えた『アクアディ』の街で冒険者になったのだ。
自身の過去について、遠造はこう語った。
「それしかなかったんだよ」
冒険者の暮らしもスラムヤクザとそう変わらない。身を守る為の投資は欠かせない。だが、『家族』は守られる。
「魔物は、ダンジョンを出てまで追って来ねえからな……」
スラムヤクザは、魔物より質が悪い。
「信じられるか、先生。橋一つ越えただけで、大切なもん全て守れるんだよ。だったら、そうするしかねえだろう」
アクアディの街は、ザールランド帝国憲兵団の庇護下にあり、その治安の良さはパルマとは比較にならない。多額の人頭税を要求されるが、安心には代えられない。
「寺院と教会があるのもデカいな」
神官の居る所、教会騎士の姿あり。教会騎士に理屈は通用しない。スラムヤクザ共は、アクアディに入っただけで命の危険がある。身代金目的の『誘拐』は、スラムヤクザの得意とする所であるからだ。
過去には神官がスラムヤクザに誘拐された事例もある。その為、教会騎士はスラムヤクザに容赦ない。疑わしいという理由だけで切り殺される事もある程だ。
「苦労したぜ? 何せ、この風体だからな」
遠造は背中が曲がっていて、目付きも悪い。どこから見てもチンピラヤクザの風体をしている。実際、スラムヤクザの出身だ。
「クソ高い税金払って、首にはいつもギルド証を掛けてたな」
だが、アレックスに拾われ、A級冒険者となった今は、帝国より人頭税を免除され、一定以上の国への貢献と引き換えに身分を保証されている。
「一定以上の貢献?」
「帝国の依頼は断れねえ」
一定数以上の『魔石』の納入。戦争時には強制的に徴兵される。それはアレックスやアネット、マリエールなんかも変わらない。
「……冒険者も大変だな……」
俺は内心で鼻を鳴らした。
アレックスのヤツが無理をする訳だ。個人主義の遠造が、クランハウスでの制裁の際、アレックスを庇った訳が漸く理解できた。
「……」
俺には、こういう悪い所がある。
「お、先生。殊勝な顔をしているな?」
「言うな。アレックスには詫びておく」
「必要ねえよ。先生の言う事にも一理あったからな」
クラン『オリュンポス』は金持ちだ。高額の税金を納める事で、一時帝国への貢献の義務を回避できる。
遠造は達観したように笑った。
「皆、馬鹿ばっかりなんだよ」
「そうだな……」
俺は……『家族』や、いずれ生まれて来るだろう子供の為に上を目指すと言う遠造が嫌いではない。
「なぁ、先生。面倒な事が、全部終わってからでいい。俺と組まねえか?」
「……いいだろう」
これも泡沫の夢だ。
果たされるかどうかも分からない夢。ダンジョンに魅せられた男たちが見る浪漫。
「ダイヤの装飾の宝箱か……何が入ってたんだろうな……」
「俺も気になる」
それを拝むには命懸けになるだろう。生還の保証は何処にもない。だが、それがいいのだ。
「男には浪漫が必要だ」
遠造は、くつくつと肩を揺らして笑っていた。
「命知らずの馬鹿野郎を集めて待ってるぜ、先生」
「そうしてくれ」
面倒な事が全て片付き、後顧の憂いがなくなったその時は……
俺たちは、命など顧みず、未知へ向かって進むのだろう。
だが、今は――
その面倒の真っ只中に居る。
◇◇
ベックマンの旧アジト。
二階にある小窓から表の様子を窺っていたフランキーが階段を駆け降りて来た。
「師匠、来た! 囲まれてる!」
「……」
俺は瞑想を終え、うっすらと目を開ける。
「旗印は何処になっている」
「暗くて分かんねえ。でも、黒い甲冑だ……」
俺は嗤った。
これがザールランド帝国の騎士なら、甲冑は銀色だ。夜陰に紛れる黒い甲冑は教会騎士のものだ。
「教会騎士共が先手か。それもいいだろう」
俺と同じく瞑想していたルシールも、フランキーの言葉に反応してうっすらと目を開ける。
革の胸当てに朝星棒。分厚い革のレギンスに硬いブーツを履いて。
ルシールには従軍経験がある。落ち着き払って言った。
「覚悟は出来ています。こちらから仕掛けますか?」
聖エルナ教会襲撃の報を聞き、悪戯好きのルシールは居なくなった。今は容赦ない金属バットが居る。
「いや、少し話してみたい。あの恥知らず共が、どう格好を付けるのか聞いてみたい」
俺は、ゾイとフランキーにベックマン邸の両開きの扉を開け放つように命じた。
「師匠、オレたちは……」
ゾイは当然だが、フランキーにも武装を許可してある。
フランキーは身軽な軽装を好み、腰の両方に『マンゴーシュ』と呼ばれる鋭い短剣を装備している。
「フランキー。お前は隠れていろ。得意なやり方で構わない」
「……分かった」
『盗賊』のクラスを持つフランキーが得意としているのは『闇討ち』だ。乱戦になれば陰から隊長格を狙う。
「ゾイ、お前は俺を守れ。お前が死ぬ時が俺が死ぬ時だ」
ずっしりと重量感のあるメイスを肩に乗せ、ゾイはうっとりとして頷いた。
「一蓮托生だね…………いいよ……」
「……」
くそッ、どうにかならないのか? 何故セクシャルな物を感じるんだ。これでは緊張感が薄れてしまう。
「ゾイ……」
ルシールもそう思うのか、いつもは引き締まった口元をへの字に曲げている。
やがて、身を切るような冷たい風と共に軍靴の足音が迫る。
黒い甲冑を纏う騎士たちの行進。死神の軍勢。狂信者たちの行軍。
その姿が薄明かりに照らされ、俺は、一度言ってみたかった言葉で狂信者たちを出迎えた。
「ようこそ、地獄へ……!」