133 賭場1
無事に資金調達を終えた俺たちは、宣伝という三日間の準備期間を経て、二つの賭場を開帳する事になった。
荒稼ぎしている商人共を中心に送りつけた招待状には、主催者のアビーと共に神官である俺の名も連記したが、これが大きかった。
アスクラピアの神官には『五戒』という厳しい戒めが存在する。俺が居る場では、イカサマが行われないと信じる者が殆どだ。
宿屋の親父がそうであったように、勝負は時の運と信じる者ばかりだ。
そんな筈がなかろうに。
新たに開帳される賭場の一つは、アビーのお膝元。貧乏通りにある貧乏長屋で開催される。
アレックス、アネット、遠造の出資もあり、場を仕切るのも首領のアビーだ。賽子を振るのも、心得があるアビーだ。特に問題のようなものはない。
問題は、新しく親分格に昇格するエヴァの方だ。
エヴァを中心として開く賭場は、綺麗なまま残っている『ベックマン』の旧縄張りで行う手筈になっていたが……
その肝心のエヴァを手伝う人材が居ない。
エヴァは真面目だ。頭もいいし、腕っぷしもある。だが、こいつは真面目過ぎる。厳し過ぎる。おまけに陰険で排他的だ。猫人の悪い部分がもろに全面に出た。俺がそうであるように、このエヴァを煙たく思う者は少なくない。それが顕著に分かる結果だった。
アビーと別れ、新しくエヴァの子分として付き従う者が一人も居ない。
ただの一人もだ!
この情けなさに、俺は深く溜め息を吐く。
「……エヴァ、俺の顔を潰してくれたな……」
「……」
当のエヴァだが、この結果に思いの外へこんでいて、俺の叱責にも口答え一つしなかった。
「……お前とアビーの、最も大きな違いがここだ。お前には人望がなさ過ぎる……」
「……」
当面、賭場の運営にはアビーから人手を借りる事になり、エヴァはアビーの組織で働く傍らで自ら使える子分を探す事になった。
エヴァを見込んだのは俺だ。
それだけに、この不細工な顛末は苛立つものがある。
「座れ、エヴァ。お前には話がある……!」
「……」
さて、強く賢い猫人は有能な種族ではあるが、欠点がない訳ではない。この人望のなさもそうだが、猫人というのは、精神的に打たれ弱い。
「エヴァ……お前自身は優れているが、実に非寛容だ。寛容になるという事は他者の為だけでなく、己自身の為でもある。人というものは持ち得る力や才能に従うのではなく、その人柄に寄り添うように出来ている……」
「……」
へこたれたエヴァに、いつものようにやり返す元気はなく、涙目になって俺の説教を聞いていた。
「陰口を叩くな。己と同じ水準のものを他者に要求するな。弱者を見れば叩いて屈伏させる事を念頭に置くのでなく、いかに手懐けるかを考えろ。常に情け深くあれ。非寛容な振る舞いは非生産的なだけでなく、害悪にすら成り得る」
エヴァに対する特大の俺の説教は長時間に及び、アビーはそれをとても喜んだ。
「うんうん。神さんも粋な事をなさるもんだ。この試練を抜けなきゃ、親分としては一人前とは言えないねえ」
俺はカチンと来た。
他人の不幸を喜ぶこの悪たれにも、俺は言いたい事が山ほどある。
「アビー! この際だ! お前にも言いたい事がある! 座れ!!」
アビーは振り返らず逃げ出した。
なお、ゾイは終始満面の笑みを浮かべていて、涙目で俺の説教を聞くエヴァの様子にご満悦だった。
そして、俺はロビンの件もあり不機嫌甚だしい。特大の説教には、同じく悪たれのフランキーも呼び出して同席させた。
「とばっちりだ! なんでオレまで……!」
「やかましい! お前は俺の弟子だろう! 師匠の話は黙って聞け!」
勿論、八つ当たりだ。この機会をろくでなしのフランキーに当て嵌めない程、俺はお人好しという訳ではない。
「聞け! このろくでなし共が!」
その晩、貧乏長屋の一角では夜明けまで荒ぶる俺がいた。
◇◇
賭場の開帳期間は六日。
アビーの仕切る場で三日間。エヴァが仕切る(予定)場で三日間の計六日。その成り行きや盛況具合を見て、後の日程を決める。
「……それで、招待客の面々には、二つの割符を購入してもらう……」
「ふむふむ……」
と頷くアビーとは裏腹に、エヴァの方はとにかく悄気ていて元気がない。
「この割符には俺の神力が込めてある。偽造は不可能だ。『大割符は金貨一枚』。『小割符は銀貨一枚』だ。賭場から出る際は換金するが、その換金割合は割符一枚につき、一割を徴収する」
俗に言う寺銭。『場代』というやつだ。
「つまり、実際の賭場では現金は扱わん。アホが良からぬ事を考えるかもしれんからな」
簡単に説明すれば、多額の現金を動かすと強盗や詐欺の類いが発生する危険がある。当然だが、この辺りの治安も乱れる。その為、換金場所は他に設けるか、後日割符と引き換えに客の下へ届ける。
アビーは感心すること頻りだった。
「なるほど。そうすりゃ、こっちは寺銭に取りっぱぐれがないし、現金を扱わない以上、おかしな事件も減るだろうね」
「そういう事だ」
俺の居た世界では、似たような事を当然のようにやっていた。だが、この世界ではそうじゃない。俺は特別な事をしている訳じゃない。
「フランキー。お前は換金場所の守りだ。揉める客は、ぶちのめして追い払え」
重要な『換金場所』の守りにフランキーを付けると言った俺に、アビーは思い切り眉間に皺を寄せた。
俺は言った。
「大丈夫だ、アビー。割符には俺の神力が込めてある。割符に触れた瞬間、フランキーは死ぬ」
「あっ、そう……」
たちまち毒気を抜かれたアビーは肩を揺らして笑ったが、フランキーは目を剥いた。
「ひっ、酷えよ、師匠!」
「やかましい。お前はチンピラを殴り倒す事だけ考えろ。冗談でも割符に触れたら死ぬぞ」
まぁ、流石の俺もそこまではしない。白目を剥いてぶっ倒れる程度の呪詛に留めてある。フランキーには効果があるだろう。
黙っているだけだったエヴァが、ぽつりと呟くように言った。
「…………やっぱり、あんたが一番ヤクザだよ……」
「何か言ったか?」
「いや……」
このようにして、アビーの本拠地である貧乏通りで新しく賭場が開かれる運びと相成った。
◇◇
俺も参加を謳っている以上、実際の賭場では、当然だが俺も遊ぶ。割符は金ではないから『無欲』の戒律に触れる事はないが、俺の敬愛する母はしみったれていて容赦ない。念の為、護衛として付き添うゾイに割符を持たせた。
賭事と言っても種類は様々だ。
賽子を用いた単純な丁半博打から始まり、この世界ならではのカードを用いたものや双六まで多岐に渡る。
色々とやった俺だが、博打そのものには詳しくない。場を仕切るのはあくまでもアビーだ。そこに遠造が付いて、色々とアドバイスしている。
カードと双六には掛け金に制限がある。双六が一番人気だったのは、俺には意味がよく分からなかった。
しかし、賽子を使った博打は青天井だ。掛け金に制限はない。単純な丁半博打でなく、三つの賽子を使った博打に人気が集中している。出た目によって役があり、配当が違うようだ。
賭事に自信のある奴らは、自然とこの賽子賭場に集まる。
ゾイを引き連れた俺は各場で遊んで回り、結局は双六の場に落ち着いた。
止まった目によって、金を払ったり受け取ったりする。全然、面白くないが、賽子を振って出た目に周囲は一喜一憂して盛り上がっている。
「ゾイ、お前も遊んでいいんだぞ?」
「え? い、いいよ……」
せっかくの遊び場であるし、ゾイは喜ぶかと思ったがそうでもなかった。遊ばず、俺に寄り添って財布代わりに努めている。
俺はといえば、割符のやり取りの際、ゾイの身体のあちこちをまさぐって割符をやり取りする作業に打ち込んでいた。
「む……どうした。ゾイ、身体の具合が悪いのか……?」
ゾイは、顔を紅潮させ、身体を小さく震わせている。
「な、なんでもない。だ、大丈夫だよ…………」
「そうか。しかし、つまらんな」
止まった目によってやり取りされる金額は少額だ。終点には、ご褒美として多少大きな額面の報奨があるが、それだけだ。
遠造曰く、玄人はこの『双六』を見て、賭場全体の具合を判断するのだと言う。
ちなみに、主催者側の俺は幾ら負けても問題ない。勝った所で『無欲』の戒律がある。
「つまらん」
かといって、カードは訳が分からんし、行きたくない。ちなみにカードの場はエヴァの仕切りだ。イカサマなしの平手である為か、こちらも結構賑わっている。
そして青天井の賽子賭博だが、そこで血道を上げる女が一人いる。
「ちょっと、お待ちなさい! その賽子を見せてもらいましょうか!!」
金属バットのヤツだ。主催者側にあるにも関わらず、すっかり熱くなっていて、周囲の注目の的になっている。
「同じ目が三度続くなんて、絶対にあり得ません!」
無用な心配をさせない為、拘束されている可能性があるポリーらの話はしていないが、それがこの体たらく。
聖エルナ教会の面々が知れば悲しむだろう。修道女のルシールが吠えて難癖を付ける度に周囲の客は手を打って喜び、煽り散らかすので質が悪い。
「姐さん、いい加減にしておくれよ。何度も言ってるけど、あたしはイカサマなんてやってない」
助けを請うように、ちらちらと俺に視線を送るアビーの苦り切った顔を見て、俺は深い溜め息を吐くのだった。