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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
139/309

132 怒り

 俺は激しい怒りに震えていた。

 奪われたワクチンはどうでもいい。大した数じゃない。そもそも、このパルマで実績を上げた上でワクチンの製造法はザールランド帝国に流すつもりだった。


 問題は、聖エルナ教会に残ったポリーら四人の修道女シスタたちの事だ。


 新しいワクチンの製造法は、書面にしてポリーに送ってある。ポリーがその書面を素直に寺院に渡すようならいいが、その光景が想像出来ない。


 もし、ポリーらが俺に義理立ててワクチンの作製法を秘匿した場合、寺院や教会騎士たちは何をする?


 考えが甘かった。

 俺は『寺院』がそこまでやるとは思わなかった。パルマの救済に多額の喜捨を要求した事も、俺がパルマ入りしてからの行動を考えると、関わらない方がいい事だ。


 スラムヤクザを皆殺しにした事は俺の判断だが、ワクチンが間に合わず、瀕死の天然痘患者に『死者の送別』を使って回った事、あれは違う。アスクラピアの子の義務だ。関わらない方がいい事だ。やらずに済むなら、その方がいい。


 どのような理由があれ、人を殺して回るなど、死神か悪魔の所業でしかない。


 そう実感した時、寺院が要求した多額の喜捨は迂遠な拒絶とも取れ、俺には、それが悪い事ばかりだとは思えなかった。


 関わらずにいた方がいい事もある。


 必ずしも『寺院』の存在は悪ではないかもしれない。あれを非道な守銭奴と見切るのは、まだ早いかと考えていた。だが……


「聖エルナ教会を襲撃しただと? 彼女らに何の罪がある? 何もしていない! ワクチンが欲しいのなら、何故、堂々と俺の下へ来ない!!」


 俺は、このパルマで、決して許されない事をした。罰されるとしたら俺だ。それが死神の裁きというなら、甘んじて受けよう。だが、助祭として残したポリーは違う。尋問されている可能性がある。寺院のクズ共が実務的なリアリストなら、拷問を受ける可能性すらある。


 あまりの怒りに全身から神力が溢れ出し、銀の髪が音を立てて巻き上がる。


「……遊びは終わりだ……」


 何もかも知った事か。この足で寺院に向かう。奴らを皆殺しにしてでもポリーらを助け出す。

 俺は鼻を鳴らした。


「……アレックス。ワクチンならアビーのねぐらに行け。ゾイ、フランキー、ジナ、お前たちはアレックスたちとアビーの下へ帰れ。これは命令だ……」


 ――ロビン!


 ――――ロビン!!


 ――――――ロビン!!!


 あいつとは、信念の違いから衝突する事も多かったが、まさかここまでするとは思わなかった。

 いや、遂にやったというべきか。

 あの狂信者は、俺の最も激しい怒りに触れた。


「……殺してやる……」


 もっと早くそうしておくべきだった。俺のあまりにも激しい怒りに、アレックスすら息を飲む。


「ちょ、ディート……」


「……黙れ。今の俺に声を掛けるな。誰でもいい気分なんだ……」


 神官服リアサの裾を翻し、その場を立ち去ろうとした俺に――ゾイが言った。


「罠だよ。行けば、シュナイダーの思うつぼだ」


「…………」


「ディは優しいから、こうすれば絶対にやって来る。それがシュナイダーの考えだよ」


「だから……?」


 これが罠だという事は百も承知だ。だが、ポリーらが危機的状況にある事は間違いない。俺にはこうする以外の選択肢はない。

 だが、ゾイは真っ向から俺の考えを否定した。


「ポリーさんたちは無事だよ」


 俺は激昂して叫んだ。


「その保証が何処にある!!」


 身を焦がすような激しい怒りに神力が溢れ、辺りに青白いプラズマがほとばしるが、それでもゾイは怯まない。


「もし、それをしたら、ディは絶対にシュナイダーを許さない。だから、シュナイダーは絶対にポリーさんたちを傷付ける事はしない。出来ない」


「あの傲慢なレイシストが信じられるか」


 お喋りは、もう沢山だ。

 レネ・ロビン・シュナイダーは殺す。聖エルナ教会を襲撃した教会騎士も全員殺す。寺院に居るクズ共も全員殺す。


「ゾイなら、罠を張る。ディを怒らせて、冷静で居られないようにして、おびき出して捕まえる」


「……」


「シュナイダーじゃない。ゾイを信じてほしい」


「…………」


「ディ、少し頭を冷やして。放って置いても、シュナイダーは自分からやって来るよ」


「……………………」


 理屈では分かっている。ポリーらが捕らえられているとしたら、それは体のいい人質だ。ゾイの言う事は正しい。だが、俺はどうしてもこの怒りを抑えられない。


「今は何も考えないで、ディ」


「……」


「もし、ポリーさんたちに何かあった時は……ゾイを殺していいよ」


「……っ!」


 これもルシールの薫陶くんとうの賜物だろうか。

 ここで、俺は思い疲れる。

 己の言葉に命を賭けてまで、俺を制止するゾイの言葉に逆らってまでする事ではない。


 ポリーらはともかく、レネ・ロビン・シュナイダーの命にそこまでの価値はない。


「……」


 俺は静かに息を吐く。


「……分かった。ゾイ、お前を信じよう……」


「うん、ありがとう」


「……」


 俺は静かに聖印を切り、僅かな時間瞑想する。


 ロビンではない。ゾイの知性と判断を信じるのだ。


 瞑想を終えた時。


 辺りは、妙に静まり返っていた。


 情報を伝えたアレックスは大汗を流してその場に立ち尽くし、アネットは腰を抜かしてへたり込んでいる。


 ジナは怯え、壁にべったり貼り付いたフランキーの陰に隠れようと必死だった。


 宿屋の親父とマリエールに至っては、いつの間にか姿を消していた。


◇◇


 暫くして――

 マリエールの取った宿の一室で、俺は地獄のような静けさの中で落ち着いていた。


「……まず、アレックス。お前が壊した宿の調度品は弁償しろ……」


「あ、ああ……」


「宿屋の親父にも、きちんと詫びておけ。このパルマでの狼藉は俺が許さん」


「わ、分かった。もうしない……」


 いつの間にか戻って来たマリエールは窓枠に腰掛け、口の中で飴玉を転がしている。一見、アホのように見えるが、この女の頭脳は驚くほど明晰だ。


「……マリエール。ロビンの一件をどう思う……?」


「ドワーフの子と同じ。あの教会騎士に、そんな度胸はない」


「……何を根拠に……」


先生ドクに説明しても、絶対に理解できない」


「……」


 マリエールの言葉に、何故かアレックスとアネットの二人が深く頷く。

 ゾイが言った。


「……多分だけど、アシタがもうなんとかしてると思う……」


「アシタが……?」


 何故、そうなるのか深く考えるが、答えは出ない。出口のない迷路に迷い込んだようだ。

 フランキーが、おどおどと言った。


「そ、それより師匠。こ、ここには、仕事で来たんだよな……?」


「うん? ああ、そんな話だったな……」


 今はもうやる気がない。そんな気分じゃない。

 俺はぞんざいに言った。


「アレックス、アネット、マリエール。賭場を開くんだ。金を貸してくれないか?」


 アレックスとアネットは異口同音に言った。


「「はあ?」」


 だが、マリエールだけは即答してくれた。


「いいよ。幾ら?」


「金貨で二、三百枚。多ければ多いほどいい」


 アビーも金がない。どうせ借りるなら、多ければ多いほどいい。

 マリエールは少し考えて、それから言った。


「金貨で千枚までなら貸せるけど、条件がある」


 俺は僅かに怯んだ。

 金貨で千枚というと、約一億シープ。遠造が貯め込んでいると言っていたが、確かにマリエールは貯め込んでいる。


「うん、なんだ。言ってくれ。利子か? それなら十日で一割で――」


 その俺の言葉を遮って、マリエールが言った。


「返さなくていい。その代わり、先生ドク、一緒に暮らそう」


「……なんだって?」


 これはロビンのせいだ。少し怒り過ぎて、耳と頭がおかしくなった。俺が痛む頭を抱えていると、代わりにゾイが答えてくれた。


「エルフの人は、無理しなくていいよ」


「無理してない。お金で先生ドクが買えるなら、そうするだけ」


「ディは売りものじゃないよ」


 マリエールは口の中で飴玉を転がしている。表情を変えずに言った。


「全財産なのに、残念」


 ゾイはマリエールから目を離さず、言った。


「お金は、アレックスさんとアネットさんが貸してくれるよ。エルフの人のお金はいらない」


「……」


 訳が分からないが、ここにいるのは怖い『ゾイさん』だ。


「この話は、エンゾさんも噛んでるよ」


 その言葉に反応したのはアレックスだ。


「エンゾが? なら、心配ないね。いいよ、二百までなら貸したげるよ」


「……エンゾが……そう……」


 それまで沈黙を守っていたアネットだったが、無表情で飴玉を転がすマリエールとゾイの顔を見比べながら、静かに頷いた。


「……いいわ。お金なら、私も貸してあげるわ……」


「決まりだね。エルフの人の世話にはならないよ」


 そこでは、とっても怖いゾイさんが、表情を変えずに口元だけで笑っていた。

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― 新着の感想 ―
ディーさん前世で付き合ってた女性みんなから別世界の人って言われて別れられてたからまあそういう事なんですかね… 彼が心を理解出来た女性は癌で亡くなった前世の母親ただ1人だけでも驚かないですよ。 いやまあ…
[一言] なんか聞いた事あるなーと思ったらクラピカのセリフに似てるからか
[一言] ロビン有能だからなぁ
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