129 ヤクザのお仕事3
さて、ヤクザらしくヤクザらしいシノギに手を出す事にした俺たちだが、新しく親分格になるエヴァは、終始、顰めっ面で嫌そうにしている。
「なんだ、エヴァ。不満か? 大出世だろう」
「あたしは、そんな事、頼んでない。ここでやらなきゃいけない事が山ほどあるんだ。ちょっと、あちこち見て回って、働いたフリしてるだけのあんたと一緒にして欲しくないね」
俺は笑った。
「エヴァ、一つ言っておく。アビーにも言ったがな、自分一人でなんでも出来る等と思い上がるな」
だからこそ、俺は自身の代替品としてルシールを連れて来た。いざという時、自分は動けませんというのでは話にならない。
これは、アビーの組織についても同じ事が言える。
「エヴァ。お前は、アビーの代替品だ。分かるか?」
「あ? 何を言って……」
「今、アビーの身に何かあれば、このパルマは瓦解する。お前は転ばぬ先の杖なんだよ」
今、このパルマを纏めているのは『アビー』だ。天然痘に対抗する手段があり、治安を乱すスラムヤクザ共を皆殺しにした。
そして、『俺』。第一階梯の神官『ディートハルト・ベッカー』を右腕として置いている。強請たかりのシノギはやらず、殺しも脅しもやらない。そんな女王蜂に対するパルマの民衆たちの信頼は日に日に増している。だからこそ危ない。パルマの安定は、アビーの双肩に掛かっていると言っても過言ではない。
「勿論、アビーには気を付けろと言ってあるが、まさかの事態がないとは言えん」
そうだ。人の生は彩られた影の上にある。斜陽の時は誰にも訪れる。
「エヴァ、力を付けろ。今のままでは話にならん」
そこまで言った所で、右手が激しく痛み、俺はその場に踞った。
「うぐ……!」
俺の寿命は、残す所、あと一ヶ月。この『聖痕』を消さない限り、後がない。
「ちょ、ディ! あんた!」
右手の激痛に苦しむ俺を担ぎ上げ、エヴァは即座に長屋の一室に移動した。
そこからのエヴァの指示は素早く適切だった。
「フランキー! あんたはルシール姐さんを今すぐ呼んで来な! この事は誰にも話すんじゃないよ!!」
「お、おう、分かった……!」
直ちに駆け去るフランキーの背中を見送り、続いてエヴァは、鋭くジナに命じた。
「毒犬、お前は見張りだ! この部屋に誰も近付けるな!」
名ばかりとはいえ、一応、俺はNo.2という立場にある。その俺の不調が表沙汰になれば、アビーの立場に影が射す。それがエヴァの考えだろう。全く以てエヴァは賢い。だからこそ、このエヴァに力を付けてやる必要がある。この俺が居る内に……
◇◇
このパルマに巣食うスラムヤクザの三大組織、『ベックマン・ファミリー』を一人で皆殺しにした第一階梯の神官『ディートハルト・ベッカー』の存在は大きい。公表こそしてないが、このパルマで天然痘ワクチンを開発したのも俺だ。
誰も口に出しては言わないが、少し目端の利く者なら、スラムヤクザの壊滅と天然痘の終息に俺が無関係でいるとは考えない。
この俺の存在は、アビーの組織にとってあまりにも大きい。大き過ぎるのが問題だ。
誘拐、暗殺、病気、事故。
このどれか一つでも、俺の身に起これば、それがアビーとその組織にとって命取りになり得る。
直ちに駆け付けたルシールにより、新たに『蛇封じ』の処置が施される間、エヴァは、ずっと険しい表情だった。
神字を書き込んだ右手の包帯を取り替えながら、ルシールが静かに言った。
「……右腕の切断を提案します……」
俺は首を振った。
「無益だ」
この『聖痕』は、俺には扱えない。母の力が強すぎる。最初は右の手の平に刻まれた聖痕だったが、今は力を増し、とぐろを巻く蛇の痣になって右腕全体に及んでいる。最早、切断程度では追い付かん。
「……」
蛇封じの処置を終えて尚、右腕がぎりぎりと痛んだ。
俺は、右手を振り振り言った。
「まぁ、ご覧の有り様だ。俺は、あと一ヶ月も持たん」
「……死ぬのかい?」
俺は肩を竦めた。
「このままなら、そうだ。俺は死ぬ。少しはやる気になったか?」
「……」
エヴァは瞬きすらせず俺を見つめていたが、不意に思い付いたように強く手を打ち鳴らし、見張りをやっていたジナを呼び出した。
「毒犬! ちょっと来い!」
俺は、ぎくりとした。
「おい、止めろ……!」
ざわっ、とエヴァの髪が巻き上がる。冷たく言った。
「嫌だね」
その後、エヴァの顔色を伺うように、びくびくして部屋に入って来たジナだったが……
次の瞬間、俺の目前から煙のように掻き消えたエヴァに、思い切り殴り飛ばされた。
「エヴァ、止めろ!」
「……」
エヴァは俺の制止に従って振り上げたままの拳を止め、怪訝な表情で振り返った。
「……こいつを生かしておいた事を後悔しない日はなかったんだ。今からでも遅くない。そうだろ……?」
俺は呆れて首を振った。
「エヴァ、殺しは御法度だ。アビーの決めた事だぞ」
「ふん……」
思い切り鼻を鳴らしたエヴァは、怯えて身を丸くするジナの腹を強く蹴り上げた。
「エヴァ!」
「分かってるよ。うるさいねえ」
そこでエヴァは、ジナから興味をなくしたのか、がりがりと髪を掻き回した。
「毒犬、出て行きな。あんたの顔は見たくない」
ジナは直ちに部屋から出て行き、エヴァは険しい表情のまま、大きな溜め息を吐き出した。
「……まぁ、さ……あんたとは色々あった。あり過ぎた。一度は出てったあんただけど、あたしらが一番ヤバい時に戻って来た。んで、ビーにはツキが戻った……あんたは仲間だ……」
「ああ……」
エヴァとはお互いに不仲と認め合う程の関係だが、仲間と認識される程度には認められているようだ。
エヴァは目尻を下げた。
「……どうにかなんないのかい、それ……」
「……考えがない訳じゃない……」
「ビーは? ちゃんと知ってんのかい?」
アビーがこの事を知れば、エヴァがやった程度では事が収まらん。ジナは確実に殺される。
「いや……言ってない……」
首を振る俺に、エヴァはこれ見よがしに大きな溜め息を吐き出して見せた。
「……あんたってヤツは……本当に……」
俺が本当に、なんだろう。
よく分からないが、エヴァは呆れたように頷き、その場に胡座をかいて座り込んだ。
「……分かったよ。親分になる。そんで、あたしは何をすればいいのさ」
◇◇
さて、『親分格』になる事を渋りに渋っていたエヴァだったが、漸くその気になった。
「まずは、資金調達だな。金がいる……」
それを聞いて、エヴァは笑った。
「あんた、馬鹿? あたしが金持ちに見えんのかい?」
「心配するな。ちゃんと当てはある」
そこで心配そうに事の成り行きを見守っていたルシールに視線を向ける。
「……?」
ルシールは、心配そうに俺を見ながらも、訳が分からないといった様子で首を傾げた。
俺は言った。
「おい、コラ。この守銭奴。有り金、全部出せ……!」
このルシールが種族特性通り、『嘘つき』で『光り物が好き』なら、必ず金を隠し持っている。
「……」
そのルシールだが、俺の言葉に目を丸くし、次に酷い裏切りを受けたように恐れ慄いた。
「お、お金なら、ディートに渡したのが全部です……」
「本当だな? 家捜しして、嘘と分かったら全て取り上げるぞ」
「……」
ルシールは視線を泳がせ、額に汗を浮かべている。その顔には、こう書いてある。
……持ってます、と。
「よし、家捜しだ」
ルシールは悲鳴を上げた。
「ディート! ディート! それだけはご勘弁を……!」
「ははは、馬脚を現したな。この嘘つきめ」
その後、徹底した家捜しでは、ルシールの使用している居室と荷物の中から金貨で五十枚程が押収された。
「あうあうあう……わ、私の財産が……!」
「馬鹿め、お前の財産ではない。全て聖エルナ教会のものだ」
「持ってないと不安なんですよう! ああ、あああ……!」
この『種族特性』というのが、存外、馬鹿にならない。ルシールは金が好きなのではなく『光り物』が好きなのだ。所持品には宝石や貴金属の類いも多くあった。見ているだけで落ち着くらしい。
家捜しにはゾイも同行し、いつもは立派な修道女であるルシールのこの悪癖に呆れていた。