128 ヤクザのお仕事2
新しく専用に設えた親分の一室では、アビーが上等な紅茶を淹れてくれたので、それを二人で楽しんだ。
「こういう嗜好品は、商売人たちが幾らでも持って来るんだ。問題は食い物だよ」
「……足下を見ているな……」
まぁ、今は隣接する街から人と金が集まっている。天然痘の危機が去りつつあるこのパルマが、商人たちにとって、今一番美味しい市場である事は分かる。
そして、このパルマを仕切るアビーは強請たかりのシノギはやらない。商人たちは大手を振って商売に精を出している。
そろそろ、還元してもらおう。
「奴らの財布を、少し軽くしてやるとするか……」
親分の招待と言えば、このパルマで商売する商人たちは断れない。
「不利を承知で遊んでもらう」
時に、ヤクザはヤクザらしく、だ。
「……そいつはいいねっ!」
そんな会話の後、俺は上機嫌のアビーの居室を出た。
そこに二人の獣人が駆け寄って来る。
「おせえよ、師匠。アビーと何をくっちゃべってたんだ?」
一人はフランキーだ。
スラムヤクザとの殺し合いで逃げなかった事を評価したアビーが、俺が直に預かる事を条件に奴隷落ちを保留している。
「おお、フランキー。殊勝だな。まだ逃げてなかったのか」
「この辺は、もう全部アビーの縄張りじゃねえか。何処に行けってんだよ」
逃げてアビーに捕まれば、晴れて奴隷落ち。勿論、それだけじゃ済まない。壮絶な私刑に遭うだろう。頭も回るフランキーは、それを予想出来るだけに動かない。動けない。
そして意外な事だが、フランキーは中々信仰深い。
「……あんたはアスクラピアの肝煎りだ。あんたに仕えてりゃ、いつかオレは赦される……」
俺は鼻で嘲笑った。
「その前に、お前が死ぬ方に金貨百枚賭けていいか?」
「師匠、あんたの冗談は笑えねえんだよ」
げんなりするフランキーの隣には、鼻をくんくんと鳴らすジナがいて、尻尾を勢いよく振りながら、辺りを駆け回っている。最近は伽羅の匂いにも慣れて来て、嫌そうな顔をしなくなった。
「おはよう、ジナ」
「うん!」
へっへっと犬のように鼻を鳴らすジナの頭を、フランキーがごしごしと強く撫でた。元々、この二人は親分子分の関係にあっただけに仲がいい。
「そんで、今日はどうすんだ? お祈り? 瞑想? どっちにしても、師匠は外に出ないんだろ?」
「いや、今日は仕事がある。エヴァだ。あいつに会いに行く。お前らも付き合え」
「まぁ、だよな。組の仕事か……そろそろアビーのヤツが何か言う頃だと思ってたよ」
納得したように頷くフランキーの背中の後ろに隠れたジナは震えている。
頭のネジが何本か跳んでいるジナは怖いもの知らずだが、一度半殺しの目に遭わされたせいか、エヴァの事だけは相当恐れている。
そこで俺は顔をしかめた。
「おい、フランキー。最近、俺がサボってる事をアビーにチクったのは、お前か?」
フランキーは肩を竦め、呆れたように手を広げた。
「なんでオレがそんな事するんだよ。ここじゃ、オレは肩身が狭いんだ。師匠が動かずに居るんなら、それに肖りたいもんだ」
「ふむ……」
確かにそうだ。ろくでなしのフランキーは、アビーの仲間を殺した前科がある。俺の側が一番安全だ。
「……」
続いてジナを見て、俺は首を振った。
一ヶ月という月日を経て、俺はこいつの事を理解したつもりだ。頭は足りないが、俺を売るとも思えない。そもそも警戒心が強く、俺とフランキーとしか話さない。アビーたちが『毒犬』と呼ぶ限り、ジナは絶対に心を開かない。
フランキーは『腕組み』の格好だ。
「……エヴァか。あいつもやベーよな……」
「分かるのか?」
「ああ、あいつ、獣化できるだろ? そういうヤツはやベーんだよ」
フランキーの説明では、獣人が獣化する条件は『無茶苦茶キレる』事らしい。
「獣化はオレだって無理だ。本性が出るぐらいキレるんだ。正気じゃ居られないぐらい。どう考えてもやベーヤツだよ」
「……そうか」
そこで、唐突にジナが眉間に皺を寄せ、長屋の陰に向かって唸り出した。
フランキーは気付いていたのか驚いた様子もなく、そちらを指差して言った。
「チクったのは、あいつだな」
フランキーの指差した方に視線を向けると、そこには目を細めてこちらを睨み付けるスイが立っていた。
スイは嫌そうにフランキーとジナを見て、低い声で言った。
「…………おはよう。ディ……」
「ああ、おはよう。スイ」
現在は無役のスイだが、変わらず俺の世話を焼いてくれている。だが……
最近、このスイが俺の悩みの種になっている。
今の俺は、身の回りに不自由ない。護衛はフランキーとジナの二人が居るし、食事や入浴等はルシールやゾイが面倒を見てくれる。
スイとしてはやる事がなく、黙って俺の後を付いて来るだけだ。
面白くないのだろう。
最近のスイは、フランキーやジナ、更にはゾイやルシールに対しても反抗的かつ攻撃的だ。
フランキーが揶揄するように言った。
「師匠、モテる男は辛いな」
「そんなんじゃない。破門するぞ」
『破門』と聞いて、フランキーは直ちに居住まいを正した。
「へへ……冗談スよ。師匠」
この調子の良さもフランキーの特徴の一つだ。妙に人懐こい面があり、憎めない。リーダーとして必要なある種の魅力を備えているとも言える。だが……
「……図に乗るな、フランキー。その汚い口を利けなくしてやってもいいんだぞ……」
俺は高位神官だ。神力を伴った言葉には力が宿る。そして俺はお調子者が嫌いだ。
「馴れ馴れしくするな」
「……わ、悪かったよ……」
俺の中の『死神』を思い出したのだろう。フランキーは怯えたように俯いた。
俺が強くフランキーを窘めた事で、少し機嫌を直したのか、スイがぎこちない笑みを浮かべた。
「ディ、どうかした? 困ってる?」
「うん、丁度いい所に来てくれた。ちょっとエヴァに話があってな……」
「エヴァ……?」
俺とエヴァの不仲は周知の事実だ。スイは怪訝そうに首を傾げた。
「ああ、そろそろ、あいつにはここを出て行ってもらおうと思ってな……」
「そうなんだ」
納得したように頷き、スイは微笑んだ。
「……」
フランキーの言う事が確かなら、俺はこのスイに見張られている。監視されているという事になる。
「…………」
『闇の瞳』でスイを観るが、悪いものは感じない。スイが俺に向ける感情の中には好意もあるが、それ以上に強い何かの意図を感じる。懐いてくれてはいるようだが……
「エヴァなら、厨房にいるよ」
「厨房に? 何故? あいつにはメシ炊きなんぞやってる暇はないだろう」
「新入りが多いから……」
「ああ……そうか。あいつも大変だな……」
スラムヤクザとの抗争で保護した奴隷の中には、アビーの組織に所属を希望した者もいる。奴隷暮らしが長く、社会生活に適応できない者たちだ。アビーはそれらの者に寝食を与えることを条件に雑役を振って仕事を与えている。
形ばかりの俺と違って、実質的なNo.2のエヴァの仕事は多い。本人がサボろうと思えば幾らでもサボれるのだろうが、エヴァは一切手を抜かない。
「……あいつ、案外真面目だな……」
スイは真剣な表情で言った。
「エヴァ? ディより真面目だよ?」
「そ、そうか……」
グサッと来た。
子供に、真面目な表情でサボっていると指摘されるのは想像以上にショックが大きかった。
さて、意外に真面目なエヴァだが、長屋の一角にある厨房であれやこれと指示を飛ばしている。
「エヴァ、忙しい所をすまん。少し、いいか?」
「あん? ああ……ディ、あんたか……」
厨房では、ブラームスの塒で拾った二人の娼婦が忙しく動き回っている。この二人もまともに社会生活に適応できない者たちだ。大人しい羊人の血を引いており、気が弱い。ブラームス・ファミリーでは奴隷同然の扱いを受けていた。
猫人のエヴァは排他的で新入りに厳しいが、この二人の境遇には思う所があるらしく、二人に向ける視線は優しいものだった。
だが、俺に向ける視線は厳しい。
「ディ、あんたと違って、あたしは忙しいんだ。話だったらそこでしな」
それでは遠慮なく。
「さて、エヴァ。この前の話を覚えているか?」
「……何の事だい?」
「だから、お前が親分になるって話だ」
エヴァは、俺に向き直る事すらせず、鼻で笑った。
「ああ、そんな冗談を言ってたね。それがどうかしたのかい?」
「冗談じゃない。お前が親分になる日が来た。ここから出て行け」
「……は?」
そこで、エヴァは漸く俺に向き直った。その顔には疑問符が貼り付いている。
「細かい話はこれから詰める。とりあえず付いて来い」
「は?」
「二ヶ所、賭場を開く事にした。お前は、その一つを仕切れ。上がりの三割はお前のポケットに入れていいぞ」
「……って、はあ?」
只でさえ忙しいエヴァだが、これからもっと忙しくなる。
「お前も一人前になる日が来たんだよ。覚悟を決めろ」
この成り行きに付いて来れないエヴァは、ぽうっとして俺を見つめている。
「大丈夫だ。俺も手伝ってやる」
「……」
自信満々で胸を張る俺の姿に、エヴァは目尻を下げ、とても不安そうな顔をした。