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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
131/309

124 地獄に咲く

 アビーの怒りは激しく深刻だった。


 アビーは、ブラームスとそのブラームスに囲われていた情婦二人を殺し、その首を路傍に晒しただけでは飽き足らず、アジトは即刻焼き払われた。


 百人を超える死者の中、生き残ったのは僅かに八人。

 その生き残り八人は口も利けないほど衰弱が激しく、子供二人に関しては、俺の力を以てしても明日を生きているという保証はなかった。


 アビーは生き残りの八人を本拠地である長屋に収容した後は、その保護をルシールらに任せ、激しい怒りの勢いそのままに、続いて『ギュンター』のアジトに奇襲を掛けた。


 ギュンター・ファミリーは人身売買もするが、主な収入源シノギは麻薬売買だ。


「考えるのも面倒だ。しちまおう」


 女王蜂アビゲイルが最も嫌うのが売春と麻薬だ。


 ブラームスはその首を路傍に晒す事で人身売買の罪をあがなった。次は『ギュンター』の番だった。


 結果から言って、ギュンターもまた路傍に首を晒す羽目になった。


 ギュンターは結構な切れ者だった。天然痘の脅威を知った後は、感染を避ける為、無事な人員と共に塒に引き籠っていたが、それが仇になった。


 有無を言わさずねぐらに火を掛けられたギュンターは、大勢の手下と共に塒から飛び出し、激しく抵抗したが、数による乱戦になれば、神官である俺の優位は揺るがない。


 ほぼ無限に湧き出す召喚兵との戦闘の最中、劣勢を悟ったギュンターは、降伏という名の手打ちを申し出たが、アビーは即座に拒絶した。


「そのまま死ね」


 というのがアビーの返答だ。


 自らも戦い、手を汚しながらアビーは言った。


「……本当なら、あんたの力はこんな事に使うべきじゃない。でも、そうも言ってられない……」


 そうだ。最早、賽は投げられたのだ。戦いの火蓋が切られた以上、今は助けるより殺す方に尽力せねばならない。


 アビーは何度も俺に謝った。


「……ごめんよ。本当に、ごめんよ……あたしが弱いばっかりに、あんたには無理ばかりさせちまう……」


 アビーは、何度も何度も俺に謝った。


「………ごめんよぅ、ディ。だからさぁ……そんな顔をしないでおくれよぅ……」


「……」


 俺は、そんなに酷い顔をしているのだろうか。


 分からない。


 ギュンターとの戦闘ではフランキーも奮闘した。俺の術による治癒があったとはいえ、幾度も致命傷に近い深手を負いながら、心折れる事なく戦い続けた。


 このフランキーも、アビーと同じ十五歳だ。


 俺は罪深さに思い窶れる。


 死と罪によって舗装された地獄の道は続く。業病の嵐が吹き荒れるパルマに『刈り取る死』が訪れる。


 生け贄の叫びと火炙りの死。


 その担い手は、女王蜂アビゲイル。


「ディ、あんたは術を使う事だけ考えな」


「……ああ、そうする……」


 聖闘士セイントの振るう錫杖が無慈悲にスラムヤクザ共の頭を打ち砕き、剣闘士グラディエーターの剣が容赦なく血飛沫ちしぶきを撒き散らす。


 文字通り、ギュンター・ファミリーを皆殺しにしても女王蜂は止まらない。


 アビーは、血塗れになった大振りのナイフを引っ提げた格好で唾を吐き、ギュンターの首を踏みにじる。言った。


「次だ」


「……」


 俺は静かに聖印を切る。


 アビーもフランキーもそうだが、俺もまた召喚兵を使って多くの者を殺した。


「……師匠、大丈夫か? ひでえ面してるぜ……」


「俺を死神と言ったのはお前だろう。何を思い煩う」


 所詮、血塗られた道だ。分かっていた事だ。


 やがて灼熱の太陽が沈み、凍てつく夜がやって来る。


 それでも地獄は終わらない。


 残るは『ベックマン』ただ一人。ベックマン・ファミリーは少数だが、『武闘派』で知られている。


 俺はもう疲れた。


 血を見るのも飽きた。


「ベックマンは俺がる。お前らは下がってろ」


 俺一人だけが矢面に立たない訳には行かない。


 ここザールランドの夜は『人間』の俺には厳しい。だが、夜空に輝く星は美しい。まるで地獄に咲く花のようだ。


 アビーの襲撃を予想していたのだろう。強面の大男、『ベックマン』は大勢の手下と共に、塒に近い路上で俺たちを待ち受けていた。


「……」


 巨人ジャイアントの血を引く大男『ベックマン』。花崗岩かこうがんの風貌を思わせるいかつい顔には、大きな傷痕が走っている。

 俺は小さく息を吐く。


「お前がベックマンか」


「おうおう、聞いちゃいたが、本当にガキなんだな」


「お前がベックマンかと聞いている」


「だったら、なんだってんだ。ああ?」


「動くな。そのまま聞け」


 俺は、癒しと復讐の女神『アスクラピアの子』。第一階梯の神官。神力の籠る言葉には強制力がある。


「ぐっ……!」


 ベックマンだけではない。率いる手下を含め、その場の全員が目を剥いて動きを止める。


「少しだけでいいんだ。そのままで俺の話を聞いてくれ」


◇◇


 命の木から葉が落ちる。


 一枚。また一枚。


 今はまだ熱く燃えているものが、間もなく燃え尽きる。


 骸の上を冷たい風が吹きすさぶ。


 お前の上に、母が身を屈める。


 だが、母の目はもうお前を見ない。


 全てのものは移ろい、消え去る。


 全ての者は死ぬ。喜んで死ぬ。


 その中で、母だけは永遠に留まっている。


 母の戯れる指先が、儚い虚空にお前の名を書く。


《死の言葉》


◇◇


 俺は最後の祝詞を詠み上げる。


なれ、これより、夜の住人」


 横たわるベックマンと、同じく横たわるその大勢の手下たちの前で、俺は小さく欠伸した。


 心は思い窶れる。


 もう百年も千年も眠りたい。


 後に残るは静寂のみだ。


◇◇


 全てを終え、アビーは気分が悪そうに鼻を鳴らした。


 ベックマンは安らかに死んだ。その手下も全員が安らかに死んだ。ねぐらは綺麗なまま残っている。


「食い物と金目の物は、洗いざらい持ってっちまおう」


 勝てば総取り、負ければ地獄。アビーもまたヤクザだ。是非もなし。俺は小さく頷いた。


「……」


 極寒の夜であるというのに、フランキーは大量の冷や汗を浮かべて俺を見つめている。


「どうした、フランキー。汗を拭け。何を怖がっている」


「……あ、ああ……」


 フランキーが怯えるのも無理はない。目の前にいるのは死神だ。


「まだ、俺の弟子になりたいか?」


「……」


 フランキーは完全に縮こまっている。何度も唾を飲み込み、小さく身体を震わせている。


 ――反骨の相が消えていた。


 その気概も悪い事ばかりではないだろう。だが、度を超えた恐怖は時として性質を破壊する。


「フランキー。今日は、よくやった。ご褒美だ。死にたくなったらいつでも言え。すぐ楽にしてやる」


 それだけ言い残し、俺は神官服リアサの裾を翻す。


 地獄は、もううんざりだった。


◇◇


 俺は疲れ果て、埃に塗れて家路に着く。


 アビーも酷く疲れたようだった。


「……ディ。これで、地獄に堕ちても一緒だねえ……」


「ああ……そうだな……」


 アビーは不思議そうに首を傾げた。


「……おかしいねえ。何度ぶち殺したって、殺し足りないヤツらばかりだと思ってたのに、案外すっきりしないもんだ……」


「全くだ」


 アビーは、きっぱりと言った。


「あたしは、もう殺しはやらない事にするよ。疲れちまった」


「そうしろ。もう、十分殺したからな……」


 これで全てのスラムヤクザ共が居なくなった訳じゃないが、もうアビーに逆らおうというような気概を持つ者は居ないだろう。その程度には殺した。


 パルマでの『刈り取る死』は終わった。


 別れが泣き、そこでは誰もが死に身を任せる事を学ぶ。


 右の手の平にある聖痕が、じくじくと痛んだ。見ると包帯に書き込まれた神字が消え掛かっている。


 術を使い過ぎた。殺す事で、俺の中の『蛇』がまた力を増した。


 俺が如何に容赦なく殺したか聞けば、ルシールは悲しむだろう。


「……」


 これからだ。


 殺戮という名の破壊が終わり、再生と創造が始まる。



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― 新着の感想 ―
まさかのクシャナ殿下。
[一言] 毎回の更新本当に嬉しみにしております。 お仕事大変な中ありがとうございます!
[良い点] 最新まで追いつきました 異世界転移?憑依?もので主人公が無双してハーレム状態というライトノベルのど真ん中な状況なのに全然ライトじゃない笑 更新待ちつつ他の作品を読んでみます!
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