124 地獄に咲く
アビーの怒りは激しく深刻だった。
アビーは、ブラームスとそのブラームスに囲われていた情婦二人を殺し、その首を路傍に晒しただけでは飽き足らず、アジトは即刻焼き払われた。
百人を超える死者の中、生き残ったのは僅かに八人。
その生き残り八人は口も利けないほど衰弱が激しく、子供二人に関しては、俺の力を以てしても明日を生きているという保証はなかった。
アビーは生き残りの八人を本拠地である長屋に収容した後は、その保護をルシールらに任せ、激しい怒りの勢いそのままに、続いて『ギュンター』のアジトに奇襲を掛けた。
ギュンター・ファミリーは人身売買もするが、主な収入源は麻薬売買だ。
「考えるのも面倒だ。燃しちまおう」
女王蜂アビゲイルが最も嫌うのが売春と麻薬だ。
ブラームスはその首を路傍に晒す事で人身売買の罪を贖った。次は『ギュンター』の番だった。
結果から言って、ギュンターもまた路傍に首を晒す羽目になった。
ギュンターは結構な切れ者だった。天然痘の脅威を知った後は、感染を避ける為、無事な人員と共に塒に引き籠っていたが、それが仇になった。
有無を言わさず塒に火を掛けられたギュンターは、大勢の手下と共に塒から飛び出し、激しく抵抗したが、数による乱戦になれば、神官である俺の優位は揺るがない。
ほぼ無限に湧き出す召喚兵との戦闘の最中、劣勢を悟ったギュンターは、降伏という名の手打ちを申し出たが、アビーは即座に拒絶した。
「そのまま死ね」
というのがアビーの返答だ。
自らも戦い、手を汚しながらアビーは言った。
「……本当なら、あんたの力はこんな事に使うべきじゃない。でも、そうも言ってられない……」
そうだ。最早、賽は投げられたのだ。戦いの火蓋が切られた以上、今は助けるより殺す方に尽力せねばならない。
アビーは何度も俺に謝った。
「……ごめんよ。本当に、ごめんよ……あたしが弱いばっかりに、あんたには無理ばかりさせちまう……」
アビーは、何度も何度も俺に謝った。
「………ごめんよぅ、ディ。だからさぁ……そんな顔をしないでおくれよぅ……」
「……」
俺は、そんなに酷い顔をしているのだろうか。
分からない。
ギュンターとの戦闘ではフランキーも奮闘した。俺の術による治癒があったとはいえ、幾度も致命傷に近い深手を負いながら、心折れる事なく戦い続けた。
このフランキーも、アビーと同じ十五歳だ。
俺は罪深さに思い窶れる。
死と罪によって舗装された地獄の道は続く。業病の嵐が吹き荒れるパルマに『刈り取る死』が訪れる。
生け贄の叫びと火炙りの死。
その担い手は、女王蜂アビゲイル。
「ディ、あんたは術を使う事だけ考えな」
「……ああ、そうする……」
聖闘士の振るう錫杖が無慈悲にスラムヤクザ共の頭を打ち砕き、剣闘士の剣が容赦なく血飛沫を撒き散らす。
文字通り、ギュンター・ファミリーを皆殺しにしても女王蜂は止まらない。
アビーは、血塗れになった大振りのナイフを引っ提げた格好で唾を吐き、ギュンターの首を踏み躙る。言った。
「次だ」
「……」
俺は静かに聖印を切る。
アビーもフランキーもそうだが、俺もまた召喚兵を使って多くの者を殺した。
「……師匠、大丈夫か? ひでえ面してるぜ……」
「俺を死神と言ったのはお前だろう。何を思い煩う」
所詮、血塗られた道だ。分かっていた事だ。
やがて灼熱の太陽が沈み、凍てつく夜がやって来る。
それでも地獄は終わらない。
残るは『ベックマン』ただ一人。ベックマン・ファミリーは少数だが、『武闘派』で知られている。
俺はもう疲れた。
血を見るのも飽きた。
「ベックマンは俺が殺る。お前らは下がってろ」
俺一人だけが矢面に立たない訳には行かない。
ここザールランドの夜は『人間』の俺には厳しい。だが、夜空に輝く星は美しい。まるで地獄に咲く花のようだ。
アビーの襲撃を予想していたのだろう。強面の大男、『ベックマン』は大勢の手下と共に、塒に近い路上で俺たちを待ち受けていた。
「……」
巨人の血を引く大男『ベックマン』。花崗岩の風貌を思わせる厳つい顔には、大きな傷痕が走っている。
俺は小さく息を吐く。
「お前がベックマンか」
「おうおう、聞いちゃいたが、本当にガキなんだな」
「お前がベックマンかと聞いている」
「だったら、なんだってんだ。ああ?」
「動くな。そのまま聞け」
俺は、癒しと復讐の女神『アスクラピアの子』。第一階梯の神官。神力の籠る言葉には強制力がある。
「ぐっ……!」
ベックマンだけではない。率いる手下を含め、その場の全員が目を剥いて動きを止める。
「少しだけでいいんだ。そのままで俺の話を聞いてくれ」
◇◇
命の木から葉が落ちる。
一枚。また一枚。
今はまだ熱く燃えているものが、間もなく燃え尽きる。
骸の上を冷たい風が吹きすさぶ。
お前の上に、母が身を屈める。
だが、母の目はもうお前を見ない。
全てのものは移ろい、消え去る。
全ての者は死ぬ。喜んで死ぬ。
その中で、母だけは永遠に留まっている。
母の戯れる指先が、儚い虚空にお前の名を書く。
《死の言葉》
◇◇
俺は最後の祝詞を詠み上げる。
「汝、これより、夜の住人」
横たわるベックマンと、同じく横たわるその大勢の手下たちの前で、俺は小さく欠伸した。
心は思い窶れる。
もう百年も千年も眠りたい。
後に残るは静寂のみだ。
◇◇
全てを終え、アビーは気分が悪そうに鼻を鳴らした。
ベックマンは安らかに死んだ。その手下も全員が安らかに死んだ。塒は綺麗なまま残っている。
「食い物と金目の物は、洗いざらい持ってっちまおう」
勝てば総取り、負ければ地獄。アビーもまたヤクザだ。是非もなし。俺は小さく頷いた。
「……」
極寒の夜であるというのに、フランキーは大量の冷や汗を浮かべて俺を見つめている。
「どうした、フランキー。汗を拭け。何を怖がっている」
「……あ、ああ……」
フランキーが怯えるのも無理はない。目の前にいるのは死神だ。
「まだ、俺の弟子になりたいか?」
「……」
フランキーは完全に縮こまっている。何度も唾を飲み込み、小さく身体を震わせている。
――反骨の相が消えていた。
その気概も悪い事ばかりではないだろう。だが、度を超えた恐怖は時として性質を破壊する。
「フランキー。今日は、よくやった。ご褒美だ。死にたくなったらいつでも言え。すぐ楽にしてやる」
それだけ言い残し、俺は神官服の裾を翻す。
地獄は、もううんざりだった。
◇◇
俺は疲れ果て、埃に塗れて家路に着く。
アビーも酷く疲れたようだった。
「……ディ。これで、地獄に堕ちても一緒だねえ……」
「ああ……そうだな……」
アビーは不思議そうに首を傾げた。
「……おかしいねえ。何度ぶち殺したって、殺し足りないヤツらばかりだと思ってたのに、案外すっきりしないもんだ……」
「全くだ」
アビーは、きっぱりと言った。
「あたしは、もう殺しはやらない事にするよ。疲れちまった」
「そうしろ。もう、十分殺したからな……」
これで全てのスラムヤクザ共が居なくなった訳じゃないが、もうアビーに逆らおうというような気概を持つ者は居ないだろう。その程度には殺した。
パルマでの『刈り取る死』は終わった。
別れが泣き、そこでは誰もが死に身を任せる事を学ぶ。
右の手の平にある聖痕が、じくじくと痛んだ。見ると包帯に書き込まれた神字が消え掛かっている。
術を使い過ぎた。殺す事で、俺の中の『蛇』がまた力を増した。
俺が如何に容赦なく殺したか聞けば、ルシールは悲しむだろう。
「……」
これからだ。
殺戮という名の破壊が終わり、再生と創造が始まる。