123 地獄3
さて、勢い込んでブラームス・ファミリーのアジトに駆け込んで行ったフランキーだが、ほんの二、三分後には飛び出して来て、地べたに手を着き、盛大に嘔吐した。
俺は小さく頷いた。
「やはりか……」
現在、ブラームス・ファミリーは喧嘩できるような状態にない。
「……」
アビーも馬鹿ではない。額から大汗を流し、緊張した表情で何度も唇を舐めた。
「アビー……では、俺たちも乗り込むぞ」
「あ、ああ……」
俺は四つん這いの格好で嘔吐し続けるフランキーの尻を蹴飛ばした。
「食い物が勿体ない。余裕がある訳じゃないんだ。それを吐くヤツがあるか」
汚れた口元を、ぐいっと袖で拭ったフランキーは、涙目で俺を見上げた。
「うう……し、師匠。あんたは落ち着いてんだな……分かってたのか……?」
俺は答えず、鼻を鳴らして嘲笑った。
◇◇
ブラームス・ファミリーのアジトの中は地獄絵図だった。
殆どの人員が天然痘に罹患しており、建物の至るところに転がっている。剣闘士を使って探らせたが、中に残っていたのは二十八人。数が随分足りないが、その他の人員は動ける内に逃げたのだろう。
予想通りだが、ここまで予想通りだと面白くない。
俺は鼻を鳴らした。
「ゴミはどうでもいい。奴隷が見当たらん。何処だ」
剣闘士の目を使ってアジト内を探るが、居るべきはずの奴隷たちが見当たらない。
「……」
腰の後ろに手を組み、目を閉じた俺は、剣闘士たちの目を使って更にアジト内を探索する。
俺は神官だ。ロビンのような『軍人』じゃない。部隊を率いる為のスキルや思考は持ってない。
頭の中では、分割された剣闘士たちの視界が浮かぶ。俺が処理できる情報量を超えている。
「……ディ?」
「……」
膨大な情報量で頭が割れるように痛む。ロビンが居ない事が痛切に悔やまれた。
酷い頭痛に耐えながら、剣闘士たちを使ってブラームスファミリーのアジトの分析を続ける。
「……三階建ての構造……待て、地下室もある……何人か生きているヤツも居るな……天然痘で死にかけてる……うん? 三階の奥まった場所に開かない扉がある……」
おそらくだが、地下室で奴隷を管理しているのだろう。そして三階の奥まった場所にある開かずの扉が『ブラームス』の居場所だと思うべきだろう。
ここで俺は酷い頭痛に耐え切れず、剣闘士たちの行動を自動操縦に切り替えた。
「上にはゴミ以外に居ないな……もう考えるのも面倒だ……」
三階にある『開かずの間』を除き、他の者は生死に関わらず止めを刺すように指示を設定した俺は、呪詛の呻きを吐き出した。
「……くそッ!」
自動操作に切り替えた事で酷い頭痛からは解放されたが、百体を超える召喚兵の指揮は俺には無理だ。数を絞る必要がある。
「……」
剣闘士たちが容赦なくブラームスファミリーの生き残りに止めを刺して回る最中も考える。
「……アビー、剣闘士を十体貸してやる。それで地下室の様子を探ってくれ……」
「ん……」
剣闘士十体の指揮権を分けると、アビーは途端に顔をしかめた。
「あぁ、こりゃ……なるほど……あんたが不機嫌な訳だ……」
今、アビーの頭の中では剣闘士たちの分割された視界が映っている事だろう。普通の人間に処理できる情報量じゃない。
「……目に見える場所で使え。その方が楽だ……」
「ん……」
当たり前だが、『指揮官』には才覚が要求される。アビーは少し苦労したものの、ややあって十体の剣闘士たちを己の制御下に置いた。
「あぁ、はいはい……なるほどね。便利だけど、こいつは……」
片目を閉じたアビーは、俺と同じように頭痛に悩まされているようだが、見えない位置の剣闘士たちをなんとか制御している。
「む……」
どうやら、『指揮官』としての才覚は、俺よりアビーの方が随分と上だ。
少し考え……
ここで、俺は二手に別れる事を提案した。
「アビー。お前は地下の生き残りを助けてやってくれ」
「……いや、駄目だね……」
アビーは、一瞬、酷く物言いたげな顔で俺を見て、次の瞬間には物思いを振り払うように首を振った。
「フランキー。あんたはディに近付くんじゃない。離れな!」
「お、おう……」
多数の召喚兵を指揮する間、俺は無防備になる。フランキーがその気になれば、容易に俺を殺せる。アビーの懸念はそこにある。
アビーは厳しく言った。
「ディ。ブラームス・ファミリーはもう終わってる。こんな数は必要ない。数を絞りな! なんもかも順番だ。一つずつ片付ける。あんたもあたしに付いて来るんだ!」
「……分かった」
『指揮官』としての才覚は、アビーの方が上だ。そのアビーの指示に従って、俺はここで剣闘士の大半を消した。
術者を守る俺の護衛として十体。こいつらは自動操縦だ。俺を守る以外の行動はしない。残りの十体はアビーの視界内で完全な制御下に置き、地下室を探る。
アビーが怒鳴った。
「フランキー、あんたが先頭だ。行きな!!」
「あ、ああ……分かってるって……」
俺もアビーも、このフランキーに剣闘士たちを指揮させる程の馬鹿じゃない。
アビーは静かに言った。
「……ディ、無茶すんじゃない。ここからは、あたしが仕切る。あんたは、あたしの言う事だけ聞いてりゃいい……」
「……」
そして、フランキーを先頭に向かった『地下室』で――
地下室の扉を開け放った瞬間、フランキーはまたしても派手に嘔吐した。
ハイエナ種のフランキーは、犬人に負けず劣らず鼻が利く。地下室から噴き出した死臭を堪え切れず、その場で激しく嘔吐した。
「うっ……!」
その酷い死臭に、俺とアビーも口元を覆って引き下がる。
『地下室』は、ただの地獄だった。
腐臭の漂う牢内に転がる死体には蛆が湧き、大量発生した蝿が多過ぎて全体を視認する事は出来ない。
アビーが叫んだ。
「もういい! フランキー、扉を閉めな!!」
どうやら、アビーはこの地獄を俺に見せたくないようだ。だが……
「待て。待ってくれ、アビー……」
俺は行かねばならない。
『癒す手』を持つ俺だけは、この地獄を確認せねばならない。
「頼む……」
「見なくても分かんだろう! 生きてるヤツなんざ居ない!!」
分かっている。だが、俺は憐れに思うのだ。この状況を招いた理由の一端である己を罪深く思うのだ。
ジナを助けただけでは足りない。
フランキーは、殺してばかりいる俺を『死神』のようだと言った。返す言葉もない。
「頼む、アビー……頼むから……」
「~~~~!」
俺の懇願にも似た要請にアビーは激しく苛立ち、声もなく床を踏み鳴らした。
「クソがッ!!」
天然痘の脅威に晒されたブラームスは、牢内の奴隷たちを閉じ込めたまま、非道にも無視した。それがこの地獄の発生事由だ。
アビーの怒りは激しく、深刻だった。
「ブラームス、ブラームス、ブラームス……! あのクソ野郎!!」
女王蜂アビゲイルはケチ臭く利己的だが、行き場のないガキ共には迷わず手を差し伸べる。牢内に転がる死体には大人のものも散見されるが、その殆どが子供だ。それがアビーの逆鱗に触れた。
アビーは叫んだ。
「ディ! あんたは、ここで出来る事をしな!」
そして――
「ブラームス! あのクソ野郎だけは殺す!!」
我が女王蜂陛下は激情家だ。本気で怒ると、俺でも手に負えない激しい側面がある。
アビーはフランキーの存在すら忘れ、踵を返して上階に向かった。
おそらくは三階にある『開かずの間』に向かう。そして、生きているだろうブラームスを殺す。家族が居れば、その家族も殺すだろう。
俺の信仰する神は、復讐と自己犠牲を好む残酷な神だが、その反面で強い癒しの力を持つ慈悲深い神だ。
「おお、神よ……」
この俺の中で、しみったれた女が叫ぶのだ。
何の為にダンジョンの深層に潜り、力を身に付けたのだ?
この為だ!
「消えろ! この悪魔の子らめが!!」
俺の『雷鳴』により、蝿や蛆虫の類いが死滅して、ぶんぶんと耳に煩い羽音が止まる。
「おお、母よ。赦したまえ。癒したまえ。この手に力を与えたまえ。この手に救いの力を与えたまえ……」
俺は、のろのろと地獄の中を歩み出した。
◇◇
汝、地獄の中に踏み入ろうと欲するか!
では、有限の中をあらゆる方面に行け!
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
あらゆる暴力に逆らって自己を守り、決して屈する事なく、力強く振る舞えば……
我ら『アスクラピアの子』は、神の力を引き寄せる。
この日、ブラームス・ファミリーの頭目『ブラームス』は、女王蜂の手によって二人の情婦と共に路傍に生首を晒す羽目になり、そのアジトは焼き払われた。
この地獄で生き残ったのは……
がりがりに痩せ細った幼い少年が三人と、娼婦の女が二人。そして労働奴隷の男たちが五人。
死者の総数は百人を超えた。




