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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
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119 危ない橋

「お、オレ、死ぬ、のか……?」


 呆然とするフランキーに、俺は聖印を切って見せる。


「自らのした事を省みろ。長生きできるとでも思っていたのか? 冗談も休み休み言え」


「……」


 俺の言葉に、フランキーの瞳の中の憎悪は消え去った。


 仲間を全員殺してでも『生』に執着した。致命傷を受けながら、あの下水道じごくで動かず、万が一の救助に賭け、そのあまりに分が悪いギャンブルにも勝利した。自分だけは違うと思っていたのだろう。特別だと自惚れていたのだろう。だが、そんな事はない。高位神官の言葉には、そう知らしめるだけの力がある。


 俺は、フランキーが安心できるように言った。


「最悪なお前は、地獄でも心地よくやって行けるだろう」


「……っ!」


 そこでフランキーは、もぎ取るように視線を切り、親指の爪を強く噛んで深く考え始めた。


「ふむ……」


 今はアビーの椅子になり、その人生では最悪の瞬間を迎えているフランキーだが、頭だけは悪くない。面白い答えに期待したいものだ。


◇◇


 俺はその場に腰を下ろし、昨夜あった出来事をアビーに報告した。


「……そうか。ジナは生きてたのか……」


 ジナ生存の知らせを受けたアビーは、驚くでもなく、怒り狂うでもなく、ただ疲れたように顔を拭った。


「……アダ婆と同じ病気なんだろう……?」


 そして、このアビーもただ者ではない。自らもまた因果から逃れられぬ事を知っている。


「テンネントウ、だっけ? あんたの手紙を見て、あたしは凄く嫌な予感がしたんだ」


「そうか。改めて殺すか?」


 アビーは深く溜め息を吐き出した。


「いや……ディ。あんたに任せるよ」


 近付きたくない。それがアビーの『直感』が出した答えだ。

 俺は頷いた。


「そうしろ。この一件が終わり次第、聖エルナ教会に送って下女として働かせる」


「ああ、そうしておくれ……」


「……」


 長い沈黙があった。

 犯した罪から生じた因果からは、誰も逃れられない。アビーもまた、深く考え込む様子だった。


 続けて、俺は『ワクチン』についての説明を行った。


「わくちん?」


 天然痘は独特の症状から生じる経過がある。一度罹患して治癒してしまうと免疫抗体が出来、二度と罹患する事がなくなる。


「メンエキコウタイ?」


 話の間、アビーは、ずっと口をへの字に曲げていたが、概ね理解したようだ。


「えっと……あんたの言う『わくちん』はよく分かんないけど、あのヤバい病気に罹ったヤツは、もう二度とあの病気に罹る事はないってのは分かった……」


 『ワクチン』の説明に関しては非常な困難を伴ったが、それでもアビーは理解した。


「ああ、つまりあんたは、わざと弱い『テンネントウ』の素を作って、それに罹る事で『メンエキコウタイ』とやらを作りたい訳だ」


「ああ……その認識で合ってる」


 天然痘については調べている俺だが、俺は元居た世界では医者でもなければ研究学者でもない。ワクチン製造に関しては、どうしても手探りの部分がある。


「わくちんねえ……」


 アビーは狐目を細め、胡散臭そうに俺を見つめている。


「……」


 周囲の面々も同じだ。俺に詐欺師を見るような険しい視線を向けている。


 俺は、じくじくと痛み出した右手を擦りながら、スイに頼んで鞄から十個の小瓶を出してもらい、それを床に並べた。


「ディ、その右手はどうしたんだい」


「俺にも色々ある。今は見逃せ」


 ジナから『逆印』を消した事は説明した俺だが、その代償については説明していない。

 アビーは険しい表情で俺の『右手』を見つめている。


「……」


 さて、問題のワクチンだ。

 俺は学者ではない。実際のワクチンの製造には、幾つかの方法があり、それを完璧に理解している訳ではない。


 目の前に並んだ十個の小瓶には、それぞれ番号が振ってあり、横一列に並んでいる。


「……ここにあるのが、取り急ぎ作ったワクチンな訳だが……」


 正確には『ワクチンもどき』だ。それだけに、想像した効果を発揮するかは疑わしいものがある。


 アビーは眉間に皺を寄せ、嫌悪感剥き出しの表情になった。


「……つまり、あんたはテンネントウの素を作った訳だ……」


 その言葉に周囲は怯み、椅子をやっているフランキーなどは身動ぎして逃げ出そうとしたが、それはアビーがケツを引っぱたく事で押し留めた。

 俺は小さく息を吐く。


「……この中のどれかが『ワクチン』だ。だが、俺にはどれが一番優れた効果を発揮するか分からん。アビー。お前に選んで欲しい……」


「……」


 アビーは、睨むようにして床に並べた十個の小瓶を見つめている。


「……そういう訳分かんない事は、全部あんたにやって欲しい所だけどね……」


「それが出来るなら、もうやっている。お前の『直感』が頼りだ」


「……」


 アビーは深い溜め息を吐き、天を仰いで嘆息した。


「……あたしは、あんたの親分だ。そう言われちゃ、逃げる訳には行かないねえ……」


 アビーはフランキーに腰掛けたまま、顎に手を当てた格好で十個の『ワクチン』を凝視した。


「……………………」


 ややあって、言った。


「右の二つは駄目。なんか分かんないけど、嫌な予感がする……」


 希釈割合が薄く、毒性の強い一番と二番の瓶を取り除く。

 残りのワクチンは八個。

 アビーは難しい表情で呟いた。


「……左の三つは弱い……」


 血印聖水を使って、極力毒性を弱めたものだ。完全に浄化されており、ワクチンとしての効果は期待できないという事だろう。


 これで八、九、十番のワクチンが消えた。残りは五本。


「……」


 アビーは残った五個の小瓶を見つめていたが、暫くして首を振った。


「……駄目だ。これ以上は分からない……」


「充分だ」


 ワクチンの小瓶は、毒性の弱い順に並べていた。ならば答えは出たも同然。

 俺は五番の小瓶を手に取った。


「こいつを採用する」


「……」


 アビーは、俺が手に取った五番のワクチンを難しい表情で見つめていたが、暫くして首を縦に振った。


「……いいだろ。んで、次はどうすんだい?」


 残った五本の小瓶には『ワクチン』としての効果が期待できる。

 俺は言った。


「一番毒性の強い三番ワクチンは、フランキーに投与して様子を見よう」


「……んなっ!」


 一番危ない橋を渡るフランキーは悲鳴を上げ、アビーは腹を抱えてゲラゲラ笑った。

 だが、俺も例外じゃない。


「五番ワクチンは俺が使う」


 俺のその言葉に、周囲は静まり返った。


 三番ワクチン程ではないが、五番ワクチンもそれなりに毒性の強いものだ。天然痘が発症し、重症化すれば俺も危ない。

 俺は続けて言った。


「で、アビー。お前はどうする?」


「え?」


「じゃない。お前もワクチンを射つんだよ」


 俺たちには時間がない。ここに引き籠って、ワクチンの効果が出るまでのんびりしているような暇はない。


 スラムヤクザを皆殺しにする。


 ワクチンは完成させる。


 全て同時進行だ。そして、アビーが俺の『親分』である以上、危ない橋は一緒に渡ってもらう。

 一蓮托生のルシールもそうだ。

 あいつには、俺と同じ五番ワクチンを接種してもらう。


「……」


 アビーは、ぼんやりとして俺を見つめていたが、暫くして頷いた。


「じゃあ、あたしも五番で」


 これも『直感』だろうか。アビーは、俺と一蓮托生になる事を迷いなく選んだ。


「……一応言っておくが、死ぬ危険もあるぞ……」


 アビーは、まだガキだが『ヤクザ』だ。いざとなったら腹が据わる。鼻を鳴らして笑った。


「どれを選んでも危ない橋なら、あんたと同じ橋を渡るさ。当然だろう」


「そうか……」


 五番ワクチンが足りない。ルシールには他のワクチンを接種してもらう事になる。


 俺と一蓮托生なのはルシールじゃない。


 女王蜂アビーだ。


 それを言外に突き付けられたような気がして、俺は複雑な気持ちになった。


「……」


 俺は暫く考える。

 他の者は実験結果を待ち、更に安全性の高いワクチンの接種を待つ事が出来るが、そのワクチン製造を行うルシールは一番天然痘に罹患する可能性が高く、ルシールだけは先にワクチンを接種しておく必要がある。


 六番ワクチンはルシールに接種してもらう事になる。


 俺は内心で小さく舌打ちした。

 同行するゾイの事もそうだが、ここまでで思惑通りに事が運んだ事が一度もない。

 忌々しい限りだ。


「他にワクチン接種の希望者は居るか?」


「……」


 皆、黙って俯く。

 試しにエヴァに視線を送ってみたが、エヴァは頑なに俯いて俺と視線を合わせない。

 根性のないヤツだ。


「じゃあ、仕方ないな。よし。まずはフランキーだ。フランキーを押さえ付けろ」


 フランキーは悲鳴を上げた。


「やっ、やめろっ! やめてくれっ! オレに妙な事をするんじゃねえ!!」


 俺は静かに聖印を切る。


「案ずるな。沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ」


 おっと。こいつは死んで行くヤツに使った言葉だった。


 まぁ、いい。


 俺は嗤った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 笑えない冗談すき
[一言] 残った瓶の中では毒性強い方とはいえそこら中にある本家本元の毒性よりかは万倍マシやな
[良い点] やっぱ直感スキルってチートだわw [一言] フランキー生かしてて良かったね(外道)
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