表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
119/309

112 女王蜂、再び

 アビーたちが居住用として利用している長屋は、他の長屋と違って周囲に壁を張り巡らせてある特別製だ。


 スラムヤクザ共の襲撃も想定していたのだろう。その為、防御力は高い。


 現状、どういう理由からスラムヤクザに襲撃を受けたかは分からないが、奴等の襲撃など、今の俺には取るに足らん。


 目の前で木製の扉が開き、顔を出したのはエヴァとスイだ。二人とも酷く憔悴している。


「すまん、エヴァ。遅れた」


「……いや」


 エヴァは、先ず、変わった俺の容貌に目を見張り、続いて、辺りに転がるスラムヤクザ共の死体を見て、ごくりと息を飲み込んだ。


「これは……あんたが……?」


「ああ、少し休んでもらっている」


 もう二度と起きる事はないだろうが。


「そ、そうかい……」


 自分で言うのもなんだが、俺の冗談はつまらない。エヴァは、にこりともしなかった。


「余計なお世話だったか?」


「いや……クソ野郎共さ。あたしらも手を焼いてたとこだったから、助かったよ……」


 俺が小さく頷いて見せると、エヴァも同じように小さく頷いて見せ、それから俺の背後に立つ修道女シスタたちを見て、眉間に険しい皺を寄せた。


「……そいつらは?」


「今回、俺一人では間に合わんと判断した。聖エルナ教会から連れて来た援護の人員だ。物資も持って来た」


 それでもエヴァは、警戒するようにルシールらを見つめていたが、グレタとカレンが持っている大量の援護物資には目を輝かせた。


「く、食いもんを持って来てくれたのかい?」


「ああ」


「そりゃ助かるよ!」


 そこで漸くエヴァは警戒を解き、物資を受け取った後は、先ず俺にだけ長屋の中に入るように促した。


 俺は予め召喚してあった六体の聖闘士セイントに加え、更に六体の剣闘士グラディエーターを召喚して、それら全ての指揮権をゾイに委ね、長屋の警護に当たるように命じ、それから長屋の中に入った。


「……」


 ゾイは目を細め、エヴァと睨み合っていたが、口に出しては何も言わなかった。


 これは良くない火種の一つだが、今はアビーとの面会が先だ。


 長屋の敷地内に入るなり、スイに抱き着かれた。


「ディ……ディ……! もぅ、やだぁ……!」


「スイ、良かった。無事でなによりだ……」


 そのスイを抱き寄せながら、俺は胸を撫で下ろした。


 このスイには、一ヶ月も面倒を看てもらったのだ。心配でなかった訳がない。


「……アビーは? あいつは無事か……?」


 恐る恐る言う俺に、エヴァは難しい表情で頷いた。


「ああ、あんたの手紙を見てからは物凄く気を張ってる。あれから寝てないんだ。皆に、外に出るなって命令してからは、ずっと長屋の奥に居るよ……」


 エヴァの説明では、この三日間というもの、アビーは長屋の奥に閉じ籠り、そこから指示を出すだけで外には一切出て来ないらしい。

 エヴァは力なく言った。


「今のあたしらには、ビーの『直感』だけが頼りさ。絶対に外に出るなって……外はどうなってる?」


「……地獄だ。アビーの判断は正しい……」


 しかし……『直感』か。

 アビーは己の直感に並みならぬ自信を持っているようだったが、ここまでのものだとは思わなかった。おそらくだが、これが『スキル』というやつだろう。


「……でも、もう限界だった。食い物もなんもかもなくなって……ヤクザ共は調子に乗ってカチ込んで来るし……それでもビーは、外には絶対に出るな、ディを待てって……」


「うん……すまん。先ずはガキ共に食わせてやってくれ」


「……」


 そこでエヴァは目尻を下げ、項垂れた。


「……八人やられた……」


「そうか……」


 厳戒体制を敷き籠城を選んだアビーだったが、それでも八人が天然痘に感染した。


「そいつらはどうした?」


「……隣の長屋に押し込んだ。それが、三日前の話さ……」


「……」


 やむを得ない事とはいえ、中は地獄絵図だろう。このエヴァにも、その連中が生きているか、死んでいるかは分からない。俺は答える事はせず、黙って首を振った。


「ビーは、今夜にでもしちまえって……」


 俺が言った事だ。その判断も合ってる。だが……


「待て。俺が来た。アビーと話したい」


「ああ、そうしておくれな……」


 排他的だが、仲間意識の強いエヴァにとって、幾ら正しいとはいえ、仲間ごと燃やせというアビーの苛烈な判断は堪えたようだ。殆ど泣きそうな顔で頷いた。


 俺に抱き着いて離れないスイの肩を抱いたまま、エヴァの先導で進んだ先は、元々俺が居室として使っていた部屋だ。壁が厚く、外からはアビーが持っている鍵以外では開けられない。つまり……


「……」


 俺は僅かに怯んだ。

 アビーは、最悪、仲間全員を見捨てて、この堅牢に固めた一室で俺を待つつもりでいた。

 とても正気とは思えない。

 半ばリーダーとしての責任を放棄していると言っても過言ではない行動だ。


 俺は指を鳴らして、エヴァとスイの二人を祝福した。


「……二人とも、酷い顔色だ。メシでも食って来い……」


 エヴァとスイは、祝福による回復効果で安堵したかのような溜め息を吐き、小さく頷いた。


「……もう、あんただけが頼りさ。行くよ、スイ。ディの邪魔はするんじゃない……」


「……」


 スイが別れを惜しむように離れ、エヴァと連れ立って去った。

 部屋の前には俺一人だけになり……


「……アビー、俺だ。ディだ。開けてくれ……」


 分厚い扉をノックすると、部屋の奥から微かな物音がして、こちらにやって来る人の気配があった。そして――


◇◇


 キィ、と軋んだ音と共に僅かに扉が開いた。


「……」


 僅かに開いた扉の向こうに、目の下にびっしりと紫の隈を張り付けたアビーが立っていて、俺の顔を見るなり、ぐっと手首を掴んで部屋の中に引っ張り込んだ。


 部屋の中に突き飛ばすようにして俺を引き込み、アビーは後ろ手に扉に鍵を掛けた。


「……」


 アビーは何も喋らない。

 ぎょろぎょろと忙しなく狐目をさ迷わせ、俺を見付けた所で焦点が定まる。言った。


「……少し、変わったねえ……」


「……」


 俺は黙って頷いた。


「……銀の髪に……夜の目……ふぅん……」


 アビーは俺を壁に押し付け、じっと瞳の中を覗き込んで来る。

 言った。


「あんたは、あたしのもんだ。そうだろう?」


「……あぁ」


 今のアビーを刺激したくない。俺は用心深く言って、頷いた。


「……なら、いいんだ……」


 アビーは瞬き一つせず、じっと俺を見つめている。


「まさかとは思うけど、手ぶらで帰って来たなんて言わないよねえ?」


「……勿論だ。食料に薬、金も持って来た……」


「まあ当然だね……ヤクザ共は?」


「殺した」


 俺の言葉に、アビーは口元を歪めて不吉に嗤った。


「そうそう。それでいいんだ。流石、No.2だ。あんたは――」


 そこまで言って、アビーは強く俺の腰を引き寄せ――唇を合わせた。


「…………」


 長い口付けが続く。

 舌で確かめるように俺の口腔内を蹂躙している間も、アビーは瞬き一つしなかった。


「……」


 離れると、銀の雫が糸を引く。


 アビーは微笑み、唇をぺろりと舐め上げた。


「おかえり。ディートハルト・ベッカー」


「あぁ、ただいま。アビー」


 そして――


 アビーは、神官服リアサの襟章を引き千切った。


「こいつは、いらないねえ」


 神官が襟章を取る行為は、野に下る事を意味している。


 この瞬間、寺院の所属である第三階梯の神官『ディートハルト・ベッカー』は居なくなった。

 神父ごっこは終わった。

 もう、聖エルナ教会には戻れない。


「……」


 アビーは半ば狂気の滲む瞳で俺を見つめ、また長い口付けを交わす。

 囁くように言った。



「愛してるよ」


「あぁ……」



 俺は短く息を吐く。


 女王蜂の執着は、俺の思惑を遥かに超えている。もう戻れない。


 だが、いつの日か……


 俺は、執着心に満ちた女王蜂のこの歪んだ愛を捨てて、アスクラピアの導くまま、行くのだろう。


 俺が死ぬ時は、この女王蜂の一刺しに違いない。


 そんな風に、考えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] アビーちゃんの病みは加速してるなぁ これ聖女殺しに出掛けるのがまず大変そう 教会はそもそも信仰対象の母からいらねえって言われてる以上ガチ聖人のディが所属する意味ないしな これから無くなるんだ…
[気になる点] リアサ破ったらブチギレそうだと思ったが…… 教会に所属するかは興味なくてもお気に入りの服だし
[良い点] ヤンデレが進化している(o゜Д゜ノ)ノ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ