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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
117/309

110 拾い物

 アクアディの街の用水路に入り、『溜め息橋』の下から河を渡る。


 向こう岸までは二、三十mという所だが……その河に掛かった『橋』が酷い。

 橋といっても、スラムの子供たちお手製のものだ。何枚もの板を重ねて作ったお粗末な代物で、半ば水没している。


「……本当に渡れるのか?」


 決して口に出すような事はしないが、ゾイの場合、小柄だが全身筋肉質で見た目よりかなり重い。グレタやカレンはほぼ成人しているような体格であるし、それはルシールに至っても同様だ。

 ゾイからは、不安極まりない返事があった。


「……多分……」


「誰か落ちそうだな……」


 このお手製の『橋』自体がお粗末なせいもあるが、非常に不安定だ。一人ずつ渡るしかない。

 仮に落ちたとしても、河自体はそんなに深くないし、流れもそんなに早くない。物資は駄目になるかもしれないが、流されるような事はないだろう。

 俺以外は……

 そう。人間の子供である俺が一番危ない。小柄で軽く、しかも非力だ。もし、河に落ちれば確実に流される。


「……」


 その場合、橋の上にいるザールランド騎士団に救助を求める事になる。言うまでもないが、物凄く見苦しい。

 俺は少し考えて……


「……この橋は駄目だな……」


 『橋』の使用を諦めた。代わりに六体の聖闘士を召喚して、そいつらに肩車してもらう格好で河を渡る事を提案した。

 この方法なら足は濡れてしまうものの、背負った物資は無事であるし、何より確実だ。

 今にも壊れそうな『橋』を渡る事にはルシールらも抵抗があったらしく、俺が聖闘士の利用による方法を提案した時は、あからさまにホッとした顔をしていた。

 問題なく、全員が河を渡った所で『溜め息橋』の真下にあるデカい排水口へ。この排水口から『下水道』に入り、そこを上がった先が目的地であるパルマだ。


 六体の聖闘士は消さず、ゾイの指揮の下、『下水道』を先行させる。

 複雑な気分だが、ダンジョンでの経験が役に立った。『下水道』は暗く、不潔なだけでなく危険だ。しかも迷路のように入り組んでいる。


「ゾイ、どうだ。やれるか?」


 聖闘士の指揮権を委譲されたゾイは、目を瞬かせて、暫く召喚兵たちを使って色々と試していた。


「いいね。これ、すごい」


「ああ、何体でも喚べる。好きなように使ってくれ。なんなら潰しても構わない」


「分かったあ」


 そこで、ゾイの雰囲気が弛緩したように感じた。

 使い潰せる召喚兵は、攻撃だけでなく壁にもなる。先行させれば未知の脅威も減るだろう。それがゾイの緊張を緩和させたのだ。


「んじゃ、行こっか」


 眉間に寄った皺が消え、にっこり笑う。スラム育ちのゾイをして、『下水道』は危険な場所なのだ。


 聖闘士たちを先頭に、ゾイの先導で下水道を進む。

 耳を打つのは汚水の流れ。進むに連れて辺りが闇に染まり、『人間』の俺には視界が覚束なくなった。

 俺は幾つかの補助術を発動させて視界を確保すると共に、五感を強化して不測の事態に備える。

 ゾイは感心したように何度も言った。


「すごい。これが……ディなんだ……」


 念の為、物理防御の術も重ねる。

 更に奥に進むに従って、下水道は幅広くなり、中央に流れる汚水を挟んで、左右の細い道を行く。

 俺は用心深く言った。


「……ゾイ。魔物はいるのか……?」


「いっぱい、いるよお」


 そう言って、ゾイは足元に這っていたデカいゴキブリのような虫を踏み潰した。


 『昆虫』系の魔物……

 『震える死者』とは違う。出現する魔物には、恐らくアンデッドもいるだろうが、ここでは随分勝手が違う。補助を除いて、俺の術はあまり頼りにならない。使い潰しが利く召喚兵とゾイの戦闘力が主戦力になる。


 ゾイの話では、歩いて一時間程で出口に付くそうだ。大した距離ではないが、『砂鰐』が出現した場合は回り道した方がいいとの事だ。


「……砂鰐サンド・アリゲーター……」


 この『下水道』で最も厄介な魔物がその砂鰐のようだ。汚水の中に引き摺り込まれたら助からないとも。


「……しんどいな」


 汚水の流れる排水路を挟んで二つの細い道。戦闘可能な空間の限られたこの場所では、アレックスやアネットのようなA級冒険者でも苦戦するだろう。しかし……


「堪らん匂いだ……」


 既にパルマ地区に入った。防疫も兼ね、マスク代わりに口元に布を巻き付けて進む。


 途中、中型犬程もデカい溝鼠どぶねずみの集団と戦闘になったが、それはゾイと聖闘士が問題なく蹴散らした。

 魔素の存在は感じない。

 『魔物』ではなく、この『下水道』という環境で異常発育しただけのただの溝鼠だ。この溝鼠たちは集団で動き、相手が人間でも平気で襲い掛かって来る。


 子供が生きていくには、あまりにも過酷な環境だ。


 ゾイは三年。アビーやアシタたちは、この『下水道』で六年もの間、生活したのだと言う。その過酷な生活を想像すると、俺は酷く憂鬱な気分になった。

 不意に、ゾイが言った。


「……ここからは、気を付けて……」


「……?」


 それは、おかしな忠告だった。

 何度か戦闘をしたが、それは特に危なげなくクリアした。体感では既に一時間近く歩き、出口が近い筈だ。実際、微かに外気の流れを感じる。

 ゾイは険しい表情で言った。


「ここ……フランキーの縄張りなんだ……」


 その名前は、確か、アビーやアシタが何度か口にした名前だ。


 汚水の流れる排水路を挟み、そのフランキーとアビーとは縄張りを近しくしていた。


「……誰も居ないようだが……」


「落ち目だったからね。でも、ゾイたちが出てって、ここら辺は全部フランキーの縄張りになってる筈だよ……」


 俺は内心で小さく舌打ちした。

 出口を間近にして、最後の敵はスラムのガキという訳だ。


 当たり前だが、子供は殺したくない。交渉で済めばいいが、アビーと同じ程度の悪たれだとしたら厄介だ。


「――ひっ!」


 不意に、カレンが小さい悲鳴を上げた。


「……」


 しかし、ゾイに驚いた様子はなく、鬱陶しそうに目を細めてカレンを睨み付けただけだ。


「ゾイ、ど、どうしたのです?」


 教会でぬくぬくと過ごしていた修道女シスタたちにはキツい環境だ。それは年長であるルシールも同じ。カレンのように取り乱す事はないが、俺にべったりと張り付いて離れない。

 ゾイが言った。


「……血の匂いがする……」


 俺には分からない。汚水の流れるこの酷い環境で、血の匂いを嗅ぎ分けられるのは、スラム育ちのゾイならではの特性だろう。


 ゾイは呆れたようにカレンを見て、メイスを手にずんずんと先に進み、立ち止まった。


 そこで、俺も漸くカレンが悲鳴を上げた原因に気付いた。


「おお、アスクラピア よ……」


 ルシールが震える声で言って、何度も聖印を切った。


 立ち止まったゾイの足元には、一人の子供が俯せになって倒れていた。

 ゾイは、その子供を無造作にメイスで突き転がして、仰向けの態勢にした。


「……死んでる。大丈夫だよ……」


 死んでるから大丈夫だと言うゾイの感性はおかしい。だが、トラブルが避けられたのは間違いない。


 俺は先頭を行くゾイの元に歩み寄り、その子供の死体を調べる。


「……」


 歳の頃は、十歳から十二歳という所か。男の子。身体に複数箇所の外傷がある。死因は失血死。ナイフのような刃物で何度も腹を刺されている。それが致命傷だろう。

 天然痘ではない。

 俺は疲れ……首を振った。

 あたら幼い命を喧嘩で散らすとは、なんとも不憫な話だ。


「……仲間割れだね……」


 ゾイがそう言って、辺りを見回すのに釣られて俺も顔を上げると、狭い通路のそこかしこに転がっている子供たちの姿が見えた。


「ルシール」


 俺の言葉に頷いたルシール、グレタ、カレンの三人が子供たちに近付き、生存者を探している間、ゾイは興味なさそうに辺りを見回して警戒していた。


「……」


 ゾイの感性は問題がある。

 あのロビンでも、ここまで無関心に振る舞う事はないだろう。その程度には悲惨な光景な筈だが、ゾイは眉一つ動かさず、警戒の姿勢を解かない。


 技量はまだロビンに及ぶべくもないだろうが、ゾイは既に優秀な戦士としての資質を備えている。

 これをどう思うべきか。

 おそらく、この場で誰か死んでも、それが俺以外の者であるなら、ゾイは顔色一つ変えず対処するだろう。


 少し進んだ暗がりから、グレタの震える声が聞こえた。


「……一人、生きてます……」


 その声に反応したゾイがグレタに駆け寄って、生きている一人の子供の身体を蹴飛ばして仰向けの態勢にする。

 険しい表情で言った。



「フランキーだ……」



 こうして俺は、この『下水道』で、フランチェスカという一人の少女と出会う事になった。


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― 新着の感想 ―
[一言] 親の敵の如く出てきたフランキーが登場!
[良い点] めっちゃ面白い!! [一言] ついに最新話まで追いつきました。面白すぎです!!一気に読み進めてしまったので、これからの更新が待ち遠しいです!
[一言] ここで出てくるのかフランキー…!!!
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