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アスクラピアの子  作者: ピジョン
第三部 少年期『聖女』編
113/308

106 前夜

 聖エルナ教会。

 俺は司祭に宛がわれた自室で、静かに瞑想していた。


 ――アスクラピア――


 親愛なる癒しと復讐の女神。しみったれていて、奇跡の代償として術者に犠牲を要求する。

 あれの考える事は虫けらの俺には理解できない。だが、見守っている。俺のする事を見つめている。


「……」


 薄く目を開くと、そこにはルシールがいつもの澄ました表情で立っていて、俺が瞑想を終えるのを待っていた。


「……すまん、ルシール。待たせたか。声を掛けてくれてもよかったのに……」


「いえ……深く瞑想されていたようでしたので……」


 そうルシールは謙遜するが、呼び出したのは俺だ。明日、一番でパルマに乗り込む。その人選を任せていた。


「シュナイダー卿を遠ざけたのは賢明な判断です」


「……」


 ロビンの話はしたくない。その事から逃げるように、俺は顔を背けた。


「……それで、パルマに乗り込む人員は決まったか?」


「はい」


 まず、このルシールは連れて行く。それは決定事項だ。本人も納得している。任せたのは、それ以外の補助の人員の選定だ。


「ポリーを新たに助祭として任命して下さい。この聖エルナ教会の管理を任せます」


「うん……そうだな……」


 ルシールの代わりとなると、年長であり、経験、実力共に兼ね備えたポリーしか居ない。問題はそれ以外の人員だ。

 ルシールは澄ました表情で言った。


「グレタ、カレン、ゾイが志願しています。この三人を連れて行きます」


「……なに?」


 俺は自分の耳を疑った。

 気の弱いグレタとカレンが、パルマに顕現する地獄に耐えられるとは思わない。ゾイに至っては癒しの能力すらない。


「……」


 俺は目を細め、澄ました表情のルシールと見つめ合う。

 ルシールは馬鹿ではない。この人選には意味があるのだろう。一任したのも俺だ。しかし……


「……本当に、その三人の意思なのか……?」


 ルシールは言った。


「グレタとカレンには、市井しせいでの奉仕活動の義務が残っております」


「なんだ、それは。答えになってない」


 確かに、二人に奉仕活動を申し付けたのは俺だ。そこに間違いはない。だが、パルマでの奉仕活動は命懸けになる。それを知らないルシールでもないだろう。


「では、誰ならいいのです。ディート、貴方は、きっと誰を選んでも反対するのではないですか?」


「む……」


 俺は熟考する。

 パルマの事だけを考えるなら、最適な人選はルシールとポリーだが、その場合、この聖エルナ教会を仕切る者が居ない。

 ロビンは頼れない。あいつに暇を出したのは俺だ。


「……」


 俺は深い溜め息を吐き出した。


 ロビンは……


 ああ、くそッ。

 あいつの涙が、これ程まで俺に堪えるとは思わなかった。だが、今回、あいつの守護は頼れない。剣と盾で対抗する問題ではない。種類が違う。同行には非常な危険が伴う。きっと、あの狂信者は恐れず俺と進み……命を落とす。パルマでの事だけに関わらず、あいつは、いつか必ず、俺の責任で命を落とす。それは……


 俺は強く首を振って、ロビンに対する思考を追い払う。


「……ゾイは……」


 ロビンがそうであるように、ゾイにも同じ事が言える。心構えはともかく、ゾイには今回の試練に立ち向かう手段がない。パルマへの同行には『癒し』の力を持つ事が大前提だ。

 俺の考えなど、お見通しなのだろう。ルシールは顔色一つ変えず言った。


「ディート。貴方の身の回りの世話と守護の人員が必要です。シュナイダー卿に暇を出された今、代わってその役目を負う者が必要です」


「必要ない」


 ゾイを連れて行くのも、ロビンを連れて行くのも変わらない。危険だ。承服できない。

 俺は深い溜め息を吐き出した。


「……ルシール。もう、お前だけでいい。他の随員はいらん……」


「三人共に、覚悟は出来ております」


 尚も食い下がるルシールに、俺は強く鼻を鳴らして見せた。


「未熟な者は死ぬ。連れて行けん」


 命を救う為に行くのだ。足手纏いはいらない。そして今回、俺がルシールの同行に強く拘るのには理由がある。


「…………ルシール、聞け……」


「はい……」


 眉間に皺を寄せたルシールは険しい表情だ。随員の件は譲るつもりはないのだろう。面倒臭い事この上ないが、あの三人を死なせる訳にも行かない。

 俺は瞑想中、奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)アスクラピアと語った件について話した。


奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)……?」


アスクラピアの作った特殊な擬似的空間だ。何もない。あるのは暗闇だけだ」


 奇妙な部屋(ストレンジ・ルーム)の事については何も分からない。あそこでは、時間の流れすらどうなっているか分からない。ほんの少し滞在しただけで数日経っていた事もあるし、今回のように殆ど間を置かず帰った事もある。


(神、か……)


 アスクラピアとの邂逅を経る度に、良くも悪くも『神』とやらの存在を間近に感じざるを得ない。

 あれは人の価値観ものさしで計れる存在ではない。あれのする事は、善だの悪だのという薄っぺらい二元論で語るべきではない。そんなものは既に超越している。


「ディート?」


「……すまん、アスクラピアの話だった……」


 俺の悪い癖で、思考が深くなると、つい周囲の事が疎かになる。

 ルシールは呆れたように肩を竦めた。


「また、アスクラピアに会われたのですね。もう、驚きはしませんが……」


「うん……」


 そこで俺は、どこから話すべきか深く考える。

 

「……ルシール。お前も知っているだろうが、母は復讐を是とする神だ……」


 そうだ。アスクラピアは、癒しを行うと同時に復讐に加護を与える。あれは複雑なのだ。慈悲深くある一方で、残酷でもある。善と悪とは、神の両手だという話を聞いた事があるが……

 俺は首を振った。

 今、考える事ではない。


「……今回、母は聖女の命をご所望だ……」


「――!」


 そこで、ルシールの顔色が変わった。


「……」


 瞬き一つせず目を見開き、肩を小さく震わせている。

 俺は短く、端的に言った。


聖女エリシャを殺す」


「……」


 ルシールは一言も喋らない。ただ刮目し、ひたすら俺を見つめ続ける。


「……あれは、母にとって『いらない子』だ。指を咥えて見ているだけの『寺院』の連中の事もいらんようだ……」


 『不実の子』……酷い言い様だ。誠意と情愛に欠ける子。アスクラピアはそう言った。聖女だけじゃない。寺院の連中も母の怒りを買ったのだ。


「……」


 気が付くと、ルシールは肩を震わせて笑っていた。


 そうだ。恨みに思わない訳がない。慈悲と慈愛を以て行動したルシールに、聖女は理不尽と暴力とで報いた。そして、俺たちの信仰する神は頭お花畑の甘ちゃんではない。


「これは、お前の当為ソルレンだ」


 俺は俺でしかない。幾ら信仰する母が聖女の死を望んだからとはいえ、俺が必ずしも同じ意思とは限らない。だが、このルシールは違う。


「……お前には復讐する権利がある。母は、必ずお前に力を貸すだろう……」


「…………」


 黙って俺を見つめていたルシールの頬がみるみる内に紅潮し、熱い涙が伝う。


「ディート……是非、是非、おやり下さい。このルシールが地獄までお供致します……」


「……」


 俺は小さく頷いた。

 ここまでの経緯と言動で、ルシールが強く聖女と寺院を嫌悪していた事は分かっていた。敵うなら、我が身を捨ててでも復讐を望む事も。


 ロビンに暇を出したのは正解だった。


 あいつは寺院に所属する騎士だ。この事を告げれば、必ず道に迷う。俺に対する心情と、寺院への忠誠心で板挟みになる。

 我ながら惰弱な事だ。

 俺は……ロビンを苦しめたくない。あいつが道に迷い、悩み苦しむ様は見たくない。

 いつからそうなった?


「……」


 あのしみったれた女は、俺のこの苦悩を喜んで見守っているのだろう。何もせず、ただ見つめているのだろう。

 自嘲の笑みが込み上げる。言った。


「他の随員はいらん。パルマへ向かうのは、俺とお前だけでいい」


 地獄へは、俺とルシールの二人だけで行くのだ。


「はい……ああ、はい……!」


「……」


 復讐は甘い毒だ。アスクラピアを信仰する以上、ルシールもその業から逃れる事は出来ない。

 ルシールは恍惚として言った。


「……ああ、ディート。私たちだけで行きましょう。私たちだけでいい。何処までも貴方に付いて行きます……」


「……」


 俺は複雑な心境だった。

 こう言えば、必ずやルシールが他の随員を寄せ付けない事は分かっていた。


「明日、一番でパルマに向かう。今日は休め」


「はい……ああ、はい……!」


 二人だけだ。


 行き着く先が本物の地獄でも、ルシールは笑っているだろう。


 この毒は、それほどまでに甘い。


 俺は疲れ……顔を拭った。

狂信者に代わり、金属バットがアップを始めました。

『アスクラピアの子』第三部少年期『聖女』編始めます。頑張りますが、二、三日に一話の更新を予定しています。よろしくお願いいたします。

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[良い点] 作品が面白すぎて読み切ったし、他の作品も丸ごと読みました…キャラがほんと作り込まれてて好きです!!主人公の一貫した性格と人間らしい一面にやられてます これからの物語も楽しみです!執筆してく…
[良い点] 狂信者と対をなす金属バットの活躍を期待していますね(o^-')b !
[一言] この作品からしか得られない栄養素がたまらん
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