中途半端なアシタの場合2
ゾイは冴えないドワーフのチビだ。
普段はカマトトぶってて、喧嘩はやらない。種族的に口数は少ない方だ。それがあたいを勘違いさせた。
たった一発で決着だ。
ゾイにぶっ飛ばされたエヴァは、長屋の壁を突き破って転がって、それからピクリとも動かなかった。
ゾイは大怪我してたけど、それはディが、あっという間に治しちまった。
この頃のディは、すげー体力なくて、すぐぶっ倒れるようなヤツだった。
力を使った事で目を回したディを抱き留めるゾイを見て、あたいは出鱈目に失敗したと思った。
二人とも、何も言わねえで抱き合うみたいに支え合ってた。
それを見たビーは、滅茶苦茶にキレてた。
「アシタ……あんた、これがどういう事か、分かってんだろうねぇ……!」
そんで、そこからのディがあたいらを見る目の冷たさと来たら、凄まじいもんがあった。
「アビー。俺とゾイは別の部屋に移るが、異存はあるか?」
頭の悪いあたいは、なんでそうなるのか、よく分からなかった。
それから、あたいはビーに滅茶苦茶にボコられた。これまでもヘマをやった時はボコられたけど、今回のは飛び切りのやつだった。
ゾイがエヴァをぶっ飛ばした事の意味を、身体に直に叩き込まれた。
ディが、すげーゾイを贔屓してるのは分かってた。そのゾイが、ディの為に喧嘩するのは、ディが喧嘩するのと同じ事なんだ。
「……この穀潰しが……!」
ビーは、言うことを聞かないヤツには滅茶苦茶する。命に関わるからだ。今回、あたいがやらかしたヘマはそれだけのもんだった。
あたいを半殺しの目に遭わせた所で、ビーは頭を掻き毟って言った。
「……このままじゃ、ディが出てっちまう。アシタ、この落とし前、どう着けんだ……?」
ディは「出て行く」なんて一言も言ってない。そう言うと、あたいはまたビーに滅茶苦茶にボコられた。
「……もういい。あんたは、もういい……」
圧し殺した声で呟いたビーは、腰のサッシュベルトからデカいナイフを抜いた。
――ひゅ、
って風を切る音がして、あたいの一本しかない『角』が地面に転がった。
あたいは悲鳴を上げた。
この痛み! この絶望感!
力が抜ける。意思が萎む。鬼人が『角』を切られるってのは、こういう事だ。
この瞬間、アシタ・ベルって存在は、一回終わった。
それから、仲間に引き摺られてエヴァがやって来て、あたいと同じように散々ボコられた後、尻尾を切られた。
エヴァは散々、泣きを入れて謝ったけど、ビーは容赦なくエヴァの尻尾を切り落とした。
あたいは、そのエヴァを見て、部屋の片隅で震えていた。
鬼人としてのアシタ・ベルは、死んだんだ。
返り血に塗れ、それでも怒りが収まらないビーは、あたいの角とエヴァの尻尾をずだ袋に突っ込んで、スイに押し付けた。
「……落とし前だ。スイ、地べたに頭擦り付けてディに謝って来な……」
あたいは、こんなにキレたビーを見た事がない。
「お前たちは、どうせなんの役にも立たないんだから、メシ炊きでもやりな……!」
それは、この集団での終わりも意味している。
ビーは言った。
「あんたたちがディを嫌ってるように、ディの方でも、あんたたちが嫌いなんだとさ」
第一印象って、すっげー大事なんだ。頭の悪いあたいが気付くのは、いつも遅すぎて、いつだって手遅れだ。
「あんたたちは、ゴミ箱なんだよ」
ディが嫌な感情を捨てるゴミ箱。
ああ、それで……
妙に納得できるものがあった。
優しくしても、突っぱねられる訳だ。こんな感じで、嫌な役回りを押し付ける。ディにとって、あたいとエヴァは、そんな風に扱っても気にならない存在だったんだ。
……嫌なヤツだ。ディートハルト・ベッカー!
……冷たいヤツだ。ディートハルト・ベッカー!
そして、何よりも……
……恐ろしいヤツだ。ディートハルト・ベッカー……
◇◇
でも、そんなヤツのお気に入りになるって、どんな気持ちなんだろう……
それって、ひょっとして、すごく特別な事なんじゃないだろうか……
◇◇
「……おお、アスクラピアよ。感謝を。アシタ・ベルはこの恩を生涯忘れません。この身に流れる鬼の血は半分ですが、その全てに賭けてアシタ・ベルは生涯信仰を守り、ディを守る事を誓約する……」
◇◇
まぁ、それからは色々あった。
あのアレックスがダンジョンでしくじって両手を失ったり、そのアレックスを助けたディが二十年もの寿命を失ったり。そのせいで、あたいとゾイがメシ炊き女になったり。
でも、あたいは絶望しなかった。
もうゴミ箱じゃなくなったからだ。
ジナとかいう馬鹿のやらかしで、ディがビーと逆縁切ったのを機会に、あたいもビーの元を去った。
あたいにとって、ビーは姉貴みたいなもんだったけど、その反面で、すげー怖い親分だった。
ディは、よく話してみるとそんなに怖くない。結構、物分かりがいいし、あたいの言うことも真面目に聞いてくれる。ビーが可愛がって、ディの部屋に通い詰めてた訳がなんとなく分かる。
こいつが本当はすげー怖いヤツなのは分かってるけど、何もしなきゃ何もない。『ゴミ箱』でさえなきゃ、冷たい目で見られる事もないし、割と砕けた態度で接しても大目に見てくれる。
聖エルナ教会に身柄を移し、あたいは度々ディの部屋を訪ねた。
「よく来たな。レイシストの手下よ」
「だから、その呼び方やめろよ」
ディは冗談も言う。全然、面白くない。でも笑って部屋の扉を開いてくれる。
「それで、どうだ。教会の生活は」
「悪くねえよ」
『下水道』と比べりゃ、何処だって天国みたいなもんだ。
こうしてディの部屋に訪れるのは、半分はロビン姉ちゃんの命令だ。ディはそれを知っていて、あたいと会う時は部屋の奥に通してくれる。
あたいがベッドに寝っ転がっても、ディは微笑むだけで文句は言わない。
「今日もお疲れだな」
「まあな」
ディには、すげー無防備な所がある。あたいの前でも、平気で服を脱いで着替える。これは、ロビン姉ちゃんとゾイのせいだと思う。
神官服を脱ぐと、細っこい身体に生っちろい肌が目に付いて、あたいはなんだか複雑な気分になる。
弱い『人間』の子供の身体。
中身がアレだから勘違いしそうになるけど、ディは、あたいの母ちゃんと同じ弱い種族の『人間』だ。髪の毛は前髪の部分が白くなっていて……
ロビン姉ちゃんやゾイが心配するのも分かる。
ディは強い術でも平気でばんばん使う。アスクラピアはケチ臭くて、代償を求める神だ。いつか『奪う手』がその命を持って行くだろう。
あたいには、アスクラピアとの誓約がある。だから、言った。
「あんた、長生きしねーな……」
ディは鼻を鳴らして笑った。
「神官の長生きが自慢になるか」
「……」
ロビン姉ちゃんは言ってた。
優秀な神官ほど早死にする。アスクラピアは、そういう子を選んで早く連れて行く。だから、『寺院』と『教会』は必要悪なんだって。死神が連れて行ってしまわないように……
ディは微笑っている。
何もない時は本当に何もない。『慈悲』と『慈愛』ってやつだ。びっくりするぐらい、穏やかに微笑っている。
ロビン姉ちゃんは、ディが何を話したか事細かに聞いて来るけど、ディは殆ど喋らない。
ただ、優しく微笑ってあたいと向き合うだけだ。
寺院と教会が引き留める訳だ。大事に囲って離さない訳だ。だって、ほっといたら死んじまう。皆の為に死んじまう。あたいの角を繋いだ時も、ゲロ吐いて死にそうな有り様になってた。
『神父』さまは伊達じゃない。
こいつが、すげー嫌なヤツで冷たいヤツで、恐ろしいヤツなのは知ってるけど、その分『慈悲』と『慈愛』も強烈だ。ロビン姉ちゃんとゾイが参っちまう訳も分かる。
冷たくて怖くて、優しくて癒す。復讐と癒しの女神の子。
……アスクラピアが信仰される訳だよ……
「……あたいさ……本当は、喧嘩とか好きじゃないんだ……」
あたいを守って死んで行った母ちゃんが『人間』だったから。
ディは喋らない。ただ、微笑ってあたいの話を聞くだけだ。この時もただ微笑っていて、返事代わりに優しく祝福してくれた。
あたいには鬼人の血が半分流れてる。でも、人間の血も半分流れてる。
「あたいは、誰かを守れる存在になりたいんだ」
「……」
ディは、慈悲と慈愛を込めて微笑むだけだ。あたいを認めてくれている。
「……あんたの事は、嫌いじゃないよ……」
馬鹿なあたいだけど、なんとなーく分かる。
あたいはきっと、こいつを庇って死ぬんだろう。
あたいが死神と交わした約束は、そういう約束だった。
これにて閑話終了。
次話より第三部『聖女』編。