中途半端なアシタの場合1
あたいは鬼人の男と人間の女の間に生まれたハーフだ。
親父は砂漠を流離う鬼人の戦闘集団、ベル氏族の男。母ちゃんは、元々はトリスタンの出身の商人の娘で、ザールランドを目指し、砂漠を旅している所をベル氏族に拐われた。
母ちゃんは慰みものになり、その結果生まれたのがあたいだ。鬼人の象徴と呼べる『角』が一本しかない。『半分』。鬼人としての力も半分しかない。
だから、超苛められた。
七歳になって、男たちがあたいに妙な目を向けるようになった頃、あたいと母ちゃんは逃げ出して、ザールランドにやって来た。
『人間』は脆く弱い。
当時、七歳だったあたいより、母ちゃんは小さくて弱かった。
砂漠の気候は人間に厳しい。
激しい寒暖差が母ちゃんにとっては致命的だった。ザールランドに辿り着いた所で力尽き、呆気なく死んだ。
あたいは悲しくて悲しくて泣いた。
路地裏で泣いてる所をビーに拾われたんだ。
「食わせてやるから、付いて来な。でも、あたしの言うことはちゃんと聞くんだよ!」
って言っても、そのビーもあたいと二つしか歳の違わないガキだったけど。
その時で、仲間は五人ぐらい居たかな。過酷な下水道での生活で、あたいとビー以外は全員死んじまった。今じゃ、名前も覚えてない。
仲間はいつも、入れ替わり立ち替わり。入って来たと思ったら、大抵がすぐに死んじまう。
ビーは口癖みたいに言った。
「あたしの言うことは、ちゃんと聞きな!」
ビーには強い『直感』がある。実際、ビーの言うことを聞かないヤツはあっという間に死んじまった。
「アシタ。あんたは鬼人の子だ。たんと食ってデカくなりな」
二つ歳上のビーは、ガキのあたいにとっては良き姉であると同時に、すげー怖い親分だった。
ビーは、このクソ溜めで必死に突っ張って生きてる。言うこと聞かないヤツは、仲間でもボコボコにする。それでもビーに従わないヤツは本当に全員が死んじまったから、残ったヤツは自然とビーの命令を聞くヤツだけになる。
エヴァとゾイは賢かったから、ビーに強い『直感』がある事に気付いてる風だった。
スイは、あたいと一緒で頭がよくない。だから、強い親分であるビーの言うことを真面目に聞いて、それで生き残る事が出来た。
それ以外で生きてるのは、ビーの命令を聞くしかない小さいガキ。そいつらは経験からビーの命令を聞く事の大切さを学ぶ。
『下水道』での生活は、マジもんの地獄だった。
汚くて臭くて不潔。おまけに危ない。
その地獄で、あたいはビーと必死になって生きた。
時には、仲間の何人かが恐ろしい病気になって見捨てた事もある。クソみたいな縄張りを守る為に魔物と戦って死んだ仲間も居るし、他の集団……フランキーのヤツと揉めて殺されちまったヤツもいる。
あたいは鬼人と『人間』のハーフだ。
身体はデカいけど、マジもんの鬼人ほどはデカくならない。鬼人ほど好戦的でもない。
母ちゃんは、誰が親父かも分からないあたいにも、すげー優しくしてくれた。
本当に、天使みたいな人だった。
――アシタ・ベル――
いざというときは、そう名乗れって母ちゃんが言ってた。ベル氏族はクソだけど、利用価値はある。それが母ちゃんの遺言。
そして――
ディートハルト・ベッカー。
人間のガキ。母ちゃんと同じ髪と瞳の色。大事にしてやろうと思ったけど、殆ど喋らない。今、思うと、こいつはあたいたちを観察していたんだと思う。
あたいは初っ端で間違えた。
悪気はなかった。『男』だったから、ちょっと上から圧し付けただけだ。あたいはクソみたいなベル氏族の男しか知らなかったから、まずは単純に上下関係をはっきりさせようと思っただけだ。
ディートハルト・ベッカーは『神官』だ。神の子。あたいを見る目は、ゴミを見るみたいに冷たかった。
エヴァが言った。
「あいつ、クソ生意気なガキだね」
ここに来る前、娼館に売られそうだったエヴァは男嫌いだ。それに加え、仲間意識が強い所があって初対面のヤツとはなかなか打ち解けない。
あたいは困惑しながらも、エヴァの意見に頷いた。
ディは、ずっとあたいたちを観察してて、そんな風に考えるあたいたちを嫌っていた。
こんな時、あたいは馬鹿だから、どうすればいいのか分からなかった。その結果、ゾイとすげー差が付いた。
ディは、はっきりゾイを贔屓していて、自分の個室にも入れちまうし、なんなら一緒に風呂に入っちまうし、終いにはベッドに連れ込んじまうぐらいのお気に入りになった。
ディは変わってる。
こいつと居ると、あたいは何だか歳の離れた男といるような気にさせられる。説教臭い所もそうだけど、殆どの事を無視しちまう所がそれだ。何もなければ、何もない。
ほんの数日で、あの地獄みたいな下水道からあたいたちを引っ張り上げてくれたのは、あたいもすげー恩義に思ってる。
でも、ディはそれを恩に着せる事はしない。偉そうだけど、あたいらに何か命令する訳でもない。何もない。話し掛けりゃ返事はするけど、それだけ。何かして来る訳じゃないけど、あたいとエヴァを見る目は、相変わらずゴミを見るみたいに冷たかった。
エヴァは、すげー苛立ってた。
「本当、気に入らないガキだよ」
「……」
確かに、ディがあたいたちを見る目は気に入らない。でも、原因を作ったのはあたいたちだと思う。そんでもって、ディは、はっきりあたいたちに攻撃して来た訳じゃない。
こういう敵対の仕方もあるんだって、あたいは思った。
何かして来る訳じゃない。ただ、信用しない。当てにしない。そこら辺に転がる石みたいに扱う。存在だけを許される。基本的にはシカト。エヴァとディ。どっち付かずのあたいは優しくしても突っぱねられる。
ビーは無茶苦茶にディを可愛がってた。新入りだってのに『神官』だって事を理由にNo.2にして好きにさせたから、エヴァは、益々、ディを嫌うようになった。
あたいは、ビーほど直感が優れてる訳じゃないけど、この状況は不味いって思った。
ディは、ぶっ倒れるまで金を稼いでビーやあたいたちに貢献してるのに、エヴァと来たら、そのディを一方的に嫌ってる。
『ルール』を守らせるのは、あたいの役目だ。好きとか嫌いとか、そういう問題じゃない。
「ちょっと小金稼ぐのが上手いだけの、嫌なヤツさ」
そんな風に堂々と言い放つエヴァを、ビーは目を細めて睨み付けていた。
不味い兆候。
ビーは何も言わないけど、そろそろなんとかしろって、目であたいに言って来る。
それは、オリュンポスのクランハウスでの一件で止められない流れになった。
アレックスにビビったエヴァがディの事をべらべら喋ったせいで、ビーがすげーキレてるのは、鈍いあたいにもよく分かるぐらいだった。
エヴァとは付き合いも長いけど、猫人の性質には、あたいにもちょっと付き合い切れない部分がある。賢いし有能だけど、陰口が好きで陰険。仲間以外のヤツには恐ろしく冷たい。
ディのお陰で下水道を出て、貧乏長屋とはいえ、新しい塒を勝ち取った。それだけの価値を見せたディに対するエヴァの態度は一線を超えた。
「偶々さ。運良く行っただけで、その内ボロが出るよ。口先だけのクソ野郎さ」
もう捨て置けない。あたいは、エヴァをやっちまおうって思った。
「……エヴァ、いい加減にしろ。ディは、ちゃんとやってるだろ……」
「はあん? あんただって、あいつが気に入らないって言ってただろ。今になって手の平返すのかい? 笑わせんじゃないよ!」
「う……」
あたいは、あんまり頭がよくない。そこで言葉に詰まった。確かにそう言ったからだ。
エヴァかディか。
あたいの心の中で天秤が揺れる。付き合いの長いエヴァと、実力はあっても、いけ好かないディ。
でも、だ。
「……ディは、皆の為に倒れるまでやった。それを認めねえのか……?」
『ルール』は守らせる。それがあたいの役目だ。でも、エヴァを好きでぶっ飛ばしたい訳じゃない。
そこで待ったを掛けたのがゾイだ。先ずは、自分にやらせてくれって言って来た。
助かったと思った。
まずはゾイにやらせて、それからあたいがエヴァをシメて、それで終わりだって考えた。
そんで、ゾイとエヴァがやり合う事になった。別に仲間内での喧嘩は珍しい事じゃないし、ゾイがやりたいってんなら、先にやらせりゃいい。ゾイが勝つとは思えない。あたいがケジメを着けたらいい。
あたいはそんな風に考えて――
その喧嘩中に、ディがやって来て、あたいは怒鳴り付けられた。
役立たずって。
あたいは頭が悪いから、これがどんな結果を招くかなんて考えもしなかったんだ。
まさか、ゾイが勝つとか思わなかったんだよ……