砂漠の蛇1
「おい、ベッカーはどうした?」
っせえな……聞こえてるよ……
「おい、神父の息子……!」
だから、うるせえんだよ。いつもガタガタ騒ぐんじゃねえって言ってんだろうが……
「団長……ねえ、団長ったら!」
マジうるせえな……
「おい、レオンハルト・ベッカー!!」
そんなヤツ、知らねえよ。
◇◇
「……」
寝起きは、いつだって最悪だ。
頭も馬鹿みたいに重いし、クソみたいな問題が山積みになってる。
「あ、起きました? 団長……?」
目を覚ますと、大隊長の三人が揃って間抜け面で見つめてやがる。
「……うるせえよ。寝てる時は声を掛けるんじゃねえ……」
俺には、過去の記憶が殆どない。
大隊長をやってる三人は、俺の事を「ベッカー」だの、「神父の息子」だの、「団長」だのって呼ぶ。他のクソ野郎共も大抵は「団長」って呼ぶから、俺の名前は、多分「団長」なんだと思う。
俺にとって、『レオンハルト・ベッカー』は知らない男の名前だ。
「ああ……クソ。寝起きから、なんだってお前らみたいな暑苦しい男共の顔を見なきゃいけないんだ……?」
頭が重い。寝起きは駄目だ。しみったれた女に仕えるようになってからは、特に。
「おい、神父の息子。お前、大丈夫か……?」
分かってる。
最近は、起きてるより寝てる方の時間が長くなって来た。
「……ああ、なんとかな。それで、アレン。現状はどうだ。金は足りてるか? 兵糧は?」
髭の大男、アレン・バラクロフ。俺が仕切る『夜の傭兵団』の大隊長の一人。
「そっちは問題ないな」
メシと金があるんなら、俺の仕事はない。
「だったら、俺を起こすんじゃねえ。適当に遊んでろ」
ちょっと前に舐めた野郎共を絞めたばかりだ。もう金がないなんて抜かしてたら、俺はこいつらを殺していただろう。
のっぽの男。ディルクが険しい表情で首を振った。
「そうは言うがよ、ベッカー。お前、もう二日も寝てたぞ。メシだけでも食え。姐さんも心配してる」
「……」
クソ野郎共には言えないが、ここに来て、また『刷り込み』の時間が増えた。あのしみったれた女が、もうどれだけのものを俺に刷り込んだか分からない。
「団長……お願いですから、メシだけでも食って下さい」
心配するのは、この中では一番若い男。フランツ。
「……あぁ、そうする……」
俺はズキズキと痛む額に手を当てた。
ディルク。フランツ。アレン。この『夜の傭兵団』の大隊長。大抵の事はこいつらに任せてあるし、手に余るような事があれば――
「アキラは? 何処にいる?」
アキラ・キサラギ。
遠い昔、海に沈んじまったとされる『東方』の島国をルーツにする剣士。いや、『ニンジャ』だったか? ちっさい女。頭もいいし腕も立つ。剣だけなら俺より強い。判断も間違いない。寝てる時の事は、あいつに一任してある。
「姐さんも少しおかしい。最近、お前が寝てばかりいるせいだぞ」
「ん……」
アキラは面倒臭い女だ。
元が軍人だったせいか、『軍規』にやたら厳しい。定期的に構ってやらないとおかしくなる。イラつき出して、クソ野郎共にきつく当たる悪い癖がある。
「……そうか。まあ、いつもと同じだな。お前らだけは殺すなと言ってあるから安心しろ……」
アキラ・キサラギは人殺しだ。
あいつは簡単に人を殺す。気に入らなきゃ、大隊長をやってるこの三人だって殺すだろう。あいつには、俺以外の『例外』は存在しない。
「俺たちだけかよ……」
呆れたようにディルクが言って、その隣ではフランツが肩を竦めている。
「エレオノの話だけはするなよ。俺でも庇い切れんぞ」
「し、しねえよ。俺らも命は惜しい」
俺は鼻を鳴らした。
「ここに居て、あいつのヤバさを知らないヤツの方が悪い。殺されるヤツは、そうされるだけの理由がある」
大隊長が『姐さん』と呼ぶ女。『アキラ・キサラギ』。『小柄な悪魔』とも呼ばれるニーダーサクソンのお尋ね者。……ノルドラインでもそうだったか? 世間的には『サクソンの大火』で死んだ事になっているが、詳しい事は俺も知らん。世界的な極悪人である事だけは間違いない。
「とりあえず、メシだ。ついでにアキラも呼んでくれ」
「……そうだな、そうしろ。ちゃんと姐さんの機嫌を取れよ」
「分かってるよ」
立ち上がり、大きく伸びをすると背中がボキボキと鳴った。
大分、鈍ってる。
ここ、死の砂漠は『人間』の俺にはキツい環境だ。俺の寝床になってる天幕には気を遣ってあるが、それでも身体へのダメージは大きい。そろそろ、真剣にザールランド帝国に帰順するべきなのだろうが、あのしみったれた女が、まだここに居ろと言っている。
何もかもが面倒臭い。
俺はもう、百年も千年も眠りたい。
◇◇
大隊長が天幕から出ていって、俺は暫くの間、しみったれた女に呪詛を捧げた。
いい加減、くたばれと。そうじゃなきゃ、そろそろ楽に殺って欲しい。散々、俺を食っただろうに、まだ食い足りないのか。
そんな風に祈っていると、天幕にアキラがやって来た。
アキラ・キサラギ。
小人と猫人の血を引くちっさい女。ここ数年で伸ばした黒髪を後ろで一本に束ねている。
「やあ、レオ。漸く起きたんだね」
「あぁ……」
メシの匂いがするから、何か持ってる。中身は分からない。
俺の両目はイカれちまってる。
だから、『蛇』の感覚で補ってる。割と不便だ。物の形や数は分かっても、詳しい事は分からない。字が読めないのが特に不便だ。人が居ても、そいつの顔付きまでは分からない。
「アキラ、側に来い。食わせてくれ」
「んもう……キミと来たら、いつもそうだな……ボクはキミの餌付け係か? そうじゃないだろう?」
天幕の中には、所々、赤石が撒かれていて室温を保っているから寒くはない。
俺はベッドに腰掛けたまま、手招きしてアキラを呼び寄せた。
「んふふっ♡」
口では面倒臭そうに言いながらも、アキラは機嫌良さそうに手ずから俺にメシを食わせてくれた。
その後は、ベッドの上で暫くアキラの腰を抱いていた。
触れ合っていると、体温と心音で大体の事は分かる。感じるのは、喜びと不安と不満。不安の成分を強く感じるのは、最近、俺が寝てばかりいるせいだろう。
俺は、もう長くない。
母の手が、完全に俺を捉える日はそう遠くない。
ザールランドにいる娘に会いたい。でも、それを口にすればアキラは嫉妬に狂う。
エレオノは、俺がアキラ以外の別の女に生ませた子供だ。もう二年も会ってない。そろそろ五歳になる筈だ。
少し考えて、俺は言った。
「なあ、アキラ。俺には弟がいる。何か知ってるか?」
「え!? キミ、弟がいるのか? ボクも初めて聞いたぞ!」
熱と心音で分かる。アキラは本気で驚いているから、嘘は言ってない。俺には、過去の記憶が殆どない。俺の過去の事に関しては、俺よりアキラの方が詳しいぐらいだ。
「ちょっと前に、半分死んだガキを捨てただろう」
「ああ、うん。あれか。胸糞悪かったね」
商人の一団を装った盗賊団だ。俺たちを『夜の傭兵団』と知りながら、調子こいてたナメた野郎共だ。そいつらが大事に囲ってたガキ。やたら伽羅臭いガキだった。
俺の見立てでは第三階梯の神官。
盗賊共には重宝しただろう。まあ、全員ぶち殺して根刮ぎ巻き上げてやったが……
母の加護を持つ者にとって、神官は同じ母の子。全員『兄弟』だ。殺す訳には行かない。保護しようとしたが、そのガキには意識がなく、精神が死んでいた。酷い扱いを受けたのだろう。やむ無くザールランドの城壁前に放置したが……
「そ、それは比喩じゃないよね……?」
「ああ、俺も、アスクラピアのお告げで知ったんだ」
「アスクラピア!」
アキラは大声を上げて嘆いた。
「あのしみったれた女神! なんだって捨てた後に言うんだ!?」
「分からん」
母には母の考えがある。情け深く、その一方で復讐を好む邪悪な女神。また、とんでもない事を考えたのだろう。
そこでアキラは狼狽え出した。
「ど、どうしよう。ボク、キミの弟を捨てちゃったよ。お、怒ってる?」
「いや、あれはあれでいい。中身が死んでいたからな。俺にもどうしようもなかった」
そのまま死ぬだろうと思っていたが、生きていた。
母の作った奇妙な部屋で会った時は驚いた。
「弟に会いたい」
「え、生きてるの?」
「ああ、恐ろしく短気で命知らずなガキだった」
中身は別の『誰か』 が入っている。母の仕業だろうが、それでも俺の『弟』だ。言葉にするのは難しいが、強い魂の繋がりを感じた。
アキラは狼狽えている。
「き、キミの弟なら、ボクにとっても弟同然だな。ええっと、どうする? ザールランドに行くなら、ボクも同行するけど……」
「いや……その必要はない」
母は運命を待てと言った。だとすると……
「……向こうから会いに来る。運命を待とう……」
「そ、そう? 分かった。ボクも姉らしく振る舞わなきゃいけないな」
母の戯れる指先が運命を回す。
「刈り取る死か……」
弟は、慈悲と慈愛を持つ一方で闘争を好む。凄まじい才能がある。邪悪な母が呼んだのだ。恐ろしい事になるだろう。
まだ、この目が見えていた時分、俺には血を見ると落ち着くという呪われた性分があった。
今でもそうだ。血が流れる気配を感じると、酷く落ち着いてしまう呪われた俺がいる。
その弟も似たようなものだ。
闘争を好む以上、流血は避けられん。死と罪を踏み越えて俺に会いに来るだろう。
いつの日か、きっと……
裏設定的な話です。本編とは殆ど関係ないです。
暫く不定期で閑話を投稿します。次はゾイやアシタの話を描くつもりです。