103 全てを奪う
あと一体!
見回せば、皆が皆、本当によくやっている。
アレックスは自我を失くす程の強化を受け、狂戦士と化して神話クラスの怪物と斬り結び、圧している。時間さえあれば、或いは一対一でもこの怪物を仕留めたかもしれない。
「アレックス、お前は素晴らしい戦士だ」
ロビンは膝を着いた格好で瞳を閉じて微笑っている。その口元に血の雫が伝い、最早、全力を使い果たした事を明確に告げている。
「よくやった、ロビン」
この女はおかしいし、頭の中身はかなり残念な事になっているが、俺は惜しみなく称賛の言葉を送る。
「アネット……この馬鹿め……」
恐怖に心が折れながら、それでも死地に向かって飛び込んだアネットには決死の覚悟があっただろう。『壊呪』の巻物を使った後は、なけなしの覚悟すら折れたのか、へたり込み、その場に水溜まりの染みが広がった。
「行け、戦乙女。あの小便垂れを守れ」
誰も死なせない。俺は俺の道に殉じる。
「アスクラピアの二本の手。一つは癒し、一つは奪う。
彼の者は永遠に一である。
多に分かれても一である。永遠に唯一のもの。
一の中にこそ、多を見出だせ。
多を一のように感じるがいい。
そこに始まりと終わりがあるだろう」
大広間に俺が朗々と詠み上げる祝詞が響き渡った。
殆ど同時に、限界を超えたアレックスが糸の切れた人形のように倒れ伏した。
「おい、コラ、化け物」
鬼神化したアレックスとの激戦の果てに、その無数にある殆どの首を斬り落とされたヒュドラ亜種はまたしても自傷を繰り返し、無数の首を再生させて行く。
「こっちを向け。この出来損ないが」
その侮辱の言葉に、ヒュドラ亜種は動きを止め、ゆっくりと俺に向き直る。
俺は嘲笑った。
「そうだ。この出来損ないめ。掛かって来い」
その身体が青白く輝き、その髪に銀の星が舞う。
白蛇が『個性』を持っていたように、俺も『個性』を持っている。
条件は厳しいが、母の術には対象の命を奪うものがある。それを昇華させたのがこの術だ。
「 神 の 試 練 ♪ 」
正にそうだ。
天使の謳う声に導かれ、俺は神の試練を乗り越える。
「……来いよ。俺が怖いのか……?」
今、戦闘能力を有しているのは俺だけだ。『知性』を持つが故に、ヤツは俺を無視出来ない。
「俺がお前なら、すっ飛んで逃げるがね……」
俺は『アスクラピアの子』。
軍神アルフリードの剣により裂かれた母の腹から這い出し、軍神アルフリードですら呪い殺した癒しと復讐の女神の子。
さて、こいつは如何なる存在か。
「グオォオォオン!!」
『神話種』ヒュドラ亜種が大きく咆哮し、大広間の空気がびりびりと振動する。
「やかましい。吠えてないで、とっとと掛かって来い」
その瞬間、無数に伸びた蛇の触手が空を裂き、唸りを上げて俺の身体に噛み付いた。
十歳のガキの身体だ。
本来なら、瞬き程の時間も持つ事なく、ばらばらに引き裂かれていただろう。だが……
『蛇』の触手に全身に食い付かれながらも、俺は嘲笑った。
「ははは! 奇遇だな、蛇よ! 俺は『アスクラピアの子』! 母が蛇なら、この俺の本性も蛇よな!!」
母は言った。
闇に潜む大蛇を狩れと。力を得ろと。これが答えだ。
「全てを奪うぞ」
聖なるもの。邪なもの。どちらも区別なく奪う。これが母の真の『奪う手』だ。
「お前の力は俺のものだ」
全身に食い付いた蛇が、めきめきと音を立てて俺の身体を引き裂こうと力を込めるが、俺は可笑しくて可笑しくて仕方がない。
「ほれほれ、どうしたどうした。お前の力はこんなものか」
ヤツが力を入れる端から吸い上げる。全てを奪う。俺の中の『蛇』が食い尽くす悦びに嗤っている。
「ハハハハハハハ!」
奪うごとに全身から燃え滾るような力が迸り、俺は悪魔のように嗤った。
その反面で『神話種』ヒュドラ亜種の首が一本ずつ萎れるように崩れ去って行く。
――まだだ! もっともっと! 全てを喰らえ!
俺の中の『蛇』は、もっと寄越せと嗤っている。全て奪えと悦びに震えている。
◇◇
人間は、その狭い器の中に二つの本性を持っている。愛と憎しみとがそれだ。世界が昼と夜の二つの顔を持つように、人間もまた二つの本性を必要としないだろうか。
《アスクラピア》の言葉より。
◇◇
俺は言った。
「汝、安らかな永眠りを欲するか」
そこでいよいよ耐え切れなくなったのか、ヒュドラ亜種は俺を突き放そうとしたが、今度は俺がヤツを掴んで離さない。
「案ずるな。沈んでは行くが、いつも同じ太陽だ」
それは永遠から永遠へと働き続ける。
「お前は消え去る。だが、その輝きは消える事なく、絶えず世界を照らし続けるだろう」
溢れ返る力に髪が燃えるように立ち上がり、青白く輝く身体はより一層強く光り輝く。俺の中の蛇は、全てを喰らい尽くすまで止まらない。そして――
「……」
俺は神官服の裾を翻して背を向ける。
――全てを奪う。
死骸すら残さない。
後に残るは静寂のみだ。
◇◇
ダンジョン『震える死者』。四十一層のエレベーター前の大広間にて。
「……」
強い神聖結界を張り、新たな魔物の侵入を防いだ後、俺は腰の後ろで手を組み、ぼんやりと突っ立っていた。
力を使い果たしたロビンとアレックスは完全に伸びていて目を覚まさない。怪我の方はとっくに治した。今は休ませてやりたい。
「……ねえ、ちょっと……」
「……」
ロビンもアレックスも、よくやった。本当に駄目かと思った。二人の内、どちらも欠ける事なく済んだこの状況は、正に僥倖だ。
「……何か言ってよ、ねえ……!」
「なんだ、小便垂れ」
「……」
さて、地下の地獄は片付いた。次は地上の地獄を解決せねばならない。
アネットが、怯えたように言った。
「……あんた、誰……?」
「ディートハルト・ベッカー」
「嘘よ。全然、違うじゃない……」
「……怪我はないと思ったが、頭を打っていたか……それとも恐怖のあまり気が違ったか……」
俺としては真面目に言ったつもりだが、アネットは、かんかんに怒った。
「頭を打ってもないし、気が違った訳でもないわよ、バーカ! 次に小便垂れって言ったら、承知しないわよ!!」
このアネットもよくやった。四十層では死に掛け、最早、心折れていたのが、その状態で最後の一手を詰めた。
「……アネット。お前は、よくやった……」
俺は素直に褒めたつもりだったが、その言葉にアネットは怯んだように仰け反った。
「え、ウソ。私の事、殺すの?」
「……何故、そうなる……」
「教会騎士が言ってたもの。あんたが人を褒める時は、そいつが死ぬ時だって」
「……」
戦士の最期について説いた事を言っているのだろう。ロビンが、それをアネットにどう言ったかは分からないが、曲解が甚だしいように思う。
「アレックスを殺そうとした時も、あんた、よくやったって褒めたじゃない」
「あれは冗談だ」
「ウソよ。あんた、絶対に本気で殺ろうとしてたわ」
「……今からでも、そうしてやろうか……?」
その言葉にアネットは大きく目を見開き、ごくりと息を飲み込んだ。
「冗談だ」
「……あんたの冗談って、めっちゃ笑えない……」
「よく言われる」
そこで、アネットは訝しむように目を細めて俺を見た。
「……あんた、本当にディートなの……?」
「そうだ」
俺は短く答える。
心の中は凪いでいて、小波一つない。新しい力を得た今の俺は単純に強い。既に『第一階梯』等という誰かの定めた基準には収まらない。高位の神官として言葉を慎まねばならない。
「……髪の色と目の色が変わってるの、気付いてる……?」
「……そうなのか? 俺には分からない。何色だ?」
そこでアネットは懐から手鏡を持ち出し、突き付けるようにして俺に差し出した。
「ほう……こうなるか……」
神話種の魔物を吸収し、新たな力を得たディートハルト・ベッカーの髪は突き抜けるような銀髪に変わり、瞳の色は禍々しく艶のない闇色に染まっていた。
さて、今の俺は、聖なる者か、悪なる者か。
「……」
どちらにしても俺は俺だ。
何も変わらない。
例え一人でも、俺自身の道を踏み締めて行く。
それだけだ。




