102 更に戦う者たち
――戦士が死ぬ時、母は迎えに戦乙女を好んで使う。別のものを喚べ。あれは死神の手だ――
脳裏を掠めたのは白蛇の言葉だ。
確かに縁起が悪い。だが、アスクラピアの高等神法に於いては最強の召喚兵。このピンチに戦乙女を使わない手はない。
――考える前に先ず動け。戦いの場に於いて、出遅れる事は何より致命的であると知れ――
白蛇の言葉。
あれは、俺だけに向けられたものではない。戦場に於いては……誰も、他者に迷う権利を許さない。
戦いの場で運命を決めるのは、一瞬間の他にない。長く経験を積んだとしても、決定的な事は瞬間に訪れる。
俺の左右にアスクラピアの聖印が現れ、そこから二体の戦乙女が出現する。
その周囲に赤と青。二つの光る球が舞っている。戦乙女は特殊召喚兵だ。攻撃、防御、その両面に於いて他の召喚兵とは一線を画する。チャンスには攻勢に強く、ピンチには粘り強い。
「……」
揺蕩う刹那の中、ロビンが微笑んだ気がした。だが、一瞬後には前を向き――
「――行きます!」
死ぬな。それしか思う事が出来ない。ロビンは、青く燃える断罪の焔の中に大盾を構えて突っ込んで行く。
「グゥ、オオオオオ!!」
アレックスが激しく吼えた。
その全身が赤く燃えている。既に何重にも身体能力強化の術を重ねている。
「 燃 え る 血 潮 ♪ 」
エレベーター前の大広間に天使の歌声が響き渡り、俺も全身が灼熱する。
アレクサンドラ・ギルブレスは鬼人と巨人のハーフだ。戦う為に生まれた生粋の戦士と言っていい。それが度重なる強化の術により、更に強化されている。
そこに、鬼札と呼べる特殊な強化の術を施して更に強化する。これまでの強化が足し算だとすれば、この術による強化は掛け算だ。アレックスの負担は想像を絶する。
「……!」
赤く充血した瞳が前を向いた時、その場に立って居たのは狂戦士だ。この瞬間、アレックスは鬼神の如き力を得た。
「グゥオオオオオ! オォオオオオ!!」
最早、アレックスには自我のようなものはあるまい。制限のない力は破滅に向かって進むのみ。そして、高等神法を行使し続ける俺もまた限界が近い。
つまり――ここで決めねば、俺たちに後はない。
アレックスが咆哮すると同時に、双剣『竜ノ血ノ顎』を振るう。俺自身も度重なる強化の果てに感覚器官は鋭敏になっているが、その俺の眼を以てしても、生じた斬撃の回数は分からない。球形の衝撃波が飛び、肉壁の聖闘士ごと標的のヒュドラ亜種を幾重にも切り刻む。
枝分かれした無数の首が弾け飛び、それらは地に落ちて断罪の焔により燃え尽きる。
ここに至り、後衛の俺に出来る事は少ない。残り僅かな神力を使って耐性防御と物理防御の術を重ねて反撃に備える。
ヒュドラ亜種の反撃は苛烈を極めた。
自傷を繰り返し、無数に増やした『蛇』の首が空を裂き、鞭のように唸ってアレックスとロビンを打ち据える。
「ぐっ――!」
その強烈な鞭の一撃に打ち据えられ、ロビンの兜が吹き飛ぶ。
僅かに身体が傾いだが、それでもロビンは一歩も退かない。強い。だが、この究極レベルの戦闘に、ロビンは付いて行けてない。大盾の防御力を頼りにその場に留まり、ひたすら反撃の機会を窺っているがそれだけだ。
「ロビン……!」
――縁起が悪い――
戦乙女は、戦士の最期に訪れる。ロビンは耐える事で戦線の崩壊を防いでいるが、あまり持たない。
気付くと俺の両腕に黒い蛇がとぐろを巻いて浮かび上がっている。確認する事は出来ないが、今、『アスクラピアの蛇』は俺の全身に浮かび上がっているだろう。
――命が燃える。
無数の触手のような首を持つ二体のヒュドラ亜種は、まるで巨大なイソギンチャクのようだ。その巨体の中央にある大口には、うねうねと不気味な蛇の触手が蠢いている。
「……!」
ここに至り、神官の眼はこの魔物の正体を看破した。
――『神話種』。
全くふざけているが、この領域での雑魚は神話クラスの怪物だ。
ロビンはひたすら守り、アレックスはひたすら攻める。良くも悪くも二人の息は合っている。
神話クラスの怪物、ヒュドラ亜種は自傷を繰り返し、無数に首を増やしてアレックスの猛攻に対処している。
「……」
もう、後衛の俺は見守るだけだ。残り少ない神力を温存し、二人の回復を行いながら戦線の維持に努める。
鬼神と化したアレックスだが、二体の神話クラスの怪物相手には分が悪い。
戦況が膠着し始めた。
アレックスは幾らも持たない。おそらくだが、ヒュドラ亜種はそれを看破して守勢に回っている。
「……くそったれが!」
この状況を打開するには、戦乙女の戦線投入しかない。だが、そうすれば、敵の攻勢を一挙に請け負うロビンからヘイトが外れて俺に向かう。
二体の戦乙女の防御がなくなれば、ガキの俺は瞬きほどの間に死ぬだろう。
だが、その一手しかない。
戦乙女を戦線に投入して、俺の事は俺が何とかするしかない。そして、いつだって迷っている暇はない。
「……」
覚悟を決める。
苛烈な乱戦の中、二体の戦乙女は両隣に立ち、大盾を構えて俺を守っている。時折やって来る蛇の触手の鞭は、戦乙女の周囲を回転する赤い光球に弾かれる。神話クラスの怪物相手にも通用するこの二体の戦乙女の力を手放す事は惜しいが、最早、待ったなし。
パチン、パチンと指を鳴らし、強化術で戦乙女を強化する。
「 戦 士 の 魂 ♪ 」
天使の荘厳な歌声が更に俺たちを強化して――
その瞬間、空気が凝縮するような感覚がして、守勢一辺倒だったロビンが唸るように吼えた。
「――ぎっ!!」
一瞬でも遅れれば、俺は戦線に戦乙女を投入しただろう。その瞬間、ヒュドラ亜種の目前で大爆発が起こった。
魔力の流れは感じなかった。故に、この攻撃は誰にも予測出来ない。
ロビンがやったのだ。
超能力による攻撃。おそらくだが、守勢の中、ロビンは強化を重ねながらこの攻撃の機会を窺っていた。
――『サイコクラッシュ』。
『魔力』を持たない一部の獣人は『超能力』を使う。これがロビンの切り札だろう。
爆散し、もうもうと漂う血煙の中、文字通り開かれた血路にアレックスが雄叫びを上げて突っ込んだ。
「グオォオォオ!!」
同時に精根尽きたかのように、ロビンが、がくんと膝を着く。
アレックスは迷わずヒュドラ亜種の巨体の中央部分にある大口に身体ごと突っ込み、出鱈目な速度で双剣を振るった。
ロビンの切り札、『サイコクラッシュ』と、鬼神アレックスの嵐のような斬撃でヒュドラ亜種の一体が粉微塵になって吹き飛んだ。
これで二体目を始末した。
そう思ったのも束の間の事だ。『断罪の焔』が勢いをなくし……遂には消えてしまった。
「馬鹿な……!」
『断罪の焔』は特殊な術だ。対象を燃やし尽くすまで消えない呪詛の焔だ。それが消えた。消えてしまった。解呪されたのだ。
スリップダメージがなくなる。
アレックスが解体したヒュドラ亜種の肉片が一ヶ所に集まり、のろのろと再生を始める。聖属性の斬撃により、再生速度こそ遅いが、始末するには至らない。
そして、残る一体は傷付きながらも健在だ。未だ戦闘能力を保持している。
俺にはもう『断罪の焔』を再度行使する程の神力はない。出来たとしても、俺は力尽きる。そうすれば、戦乙女が消える。戦線は崩壊する。
「…………」
俺は短く息を吐く。
しみったれた母よ。今こそ、あんたの力が必要だ。
「アスクラピアの二本の手。一つは癒し、一つは奪う」
これが俺の行使する最後の術になるだろう。
「彼の者は永遠に一である。
多に分かれても一である。永遠に唯一のもの」
大広間に俺が朗々と詠み上げる祝詞が響き渡る。
ロビンは半ば力尽き、その場に膝を着き、肩で荒い吐息を繰り返している。
鬼神化したアレックスは未だ健在である残った一体のヒュドラ亜種と激しく斬り結んでいる。
「 熱 き 血 潮 ♪ 」
勝利の歌に身体中の血潮が燃える。だが、一手。あと一手が足らない。
そのとき――
「――壊呪!」
女の高い声が響き渡り、再生中のヒュドラ亜種が地獄の火炎に焼き尽くされて消滅した。
「!?」
振り返ると、いつの間にかエレベーターの扉が開いている。対不死者用の必滅魔術『壊呪』の巻物を使用したのは――
「アネット!」
阿呆が……!
効力を失くし、ただの羊皮紙になった巻物を広げた格好のアネットの膝は、がくがくと恐怖に震えている。
そして、天使は神の定めた運命を謳う。
「 死 せ よ 成 れ ! 」
その一事を会得せざる限り、汝は暗き世界の悲しき住人に過ぎず。
あと一体。
ならば……!