100 エクストラダンジョン
アレックスは言った。
「……あたしは思ったんだ。ここから先は、進んじゃいけない場所なんじゃないかって……」
エレベーター前の広いエントランス。壁は滑らかな金属製。明らかに様相を変えたダンジョン内で、アレックスは静かに語った。
「……多分、『震える死者』は四十層が最下層なんだ。あそこで『震える死者』は終わりなんだ……」
「……」
俺もそう思う。
おそらく、ここから先は人外の境地なのだ。人の身で辿り着く領域を超えている。
ロビンは不思議そうに首を傾げ、金属製の壁を指で叩いている。
「……知らない金属です。見た事もありません……」
アレックスの見解は全く正しい。俺が想像する限りだが、ここは『震える死者』を攻略した者だけが進める未知の領域だ。
俺はポツリと呟いた。
「……エクストラダンジョン……」
そう。ここは特別な領域だ。
『震える死者』を乗り越えた強者だけが挑戦できる特別な領域。
俺は指を鳴らし、術を重ねて神秘と謎に備える。
火、土、風、水の魔術に対する属性強化は勿論、精神異常耐性強化、身体能力強化、五感強化、物理攻撃強化に武具への神聖属性の付与。前準備に使用した術の数は実に三十を超える。
実戦では更に強い術を使って対応する事になるだろう。
アレックスは言う。
「エンゾとマリエールは、ここから先は御免だって言ったよ」
「そうか。だろうな……」
ここは明らかに異質だ。遠造とマリエールがこの先に進む事を拒絶したのは正しい判断だ。
「……それで、どうする。アレックス……」
アレックスは首を振った。
「さてね。四十二層までは行ったけど、三人じゃあねえ……」
「よし。では、探す所から始めるか……」
俺は大きく手を打った。
周囲に無数の聖印が出現し、現れたのは百体の聖闘士だ。
「ロビン。探せ」
「はっ」
この未知に挑戦できないのは悔しいが、今回の目的は、あくまでもヒュドラ亜種の討伐だ。
召喚した聖闘士たちの指揮権をロビンに委譲し、五体ずつの小集団に分けて行動させる事で四十一層を解析する。
「……」
ロビンの目が遠くなる。戦況把握のスキルを使い、聖闘士を使ってこの階層の解析を進めている。
攻略ではない。ただ、解析している。ヒュドラ亜種を探している。
「……広すぎます……」
そう答えたロビンだが、その直後、表情を険しくした。
「会敵しました。戦闘に移行――」
「どうした?」
ロビンは険しい表情のまま、首を振った。
「分かりません。会敵直後にやられました。ドラゴンのようでしたが、見た事もない種類でした。強いです。三人では殺されます」
「……」
ロビンの忌憚ない分析に、俺は閉口した。
この領域では、俺たちは雑魚だ。何かにエンカウントした瞬間が俺たちの最期になる。それがロビンの見解だ。
「無理です。撤退しましょう」
「……待て。まだ探せ……」
雑魚には雑魚の面子がある。なんの為にここまで来たのか。力及ばずとはいえ、戦う事なく蜻蛉返りは情けない。
「……なぁ、アレックス。この階層で、お前は戦闘したか……?」
アレックスは頷いた。
「グリーンドラゴンとブルードラゴンとは戦ったね。かなりしんどかったよ……」
「龍種か……」
ゲームで言うなら、最強種の代表格だ。それ以外の雑魚も、それに匹敵する強さの怪物と見ていいだろう。
そこで俺は考える。
「アレックス。ヒュドラ亜種は……龍種なのか?」
「分からないね……」
最悪の想像だが、ヒュドラ亜種が『神話種』なら、討伐は断念すべきだろう。流石の俺も『神話』クラスの魔物との対決は御免被る。
そして……
百体の聖闘士を使って解析を進めているロビンの表情が酷く強張った。
「……特徴と一致する魔物を見付けました……ただ……」
ロビンは軽く唇を舐め、ごくりと息を飲み込んだ。
「……三体います。ヒュドラ亜種は……この階層では雑魚の一種類のようです……」
「は……嘘だろ……?」
アレックスの顔が、くしゃりと絶望に潰れた。
大切な仲間を失った。だが、その仇は『ボス』ではなく、この領域をさ迷うただの雑魚の一種類に過ぎなかった。
四十二層で会敵したのは偶々で、アレックスのパーティが壊滅したのは必然だったと言える。
嫌な予感がする訳だ。
事前に予測されるイレギュラーについては、散々、話し合ったがそのどれもが見当外れだ。
第一階梯の神官である俺と、超一流の戦士であるアレックスをしても、この階層に来るのはまだ早い。早すぎる。
俺たちは、まだ未熟なのだ!
この領域では雑魚の一種類である魔物に冒険者ギルドが金貨二千枚もの賞金を掛けている事が、どれだけ滑稽な事か。
最早、復讐もへったくれもない。幸い、エレベーターはすぐそこだ。すぐにでも引き返す事は可能だが……
俺は言った。
「アレックス、狩るぞ。腹を括れ」
ここまで来た俺たちが、この階層では雑魚相手に命懸けになるとは笑える展開だ。だが、退けない。退かない。退いてしまえば、これまでの全てが無駄になる。アレックスを生かして帰した仲間たちも報われない。
「……」
アレックスは、ぎりぎりと歯を噛み鳴らした。
「……勿論だ。狩るよ……!」
「よし。ロビン、誘導しろ」
「可能ですが、しかし……!」
アレックスは突き放すように吐き捨てた。
「エレベーターはすぐそこだ。ビビったんなら帰りなよ、教会騎士」
その言葉にロビンは眉を寄せ、黙って兜の面頬を下ろした。
アレックスは、ニヤリと不吉に嗤い――
「ここで待ち受ける!」
俺は黙って頷いた。
ここに至り、力を出し惜しみしない。先ずは地の利を活かして山ほどの聖闘士たちを召喚する。
とりあえず、このエレベーター前のエントランスに百体の聖闘士と三十体の狙撃手を呼んで先制攻撃の陣形を組む。指揮官は……
「ロビン、やれるか?」
「全て、このロビンにお任せあれ」
こんな時だからこそ、ロビンは恭しい仕草で頭を垂れて騎士らしく振る舞う。
「それでこそ、俺の騎士だ」
「当然の事です」
ロビンは三体のヒュドラ亜種をこちらに誘導する一方で、この部隊の指揮を執り、戦闘全体を補佐する。
「アレックス、チャンスだと思ったら遠慮するな。召喚兵はただの肉壁だ。巻き込んでも一向に構わない」
「……」
黙り込み、腰を落として『桜花』を構えるアレックスの身体が赤褐色に染まって行く。両手に仕込んだ精神感応石が、その戦意と強化の術に反応して強く輝く。
こんな時だが、俺は可笑しかった。
「おい、アレックス。愉快だと思わないか? 一体でもお前のパーティを壊滅させるような化け物が三体だ」
全くふざけている。一体でも命懸けと思っていた目標が一体ではなく三体。割に合わない。
だが、アレックスは不敵な笑みを絶やさない。
「偶然だね、あたしもそう思ってたとこさ。派手にやろう。クソ野郎共も、きっとあの世で手を打って笑うだろうさ!」
ロビンは大きく溜め息を吐き、左手で聖印を切った。
「……二人とも、イカれてますね。でも……少し楽しいと思っている私も居ます……」
レネ・ロビン・シュナイダーは『騎士』だ。強者との対決を前にして、『戦う者』の血が騒がない筈がない。
「……目標が食い付きました。三体共、こちらに来ます……!」
俺はその場で拳を掲げ、強い祝詞の言葉を発する。
「光と闇の間に風が吹く」
顔を出した瞬間、ぶちかましてやる。それが地獄の開幕になるだろう。
「お前は疲れ、埃に塗れて歩く。空に不安が立ち込める。――たそがれと――死とが――」
俺は嗤って祝詞を紡ぐ。
「母の手から、どんな天使も、お前を救う事はできない」
ロビンが叫んだ。
「目標、『ヒュドラ亜種』三体! 来ます!!」
目前の通路。こちらに逃げて来る聖闘士を追って、うぞうぞと触手のような首を生やした怪物が迫って来る。
それでは始めよう。
「お前の背後で命が躊躇いがちに留まり――そこから先を、一緒に行こうとはしない――」
金属製の壁にべたべたと触手を張り付けて進むヒュドラ亜種の蛇の首が七本、萎れるようにして崩れ去る。
『死の呪い』は有効。つまり、まだ『生きてる』。これは前哨戦に過ぎない。
そこに狙撃手の矢が雨のように降り注ぐ。
「行くぞッ! オラァッ!!」
アレックスが桜花を振り下ろし、発生した巨大な衝撃波が先頭の『ヒュドラ』を破壊し、その巨体を半壊させた。
刹那、残った肉塊が紫色に変化する。先ずは一体のアンデッド化が始まった。
「阿呆が。燃え尽きるがいい!」
出し惜しみはしない。
◇◇
風のように命が吹き去って行く。
お前は寝もやらず、一人伏している。
窓には三日月がかかり、お前のすることを見つめている。
お前は長い間、震え――
部屋の中に死の吐息を感じる。
全ての苦痛と困難が閉じた目の奥で溶け去り、区別する由もない。
全ては甘く。全てが燃える。
やがて青ざめた唇の女が来……女の名は『死』。
お前は、もう考えることも泣くことも笑うことも出来ない。
眠りを望み焦がれる。
百年も千年も眠れ!!
◇◇
二重詠唱。
以前の俺には出来なかった。だが、魔素が俺という『器』を拡張した。俺という『存在』は強くなった。それが同時に二つの高等神法の使用を可能にした。『死の呪い』と共に発動させたのは『断罪の焔』。しかも完全詠唱。
全ては甘く。全てが燃える。
二体のヒュドラと一体のヒュドラ亜種が青白い焔に燃え上がる。以降、対象に強烈なスリップダメージを与える。
ごうごうと燃え盛る断罪の焔の中、更に一体のヒュドラがアンデッド化するが、手を緩めない。
ロビンは狙撃手による弓矢で牽制し、力を溜めるアレックスが強烈な衝撃波による第二撃を放つと、二体のヒュドラ亜種の陰に隠れていたヒュドラの巨体が、ばがんと割れた。
この一撃で全てのヒュドラがアンデッド化した。
俺は嘲笑った。
「おお、母よ! ご照覧あれ!」
これより、闇に潜む大蛇を狩る。