クール系女教師(自称)と甘系男子生徒の話
サクッと読める短編です!
顧問をしている美術部の教室へと向かっていると、突然目の前からぬっと大きな影が現れ、私は馬鹿みたいに驚いた。
(うおおっ!)
だけど、私のモットーはクールでいくこと。勿論、驚いた声を出すなど論外だ。
ばっくんばっくんいう心臓を他人のものと考えればいい。心頭滅却すれば火もまた涼しと言うのは本当で、自己との切り離しを意図的に行なうと途端にすうっと落ち着いてくるのだ。
「マキせんせー! どこ行くの?」
「し、島田くん」
影の正体が、私を上から覗き込んできた。
明るい茶色い髪が、柔らかそうに揺れている。半分だか四分の一だか海外の血が入っていると風の噂で聞いたが、確かに言われてみればそんな感じがしないでもない。受け持ったことがないのでよく知らないが。
とりあえず彫りが深めで、外見は甘め。私が密かに愛でているアイドルの瞬くんに若干似ていなくもないが、あれよりは劣る。まあ、一般人としては結構あれだけど。背も高いしすらりとしてて笑顔も可愛くて犬歯が笑うと見えるのも、かなりの推しポイントだけど。
――いけない。生徒を邪な目で見るなど、教師失格だ。
キリリとした教師を目指す為に掛けている吊り目の銀縁眼鏡をクイッと上げ、顎を上げてツンと言う。クールっていうのはこういうものだろう。
「ろ……廊下は走ってはいけません」
若干噛みかけたが、辛うじて及第点とした。
島田くんが、私の肩に腕を回す。この子は、人との距離が異様に近い子なのだと思う。
「島田くん、離れましょう。あらぬ誤解を受けては、お互いの為になりませんから」
ぴしっとそう告げたが、島田くんは一向に離れようとしない。
「先生、彼氏いないって昨日言ってたの、あれって本当?」
「……いない歴が年齢ですが、問題ありますか」
これまで幾度か声を掛けてくる男性はいたものの、私が少し話をしてもいいかなと歩み寄る決意をする頃には、もう次の女性に声を掛けているのが常だった。そんなこんなで二十四歳になってしまったが、これは遅いのだろうか。私には分からなかった。
「……ううん、問題ない」
島田くんが、嬉しそうに微笑む。制汗剤の香りだろうか。柑橘系の匂いが香ってきて、思わず下を向いてしまった。
「あの……部活に行きますので」
「マキせんせー、昨日の話、ちゃんと考えてくれた?」
途端、少しだけ落ち着きかけていた心臓が、再びバクバクバクとおかしな速度で脈を打ち始める。待て待て私の心臓よ。心頭滅却すれば――。
「ねえ。俺と付き合ってよ。俺もうすぐ卒業だしさ、それまで待てっていうならちゃんと待つから」
「う……ですが、今は私は教師であり島田くんは生徒であって、教師と生徒の恋愛はご法度とされて……」
どうしても目を合わせることが出来なくて、震えそうになる声を必死で抑えつつそう伝えると、何故か島田くんの顔がぱあああっと明るいものになる。……今、断ったつもりだったのに。
「じゃあ、俺自身は嫌じゃないんだ!」
「え……まあ、島田くんはその、見た目は軽そうですが案外しっかりしているところもあるというか、以前友人にいけないことはいけないときちんと話をされていたところを見かけて感心していたこともありまして……」
そう、島田くんは案外しっかりとした子なのだ。友達関係を崩したくなくて笑って誤魔化すことが多い中、彼はしっかりと注意することが出来、その後その相手とも引き続き上手くやっている。正直、私よりも人間関係は円滑だ。
「私も見習いたいと思っているくらいで」
「じゃあ、俺が教える!」
島田くんが、相変わらず私の肩に手を回しながら何かを言い始めた。いや、私教師なんですが、と言おうと顔を上げると、思ったよりも近くに島田くんの顔があり、声が止まる。
「……教わりたい?」
確かに、あの処世術は是非とも学びたい種類のものではある。
「そ、そうですね……」
「じゃあ、授業料を先にもらってもいいかな」
「お金を取るんですか?」
「ううん、違うけど」
島田くんが、辺りをそわそわと窺う。
「ちょっとこっち」
「え?」
一体何だろう。何か、人には言えない様な特別なコツのようなものがあるのだろうか。
すぐ近くにある、誰もいない教室へと背中を押されて入る。
島田くんはまたキョロキョロとすると、片手でドアを閉め、そして私の両肩に手を乗せた。島田くんの、顔が赤い。
心臓は相変わらずバクバクいっていて、そろそろ本当に口から飛び出しそうだ。食道を登ってきたら、相当痛そうだな、と思う。
「……マキせんせー、初心過ぎて俺卒業するの不安だよ」
「え?」
私が目指しているのはクールな教師であって、初心な教師じゃない筈。なのに何故、生徒である島田くんにそんな心配をされているのだろう。
「だから、約束して。他の男にはこういうことさせないって」
「え? 何を――」
私の顔が影で覆われたかと思うと、柔らかいものが唇に重なった。……一体、何が起きているんだろう。
視界一杯に広がるのは、島田くんの顔。嘘。これはもしや――ファーストキスでは。
島田くんは、ゆっくりと顔を離すと、囁く様に言った。
「せんせー、好き」
「お……っ」
いや、だって私は先生で、島田くんは生徒で。いやでも島田くんはもうすぐ卒業だから先生と教師の関係ではなくなる訳で、その。
「いっぱい色んなコト教えてあげるから、センセーのものになりたい」
真っ赤な顔の島田くんが、ミントガムな香りの息を吐き出す。……まさか、初めからこれを狙っていたのだろうか。いくらなんでも、用意周到過ぎやしないか?
「センセー……」
うる、と島田くんの目が、潤んできてしまった。途端、私は慰めねばという気持ちになり、でもポロリと涙を零す彼に何を告げればいいのか分からず、咄嗟に流れ落ちそうになった涙を指で受け止める。
島田くんが、ふへ、となんとも可愛いアイドル級の笑みを浮かべた。
「……俺、先生がすっごく真剣に生徒のこと考えてるとこも、副校長にすっげーセクハラなこと言われた時にそれはいけないことだってキッパリ言ったりしてるの見てて、凄えなって思ったんだ」
「え、そ、そうなんですか?」
島田くんが、照れた顔でこくりと頷く。
「だから、さっき先生がいいねって言ってくれたのは、本当は先生の真似なんだけどさ。俺、卒業しても先生をずっと近くで見てたいんだ」
まさか、私の信念をそんな風に見てくれる生徒がいたなんて。
ジン、と暖かいものが心に広がった。
「……一緒にいさせて?」
可愛い島田くんが、私に懇願している。こんなもの……断れる訳がないじゃないか。
「つ、付き合うのは、卒業後ですよ!」
「……本当!?」
眩いばかりの笑顔が視界に広がる。私の血管は、もう近い内に圧が凄すぎて破れるんじゃないか。
「うはあああ……っ」
それくらいのインパクトがある笑顔だった。
「嬉しい! マキセンセー、大好き!」
「そ、それまでは互いの立場を弁えてですね……むぐうっ!」
再び、島田くんの口が私の口を塞ぐ。やっぱり香るミントガムな匂いに、脳みそがクラクラした。
暫くすると島田くんが口を離したが、超至近距離のままだ。
私は今、どんな顔をしているのか。きっと、鏡で見たら恥ずかしくなるくらい照れた顔をしているに違いない。
そんな私の頬を、島田くんはサワサワと撫でていく。まるで……そう、慈しむ様に。
「……センセー、あのね?」
「え? 何でしょ……」
口を開けた瞬間、三度目のキスがやって来た。
今度は、口の中に何かが入ってくる。
……これは、これは、これは!
近すぎてぼやける島田くんの目が笑ったかと思うと、島田くんの手が私の目を覆う。
私の脳みそは連続する初めてのことにデータ処理がついていけず、為すがままにその甘い行為に身を委ねたのだった。