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ぽちゃンツェルは遠見をする

作者: 梅ゐすは

 森のそばにある村の、農家の夫婦が子を授かった。

 妻は重いつわりに苦しみ、隣家の魔女が薬草畑で育てていたラプンツェルなら食べられそうだと、忍び込んで摘んでしまった。

 魔女は怒ったが、事情を知り好きなだけ採っていいと言った。その代わり、生まれた子どもを貰い受けると約束して――。



 農家の妻は女の子を生み、魔女に渡した。

 魔女は赤子とともに森のはずれの塔に移り住んだ。

 初めは赤子を魔法薬の材料にしてしまおうと考えていたが、あまりのかわいさに愛でているうちに子どもはすくすくと育ち、気がつくと年頃の娘になっていた。


 魔女にラプンツェルと名付けられた娘は、金色の髪と青い瞳で美しい声を持っていた。

 塔の中で、魔女にあれもこれもお食べと甘やかされぽちゃんとした身体をしており、栄養が十分に行き渡った髪は輝き、肌はつやつやだった。

 長く長く伸ばした髪は一本の三つ編みに結ってもまだ長く、塔の窓から下ろして魔女が上り下りするのに使われていた。――魔女は「己の肉体を鍛え高めれば、箒など不要」と言う肉体派だったのだ。幸い、ラプンツェルの栄養満点の髪はこしが強く、どんな素材で編むよりも強い縄であった。




 ラプンツェルが十六歳になった頃、魔女は彼女のあまりのぽちゃぶりに不安になった。

 毎日バターがたっぷり入ったパンを食べては窓辺に寝そべり、魔女の作った遠眼鏡で外を眺めている。

 魔女の道具である遠眼鏡は、魔法の力で遠くまで見通すことができ、高い塔から外を見るにはおあつらえ向きの道具なのだ。

 ラプンツェルのお気に入りは森の遠く向こうにある城下町を眺めることで、人々の暮らしを覗いてはいい声でグフフと笑うばかりの毎日だった。



「おまえ、少しは外に出て身体を動かした方がいいよ」

「いやあよ。わたし、このままずっとここで暮らすの。食べ物はおいしいし覗きは楽しいし、何も不自由なんてないもの」

「そんなこと言って、わたしが死んだ後はどうするんだい。魔女だっていつかは死ぬんだ。そうしたら塔の中で一人きり、食べ物だってなくなってしまうよ」


 ラプンツェルは丸太のようにころりと転がり、魔女の小言から顔をそむけた。


「お母さまはわたしより長生きして。そしていつまでも元気でわたしにおいしいパンをずっと焼いてほしい」

「ラプンツェル……」


 美しい声でそう言われ魔女の瞳は潤んだが、内容は寄生虫宣言である。

 十六歳のラプンツェルは、魔女と毎日こうした攻防を繰り返していた。


 何よりラプンツェルの健康を心配した魔女は、鎖ではしごを編み、ある日窓から下ろした。


「さ、ラプンツェル、外へ行こう」


 魔女はラプンツェルの手を引いた。


「いやよ! 外になんか出たくない! 動きたくない!」


 ラプンツェルは短い手足をばたつかせて暴れた。


「もう動いてるじゃないか。それを外でやるだけだよ」


 魔女は窓辺までラプンツェルを引きずっていく。


「いつも見ていた城下町に行くこともできるんだよ。楽しみだろう」

「楽しみなんかじゃないわ! 遠くからこっそり人の秘密を覗くのが楽しいのよ!」


 ラプンツェルはぜいぜいしながら言った。少し暴れただけで息が切れたのである。

 ラプンツェルは渾身の力を振り絞り、窓辺に掛けたはしごを外して地面に落とした。

 力尽きた彼女は床に伏し、しばらくじっとしていた。

 そして、息が整うとそのままの体勢で部屋の奥に転がっていった。


 呆れた魔女はその一件以来、彼女を「ぽちゃンツェル」と呼ぶようになった。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 それから四年が経った。

 ぽちゃンツェルの生活は相変わらず、バターたっぷりのパンに遠眼鏡での覗き。


「城下町に住む金髪で鼻が高い優男、恋人が五人もいるのよ」

「西にある商店の旦那、家の金庫にいけない薬を隠してるみたい」

「堀沿いにあるパン屋のパンがおいしそう。デニッシュ系が売りみたい」

「貧民街に変な発疹が現れている人が増えているの。流行り病かしら」


 そうして得た役に立ちそうな情報から暴いてはいけない秘密まで、魔女にぺらぺらと話すのだ。


 魔女は優男が刃傷沙汰に巻き込まれそうだと傷薬を用意し、商店主の違法薬物所持を城に届け、ぽちゃンツェルの好みそうなパンを買いに行き、流行り病を抑える薬を配った。

 そうしているうち、知らぬ間に城下町での魔女の株は右肩上がりに上がっていた。



「ぽちゃンツェル。おまえ、たまには起き上がらないかい」


 魔女は困った顔で言った。これも最近毎日言っていることである。


「いやあよ、これが楽なのよ。動物だって四つ足じゃない。二本の足で立つなんて無理のある体勢なのよ」


 ぽちゃンツェルは床に転がったまま言った。

 もちもちぽっちゃりの身体ながら、美しい娘である。そして、そのなりで腹が立つほど美声なのだ。


「だけど年頃の娘はもう夫を見つけて子どもを生んでいるんだよ。いつまでも寝転がったままじゃ夫を探せないよ」

「お母さま、まさかわたしがここを出て行けばいいと言っているの? わたしは結婚なんかしないわ。一生ここでお母さまと暮らすの」

「ぽちゃンツェル……」


 いい声で言われたため、魔女はまた丸め込まれてしまった。

 二十歳のラプンツェルは、魔女と毎日こうした攻防を繰り返していた。




 魔女が今日もぽちゃンツェルの三つ編みをつたって塔を下りていくと、ぽちゃンツェルは床に転がったまま髪を引き上げようとした。

 しかし高い塔の上から地面に届くほどに長い髪は重く、ぽちゃンツェルは途中で髪を落としてしまった。

 以前はそれほどでもなかったのだが、最近城下町の堀沿いのパン屋にはまっているぽちゃンツェルは、少しぽちゃぶりを増し体力が落ちていたのである。

 長年繰り返してきた三つ編みの上げ下ろしすらできなくなっていた。



「……。ま、いいか。お母さまが帰って来たら手伝ってもらおう」


 ぽちゃンツェルはあきらめ、そのまま目を閉じた。

 バターたっぷりのデニッシュはさくさくと軽い食感だが意外と重く、食後のぽちゃンツェルは眠気に襲われたのだ。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 森のはずれの遠くに見える塔から、輝く金色の縄が垂れているのを見つけたのは、森の見回りをしていた騎士団長だった。

 肉体を鍛え上げて人々に施しを与える善き魔女が塔に住んでいることは知れ渡っており、騎士団長は一度会ってみたいと常々思っていた。


「勝手に上るのは失礼だろうが、またとない機会であるな」


 騎士団長はそうつぶやき、馬で単騎森を駆け抜け塔までたどり着くと、風に揺れている金色の縄に手をかけた。




 塔を登りきり、窓から部屋に入った騎士団長が見たのは、金色の縄につながった先に転がっている丸太のような物体であった。


「白い……なんだ、人間か?」


 足先でそっと転がすと、ころりと現れたのは眠るぽちゃンツェルの顔。

 美しい面立ちだが、いかんせんぽちゃんとしている。


「あの……、もし、そなた大丈夫か」


 騎士団長はぽちゃンツェルの身体を揺すって起こした。

 目を開けた彼女は、目の前に見知らぬ男がいることに驚いた。しかし、身体が重く動かないので、目を見開いただけであった。


「身体は何ともないか。具合が悪いのではないか?」


 ぽちゃンツェルは、生まれて初めて男の声を聞いた。

 塔は森のはずれにあり、人が通りがかることはない。ぽちゃンツェルが聞いたことのある人間の声は、魔女だけだった。


 目を見開いたまま動かないぽちゃンツェルに、騎士団長は不安になった。

 見たことのない生き物を見るように、ぽちゃンツェルの青い瞳をじっと見つめる。



「もっと……何か話して」



 そう言った声は、鈴が転がるような美しい音だった。

 騎士団長は美しい声に聞き惚れるあまり、何を言われたのかわからずぽかんとしていたが、はっと気がつくと居直った。


「そなた、身体は痛めていないか? このような硬い床で寝ていてはいけない」


 胸に響くような低い声に、ぽちゃンツェルはぞくぞくと震えた。

 ぽちゃぽちゃの手を床に着き、ゆっくりと身体を起こす。瞳はじっと騎士団長を見つめたままで。


 城下町を遠眼鏡で見ていた時に、この男の姿を見たことがあった。

 たくさんの騎士が凱旋している先頭にいたので、偉い身分の人なのだろうと思っていたが、まさかこれほどまでに痺れる声の持ち主だったとは。

 ぽちゃンツェルは潤んだ瞳で騎士団長の顔をぼんやりと見ていた。

 ぽちゃんとしているとは言え輝くばかりの金髪と美しい肌と声、整った顔立ちの娘に見つめられ、騎士団長は顔を赤らめた。


 そして、心を決めるとおもむろに口を開いた。



「私の妻になってくれないか」



 再びの低音にぽちゃンツェルはうっとりとした。

 話している言葉はするりと頭をすり抜けたが、ぽちゃンツェルはうなずいた。

 何を言っているのかは聞いていなかったが、とてもいい声なので悪いことを言っているわけがないと思ったのだ。


 二人は手を取り合っていつまでも見つめあっていた。





 魔女が塔の部屋に戻って来た時も、二人はまだ黙って見つめあっていた。

 窓から入って来た魔女に気づいた騎士団長は、立ち上がり丁寧に礼をした。


「勝手に部屋に上がり込んですまない。私はこの国の騎士団長だ。彼女の髪が塔から垂れているのが見えたので、魔女殿にお目にかかりたいと、登って来たのだ」

「謝っても魔女の住処に立ち入った非礼は許されないよ」


 魔女は厳しい顔で言った。

 騎士団長は深く頭を下げた。


「誠にすまなかった。私にできることであれば、償わせてもらいたい」

「この国の騎士団長は人の家に押し入って、娘をたぶらかすような男なんだね。そんな人間にできることはないよ」

「申し訳ない……。だが、たぶらかしてなどいない。私は本気だ」

「と言うと?」

「この娘御を私の妻に迎えたい。私はこの国の第二王子で、騎士団長をしている。

 金も仕事も地位もある。決して不自由な暮らしはさせない」


 それを聞いた魔女は、態度を一変させた。


「なんだって! ぽちゃンツェルをもらってくれるのかい!? それなら許すさ! 未来の息子!!」


 突然魔女が喜色満面でぐいぐい来たので、騎士団長は顔を引きつらせた。


「ぽちゃ……妙な名前だが、それがこの娘の名前か。だが、許しを得られたならありがたい。

 ぽちゃンツェル、私と一緒に城で暮らそう」


 その言葉に、今度はぽちゃンツェルの顔が強張った。



「え、いやあよ。わたし、ここから出ないわよ」



 驚いたのは魔女と騎士団長である。


「ぽちゃンツェル、さっきはおまえも気があるようだったじゃないか。

 これを逃したらもう嫁に行く機会はないよ。いいかげんここから出て行っておくれよ」


 魔女はぽちゃンツェルをなだめすかしたが、ぽちゃンツェルはしかめっ面で言った。


「わたしはここでおいしいパンを食べながら暮らすの。城に住んでちゃ覗きも楽しめないし、お母さまの作ったパンも食べられないわ」

「ぽちゃンツェル……」


 魔女は美声に丸め込まれかけている。



「待ってくれ! 城にも塔がある。

 そこならここと変わりなくそなたの好きな、覗き……? ができるぞ!

 パンは城の料理人に作らせればよいし、城下にある店から運ばせてもよい。

 母君と別れるのが嫌なら、魔女殿も城にくればよい」


 騎士団長は焦って口を挟んだ。



「わたし、他の場所には行きたくないわ。動きたくないの」



 ぽちゃンツェルはど真ん中の本音を言った。

 そして、床にいつもの体勢で転がった。丸太である。


「ぽちゃンツェル……」


 魔女はうなだれ、騎士団長は床に崩れ落ちた。




    ◇◆◇◆◇◆◇




 最近、騎士団長が恋をしたらしいという噂がにわかに城下に広まっていた。

 城下に下りて来る時は騎士の正装をして美貌をさらに輝かせているし、時折どこか遠くを見つめうっとりとため息をついては、誰に向けてか微笑んで手を振っていたりする。

 相手は誰なのだろうと、皆がささやき合っていた。



「美しいお姿……」


 城下で手を振る騎士団長の姿を、ぽちゃンツェルは今日も遠眼鏡で眺めていた。

 あちらからは見えていないが、ぷくぷくの手を振り返すと、甘くため息をついた。

 その姿は、いつもの如く転がった丸太である。


「またあの男を見てるのかい。そんなに好きなら、早く結婚すればいいのに」


 後ろから見ていた魔女が言った。


「いやあよ、ここから動きたくないもの」


 ぽちゃンツェルはいつものように答えた。



 騎士団長はぽちゃンツェルの怠惰に負けて一度は失恋したものの、やはりあきらめられなかった。

 ぽちゃンツェルが遠眼鏡で城下町を覗いていることを知り、用もないのに頻繁に城下に下りて来てはポーズを取ったり手を振ったりと、遠くからぽちゃンツェルにアピールするようになった。

 たまに、パンと花束を抱えて馬を走らせ、塔にやって来る。

 そして、塔の下から窓辺に向かって声を上げるのだ。


「ぽちゃンツェル、私だ。髪を下ろしてほしい」


 その声につられてぽちゃンツェルは今日も三つ編みを窓から下ろし、騎士団長を部屋に迎え入れる。

 バターたっぷりのパンと騎士団長の声にうっとりとしているが、やはり求婚には応じないようだ。

 魔女と騎士団長に餌付けされてよりぽちゃ度を増し、それに比例してさらに身体を動かさなくなっているのだが、その皮肉に騎士団長はまだ気づいていない。



 魔女は、遠い異国の話を耳にした。

「ラプンツェル」という我が家の娘と同じ名前の美しい娘が、その国の王子に見染められ塔から下り、幸せに暮らしていると。


「うちのぽちゃンツェルも早く連れ出してくれないかねえ」


 魔女はため息をついた。

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