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崩壊と絶望と、ひまわりのような笑顔の女の子6

 木々を縫うような安らかな風と、葉の間から必死に零れ落ちようとしている木漏れ日。朝はその二つが同時に降りかかったことで目が覚めた。

 珍しいことじゃない。晴れていれば木漏れ日が当たることはあるし、そこに風が吹けば今の条件は簡単に満たすことができる。でも僕はなぜだかそこに奇跡のようなものを感じる。曇っていればこんなことは起こらない。激しい風でも、弱すぎる微風でも駄目だ。僕が気持ちいいと思うような条件が揃うことは枚挙に暇がないけれど、そのどれもが少しずつ違って、飽きることのない高揚感が身体を、心を満たす。

 昨日のことを思いだす。昨日もまた、晴れていた。今日も晴れている。とても気分がいい。雨というのも嫌いじゃないけれど、やっぱり晴れていると明るい気分になる。世界が僕らの何もかもを肯定しているみたいだ。

 僕は目を覚ますとまず湖のほとりで顔を洗う。家はないけれど、とりあえず湖の近くで寝ることに最近は決めている。ただいつも同じ場所ではつまらないので寝る場所はその時々で変えている。

 湖面には僕の顔が映った。最近では見慣れた、けれど最初の内はまったく自分だとは思えなかった顔だ。湖の中で誰かが僕と同じ動きをしているんじゃないか、そう思って湖面を叩き付けたこともある。結果は水しぶきが飛び、この顔が歪んで見えただけだった。僕と同じ動きをする湖面の彼はやっぱり僕で、つまりその湖面に映る複雑な表情をしたのも僕だった。

 あのときはまだ転生しただとか、世界が崩壊しただとか、まだ信じきれていなかったのだと思う。湖面の彼は好きな小説で好かないシーンがでてきたような、絡み合った糸のような感情を持っているように見えた。

 顔を洗い終え、水分を風魔法で飛ばすと次に僕は目を閉じる。起きたばかりで、しかも顔を洗った後に二度寝を決め込むなんて莫迦なことをしているわけではない。『コール』を使っているのだ。

 木々に問いかける。何か問題はあったかい?砂漠に変化はあるかな?

 木々は決まってこう答える。


――いつもと同じ平穏な日常だ。

――大きな変化はない。

――魔物の動きが少し活発になったくらいかな。


 その返答を予測して、今日も僕はいつもと同じ質問をした。

 しかし木々の反応は少し違った。


『遠くで大きな音がする』


 それは特に砂漠の近くの木々から聞こえた。もちろんそこには仲のいい彼もいる。

 何かあるかもしれない。何もないかもしれない。少なくとも僕がここで生きてきた三年間、そんなことはなかった。

 念のため、僕は彼の元に向かった。

 いつもは寝起きの時間のはずの彼は、はっきりとした様子で僕の質問に答えてくれた。


「ちょっと耳を澄ませてみてよ」


 ここは森だ。葉のこすれ合う音よりも大きな音などそうそうない。エルフの村の近くなら音はあるけれど、ここは何もない砂漠の近くだ。おそらく、僕が知る中でここは一番穏やかな場所だろう。

 それなのに。

 何かの音が聞こえた。ガサガサ。それは地鳴りのような音だった。でも、地震の前兆とは決して思えないような長さで、その音が絶え間なく続いている。どこか遠くの音がここまで聞こえてきているのだ。そう結論づけることは、難しいことではなかった。

 この音は決して地震の前兆ではない。けれど、耳に残りそうなほどに変わらないこの音は、地震よりもずっと不吉な予感がした。


「とりあえずこっちの方は注視しておこう。でも今は何もできない。何かあったらすぐに連絡してくれるかな」


 木も、魔力たっぷりの身をならせる程度には魔力を持っている。木という特性上魔法の使用には大きな制限がつくけれど、初級魔法の『コール』程度であればそこまで距離が離れていない限り使えることがわかっている。


「わかったよ」


 彼はそう短く返答した。


「今までにこういうことはあった?」

「ない、ということはないけれど、こんな音は聞いたことはない。しかも絶え間なく聞こえる。僕にはこれが何かわからない」


 一〇〇年以上生きている彼でもわからない。何かの予兆みたいだ。今のところ森に被害はないけれど、被害がもたらされる可能性は充分にある。


「とりあえずこのことをエルフたちにも話してくるよ」

「それがいい。僕らは動けないから何かが来たなら死は覚悟できる。けれど、彼らは動ける。森を捨てれば生き残ることだって可能だ」


 彼は平然と、近所の公園に遊びに行く子供のように言った。緊張した様子もなく、本当に何も思っていないような声だった。

 何かが胸の中を通り抜けて行く感覚がした。自分が水になって、その中を大きな針が突き抜けて行くかのような感覚だ。痛くはない。でも、それが通り過ぎると何もない空虚な自分だけがあるように感じる。


「そんな悲しいことを言わないでよ」

「でもこれは覚悟しなきゃいけないことだよ。君たちにはいざとなったら無情に僕らを犠牲にできる覚悟が必要だ。僕らはこの森が失われることは怖いけれど、自分が犠牲になることを怖いとは思っていないんだよ」


 空虚の正体は僕の無能だった。もし危険が訪れたら何もできない。彼のために、この木々たちのために戦う力を僕は持っていない。場合によっては彼を見捨てなければならない。


「まあでも、今は気を張る必要はないんじゃないかな。あの音が僕らに危険をもたらす何かだと、決まったわけじゃない。隕石がここに落ちるよりは可能性が高いだろうけど、おかしな妖精さんが生まれるよりは可能性が低いさ」


 はははっと彼は笑った。つくったような、けれど安心感を与えようとしてくれる嘘のような本当の笑顔。

 僕も同じように笑った。彼に合わせていれば、僕の不安は少し掻き消えた。それでも空虚さが消えることはなかった。


 アレンさんは一瞬真剣な顔になりながらも朗らかな笑みで答えた。


「まあたまにはあるのではないですか。人生一度や二度危険の可能性くらいありますよ」


 アレンは大きな地震が来るというような危機感しか持ち合わせていないように見えた。

 ここには小さな湖がある程度で大きな地震が起こったとしてもさして被害はでない。こんなところで張り詰めた糸のように気を張っていても杞憂に終わる可能性の方が高い。もし杞憂でなかったとしても僕には何もできない。

 だからきっと、アレンさんのように気を楽にしておいた方がいいのだろう。

 でも僕にはどうしてもそれができなかった。一度世界の崩壊を経験しているからだろうか。あのときだって、平穏が簡単に崩れた。たった数分前まで平穏だった日常が。

 知っていればもしかしたら何かができたかもしれない。

 そんな感情は世界が崩壊したあの日から心の中に居座り続けている。それがこの三年間でどれだけ奥深くに潜ろうとも決して消えることはない。世界の崩壊は僕をどこまでも不安にさせる。


「まあ、そうですね。今は心配しても仕方がないでしょう。どうにかできるわけでもないですしね」


 僕は笑顔を浮かべた。けれどこれは偽物だった。本当は心配で仕方がなかった。


「アル様、昼食はどうしますか?」


――もう昼時か。

 正午には到達していないけれど、充分に昼食と言える時間だ。今頃になって気がついた。

 起きるのはそんなに早くはなかった。けれどここまで時間が経っているとは思わなかった。崩壊への不安、三年前以来に呼び戻された感情が僕の時間を奪っているように思える。

 そう思うと心配しているのが莫迦らしくなった。あんなことが二度も起きるはずがない。それにこの森に住むエルフたちは充分に強い。

 けれど、莫迦らしくなっただけでその気持ちは僕の胸の深層に残り続けていた。

 

「いただきます」


 中途半端な人間だな、と思って、今は人間じゃなかったな、と思った。問題はそこじゃないのに、今は何かどうでもいいことを考えて気を紛らわしたい気分だった。

 僕はやっぱり中途半端なままだった。


 昼食は美味しかった。昨日ほどではないにしろ、魔力たっぷりの果実が骨身に染み渡る。

 温かかった。家族の優しさも、ご飯も、身体全体に行き渡る魔力も。

 少しだけ気が楽になってきたように思えた。


「アル様?」


 声を発したのはエレンだった。僕を見て首を傾げている。

 なんだろうと思って自分の身体を見てみる。

 少し黄色いな、病気かな?と思った。でも身体に痛みはない。

 次第に黄色さは増した。やがて黄色さというより身体が光を帯び始めているのだと気づいた。だんだんと身体が熱くなっていく。

 次の瞬間、視界が真っ白になった。一度目を閉じ、再び目を開ける。やっぱり白かった。

 でもそこは白い部屋だった。真っ白な椅子に座る僕。真っ白な机を挟んで、対面には真っ白な椅子に座る真っ白な男がいた。


「やあ、おはよう」


 男が発する声はなんだか好感が持てなくて、僕はこんにちはと少し嫌味っぽく応えようとした。でも、だそうとした声はどうしても喉の奥で消えてなくなってしまった。

 僕は心の中でそっとため息を吐く。厄介なことは嫌いだ。僕は気楽に生きていたい。

 男が僕のため息に反応するかのようには笑った気がした。

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