崩壊と絶望と、ひまわりのような笑顔の女の子3
エレンの腕の中から離れ、ふかふかのソファーに座った僕は向かい側に正座する三人を見た。
傍から見れば人形に申し訳なさそうにしている不思議な家族だけれど、エレンを除く本人たちはそれを当然のことと思っているようだ。まるで神様になったような気分になる。
エレンのお母さんは一度視線を娘に向けると、伏し目がちにこわばった表情で僕に頭を下げた。
「まず始めに…申し訳ありません。エレンが大変な粗相を」
「頭を上げてください。僕は貴方たちの考える妖精とは違って知識が足りない未熟な存在です。彼らのような妖精でない僕にそこまでする必要はありませんよ」
僕はなるべく善意の塊みたいな笑顔を浮かべた。
よくわからないけれど、妖精という存在がこの事態を引き起こしている。
「妖精様は未熟だとおっしゃいますがどういう意味なのでしょう?」
「知識が色々と不足しているんです。妖精というのは本来様々な知識、使命を与えられていると、とある木から教えてもらいました。僕もある程度彼から教えてもらって妖精がどのような存在かはわかったのですがそれ以上のことを何も知りません。むしろなぜエレンのご両親に謝られているのか不思議なくらいで」
僕はそう言って微苦笑を浮かべる。
「妖精様はそれぞれの妖精に信仰している種族がついていることをご存知でしょうか」
「信仰?」
「ええ。特に私たちエルフは森に住まうので緑の妖精を信仰しています」
キリスト教徒のイエス・キリストのようなものだろうか。確かに信仰している存在を腕に抱えてくるのはまずいかもしれない。
ただどうにもまだ妖精としての自覚が足りないのか、やっぱりこの状況に違和感がある。前世もせいぜい後輩くらいに、しかも中学生にあるとりあえず敬語程度しか敬われなかったものだから戸惑いが大きい。
それよりも僕の興味は彼らの方にあった。僕のイメージするエルフは金髪か、あるいは森と同じ緑の髪。そして耳が長くて森に住んでいる。前世のエルフとピッタリのイメージだった。
「エルフが本当にいるなんて」
「エルフをご存じなんですか?」
「緑の妖精を信仰しているとは知りませんでしたが、そういう存在は認知しています」
彼らは僕が未熟な状態で生まれてきてしまったがために情報の穴が変なところにあると思っているようだった。僕が妖精として持っているのは本能的な部分だけだ。後は人間の頃の記憶によって賄われている。
なんだか騙している気分になって、こっちの方が申し訳なくなってくる。
「そうだ、どうせ謝るなら僕に色々教えていただけませんか?きっとそっちの方がお互いにいいでしょう」
これ以上謝られると今度は僕がいたたまれなくなってくる。悪いことをされた覚えはないのに謝られて、しかもこっちにも後ろめたさがあるのだ。
だから本当は星空や蛍でも見ながらのんびりと生きていきたいけれど、何もなかったことにして引き下がるわけにもいかない。僕が生まれたのは妖精だ。妖精の役目を何もしないわけにはいかないだろう。初めての他の妖精との出会いが説教とかは嫌だ。
***
エレンの母――エレナは目の前に存在に不思議な感覚を受けていた。
一般に妖精という存在は人前に顔をだすことを嫌う。透明になる魔法を習得する以前はこのように姿を見られることはあるけれど、それでも会話をできることはまずない。たいてい、その前に逃げてしまう。
当然エレナは妖精と会話をしたことがなく、また信仰対象を捕獲してしまうようなことをするエルフなどまずいなかった。せいぜい好奇心旺盛でまだ信仰心の薄い子供くらいなものだろう。そう、例えばエレンのように。
人間で言うところの神様だ。本来なら平伏してでも謝る存在なのだけれど、目の前の妖精はあまり謝らないでほしいと言う。
今まで妖精を神聖視してきて、しかもその存在との会話をしたことがないエレナは、まるで信仰対象ではないかのように微苦笑している妖精の姿に驚いた。
本人曰く未熟な状態で生まれてきたせいだと言っているけれど、それでもここまで一般的な妖精と性格が違うのも珍しい。
相手に気を使え、友好を築こうとする。優しさを持ち合わせ、頭が良く強か。まるで人間のようだ。
「そう、実はお訊きしたいことがあったんです。今この森に住んでいるエルフ以外で、知性のある生物ってどの程度いるんですか?」
「知性ですか?そうですね……私たちエルフを除くと、この森の南側に人間が国をつくっています。北側には砂漠が広がっていますがそのずっと先にはドラゴンが棲んでいると言われていますね」
「ドラゴンですか?」
「ええ。彼らはこの世のすべての生物の中で種族上最も強いと言われています。でもちゃんと知性もあるのでわざわざ知性ある生物を襲おうとはしません。彼らも無敵ではないですから」
ドラゴンはこの世界に住む種族の中で最も強い。それは神話なんかを見ても明らかで、おそらくここにいる全員の認識にそう違いはない。
「あとは天使、吸血鬼、妖精に一部の魔物や精霊、他にも上げればかなりいるとは思いますが代表的なところはこんなところでしょうか」
「なるほど……。この森に住むうえでそうした知的生物と会う可能性は?」
「まずありませんよ。ここはエルフの森と呼ばれ、私たちエルフの土地となっていますから。そんなところに許可なく入ってくるような者は不心得者でない限りいないでしょう。しかしなぜそんなことを?」
「僕の認識では知的生物は厄介なんです。なんてったって話が通じるようで通じない相手が多いですから」
妖精は冗談っぽく肩をすくめて見せた。
しかしエレナもその意見には同意だった。もしみんな仲良くできるなら近くにいるエルフと人で完全に棲み分けることはないだろうから。
「話は変わりますが、実は少しだけ妖精について訊きたかったんです。まだ知らないことが多くて」
「なんでしょうか」
「妖精の加護ってなんですか?」
「加護というのはその生物または個人に備わった恩恵みたいなものです。例えば妖精様であれば緑の妖精なので自然をある程度操作するの力を持っています」
「植物の成長を早めたり、土に栄養を与えたり、砂漠化を止めたりですか?」
「ええ、そうです。これらは魔法で行うこともできなくはないのですが、加護を持っていない人にとっては習熟は難しく、また効率や魔力消費量も桁違いなので加護は持っているだけで意義深いです。ただ種族柄共通の加護を持っているという種族はそれほど多くはありません。どちらかと言えば加護は個人単位で判断されるので神に認められた者の象徴となっています。だからこそ私たちエルフは、森に住み、種族単位で共通の加護を持つ緑の妖精様方を信仰しているのです」
「ということは加護を持っている人は少ないんですか?」
「ええ。やはり加護持ちはなかなか見つかるものでもありません。実際ここにいるエルフの中に加護持ちはいませんから」
少し不安が過った。今教えたことは比較的誰でも知っていることだからだ。それこそエレナだけが知っていることでもなければエルフだけでもない。人間だってドラゴンだって知っている。
謝る代わりに教えた話は、おそらくそこらの旅人に訊いてもただで教えてくれるような内容だ。
「わかりました。ありがとうございます。とりあえず今ある疑問は解決しました」
「もうよろしいのですか?」
「ええ、今のところは。ただこれから先訊きたいことができるかもしれないのでまた来てもいいですか?」
妖精が自分たちにまた会いに来る。それはキリスト教徒の一個人にキリストが会いに来るようなものだ。戸惑いはある。後ろめたさもある。けれど信仰している相手とまた会えるというのは恋人と次のデートの約束をするくらい嬉しいものだ。
「「ええ、もちろん!」」
「あなた、今まで一言も発しなかったのによくもそこで元気に応えられたわね」
エレナが半眼で答える先、それはエレンの父でありエレナの夫であるアレン。
アレンは頭を掻くとエレナに「ごめん!」と両手を合わせて謝る。
そんな二人の姿を見て失笑する声が聞こえる。一人はいつもそんな夫婦の姿を見ているエレン。もう一人は信仰の対象たる一人の妖精だ。
「いえ、すみません。仲がよさそうで楽しそうだな、と」
温かくて、それでいて少し寂しそうな視線は小さな妖精から向けられた。
エレナは何か言おうとして、けれど適当な言葉がでてこなかった。
「これからは妖精さんも一緒だよ!」
その声はエレンだった。小さな妖精は驚いた顔を一瞬見せて、微笑む。
「そう言えば、妖精様と呼ぶのも、やっぱり他に妖精がいるので少し変でしょう。よければこれからはアルと呼んでください」
それからはとりとめのない話をした。
アルがしているのは自然な情報収集のようにも見えるし、ただお喋りに興じているだけのようにも見える。ただエレナはそれらを一切不快には感じなかったし、むしろとても楽しくて嬉しかった。きっとそれはアレンも、エレンだって変わらない。
アルがこの森に住むのならば、エレナたちとずっと一緒にいられるかもしれない。それを夢想し、エレナは久しぶりに子供のように胸を弾ませた。
――みんなで笑い合いたい。みんなで幸せに生きたい。ずっと、ずっと、みんなが一緒に暮らせる世界を。