崩壊と絶望と、ひまわりのような笑顔の女の子1
熱い。
焼けるような熱さが全身を満たす。
今にも焼け死にそうで、拷問でも受けているかのようだ。
重い瞼に力を入れて目を開けると、そこには一面砂漠が広がっていた。僕はそこで倒れているのだろう、真上で爛々と輝く太陽とその熱を受けた砂漠に全身が悲鳴を上げる。視界はぼーっとして、あまりの暑さからか陽炎の揺らぎも大きく感じる。
今ここに居続けたら死んでしまうだろう。僕は慌てて立ち上がろうとして、けれど身体は少しも動いてはくれなかった。
――身体の動かし方がわからない。
いったい今までどんな風に身体を動かしていたのだろう。いつもなら身体を動かしたいと思えば簡単に身体が動いたはずだった。
でも僕の身体はまるで金縛りにあっているかのように動かない。
まさか死ぬ直前なのだろうか。もうすぐ死ぬのならば身体に力が入らないのも納得だ。そうか、死ぬのか……。
なんとなく、死ぬのではないのだろうか、そう思った。
死の恐怖、痛み、虚しさ、そんな感覚を覚えている。
世界は僕が思っているよりもずっと残酷な終わりを迎えた。飴玉みたいな単純で甘い世界ではなかった。そう、僕はその世界で死――
「あれ?」
身体が動かない割には声はでた。大きな声はだせないけれど、昔からずっと聞き慣れた自分の声だった。
確かに大木の押しつぶされて死んだはずだった。割れた地面を眺め、倒壊する校舎の音を聞き、倒れていく人をただ見つめることしかできず、なのに今は死んでいないうえ周りには校舎の瓦礫でもなく割れた地盤でもなく倒れた大木でもなく、砂漠が広がっていた。
春の暖かさと綺麗な緑と、子供たちの愉快な声の聞こえる学校ではなく、ただただ熱さしか感じない茶色。視界いっぱいに広がるコルクのような茶色は豊かな色彩を持ってはいない。強いて挙げたとしても空の青くらいだろう。
そうだった。世界は崩壊したはずで、僕は死んでいるはずで。けれど意識は確かにある。あの魔法は世界を崩壊させる規模だった。僕の認識が正しければ、到底人が生きているとは思えない。
「ここはいったいどこ、なんだろう」
考えていても仕方がない。まずは生き延びなくてはならない。
重い身体に必死に力を入れて立ち上がる。
今度は少し言うことを聞いてくれた。立ち上がる感触がいつもと違ったのはこんな場所で寝ていたせいだろう。
きっとここで長い時間意識を長い間失っていたはずだ。この暑さもある。多少感覚が違うのは仕方のないことだ。
そして僕は立ち上がった。踏みしめた足は熱い砂の上で火傷してしまいそうで、思わず片足を上げてしまう。ずっと倒れていた僕の身体は片足で立てるほど強くなくて、またすぐに倒れてしまう。
「あれ?」
僕がそうして見たのは、まったくと言っていいほど上がらない視界だった。立ったはずなのに正座していたときより低いように思う。なんだか奇妙で恐ろしい。
何よりも奇妙だったのは僕の手足だった。色が植物みたいなライトグリーンで指がない。どれだけうまく解釈しようとしても人のものには見えない。
夢なのかもしれない。そう思ったけれど、砂の熱さも気温の熱さも確かに肌が感じている。
熱さから来る痛みがこれは現実だと脳に理解させてくる。頬を引っ張るよりもずっと身体の痛みが現れてくる。
自分の身体だと理解するのに数秒の時間が必要だった。もう少し考える時間が欲しかったけれど、砂漠の砂は今にも僕を焼きそうでつらい。
一つ息を吐いてもう一度立ち上がる。
その瞬間、後ろから砂漠とは思えないような涼しくて少し湿った風が吹き抜けた。
咄嗟に後ろを向こうとして、けれどこの暑い砂漠の中倒れていた僕は身体を素早く動かすことができずにゆっくりと後ろを向いた。
そして声がでなくなった。
ありがたいような、わけがわからないような光景は僕の視界の端からゆっくりと広がる。
完全に後ろを向いたときには視界いっぱいにそれがあった。
「森……」
様々な木々が乱立した森は、僕がいるところから一〇〇メートルほどのところにいきなり現れていた。
特に驚いたのは、こんな暑い場所にもかかわらず、その木の多くは僕がよく見るような木、日本のような温かく水も多い地域にあるような木だ。
何がなんだかわからなかったけれど、とにかく今はこの熱さから抜けだしたくて必死に歩いた。
火傷しそうで足を速く動かすと今度は慣れない身体のせいで転倒する。たった一〇〇メートルほどの距離が今はつらい。
やっとの思いで森の入り口に着く。
森の地は土や雑草で覆われていて、まるで熱いとも感じなかった。むしろ今まで砂漠の上にいたせいか冷たいとさえ感じるほどに。気温も驚くほどに変わっていて、日本ですら感じなかった暑さから日本の冬の手前に感じる気温くらいまで下がっている。
その涼しさに力が抜け、すぐ近くにあった木に寄りかかった。もう考えることさえ嫌になって、この異常を何も考えずに一度受け入れることにした。
――大丈夫?妖精さん。
ようやく落ち着ける。そう思って頭を真っ白にした僕に、不思議な声が聞こえた。どこからともなく聞こえた声。周りを見渡すけれど、人の姿は見えない。
「まさか、今のは君の声なの?」
――うん、そうだよ。
僕は後ろに向けて問いかけていた。そこには木しかない。
「妖精さんって僕のこと?」
――うん。大変だったね、あんなところで生まれるなんて
喋っているのは木。ただの木。なのになぜかその声が聞こえる。
耳は澄ませば様々な木々の息をする音が聞こえた。みんな静かに寝ているようだった。
木だと理解したら、不思議な感覚は霧散していった。
「僕は妖精なの?」
「ああ、妖精さんは自分が妖精って自覚無しに生まれちゃったんだ。本当なら最初からそういう知識は入った状態で生まれてくるはずなんだけど……不思議なこともあったもんだ」
確かに今の手足やこの小さい体躯は妖精というには相応しいように思う。
「妖精さんは自分の使命というか、役割というものを本能的に理解していたりするかな?」
「まだよくわからない」
本当に何もわからない。そもそも人間の機能があるのかすらもわからない。
「じゃあ妖精がどんな存在か知ってる?」
僕は首を横に振った。
「じゃあ妖精について教えよう。と言っても僕もそんなに詳しいわけじゃないんだ。なんてったって僕は木だからね」
彼が冗談気に笑ったような気がした。
確かにここから動けない彼は知識をあまり持っていなさそうではある。けれどそんな彼が頼もしく感じられるほどに僕は何も持っていない。
「まず妖精というのは色んな種類がいるんだけど、正直何種類いるのかはわからない。でも妖精さんが緑の妖精っていうのはわかるよ」
彼はとても軽い口調で言う。
「緑の妖精って?」
だからなんとなく質問もしやすい。もしかしたら彼なりの気遣いかもしれない。
「緑の妖精っていうのは僕ら自然のものにまつわる妖精だ。僕と話せるのも妖精さんが緑の妖精だからだね」
木と話せるというのはなんだかおかしな話だと思っていたけれど、木が話せるのではなく、僕が木と話せるということのようだ。
「緑の妖精には自然由来の能力、つまり加護がいっぱいあってね、例えば僕らの成長を早めたり土に栄養を与えたり砂漠化を止めたりね。妖精さんの他にも緑の妖精はこの森にいくらかいるよ」
「じゃあ僕は同胞に合流すればいいのかな?」
「う~ん、多分会えないと思う。他の妖精さんたちみんな姿を隠すから。それよりも妖精さんにはこれからいっぱい成長してもらいたいんだ」
「成長?」
「妖精さんたちの身体は魔力でできていてね、僕らは果実に魔力を貯められるから、僕らは果実を与え、妖精さんは森を守る。そうすることで僕らは共存共栄しているんだよ。妖精さんたちは成長すればするほど妖精としてできることが多くなるし妖精さんたちが森を守るために使う力も魔力からなされるから僕らは積極的に妖精さんたちを成長させたいんだよ」
魔力、と聞いて再び僕は世界が崩壊したことを思いだした。
魔法は世界を崩壊させる力を持っている。それは僕の中にある知識を覆した。間接的に破壊し得ることはあったとしても直接的な破壊は起こらないと思っていたのに。だから世界を崩壊させる魔法が起こった瞬間、僕は魔法に恐怖を抱いた。死への恐怖と同時に魔法への恐怖が生まれた。
でも、美しい使い方もある。忘れていたことを思いだして、僕は少し嬉しい気持ちになった。
誰もが魔法で幸せに暮らせる世界。きっとそれがこんな形なのかもしれない。
「じゃあこれは選別だよ」
そう言って彼は僕の手元に一つの果実を落とした。赤くて大きなリンゴのようだけれど少し違う果実。それが僕の手元にあった。
「何か訊きたいことがあったらまた来てね。僕は木だからあんまりいい話は持っていないけど、砂漠に近い位置にあるから砂漠の状況とかよく見えるんだ。妖精の役割としての情報はいいものを上げられるんじゃないかな」
「ありがとう。しばらくは森を回ってみることにするよ。またここに来てもいいかな?」
「うん。またいつでもおいで」
僕は小さな歩幅で彼から離れていく。
妖精というからには飛べるかとも思ったけれど、少なくとも今はできないみたいだった。