5.記述のルール
駅前に並ぶ雑居ビル。二階を見上げ、喫茶店の窓に反射する太陽に目を細める。
「……結局、今日も来てしまうのか」
カラコロとガラス戸の鳴子が響き、俺の体が冷気に包まれる。
「いらっしゃいませー! やっしー!」
一秒と待たずに浴びせられた文菜の声に顔を背け、俺は店の奥へと踏み込む。狙うはいつもの席、壁を背にしたテーブル席だ。
「アイスコーヒー」
首尾良く席に着いた俺は、お冷やとおしぼりを持って寄ってくる文菜へと注文を飛ばした。
「もう、何も言わなくても持ってきてあげるのに」
「そんな馴れ合いはいらん、普通にしてくれ」
「やっしーつれなぁ~い」
置かれたグラスをテーブルの隅によせ、鞄からノートPCを取り出す。手早く電源を入れると、俺は起動を待った。
結局、昨日は何も進んでいない。書き上がっていたストックを「りらい」に吐き出しただけだ。原稿はともかく、最新話のネタ出しくらいは済ませなければ――
「む……」
ちらりと店内に目をやるとカウンター席の奥、昨日と同じ場所に例の女がいた。服装こそ昨日と違うものの、キャップを被ったユニセックスな装いに変わりは無い。
見た目に――大学生というところか。文菜と歳が近そうではあるが、知り合いという様子ではない。相変わらず意味不明な客だった。
「ふん……」
だが、なんであれ関係無い。昨日こそヤツからの奇異の視線にさらされ集中を欠かされてしまったが、所詮は「現実」の生き物だ。ならば構う理由は無い。
俺は「ネバーノーツ」を起ち上げると、そこに並んだ文字列だけに意識を集中した。
『風の章:幕間 素案』
・療養中のストークのもとへキュリアが行っているパート。(フレイアの場合もあり)
・街人たちによる旅館改築パート。
・シュウセイの新技習得パート。
・単純な買い出しパート。
・異形の襲撃により壊された街の復興パート。
・
・
・
いくつもいくつも並べた箇条書きを目で追う。
ここにある約三十ほどの素案は、俺が小説世界に見出した“記述のルール”、その最高の特色を存分に活かすためのものだ。
創造できる世界、思い通りに起こる物事、筋書き通りに動く人物たち――原因はわからずとも、そんな小説世界を手に入れられたことは、まさに我が身に起こった奇跡ではある。だがもしこのルールが存在しなければ、その奇跡はこれほどまでに輝くものではなかっただろう――
※『小説世界:記述のルール』
~~
3.小説に書かれていない時間は、自由時間である。
・小説世界の中の時間経過は、現実のものと変わらない。
1)場所の移動も人物との会話も自由に可能。
2)その後の出来事を改変するような行動は無効化される。
3)「~をしていた」などの記述が後にあった場合、行動は制限される。
~~
俺の「ネバーノーツ」に設けられたノードの一つ、これまで試し、確信を得た“記述のルール”集にはそう記してある。
この“記述のルール”第三項は、いわゆる“読者に見えない部分”。小説のみならず、映画であれなんであれ物語には必ず存在する、シーン遷移による空白時間のルールと言えるだろう。
今ここでノートPCを見ている俺は、これから先眠るまでをどれだけくだらなく、記述に値しないシーンが連続するとしても、全て味わうことになる。それは通常、小説であれば絶対にありえないことだ。だらだらとした無意味なシーンを垂れ流す――読み手もつまらなければ、書き手もつまらない。そんなことに労力を費やす作家はまさかいないだろう。だが、それが「現実」だ。どれだけ無為な時間を過ごそうと、シーンが飛ばされるということはない。
では、「小説」が「現実」化してしまえばそれはどうなるのか、その答えは――
“・小説世界の中の時間経過は、現実のものと変わらない。”
その記述の通りだ。
小説世界の住人であるキュリアたちは、俺の書いた通りに行動し、語る。その流れが覆されることはなく、それは「シュウセイ」にしても同様だ。こちらの世界で書いた文章がある限り、「シュウセイ」を通して小説世界を見ている俺にも、言動や展開に逆らうことは出来ない。
しかし時間経過を挟んだ場合――束縛は解かれ、そこには自由が置かれる。
俺は「シュウセイ」として思うがままに振る舞うことが出来、そして彼女らも、その時間を自らの意思を持ち「現実」の人々のように過ごす。俺の小説に住まう登場人物たちが、血の通った人間であるかのように――
「むぅ……」
『水の章』、『火の章』、そして『風の章』。
俺の生み出した異世界、ゼンメルワイスでの旅が始まり、約三、四ヶ月の時が経った。
中心に人の踏み込めない地域を持つこの世界。北より始まった旅は、南へ西へという迂遠なルートを経て、三人の精霊を伴い、最後の一人の待つ東に至る。そして至った先――現在地である東部、ガイゼルの都。
その場所で時は、すでに一ヶ月の経過を見せていた。
『風の章:幕間』という名の、辿り着いた安息の日々に――
「……どうしたものかな」
集中できない……というわけではないが、中々に思い浮かばない。
ずらりとならんだ箇条書き、「シーン遷移」のネタはほぼ使い尽されていた。
療養中だった仲間を復帰させたことで、視点を持たせた誰かを見舞いにやって自由時間を稼ぐ――というようなこともし辛くなった。これはこれで数少ない読者には喜ばれ、俺自身も心が軽くなったのだが、ままならないものだ。
それに最近少々以上に、作品として刺激が薄くなり過ぎている気がしないでもない。
となると……今大幅な時間経過を狙え、せっかく復帰したストークを活躍させてやれそうなのは、「襲撃からの街の復興」あたりだが……
「戦闘は痛いからな……もうあいつらに怪我をさせるようなことは……」
「せんとー? このあたりにあったっけ?」
「っ……!」
うたたねを叩き起こされたような感覚に、俺の体がびくりと反応する。いつの間にいたのか、アイスコーヒーを手にした文菜が小首を傾げ、俺を見下ろしていた。
「な、なんでもない……」
腹の底から湧き上がってくる羞恥。俺は誤魔化すように、テーブルに置かれたばかりのアイスコーヒーを口に含んだ。
……危ない、完全に油断していた。今の俺は、仮に横からモニタを覗かれていたとしても気づかなかっただろう。
「おっきいお風呂いいよねー、連れてってくれるの? やっしーのえっち」
「は? なんでそうな――」
「文菜ー、換気扇のフィルター知らないかー?」
「あ、フィルターならねー」
店主の声に、パタパタと文菜がカウンターの方へと離れて行く。
憮然……呆けたような感情をそちらへ向けていると、例のカウンター席の女と目が合う――
「おのれ……」
完全に現実に引き戻され、途切れてしまった集中。俺はぐったりと椅子にもたれ、「ネバーノーツ」の画面を最小化させた。
ここまで気分を乱されてしまえば、すぐに続きをという気力は湧かない。
俺は頭を切り換えるためにブラウザを起ち上げる。ノートPCのタッチパッド、マウスとは違う操作をわずらわしくも感じながら、見慣れたサイトを表示させた。
――「RE=WRITER'S」。
そのロゴが踊るページ。アカウントを持つ俺は、自動でそのユーザーページへと運ばれる。
ページに表示されるのは相互にやりとりしている他のユーザーや、これまで投稿した作品の一覧。投稿やアカウント管理などに関わる様々なリンクテキスト、そしてもちろん……広告だ。
小説を書く人間も書かない人間も、ユーザーページの構成に違いはない。違いはないが、作品を一作しか持たず、特定のユーザーとの関わりも持たない俺のページは、全く書かない人間とさほど変わらないくらいにシンプルだろう。
冷たいだけのコーヒーをもう一口と流し込みつつ、マウスカーソルを投稿小説欄へと持って行く。
クリックと共に表示される作品管理ページ。俺はそこに書かれた、作品URLをクリックした。
――「寸断の四精マスター 作者:社宗子」。
切り替わった深い紺の背景に、白い文字が踊る。
ページ上部にはそのタイトルと、今や用をなしているのか不明な作品のあらすじ。中央から下部には、章分けされた各話のタイトルがページ送りを要するまでにびっしりと並ぶ。その全体の話数は――二百だったか二百五十だったか……俺でさえも正確には把握できていない。
気が収まるまでの間、これを読み返すことにしよう。単に気分転換というだけになく、何か閃くことがあるかもしれない。
そう思い、適当な話をクリックしたその矢先――
ゴッと床を擦る音が、店内に響き渡った。
「……!」
反射的に顔を上げると、カウンターに両手を着いた状態であの女が立ち上がっていた。
視線は明らかにこちらを向いている――と、俺が事態を把握しきれないうちに、女は席を離れ始めた。早いとも遅いとも言えない、見ていて心配になるようなその足取りの先は、明らかに――俺……?
微動だに出来ないままに、その接近に体が強ばる。やがて本当に俺の前に辿り着いた女は、肩に浅い呼吸を見せる。
そして――
「あ、あの……それ、あなたも読んでらす――」
予想外に透明感のある声で――
「……らす?」
「……らっしゃるんですか?」
噛んだ。
いや、噛んだのはいいとして、何を言っているのかが把握できない。もちろん、こうして目の前に立たれている理由もだ。何か答えるか、相手にするかを考えあぐねる内に、女の指先が俺の後ろを差した。
「……?」
俺の後ろと言っても、ここは壁際で――
「あ……」
絶句と同時、俺は自らの失態に気づく。
俺がいつも使っているこの席、背後にある壁は――鏡張りだ。そこにはまざまざと、俺のモニタが映り込んでいる。モニタの文字は読み取れようはずがない。しかし……
「……ええ、読んでます」
俺は眉間に入った力を抜くと振り返り、営業時代をイメージした明るい表情でそう答えた。
「……! そうなんですか……!」
俺の表情に応えるように、女がぱっと笑顔を見せた。
……「りらい」、そのサイトのページ構成は何世代前かと思うくらいにシンプルで、見る者が見れば遠目にもわかるほどだ。そして俺はそんなサイトの中、背景色と文字色を他のユーザーとは違う、独自のものに設定してしまっている。“読んでらっしゃる”という発言も……ページの特徴を見抜いてのものなのだろう。
つまり……信じられないが、信じられないことにこの女は……
「え、えぇっと……今はどの辺りまでお読みに……?」
背筋に走る俺の警戒心と焦りに全くの理解を見せることなく、女はそう言って俺の隣に、ノートPCの画面が見える位置へと動く。
「……! あぁ、それはもちろん……」
もちろん、最新話までだ。俺が作者なのだから当然……ん?
「……この通りです。お恥ずかしながら、読み始めると止まらない方でして」
少しだけ女の方向へとモニタの向きをずらしてやり、各話のタイトルが既読色だらけになっている俺の画面を見せてやった。
女が嬉しそうに声を上げる。
「わぁ……こんなにたくさん……! まさか……あなたも最新話まで追いかけて……?」
――そうだ、落ち着け、何も焦ることはない。
「う~ん、知らないうちに更新されていなければですが」
――この女は、「同士」に出会えたことが嬉しいだけだ。
たまたま出会えた同じ作品を読んでいる同士。それに喜んでいるだけだ。
「最新話なら昨日の夜にアップされていましたよ? たしか……いつもより少し遅めの、八時頃だったと思います」
「そうですか……はは……ありがとうございます」
そう、まさか俺が、作者だとは思うまい。
星の数ほどいる「りらい」内の作家、それ以上にある作品。しかもこんなマイナー作品だ。同じ作品を読んでいる人間に偶然出会う確率は、天文学的なものと言ってもいいだろう。
そう思えば、それに感動している様は不自然でもなく、むしろ可愛げのあるものにも思えてくる。
「投稿時間まで把握してらっしゃるなんて、随分と熱心に読まれているのですね」
「え!? ……あ、はい……はは……」
――そして、俺の側にも感動がないわけではない。
見ず知らずのこの女は、俺の作品を楽しみに読み続けてくれている読者で――あの世界を、俺の大切な者たちを好きでいてくれた人間だ。そんな人間に出会えたことに、喜びを覚えない作者などいようはずもない。
「それで……あの――」
「そうですか、昨日の八時。では、読ませていただきます。わざわざありがとうございました」
「あ……」
だが、そこまでだ――
俺の小説は、あくまで俺の小説だ。例えどれだけ熱心で、どれだけ奇跡のような読者であろうとも、関係は無い。そもそも「りらい」に投稿していること自体、それが“記述のルール”であるからに過ぎないのだ。
俺はさっと、ずらしていたノートPCの位置を元に戻す。
「っ……」
何か話しかけようとする気配を見せる女を無視し、俺はただただ言葉通り、最新話に向けてページを送っていく。
「……」
相手にさえしなければ、いずれ元の席に戻るだろう。
そう思ってタッチパッドを操作し続けること数秒――
「えっ……!?」
女の口から、驚きの声が発せられた。
それは鋭く、緊急事態かと思うほどの大声。
「……?」
釣られて振り向き、見てしまった女の顔は……モニタに釘付けになっていた。
女の視線を追いかけ、モニタに戻した俺の目に飛び込んできたものは――
――『自分の作品には寸評・感想・推薦文を送信できません。』
「ぅ……っ!」
ページ最下部に表示された、ログイン中の作者のみが見ることの出来る、普段意識すらしない注意書き。
「まさか……あなた……」
浮き足立つような嫌な感覚と、先ほどとは比べられないような焦りが、俺を支配する。
好奇心とも恐怖ともつかない逃れようのない力が俺の視線を操り、首が女の方へと向いていく。
被ったキャップの下、女の眼に感じたものは――
――苛烈なまでの「怒り」だった。