表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ペンよ俺が望みし結末を  作者: 千場 葉
PART1 『理想世界に改革を』
2/14

2.オープニング


 薄いスーツの上着にこもった暑気を、草木の甘ったるさを含んだ風がさらっていく。

 古くからあるだろう戸建て住宅の並ぶ坂道を下っていくと、長く伸びるアスファルトの向こうに、雑居ビルの群れが見えた。

 そこだけモダンな作りの駅前には、そこだけモダンな町の風景が成り立つ。中途半端な田舎では、どこでも見られるその光景。いつもよりやけに白く見えるビル群が、初夏の訪れを感じさせていた。

 脇をすり抜けていく車の数々を見送りつつ、俺は出来うる限り頭から思考を手放す。ただ目的地を目指す――この無駄な時間に、思考を割く意味は無い。動き続けている脳を休めること、それに専念する。

 いつもの通りそうしていれば今日もいつもの通り、こうして俺は、雑居ビル群の中にいるのだから。

 自宅を出て、歩いて約十分。俺は目指す目的地のある通りで、最後の横断歩道の前、信号の変わりを待つ。


「……?」


 信号の向こう側、ランドセルを背負った集団が群れていた。

 違和感に左腕を持ち上げた俺は、時計の黒い盤面を見る。時刻は十三時半を示しているが、秒針が動いていなかった。なるほどなと、一応の納得を得たところで信号が青を示した。

 俺は歩み出し、同時に歩み出したランドセルの集団と交差する。


「こんにちは」「こんにちは」「さようなら」


 腰より下を、連中が過ぎ去っていく。俺は目を合わすことなく歩道を渡りきると――


「……ちっ」


 舌打ち一つ、目的地へと足を向けた。




 カラコロと鳴子(なるこ)の響くガラス戸を引くと、馴染みの風景が広がる。

 古めかしい木製のL字カウンターに、同じく木製の丸テーブル席が四つ。見るからに田舎町の喫茶店といった風情がそこにあった。

 店内に踏み入る俺に、いつもの声がかかる。


「いらっしゃいませー!」

「おお、らっしゃい」


 綠のエプロンを着けた給仕(きゅうじ)と、カウンターの奥にいる白髪頭だ。

 俺は軽く手を挙げると一番奥のテーブル席、店内が広く見えるようにとの無駄な努力を感じる、鏡張りの壁際の席へと座った。

 予定通り、普段通り。座り心地の良い椅子に体を緩めた俺の視界に、綠のエプロンが近づく。


「今日はちょっと遅かったね、やっしー。どこかお外でご飯食べて来た?」

「いや」


 綠のエプロンは活発そうな髪を揺らし、俺のテーブルにおしぼりと氷水を置く。


「やっしーは今日もパソコン? 今日もアイスコーヒーでいいのかな?」


 「ああ」とうなずいた俺の前で、サラサラと帳面(ちょうめん)に書き込みを入れた綠のエプロンが(きびす)を返す。慣れたものだなと、俺は綠のエプロンと、俺自身に思った。

 あの綠のエプロン――給仕の名前は、俺の記憶が確かならば、南の波に、文章の文、山菜の菜で、『南波文菜(なんばふみな)』という。店主である白髪頭のテルオ、輝く男と書いて輝男の娘でもある。

 この店を使うようになって数ヶ月だが……おそらく間違ってはいないはずだ。

 そして――


「『今日』を連続で使うとは、語彙(ごい)が知れるな」


 俺が抱く感想はそんなところだ。止まってしまった腕時計の秒針、多少遅れてしまった時間と同程度にどうでもいい。憶えておいて役に立つのは名前くらいだ。

 俺は意識を切り替え、テーブルの上に乗ったグラスを隅に押しやると、持ってきた鞄の中から重量のある物体を引っ張り出す。二つ折りのそいつを開き、電源ボタンを押すと、内部からの送風と共に駆動音を聞かせるそいつの起動を待った。

 ほどなく二つ折りの上部、暗い店内ではやけに明るく見える「モニタ」には――


 ――『YASHIRO』


 俺の名字である八代(やしろ)のアルファベット表記が並び、ログイン画面が表示される。

 あとは指が勝手になぞる行程だ。SSDを搭載(とうさい)したノートPCは、ログインパスワードの認証から主要ソフトを呼び起こすまで、俺の操作に一切の遅れを見せない。

 俺はタッチパッドの操作とクリックを二、三。クラウドソフト「ネバーノーツ」を起ち上げると腕を組む。そしてそのまま、表示された箇条書きの文書を前に一行一行と、文字を頭に落としていく――

 

「はいおまたせー、アイスコーヒーでーす」

「っ……来たか」


 黒を(たた)えた細長いグラスがカラリと音を立て、テーブルの上に現れた。

 俺は「入りこみ」そうになっていた頭を、なんとか引き戻す。知らぬ間に忍び寄っていた綠のエプロン――文菜を見ると、そいつは怪訝(けげん)そうとも不思議そうともとれる表情で小首を傾げていた。


「最近やっしーよく来るね。煮詰まっちゃった?」

「……気分転換だ。俺に煮詰まるなどということはない」

「へ~?」

「なんだ?」

「べつに? 今日はお静かにね」


 そう言って空中で両手の指をわちゃわちゃと動かして見せ、騒々しい給仕は席を離れていく。

 失礼なやつだと思いつつも、普段よりやけにあっさり引き下がったことが気になり、俺の目はその背中を追っていた。下がっていく文菜に釣られて動いた視線の先、カウンター席には、スマホを持った若い女の姿があった。

 一見(いちげん)だろうか? 店内だというのに後ろで結った髪にキャップを被ったその女は、見た目の歳から言っても、こんな場所に一人で来るようなタイプには思えない。


「よぉ、やっしー」


 耳朶(じだ)を打つ(にご)った低音に、俺は女から目を横にずらす。

 カウンターの向こうから、肘を着いた店主が軽く手を挙げていた。


「うちのアイスコーヒーは美味いかい?」


 俺はちらりと、まだ手をつけていないグラスを見る。


「……冷たさで頭が冴える」

「いい切り返しするねぇ……」


 やられたとばかりに額に手を当てる店主に、カウンターの女がくすりと笑った。

 俺は舌打ちを(こら)えてコーヒーを喉に流し込むと、視線をモニタに戻した。


「やっしーさぁ、いつも来るのはピーク過ぎた時間だし、誰か来たら来たでさっさと帰ってくれるし、コーヒー一杯でいくら粘ってくれてもかまわんけどさ――」


 すでにそちらを向いていないというのに、店主は話しかけてくる。その(さと)すような口調に、俺は「またか」と面倒を予感した。


「こんな所に通ってていいのかい? いくら元エリート営業マンっつったって、あんまり長く空白作っちまうもんじゃ……」


 何度か聞いた説教に、何度か返した答えで対応する。


「金ならいくらでもある。ここのアイスコーヒー程度では揺るがん」

「って言ってももう失業保険も終わってるんだろ? 夢を追っかけるのもいいが、前の経歴を活かせるうちにだな……」


 “夢を追いかける”、そのフレーズを鼻で笑い、俺は頭から店主を追い出すことにした。まともに取り合う意味は無い、放っておけば勝手に仕事に戻るだろう。そう考えた矢先、カウンター奥から声が上がる。


「お父さん! またおせっかい」


 文菜だ。


「でもなぁ……いい若いのが勿体(もったい)ねぇだろ? お前の幼なじみみたいに、あとになって焦るようじゃ可哀相だし……」

(しん)ちゃんと比べる意味ないでしょ。やっしーなら大丈夫だって、スーツめっさ似合うし超イケメンだし」

「んなもん理由に……なるのかなぁ……」


 娘には弱いのか、店主が押されている様子がうかがえる。俺は会話の騒音から、モニタへと意識を集中させ始め――


「いいじゃん、何書いてんのかわかんないけどさ。超高学歴でむっちゃくちゃ頭いいんだから、ほんとに小説家にだってなれるかもだよ?」


 ――その一言に、目元を険しくカウンターへと向いた。

 単にうるさいということと、軽率が過ぎる発言に一言くれてやろうと。


「……!」


 しかし、俺が目を合わせたのは店主でも文菜でもなく――目を丸くしてこちらを見ている、客の女だった。

 別段、他意はなかった。他意はなかったが、こちらを向いている、ただそれだけの理由が俺の目を引いた。

 女は気まずそうにプイと視線を逸らすと、誤魔化すようにグラスに口を付ける。店主と文菜は、もう俺の話題に飽きたのか店の用事に戻っていた。

 俺はモニタに向き直り、コーヒーを飲み、氷を口に含んだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ