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ペンよ俺が望みし結末を  作者: 千場 葉
PART1 『理想世界に改革を』
13/14

13.ネーミングセンス


 ――翌日、昼過ぎ。

 俺はいつもの坂道を自宅の方向へ、ミクマと共に(のぼ)っていた。待ち合わせは喫茶店の前。中に入ることはなく、そのままの足で俺の自宅へと向かった。

 喫茶店から十数分としない道程。足を止めた俺は、背後のミクマを振り返った。


「ここだ」


 「え?」という顔をしたミクマが立ち止まり、俺が(あご)で示した建物を見上げる。

 並べ植えられた針葉樹たちよりも遙か高く、俺にはよく分らないセンスの上部構造をしたマンション。ミクマは急角度に上を見上げたまま、口を開けて固まっていた。


「どうした?」

「……いや、かなり……いいところに住んでいるんだね……」

「意外か?」

「う、うん……八代さんまだ若いし……」

「そうだな、俺の歳からすれば贅沢(ぜいたく)かもしれん」


 買ったいきさつまでは知らんがな。


「入るぞ」


 敷地へと入った俺は、キョロキョロするミクマの気配を後ろにマンションへと近づいた。

 スーツの内ポケットからキーケースを取り出すと、エントランスドア前の大理石台に搭載された、各部屋へのインターホンパネル下部へとキーを差し込み、オートロックを解除する。

 ドアを開けてミクマを通してやり、エントランスからエレベーターへ。

 俺の指は反射的ともいえる動きで七階を押す。エレベーターのドアが閉まり、(にぶ)い重力が訪れた。


「俺の部屋は八階だ。降りたら一つ階段を上るぞ」


 ミクマはなんだか呆けたように、エレベーター内のボタンを眺めていた。


「珍しいか?」

「え? ……うん」


 ポン、と柔らかいチャイムが鳴り、七階に達する。俺は足を踏み出す。


「ボクの家……一軒家だから、高級マンションって初めてで……そっか、停まらない階があるんだね」

「不便ではあるが、共益費とやらの節約になるらしい。資料になったか?」

「そ、そうだね……うん……」


 二人階段を上り、廊下を歩き、俺の部屋の前に立つ。俺はキーを手にミクマを振り返った。

 物珍しいという様子を装っていたが、そうではなさそうだ。なんというか、妙に落ち着きがない気がする。


「……来る前にも言ったが、一人暮らしだぞ? なんら緊張することはない」

「うぇ? い、いや……だからだよ」

「……?」


 何を言っているんだコイツは?


「一人暮らし……なんでしょ?」


 俺はため息をついた。


「安心しろ。男の一人暮らしだからといって掃除していないわけじゃない。自慢出来るくらいに誰が見ても綺麗なものだ」


 失礼な話だ。どうも最近の女子供というのは潔癖(けっぺき)が過ぎる。

 そう思って言ってやると、なぜか今度はあっちがため息を吐く。


「……八代さんは資料以前の問題だと思うよ」

「……?」


 何やらぶつぶつと、「この人がどうやって鈍感ラノベ主人公を書いているんだろう」などと聞こえたが、俺はもう構わずロックを外した。

 上下ダブルロックの面倒くさいドアを開け、玄関を越えて、俺はミクマをリビングへと通す。

 耐震強度が気になるくらいのガラス張りなリビング。初めての来客は妙に小さく見えた。部屋を見回すミクマが、感想を漏らす。


「……これは、綺麗って言うか……八代さんって、ミニマリストだったの?」

「ミニマ……なんだ?」

「こんなに何もないって言うか、生活感の無い部屋初めて見た」

「……何を言っている、パソコンも本棚もあるだろう。寝室にはベッドもあるし、ちゃんと俺が住んでいるぞ」

「八代さんの人生に少し興味が出てきた……」


 呆れるようにそう言ったミクマは、だだっ広いリビングの隅、本棚へと近づいていく。なるほど、人の人生を探るにはいい判断だ。……それとも、ただ本が好きなだけか。


「……すかすかだね」

「本は溜まるし、増えると取り出すのに手間だからな。ほとんどを電子書籍で買っている。紙で持っているのはお前の本と、そこにあるものくらいだ」

「そうなんだ……」


 少しばかり、柔らかい口調の返答だった。

 ミクマは俺が「そこ」と言った、本棚下部に詰められた本を指先でなぞっていく。


「IT、IT……ビジネスマナー……?」

「前職がそれだった。資料としてもお前が見て面白いとは思わん」


 会社員だった俺が読んでいたらしき本の数々。一度読んだくらいの跡は有り、なんとなく記憶にもあるが、今の俺には理解の出来ない部分も多い。以前の俺は何を想って集め、読んでいたのだろうか……

 眺めているミクマの背中が沈み、その指先が最下段二段を埋める蔵書に届いた。


「これって……」


 そこに整然と並ぶは「幻想四聖譚(げんそうしせいたん)」、著者:熊谷(くまがや)宗太郎(そうたろう)、全四十八巻。


「全巻(そろ)っている。読んだことはあるか?」

「いや、さすがに……」


 ミクマの視線が、その第一巻のあたりに注がれた。背表紙は色褪せ、劣化も激しい。ミクマは指先でなぞろうとして、やめた。


「“原初のりらい小説”って言われてるくらいだからね……たしかスタートがボクの年齢の倍以上前だし、八代さんの歳でも……あれ? 八代さんって、今何歳なの?」

「二十八だが?」

「そ、そう……八個上か……」


 何を失礼なことを考えているのか、しげしげと俺の顔や背格好を眺めてくるミクマ。

 シュウセイの時であれば同年齢なのだがな。


「……まぁ、俺のことはいいだろう。来て早々で悪いが、お前にはそろそろ指導を頼みたい。俺の小説がそいつみたいになってしまわないようにだ」

「……? そいつみたいに?」

「「幻想四聖譚」は全四十八巻にして、絶筆作品だ」

「わっ、そうなんだ……残念だね……ここまで集めたのに……」


 四十九巻が世に出ることはない。書く気云々の問題ではなく、本人がもうこの世にいないのだから。

 本の古さからそれを察したのだろう。ミクマはまるで仏壇でも見るかのように本棚に視線を投げ――ぴくりと顔を上げた。


「ん? あれ……? ()()……?」


 その勘の良さは、さすが作家と言うべきか。


「「寸断の四精マスター」はそいつに影響を受けて書き始めている。盗作とまではいかないが、俺にとってのネタ元と言ってもいい。俺はこいつに小説を学んだ」

「へぇ……」


 それはたしかなことだ。他のことは忘れても、それだけは憶えている。


「だが、妙な中だるみまで学んでしまったあげく、絶筆まで学ぶわけにはいかん。そこでお前の力が必要というわけだな」


 ミクマ――「隈宮(くまみや)ゆい」の力は認めている。はっきり言ってその構成力の点では我が師、熊谷宗太郎など足元にも及ばないだろう。それは四十八巻も書けば中だるみもするだろうが、俺はそこまでいかずともすでに中だるみ満載の状態だ。

 この女なら、その力で俺の小説と仲間たちの未来を有意義なものに――


「……ん? フグの稚魚(ちぎょ)みたいになってどうした?」


 くりっと振り返ったミクマは、むくれた顔でこちらを(にら)んでいた。


「その『お前』っていうのそろそろなんとかならないかな? もう仲違(なかたが)いしてるわけじゃないし、まだ八代さんとそんなに親しくないよね?」


 ふむ……言われてみれば。まだどこか敵愾心(てきがいしん)が残っていたのかもしれない。


「……そういえばそうだな、すまん。カミキにも言ったが、俺はこのところ小説ばかりなせいか、言動が少しおかしいらしい。容赦(ようしゃ)してくれ」


 そう言ってやると、すごく意外そうな顔をされた。

 こいつは俺をなんだと思っているのだと、頭をかく。


「よし……じゃあ、()よ、俺に指導を――」

「あ、ごめん。それなんか今更気持ち悪いや、いいよお前で」

「うぉい」

「でも……そうだな、お前お前って呼ばれるのもやっぱり(しゃく)(さわ)るし、美希(みき)だってあだ名で呼んでもらってるみたいだし……」


 ミキ? ああ、カミキのことか……そうか、そういえばあだ名だったか……


「なら、クマちゃんでいいのか?」

「それはいやだ! いいよ、とりあえず三隈で……」


 ミクマ…… ミクマか……

 俺は(あご)に手を当てて、思案する。


「ふむ……連絡先を交換しよう」

「連絡先?」

「まだだったのを思い出した。電話番号ついでに、『ミクマ』とはどう書くのかを教えてくれ」

「あっ……」


 俺の提案に、ミクマがぽんっと手を打った。

 連絡先の交換の方か、俺にとっては名字か名前かもわからない『ミクマ』の方か、こいつがどっちに対して手を打ったのかはわからない。だが、どっちにせよこれから指導をする、受けるという間柄になるのであれば、どちらも抑えておくべきだろう。

 今日一回で終わるような事ではないだろうし、俺も八個下とはいえ、指導者相手に礼を欠きたいわけではないからな……

 俺に背を向け、床に置いていた(かばん)を漁っていたミクマが立ち上がり、こちらへ戻ってくる。ミクマはスマートフォンを手に、俺に画面を向けてきた。


「……ほう、本名は『三隈(みくま)由衣(ゆい)』というのか、現代風というか時代を選ばないというか……可愛らしく、良い名前だな。両親はいいネーミングセンスをしている。『隈宮ゆい』の名前は本名からきているというわけか」


 四文字の名前と電話番号が並ぶ画面表示を、俺は応えるように自分のスマートフォンに入力していく。

 二つの画面に視線を行き来させていると、かざされている画面の向こうで、ミクマがそっぽを向いてうつむく――


「ょしぇ……」

「……はい?」

「ゅぃじゃなくて……よしぇ……」

「…………」


 俺は顔を背け、無言で入力を完了させた。


「なんだよ! 失礼だぞ! 日本にいっぱいいる『よしえ』さんに謝れっ!」

「俺は何も言ってないぞ! いいじゃないか『よしえ』さん! なぁ『よしえ』!」

「その名で呼ぶなぁっ!」

「教えたのはお前だろう! 訂正しなければ『ゆい』で通せただろうが!」

「訂正しちゃったんだもん仕方ないでしょうっ!」


 完全に自爆した癖に涙目になっている……まぁ俺も多少調子に乗ったが。

 これ以上いじる意味もない、さっさとやるべきことを済ませておこう。


「ほら、俺の番号だ。登録しておけ」

「う、むぅ……」


 『八代』の二文字と電話番号が表示された画面をちらちらと見ながら、ミクマは自分のスマートフォンを操作する。


「……八代さんは?」

「はい?」

「下の名前、聞いてない」


 俺はしょうがないなという体で財布を取り出すと、中から名刺を引き抜いた。


「これで満足か?」

「あ……」


 最早持っている意味もない無関係の会社の名刺。

 ずっと入れっぱなしになっていたそいつを、ミクマの手に渡してやる。



 ――「(株)ディーエンサー本社第二営業部 八代秀生」



 受け取ったミクマは、世間的には一流企業らしいその会社の名刺を、物珍しそうにしげしげと見つめ――


「……さ、満足したらさっさと小説を……ん?」


 口元を歪め、ぷるぷると震えだした。


「く……ぷ……んんふっ……くはっ……!」


 堪えきれずといった様子で息を吐き出したミクマが、足元から崩れ落ちる。


「……! ど、どうしたミクマ……!?」


 そのまま突っ伏し、ミクマは身悶えしながら床とお友達になり続ける。


「ひ、ひー! ダメ、ダメだ……! くふっ……! うはっ! あはははっははーぁっ!」

「……!? ……!?」


 ついには床に転がったそいつは、事態を示すように俺の名刺に指を差す――


「ちょ! これはダメでしょ! しゅ、『シュウセイ』さーんっ! ぷはっ……!」

「……!?」


 ――「八代()()


「ぐぅはあああああああっ!?」


 床に転がるそいつに習うように、俺も床に倒れ込む。派手に仰向けにいったせいか、若干後頭部がゴッと嫌な音を立てた。

 痛みと失態に悶絶する俺の元へと、ずるずると床を四つん這いにミクマが顔元まで近づいてくる。


「ちょ、ちょっと! これマジ? マジですか? 主人公に自分の名前つけちゃったの? なんでそんなことしちゃうの? できちゃうの? すごいよ八代さん!」

「く、ぬぬぬ……!」


 名刺を笑顔の前に掲げ、ミクマはまくしたてる。しかもご丁寧に名前を俺に見える向きにして――

 (あお)られている……! 煽られているだと……!? この俺が……!?


「ありえないでしょう? 小学生でもやらないよ? なんでそれで一年半も書けちゃうの? 尊敬しちゃう!」


 今度は子供をあやすようにだと……!? こいつ……煽り性能高いな! だが――


「……?」


 俺はぱたりと脱力し、床に大の字に伸びた。

 そしてニィと、口元に反撃の狼煙(のろし)を見せる。


「ふっ……甘いな、よしえ」

「なぐっていい?」

「お前の早とちりだ……俺はシュウセイなどではない……」

「……え?」

「いいか、ミクマ……俺の名前は……」


 俺の芝居がかった語りに、ミクマが片耳を俺の口元に近づけてくる――




「……『ひでお』だ」




 ――この後、小説の指導が始まるまで、ミクマはかなりの時間を呼吸困難に費やしていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] ふふ。 八代さんとミクマちゃんの掛け合いが楽しい。 こういうの好きです。
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