死闘宗の殺戮手 12
寝そべる小さな殺戮手はゴクロウの太い脚に硬質な細脚を絡ませ、捻転。いかに巨軀といえども、人体の可動域を制されては立ってなどいられない。
舗装された路面が眼前に迫る。寸前、左腕で受け止めた。
(マズいッ)
歯噛みするゴクロウは立ち上がろうとするが、ふわりと香の匂い。羽毛の如き痩躯がすかさずと背後に乗った。
鈍い衝撃がゴクロウの後頭部に走る。路面に鼻先を強かとぶつけ、ツンとした鉄臭が鼻腔を刺す。硬い腕に抑え付けられ身動きが取れない。鼻血で溺れかけ、咳き込みすら許されない責め苦。
ここに来て、最大級の殺気。
爆速と全神経が加速。第六感発動。
時の流れが重く伸し掛かる中、ゴクロウは眼を血走らせて右を睨んだ。
一秒が、引き伸びていく。
「お、」
振りかぶられた殺戮手の右掌底。
「わ、」
ジャギン、と破滅的な発条音を掻き立て、白刃が突出した。
「り、」
脳髄を貫く死突が、耳穴目掛けて貫入する。
「ウ」
その直前、怪力乱神宿る。みきりと路面に走る亀裂。
「オ」
全力を込めて地を押し返す左腕に血管が浮き、僅かに腰が浮いた。
「ラ」
脚を振り回し、捻転。
「何ッ」
息を呑んだ痩躯を振り落とす。
「ア」
蹴り足の回転力、瞬発力を最大限に活かし、風を切りながら片腕倒立。
馬鹿げた腕力を発条にして跳び上がり、中空へ。
「アアアッ」
追撃の蹴り落とし、続く下段蹴り上げが殺戮手の胴を掠めた。
横転しながら跳び退っていく痩躯は、何事もなかったかのように立ち上がる。
両者、向き直った。
顔面が血塗れのゴクロウは赤く粘る唾を吐きながら、恐ろしい形相で敵を睨む。
小さな殺戮手は面紗の奥で静かな呼吸を務めていた。決して少なくない消耗を隠している。
仕切り直しだ。
強い。全力を以って潰さなければ、殺し切れない。まだ死合えるが、腑には落ちていなかった。
「おい忍者野郎。殺し合うのは結構だがよ、生きるにしろ死ぬにしろ理由が知りてえもんだな」
会話を試みた直後だった。
殺戮手の上方に影。砂埃が舞う。
両方の前脚を深々と斬り裂かれた巨狗は咥えた直刀を持ち主に返した。
全身に大小の刀傷を負っていようとも、まるで衰えを思わせない迫力。手負いの獣ほど恐ろしいものはない。
これで二対一。
「ゴクロウ。大丈夫ですか」
否、二対二。
ゴクロウは強敵を見据えたまま、背後から歩み寄る足音を察知。
「アサメこそ」
右手側に立った銀髪の麗人も、無傷ではなかった。
破片か何かで切ったのか眉間から血を流し、赤土色の身体はあちこちが焼け爛れている。一番の深手は左肩を抉る咬傷。零れる血液が細い腕を伝い、ぽたぽたと路面に滴って赤い染みを描いていた。
だが闘志は潰えるどころか、猛るばかり。
その手にはゴクロウの黒い護人杖。
「狗畜生如きに、不覚でした」
気力充分の挑発を受けて前傾に構えた巨狗が、重々しく吠えた。
「この小娘が、舐めるなよッ」
今一度、憎き敵を喰らわんと巨大が撓む。
「待て」
だが止めたのは、痩躯の殺戮手。
「貴様は仇か、敵か」
さほど変わらない二択を問うたくぐもった女声は、純粋な殺意を否応なく突きつけてくる。
奇妙な問答にアサメは答えず黙ってゴクロウに杖を返す。確かに受け取ると、一振り薙いで構えた。
アサメも鯉口を切り、緩やかと居合術の姿勢を取った。
「お前らが俺達に立ち向かうなら、敵にも仇にも化けるぜ」
冷たい夜風が、両者の熱を攫っていく。
今までの激戦が嘘だったかのように静まり返っていた。
路地の外が、やけにうるさい。
「爆発はこっちだ、急げッ」
「応援願う、応援をッ」
少々、大立ち回りが過ぎたらしい。警兵隊が来る。
それでも両者は、焦りをみせなかった。
殺すか、殺されるか。その瀬戸際から引いた瞬間、運命が決まる。
ころろ、と巨狗が睨みを利かせたまま喉を鳴らした。何か合図を送っているのかもしれない、とゴクロウは警戒を強めて刮目。
おもむろと殺戮手は右手を弄びはじめた。手中で何か、輝いている。
硬貨だ。
緋色の光沢をきらきらと乱反射させ、踊らされていた。
ピン、と爪弾く。
小気味良い金属音を響かせて回転。放物線を描いてゴクロウの元へ。
罠か。殺しの技か。
だがゴクロウは直感を信じ、杖を差し出す。ぴた、と杖先に乗る硬貨。見事な杖捌きで受け取ってみせた。
「殺しにかかってきた詫びか」
「次はない」
無感情に言い残す。まるで会話になっていない。だがどうやら、一難は去ろうとしていた。
巨狗が殺戮手に擦り寄る。腰掛けた瞬間、大跳躍。
あまりの急加速に突風が発生し、塵芥が煙たく舞う。ゴクロウはやや眼を細めながら、嵐が闇夜の奥へと跳び去っていくのをずっと見つめていた。
中途半端な幕切れ。闘気が嘘のように霧散する。アサメが刃を完全に収めた。
「もう。何だったんですか、この騒ぎは」
「全くだ」
突如、暗い路地を暴く強烈な照明。
「おい、貴様ら、そこで何をしているッ」
振り返れば眼を痛めるのは必至。わざわざ踵を返さずとも、相手が何者かの予想はつく。
直立不動のまま、やれやれとアサメが溜息を吐いた。
「逃げるか、斬るか。どっちです」
「大人しくお縄についてもいいぜ。俺はやましいことなんかしてねえし」
「あっそ。もう手助けしませんから」
「あっあっ、それはちょっと困る」
油断しきって痴話る二人に。
「何をぶつくさとッ、黙ってうつ伏せろッ」
背後から大声で怒鳴る警兵隊員が、じりじりと迫ってきた。
複数の足音から六人は居ると把握。笑うゴクロウと仏頂面のアサメは目配せし合う。
「では、そういう事で」
杖を跳ね上げて背に回し、中空に浮いた硬貨を把持。
「じゃあな」
同時に脱兎。
何事か叫んでいたが、初速から弾けるように駆け出した二人に誰も追いつけない。路地の角を曲がるとアサメは一瞬でゴクロウの左に回り、脇腹に潜って腰に手を回した。
「行きますよ」
跳躍。
がくんと視界がぶれる。強烈な重力加速を全身に浴びながら塀に飛び乗り、次の瓦屋根へ、次の長屋へと飛び移っていく。
「風が最高だ。やっぱ楽しいッ」
「子供かッ、舌噛んでも知りませんよッ」
夜風を切り、颯爽と歓楽街の屋上を駆け巡っていく。
だがどんなに走っても、不気味と取り残された不可解な謎は拭いきれなかった。




