死闘宗の殺戮手 10
裏口への道は、そう複雑ではなかった。
連中に染み付いた煙草の残り香が順路を教えてくれる。鋭敏な五感を携えたアサメに、この程度の追跡は造作もなかった。きつい臭いを嫌う本人はあまり良い表情ではなかったが。
錆びついた金属の扉を慎重に開け、空いた隙間から薄暗い裏路地を窺う。
僅かに差し込む歓楽街の灯り。
「最悪ですね」
よく冷えた冬の夜に、血の異臭が漂っていた。
「前進あるのみだ」
「ですね。行きますよ」
退けて、と鋼の瞳が訴える。ゴクロウは黙って頷き、通路に背中を合わせた。
アサメが一歩、二歩と後退。
爆速の前蹴り。
破壊音が響き、くの字にひん曲がった金属扉が路地の壁へ喧しく激突。勢いのまま外へ躍り出たアサメに、ゴクロウが感嘆の口笛を吹きながら後に続いた。
びゅう、と鉄臭い隙間風が駆け抜ける。
「ひでえな」
路地裏を赤黒く濡らす屍山血河。
見知った首が、腕が、脚が。
無理やりと捻じ切られて絶命し、血臭のする湯気を立てて散乱していた。ざっと頭数を数える。一人足りない。すぐに判明する。
苦しげな残喘。一人だけ生かされていた。
「何、で、俺ら、がッ」
壁に押し付けられたアドウが、ばたばたと脚を蹴って抵抗していた。
彼の太い首を拘束するは細腕。両手で押し返しているにも関わらず、まるで意味を為していない。
例の面紗で覆われた黒の敵影は小柄で痩身。一七◯近いアサメとそう変わらないだろう。
左手には鈍い輝きの直刀。今か今かと血を待ちわびている。
ゴクロウは華奢な影を見抜いていた。
女相手に、なぜ押し返せない。
「おい。俺のダチ公に何してくれんだ」
ゴクロウの威嚇に、小さな死闘宗は身動ぎすらしない。
言葉によるやり取りが通用しない相手であることはよく理解した。ならばあとは一つ。果敢な一歩を踏み出そうとして。
「ゴクロウ、どっちを斬ればいいですか」
先にアサメが大きく前へ出た。
なんと頼もしい背中だろうか。率直にゴクロウは思う。見たい。彼女の背負う業を。
「斬り合い甲斐のある方だ」
瞬間、戦闘者にしか感じ得ない剣気に、ぞっと体感温度が下がった。
いつの間に抜刀していたアサメの剣圧。
だらりと脱力した構えはどう見繕っても敵意を感じないはずだが、容易に踏み込んだ者に遍く死を刻む気配。ゴクロウは思わず壁際に寄って必殺の範囲から即座に離れた。
明確な殺気に反応した小さな死闘宗が、ようやくこちらを向く。
彼我の距離、およそ二十米以上。
(何なの。さっきの奴と、まるで格が違う)
アサメの直感は正しかった。
火薬臭。ふ、とアドウの拘束が解け。
瞬間、けたたましい剣戟音。闇夜に火花が散る。
(危)
十から零へ一気に跳ぶ馬鹿げた踏み込み。それでも恬然として動じないアサメは足裏で地面を掻きながら長く後退り、転瞬。
兵眼流刀儀、後の型。
不意を突く瞬歩により生まれた残像ごと、対象を上下に両断。
(雨幻无汽霊刀)
重い金属音。
(生身じゃないッ)
硬質な左腕に、阻まれた。
何か来る。ぞっと這う寒気に、アサメは鋼の瞳を見開いた。
爆熱の精素を感知。
「舞い果て、半身」
爆炎。
それは火焔の群れだった。突如として生じた幾百もの緋色の蝶が、術者を中心にひら、はら、と舞う。
一見すると絢爛な光景は、滞留し続ける激熱。その奥でもがく相棒の影。
「アサメエエエッ」
戦闘域から逃れたゴクロウが吠え、突貫。
だが、上方から巨影。野性じみた殺気。
(次から次へとッ)
仰ぐことなく停止し、大きく後方へ跳ぶゴクロウ。
巨軀が着弾、粉塵が舞う。舗装された道路が砕け、散弾の如く弾け飛ぶ破片。ゴクロウは護人杖を振り回して打ち返した。
油断なく構えながら煙の奥を睨む。
灰色の帳を割って現れる強靭な前脚、石灰色の体毛を全身に蓄えた獰悪な相貌。
黒曜の瞳と合う。
ゴクロウがあのまま驀進していたのならば、この獅子にも似た巨狗に全身の骨を砕かれていただろう。
「もうちょっと優しいお手なら、受けてやったのによ」
獣は怒気を鳴らし、重苦しく唸る。
ゴクロウの安い挑発に、巨狗は明らかな反応を示して赤い歯茎を剥いた。
ぎらぎらとした鋭い牙が凄絶と並ぶ。
「穢土の尖兵が。我が物顔で煤湯を闊歩できると思うなよ」
巨狗が、喋った。
一瞬瞠目するゴクロウだったが。
「おいおい。近頃の犬ッコロは口も聞けるのか」
続く挑発に返事はなく、猛然たる疾駆。
獣の一足はゴクロウの元へ易々と肉薄し、凶悪な顎を開く。
誘いに引っ掛かった。喰らいやすいようご丁寧に下げられたゴクロウの頭。岩をも砕く咬撃、その顎関節に反撃の裏拳を叩き込む。
みき、と軋む音。勢いのまますれ違う両者。
(重てえ骨だなッ)
ぎろりと睨む黒曜の瞳。
二度、三度と噛み付きが荒ぶる。横に跳んだゴクロウは距離を置いて難を逃れたが、狭い路地では限界がある。背中が煤汚れた壁にぶつかった。
急所を打たれた筈の巨狗は何事もなかったかの様に着地、巻き毛の尾を揺らして再度向かい直る。
「痒い拳だ」
口端から一筋の血を垂らしながら、巨狗は唸って躙り迫る。




