敗走 9
煙幕が晴れていく。
銃口から立ち昇る硝煙。
周囲は鼻を突く火気の臭いで充満していた。
弾薬排出、装填。再照準。
リプレラは備え付けの照準器から蛇の視線を外し、銃を下げた。
「外したわ」
「構わない」
サガドは感慨も無く返した。
絶望的といっていい窮地から逃げ切った獲物を見つめる。がさがさにこびり付いた鼻血を拭い、唾を吐いた。
ゴクロウは右腕を高々と上げ、天を中指で指して走り去った。
「旦那、馬がぜんぶやられちまった。これじゃ追えねえ」
「足の速い三人で跡を追え。残った奴等で死体の焼却と、馬の解体をしろ」
「へい、すぐに」
手下の方に目もくれず、機械の様に指示を出す。
一点を見つめたままのサガドへ、リプレラはしな垂れ掛かった。
「あの傷じゃ、今日中に氷漬けよ」
「凍死した羆が雪の中から発掘される姿を、お前は本当に想像できるか」
リプレラは少し考え、にたりと笑んだ。
逞しい肩をなぞりながら離れると、銃の遊底を慣れた動作で跳ね開ける。一丁しかなく、弾数もあまり無い。
「私が狙っている間、あの男、こっちを視ていたわ」
「ほう」
差し出された弾を目視せず、指先の感覚だけで次々と込めていく。
「撃つと決めた直後に横にずれて避けられた。あんな芸当、半身はともかく主身でやってのけるなんて」
「相当だな」
装填完了の音が甲高く響いた。
構え、伏せを素早く繰り返す。銃の扱いは彼女の方が上手である。
「ええ、いつの時代から来たのかしら」
「俺の知っている時代だ。良い。ますます欲しくなった」
リプレラは溜息を吐いて銃を取り回す手を止めた。
「サグ、貴方が誰かに笑いかけているの、久しぶりに見たかも」
その微笑は野望に満ち、ぎらついた狂気を滲ませていた。
だが指摘されると眉を潜め、すぐに無表情へと戻す。
「深追いはするなよ。此処で凍え死なれちゃ、お前の身体を回収するのは厳しい」
「凍死ならまだ“自力”で戻れるわよ」
銃を肩に担いでぶっきらぼうに言い残すと、疾走。雪を舞い上げ、人外離れの脚力で逃走者の跡を追う。
馬ほどでは無いが、みるみると遠ざかっていく我が半身の後ろ姿。
サガドはやはり、凶悪な笑みを隠せなかった。
それは歓喜か、激怒か。
『クソッタレか。やってくれるじゃねえか』
サガドは脳に刻まれた世界言語では無く、あえて生まれた故郷の言語で呟く。
『この世界の理に、せいぜい喰われないようにな。ジェイルブレイカー、ジェブ』
彼の言葉を聞き取れる者は、この場には誰も居なかった。




