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死闘宗の殺戮手 1

 序詞


 日日是好日(にちにちこれこうじつ)


『日々とは素晴らしい。素晴らしいんだ。それがどんな日であろうとも』


 〜 碧巌録(へきがんろく) 第六則 雲門日々好日 〜 より抜粋、意訳




 随分な成金ぶりにアサメは呆れが礼にくる思いであった。

 まさか屋敷内に温泉が湧いているとは。

 煤湯(すすゆ)の名は伊達ではないのか、はたまた趣味なのか。

 ゴクロウが(からす)の行水を終えると半壊した屋敷内を物色し始めた。

 土足のまま廊下の角を曲がっていく大きな後ろ姿を確認するとアサメはさっと羽織りと長刀を外し、塵が散乱する露天の浴場へと慎重に素足を踏み入れた。三、四人ならばゆったりと(くつろ)げる程度には充分に広く、風情(ふぜい)がある。が、なんというか、造りにある種の欲望を匂わせていた。浴場と脱衣所の仕切りが硝子(ガラス)板だったのか、砕けてすっかり風通しが良くなっているのである。


偏屈(へんくつ)な住人が居なくて幸いというか)


 ゴクロウが粗方掃除したのだろう。残骸が端に除けられていた。穢土(えど)垂迹者(すいじゃくしゃ)夜見(よみ)が放った恐るべき咆哮がこうも広範囲に及ぶとは思いもしなかった。

 黒い泥だらけの石床をひたひたと歩いて桶に湯を汲み、頭から浴びる。温かさが染み入ってくる。だがゆっくりと浸かっている余裕はなかった。

 アサメの全身に付着した泥や黒い血が流れ出て、床がさらに真っ黒に汚れていく。この際だ。元からこの有様なら良心もそこまで傷つかない。眼に見える汚れを落とし、脱衣所で見つけた石鹸をくまなく擦り付けて臭いを消していく。酸い華の香りで包まれるが、泥暮らしの不快な腐臭はなかなか取れない。臭う精素が骨身に染みついているという直感は正しいかもしれない。大きく溜息を吐くと動かす手を止めた。これ以上はきりがない。さっさと切り上げる。

 ふと、脱衣所の大きな鏡に己の裸体が映る。

 濡れる長い銀髪。鋼の瞳は幼さなどは消え、大人びた眼差しが全身を睨みつけていく。

 赤土色の褐色肌は湯に濡れて瑞々しく艶めき、絶妙な曲線美を水玉が伝って滴り落ちる。全体的にしなやかな印象だが、薄らと浮く筋肉が印象に逞しさを与えていた。身長は一七〇(センチ)に満たない程まで成長。尾骨から伸びくねる尻尾の先端はククリ刀のように鋭く、危うい輝きを放つ。

 アサメの象徴であるこの刃尾は悪漢の主身サガド、その半身である狂い女リプレラが融合、真身化(シンカ)した存在、蜥蜴人(リザードマン)に断ち切られた筈だった。こちらも真身化した影響か、それとも半身の再生力によるものか、元通りの滑らかな質感を取り戻していた。

 尻の先端さえ除けば非の打ちようがない女体美に、アサメはぎり、と奥歯を食い縛る。


(忌々しい身体)


 怒りに呼応した銀髪の毛先が束なって(ねじ)れ、逆立つ。

 本当の己の身体ではない。

 己の愛した者を殺すよう仕向け、そして死を冒涜した敵の肉体。母を自称する者、主上(オーダー)と魂の入れ替わりが起こっている。人道を踏み躙る外法に、もう何度目だろうか。憤怒が湧く。


「アサメ」


 突如、引き戸の奥から声が掛かった。

 肩がびくりと立つ。見えている筈はないが、咄嗟に浴布を引っ掴んで裸体を隠した。


「なんですか」


 努めて冷静に返したつもりだが、少々刺々しい。


「ちょうどいい服、見つけたから置いとく」


 まるで自宅の所有物から選んで持ってきたかのような言い振りだった。やっている事は火事場泥棒である。


「まさか、盗みませんよね」

「借りるんだよ。勝手にな」


 アサメはやれやれと嘆息した。

 面倒ごとは御免であるが、身の丈に合わない大きな羽織りを彼から借りたままで居るわけにもいかない。


(借りる。借りるだけ)


 ゴクロウが立ち去っていく気配を確認し、立て付けの悪くなった戸をがたごとと小さく開ける。

 整然と折り畳まれた藍色の布地と絢爛(けんらん)刺繍(ししゅう)。肩口を掴み上げて広げる。


「いや、これは、ちょっと」


 困惑。


 渋々と着替えたアサメは抜き身の長刀を背負い、妙にそわそわしながら人気の無い長い廊下を歩く。

 傍には瓦礫が散乱する広い庭園。やはり潤沢な金の匂いがする。派手だ。飛び込んできた木っ端や瓦礫のせいで台無しになっているが、元々は手入れが行き届いていたと思われる片鱗が随所にみられる。池に濁りはなく、胴回りの立派な黒い班目の鯉が外の世界も知らずに呑気(のんき)と遊泳していた。

 ゴクロウの気配を辿り、居間と思われる広い座敷の方へ向かう。

 ひょいと顔だけ出す。いた。

 夜見の災厄が襲う直前まで宴会でも繰り広げられていたのか、料理の残骸がそこら中に散らばっていた。

 傷だらけの上半身を晒したままのゴクロウはがつがつと骨付きの焼鳥を食い、残った酒を直呑みしでかしている。腹を満たせれば何でもいいらしい。

 傍らには愛用する護人杖(ごじんじょう)、そして刀が二振り。隻腕(せきわん)なのにどう使い(こな)す気なのか。完全に盗む気である。

 (いぶか)しい視線を送っていると、金眼とかち合った。


「アサメ。どうだ着心地は」

「どう、というか。コレしかなかったんですか」

「あったけど」

「けど」

「穴だらけで透け透けの戦闘服ばかりだった」


 そんな気がしていたとアサメは諦めて項垂(うなだ)れた。どうにでもなれと姿を現す。


「おお、似合ってんな」


 雲を模した豪奢な刺繍(ししゅう)、藍色の詰襟。だが袖はなく、背中が開いて赤色の褐色肌が(さら)け出ていた。(すそ)は膝下辺りまで長いが横を向けば深い切れ目(スリット)が腰辺りまで入っており、歩く度にひらひらと揺れて美脚が常に露わとなる。

 絹製(シルク)で肌心地は良いが、着心地は。


「最悪です。辱めを受けている気分」


 旗装(チャイナドレス)

 それも限定的な室内で着用するもの。露出が多くて外を出歩くには(はばか)られる。今の時代にも伝わっている、というよりも客人が持ち込んだ文化だろう。


「羽織り、まだ借りたままでもいいですか」

「もちろん」


 満足そうな顔をしたゴクロウはすぐに残飯処理を再開した。色気よりかは食い気らしい。

 アサメは借り物を再び羽織り、先程から気になっている二振りの刀をじっと見つめる。


「それよりゴクロウ、その刀、どうする気です」

「いやあ、出来の良い(こしら)えだったから、つい」


 満面と笑って誤魔化す。借りるとも盗むとも持っていくとも宣わない辺り、実に狡賢(ずるがしこ)い。


「ダメです。返してきてください」


 言葉にせずとも意図は読める。盗むべきではない。


「ん、もうちょっと観るだけ」

「ダメ」


 断固却下する。冷艶と凄む表情を目の当たりにしたゴクロウは少し考えると、ひょいとアサメの方へ一振り放った。

 反射的に掴み取る。

 飴色の鞘を手にした瞬間、アサメは業物だと直感した。思わず鯉口を切る。皆焼刃(ひたつらば)に似た油膜掛かった刃紋を眺めながら、小気味良い金属音を立て、抜き放つ。


(柄巻きの皮が手によく馴染む。それに凝った(はばき)鏡面(ミラー)加工されていて後方確認にも目眩しにも使えそう。刀身は厚みがあって力強いし、それに刃紋が独特というか、意図を感じるというか)


 一瞬だが見惚れてしまった。

 はっと気づいてゴクロウを一瞥すると、してやったりと悪戯っぽく笑っていた。


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