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幕間 動乱の煤湯

 万の雷が猛る夜だというのに、七千栄華の都、煤湯(すすゆ)はやけに静まり返っていた。


「ご自愛くだせえ、親父殿」


 肝煎(きもい)りの若頭が頭を垂れる。


「歳は取りたくねえもんだな」


 万會(よろずかい)傘下折岩(おりいわ)組々長、クザイは不甲斐ないと溜息を吐いた。傍には二十歳にも満たない愛人の一人。老骨の背を甲斐甲斐しく撫でられるのが余計に惨めな気を煽る。

 (よわい)七十にもなると、あちこちガタついてくる。遠雷でも聴きながら風流に浸ろうと楽しみに取っておいた五十年モノの古酒だったが、自ら抜栓した直後に腰が抜けるとは。味が落ちては酒に申し訳が立たないと若い衆に寄越す。


「羽目ぇ外すなよ」

「へい」


 念を押したものの、煤湯南部の名の知れた一家だ。多少騒いでも近所どころか、屋敷内にいても静かに眠れる程には広大である。迷惑にはなるまい。


「姐御も、ごゆっくり」


 こっくりと頷く愛人を連れ添い、早めに床に就く。

 そのせいだろう。クザイは夜更けにふと目が覚めた。

 午前三時頃。

 微かな雷鳴と光に瞬く薄暗い寝室の中、手探りで女を抱き寄せた。雷光が走る度に極彩の煙が彫られた刺青が浮かび上がる。

 この紋様の垂迹者(すいじゃくしゃ)灼雷(しゃくらい)も何処かで雷拝祭の太雷柱を観ているのだろうか。

 硝子(ガラス)窓の向こうにはどす黒い曇天。雷が夜光族の禁足域へと閃く。

 煤湯(すすゆ)都主(としゅ)直々の外出禁止令に、折岩一家は妙なきな臭さと不吉な予兆に(さいな)まれていた。曇天郷の各地より湧いて現れた泥暮らし共。都が一瞬だけ騒ついたのは、既に三週間以上も遠い過去の記憶だった。人類の脅威となり得る怪異討伐を生業とする『恐れ狩り』によって駆逐完遂の宣言が行き渡ったのがここ一週間前の出来事。

 雷拝祭の参拝に間に合ったと喜びに沸いたのも束の間、つい三日前には外出禁止令である。

 遅過ぎる、急過ぎる、泥暮らし如きに恐れ過ぎだと反発する衆愚の民が続出した。だが有識者や、特に裏稼業者達は一斉に総毛立ったことだろう。

 六仁(りくじん)協定の一角であるあの都主が無意味な判断を下すなど、決して有り得ない。真相は読めずとも、この件には必ず裏がある。闇よりも深い何かだ。

 胸騒ぎがする。何か良からぬ事象が起こるとすれば。クザイの予感は正しかった。

 大地を揺さぶる咆哮。

 煤湯全域を駆け抜ける(けが)れた衝撃波。

 眠らぬ都とて眠る者は居る。彼らは皆叩き起こされ、そこかしこと明かりが灯ってより輝き、誰もが恐る恐ると音の発生源である禁足域へと顔を向けた。山々に囲まれた向こうで何が起こっているのか。紙飛行機型偵察機(ドローン)が闇の彼方へ飛んでいくのを誰もが見守る。やがて公共の映写幕(スクリーン)型掲示板に投影されたそれに、誰もが震撼した。

 人か、龍か。

 真紅の角を有する(おぞま)しい巨大生物が、破壊を撒き散らさんと巨拳を振り上げた。

 誰かが逃げろと悲鳴を張り上げる。蜂の巣を突いた様な大混乱がぶちまけられ、混沌と恐慌が横行し、誰かが誰かを押し退けて我先と逃げ惑う。だが、想像していた衝撃は訪れない。しかし杞憂(きゆう)に終わったとも言い切れない。

 接続回線が不安定なのか、邪悪な相貌(そうぼう)を最後に映像は途絶えたきり。不穏の種を植え付けられた人々はただ夜明けを待つ。危機を察して逃げる者、楽観して再び眠りに戻る者は稀だった。多くの者が懊悩(おうのう)としたまま立ち往生していたのである。

 騒然とした雰囲気にまでは一応の落ち着きをみせた明け方頃、過去最大級の絶叫と絶望がそこら中から響いた。

 禁足地に噴煙と爆轟。

 キノコ雲が発生し、だが不自然と掻っ消え。

 巨龍、夜見(よみ)の咆哮が煤湯中に再び轟き。

 曇天の怒りが大地を貫き、穢土(えど)の怨嗟と激突。

 覚せし自然が生んだ災厄の衝撃波が地上を薙ぐ。

 暴風と激震の余波は凄まじく、積もっていた雪は一部土砂ごと舞い上がって中央部及び以北(いほく)へと降り注いだ。農業地帯でもある煤湯(すすゆ)南部特有の老朽化した家屋や柵は呆気なく倒壊。比較的新しい住居でさえも窓などは軒並み吹き飛び、木端が凶器となって民衆に殺到した。重軽傷者らの悲鳴だけでなく、物言わぬ者の髪が(なび)くほどの怒号までもが飛び交う。同時多発的に発生した火災現場へ警備隊が消火活動に駆け回り、無事な者を探すのは至極困難であった。

 長閑(のどか)な田舎街然としていた筈が、今や塵や残骸が無造作と転がる廃墟に一変。

 年に数度の快晴を迎えたばかりに、地獄の光景を無残と明らかにしていた。

 まだ朝は始まったばかりだ。絶望の朝だ。


「酷いな、こりゃ」

「ですね。誰も居ません」


 不条理な暴風により半壊へと追いやられた煤湯(すすゆ)南部。動き回れる人々が大勢と逃げ去り避難した、虚無(きょむ)の廃墟原。

 だが、彼等の顔はどうした事だろう。険しい顔だが、悲壮感はない。

 大地の底に転落し、否応なく激戦に次ぐ激戦。死にかけながら地上へ這い出たかと思えば死闘に次ぐ死闘。まさしく地獄を乗り越えたこの二人の眼にとっては、ここが天国の入り口の様に映っていた。


「なあ、アサメ」


 隻腕(せきわん)の大男は黒々とした護人杖(ごじんじょう)でとある廃屋を指し示した。冬の寒さにも耐える半裸の上半身は屈強で、欠けた右腕には念入りと包帯が巻かれていた。


「まさか、ですよね」


 長い銀髪をぼろぼろの全身に纏わせた褐色美女は片眉を吊り上げた。丈の合っていない羽織りの裾から肌と同色の鋭い尾先が神経質に揺れる。やはりどうにも気が進まない。

 瓦や窓は微塵に吹き飛んで入るが、屋敷自体はほぼ原型を留めていた。高い塀に囲まれ、覗く松にはどこからか飛んで来た布切れが引っかかっている。


「立派な屋敷じゃねえか。一息つけそうだぞ」


 見るからに富裕層の住まいである。

 誰かが残っていたとして、血塗れでぼろぼろな格好の放浪者を(こころよ)く受け入れてくれる筈がない。


「ゴクロウ。もう少し生活感のある家と家主を探して無難に交渉をしませんか。これじゃ火事場泥棒です」


 じろりと鋼の瞳が訴える。

 対する精悍な大男は屈託のない笑みで答えた。


「じゃ、お先に一番風呂、浴びてくるわッ」


 麗人の苦言を元気良く無視。彼は欠けた右腕を懸命に振って、我先と駆け出した。


「あ、ちょっとッ」


 疲弊していても脚力は健在。面倒ごとを起こす前に止めなければ。すらりと伸びた赤土色の肢体を晒し、鋭い先端の尻尾がくるりと翻る。

 アサメとゴクロウ。

 ようやく手に入れた細やかな休息を、地獄の片隅で満喫しようとしていた。


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