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生は奇なり死は帰なり 1

 曇天の雷と穢土の龍が荒れ狂う、天地の狭間。

 主上(オーダー)は場にそぐわぬ微笑みをアサメに投げかけた。


「どうだい、私の元の姿の一つは。使い勝手が良いだろう」


 この者は決して嘘は吐かない。


「君のこの身体は損傷が激しくて、というか控えめに言っても木っ端微塵に砕けてね。再現するのに大変だったんだよ。設備も何もかも消えたからまた二、三千年ほど時間が掛かった。仕方なく私に定着させておいたら意外にも馴染んでね、どうせだから譲り合おうと思ったのさ。ちなみに彼は替えを衛星格納庫に保管しておいたから、移植するだけで簡単だったよ。王などと呼ばれる者が、安いものだ」


 ただし、吐き気を催す現実のみを突きつけてくる。

 アサメは必死に身体を震い立たせた。


「ふざけるなッ。私を、私とこの人を、いや、死者を(もてあそ)んで何がしたいッ」


「おや、君は彼と、産まれてくるはずの子と、共に居たかったんだろう。死も時も乗り越え、再び一つになれたのに、不満かね」


 裏表なく、本気で眉を潜める。人心というものをまるで理解していない。


「二度はない。今度こそ貴様を殺す」

「おお、ぜひお願いしたい。実は行き詰まっていてね。今の地球は私の理想郷に限りなく近いだけで、実現できていない事象がまだまだある。だからまた君を呼んだんだ。君なら私を救えると信じてね」

「望む通りにしてやる」


 長刀を掴んで地を踏み、自身だった女の胸を容赦無く貫く。手応えあり。

 だが。


「やはり駄目みたいだね」


 なおも柔らかく笑う。


「どんなに命の時間を引き伸ばそうが、死に至る損傷を身に負おうが、人というのは一定の水準を越えるとやはり死ぬ。ああ、私は別だよ」


 苦痛に歪む素振りすらみせない。

 あまりの清廉清浄な気配に、アサメは恐れ(おのの)いて後退(あとずさ)った。ずるずると引き抜き、ゴクロウの元でへたり込む。

 主上からは血が、一滴たりとも溢れていない。

 刺突傷は何事も無かったかのようで、ただ肌蹴た白肌を晒していた。


「魂の冷凍と解凍では意味がないんだ。君達のように記憶を失ったり、肉体の劣化が起こるからね。本来備わっているはずの機能が十全ではないと身を以て体感しているだろう」


 腕を組み、整った顎に指を当てる主上(オーダー)


「永遠の再生。これを手にするにはまだ何かが欠けている。いや、有るのに掴めていないと言ったほうが近いかな。だから眼の良い君を呼んだというのもある。不可視を暴く最強喰らい(アヴァミネーター)をね」

「その呼び名は、止めろ」


 鬼気を背負って凄むアサメ。

 だが、主上は笑って慈愛を示すのみ。怯えて唸る野生の子犬に救いの手を差し伸べるかのように、アサメの頬を撫でた。


「八百万年前に君が私を導いた様に、また私に命の輝きをみせてくれ」


 震える。

 それだけで、抵抗する気概すら消え失せた。ただただ震える。存在する次元が違うとでもいうのか。

 なんとか振り解いて体勢を今すぐ立て直し、無抵抗な天辺から爪先まで斬り刻んだとしても、この者は傷一つ負わずに微笑んでいるだろう。

 どうすれば、どうすれば乗り切れる。彼を守れるというのか。

 呻く声が、足元から上がった。


「誰だ。あんた」


 ゴクロウは身を捩り、ふらふらと立ち上がる。

 腕は欠け、中途半端に癒えた胸の傷を抑え、それでも状況を察して臨戦体制に入る。

 神威を放つ主上(オーダー)と対峙。


「やあゴクロウ。私は、そうだな、君達の母みたいなものだ。好きに呼んでくれたまえ」


 へえ、と極めて冷静を装い睨む。


「俺の血縁を名乗る奴は大抵ろくでもない悪党なんだが、あんた、本物だな」

「どっちの意味でだい」

「どっちもだ、この化け物。とち狂った精素を背負いやがって」


 今まさに死の狭間から生還したゴクロウには、少しばかり視えていた。

 母を自称する女の背に、眼を焼き尽くさんばかりの後光が極彩色に煌めいて降り注いでいた。

 生命を凝縮した毒の熱から、ゴクロウは思わず目を背け、それでも目を細めて瞼の隙間から睨む。


「ふふ、気持ち良いほど純粋な敵意だ。正しく私の制御下から外れた様だね。素晴らしい」


 鷹揚と腕を広げる。

 その手には無限に等しい生命が転がって映っていた。

 人や動植物、微生物といった凡ゆる有機物。垂迹者(すいじゃくしゃ)や、覚せし自然ですら。

 森羅万象は全て、彼女の掌の内。宇宙そのもの。


「遅れたが、祝福しよう、二人とも。君達は晴れて自由の身。好きに生きるんだ。二人幸せな人生を謳歌(おうか)するも良し、復讐に生きるも良し、命を賭けるも、私を殺しに世界中を巡るも良し」


 アサメは地を踏みにじり、乗り出した。


「そんなの、一つしかないッ」

「俺とアサメを、二人の人間に分けるんだ」


 アサメは八つの槍を紡いで尾を鋭く振り、ゴクロウは緩く拳を結んで構え。

 矢が尽き、刃を無くし、命の炎を燃やし尽くそうとも構わない。

 今この瞬間に死んでも悔いのないように、全力を奮う。


「ああ、やはり君達というやつは」


 我が子の成長を心から喜ぶ、慈愛に満ちた表情。


最強喰らい(アヴァミネーター)よ、偽王よ。無数の犠牲を糧にし、幾多の絶望を乗り越え、数多の苦難を経て、私の元へ永遠へ至る鍵を持ってきてくるんだね」


 母は告げた。


「よろしい。餞別(せんべつ)をくれよう」


 大地爆裂。

 土が煙る。二人は咄嗟に腕を盾にし、雷が真横に降ったと気付いた頃には、それが居た。

 朱殷(しゅあん)の髪を逆立てた、紅い瑕疵(かし)だらけの裸女。

 欠けた左腕に寄り添うは金剛石(ダイヤモンド)の錫杖。刀傷、擦過傷、刺傷、咬傷、裂傷、剥皮、凡ゆる傷痕を全身に負うその上背はゴクロウを倍にしても届かない。

 その眼は紫電の如き鮮烈な白熱を放射していた。

 稲妻の神気に、吐き気すら催す。


「我が名は灼雷(しゃくらい)


 朱色の爪先が、ゴクロウを指差した。

 紅の雷。


「ゴクロウッ」


 一瞬の出来事に理解が追いつかない。ゴクロウはそのまま仰向けに倒れていくのを、アサメは必死に支えた。

 雷が胸を貫き、赤熱。


「な、んで」


 己の頭髪と瞳が灼雷と同じ朱殷紫電に染まっている事にすら気付かず、相手が垂迹者(すいじゃくしゃ)であろうと関わらず。


「よくもおおおおおおッ」


 飛び掛かる。

 その寸前、手首を掴んで制する大きな手。胸の中でゴクロウが身動いだ。


「ぐ、あ、アサメ。大丈夫だ。なんともない」


 何事もなかったかの様に立ち上がる。

 肌蹴たゴクロウの上半身、心臓が脈打つ辺りに、落雷を思わせる刺々しい疵痕が朱く刻まれていた。

 アサメは恐る恐ると朱い疵痕に触れる。


「そんなはずが」


 掌を叩く、荒々しい鼓動。

 轟雷の如き力が、アサメの掌を介して骨の髄まで響く。


「解るだろ。それどころか胸の痞えが嘘みたいに吹っ飛んだ。力が(みなぎ)るんだ」


 これならば、闘える。


「奴は、どこに」


 一応の落ち着きを取り戻したアサメはまだ困惑しながらも、荒廃した辺りを見渡す。

 母を名乗った女の姿は、消えていた。


「万死を蹴散らす者よ。天を仰げ」


 代わりに佇む曇天の垂迹者(すいじゃくしゃ)灼雷(しゃくらい)は、静かに天を指差す。


「雲が」


 二人は白みつつある暁の空を見上げる。


「晴れたが、よ」


 ゴクロウとアサメにとって八百万年ぶりに差し込む薄明に、鋭く目を細めた。

 暗夜の終わりと、寒々しい朝の狭間。

 曇天が雷を巻き込んで渦巻き、夜見の頭上に曇天郷中の雲が集約。次第と腕の形を成していく。

 それは深淵の底を殴り抜くであろう、天上の拳。


「禁足域ごと、破壊する気ですか」


 夜見が両腕を掲げる。それは崩壊を押し返さんとする、闇の掌。

 神々の闘争、その趨勢をゴクロウとアサメは呆然と眺めていた。

 起こりうる災害から、もう逃れられない。

 だからだろうか。無意識の内に、二人は互いの手を繋ぎ合っていた。ただただ立ち惚けながら。

 精素が有象無象の何もかを浮き彫りにし、恐怖すらも呑み込む自然の脅威。


「安寧は終わり、混沌が始まる。天と地の因縁、今が再燃の時」


 神の怒りが、地上へと遍く降り注ぐ。


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