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世界ノ理二刃向カウ者 5

 半笑いになった蜥蜴人(リザードマン)の生首。

 鬼神はただ見下す。モノが転がっている、ただそれだけ。感慨などない。なんと虚しいのだろうか。後味は悪く、復讐を成し遂げても、空いた心は空いたまま。

 ならばどうすればいい。

 サガド率いる賊共を皆殺せば塞がるのか、シクランやユクヨニを断罪すれば癒されるのか。


『生まれるのは血の連鎖だけらしい』


 きっと傷口はいつまでも瑞々しく赤黒い。

 苦痛に(さいな)まれながら、滴る血を補充しようと次の犠牲者を探し求める復讐の鬼と化してしまう。それどころか予期せぬ報復の()き目に遭うだろう。

 だったら、何をすべきだろうか。


『それでも私は闘います。もっと生きて考えます。諦めたら、死んだも同然ですから』


 蒼炎纏う長刀を地に突き立てた。

 死してなお雄弁に語る蜥蜴人(リザードマン)の生首へ、紅蓮の火力へと落ち着いた怪腕を伸ばす。

 掌に血の炎が渦巻く。


『ああ。それが生者の務め、かもな』


 ゴクロウは心の底から彼等を憎めなかった。

 出会う時が異なれば、やり方さえ間違わなければ、腐れ縁くらいにはなれたかもしれない。今更遅い。意味の無い自問と逡巡(しゅんじゅん)を直ちに掻き消す。

 荼毘(だび)に付して記憶に留めるのみ。

 さよならだ、と小さく呟いた。

 第六感の警鐘。

 この身を以ってしても、怖気が先に来る。


『ゴクロウッ、アレがッ』


 アサメの叫びに振り向いた。

 烈震。

 巨山が、人の龍が上体を起こして大地を叩き揺する。

 夥しい数の眼はぎょろぎょろと全方位を睨んで蠢き、地獄の叫びを体現する龍の喉が震えて顎門が開かんとする。

 夜見、再覚醒。

 この脚なら禁足域からは逃げ切れる。限界まで突っ走るだけだ。(きびす)を返しながら思考を巡らせ。


「馬鹿な」


 二度震えた。

 蜥蜴人(リザードマン)の首が、無い。

 まさかと目を疑う。ばらばらに散っていた筈の肢体が何故か、大地の凹みに集まって独りでに身を寄せ合っていた。


「往生際の悪いッ」


 長刀を引き抜き、一閃。炎の衝撃波を放つ。

 着弾。

 火炎の渦が吹き荒れる。だが渦の奥から異形の影がむくりと起き上がり。


「ま、た会おう。世界の、宿敵よ」


 火炎流を掻き消す勢いで、猛然と飛び去った。

 頑強にも程がある。最後の最後まで力を蓄えていたというのか。人の理に反する生命力、自己再生能力に震撼する。


「逃さん」


 ならば何度でも(たお)すまで。

 追撃の一歩は、背面を叩きつける爆圧に阻止された。

 耳を劈く、夜見(よみ)の咆哮。


『どうして。ここまで、追い込んだのにッ』


 やられた。

 一足も二足も遅かった。ゴクロウは己の迷想に怒鳴り散らしたい気持ちを制御。今は逃げなければ。脚に力を込める。


『身体が、重てえ』


 思った通りに、動かない。

 立ち往生している間に、足元の亀裂が拡がる。足裏から支えが失調し、傾いだと感じた頃には絶望の浮遊感。

 再び奈落へ。

 これしきの落差、鬼神が脱せない筈がない。だが不穏な予感が的中する。


『ゴクロウ、この身体、限界が近そうです』


 当然だ。

 命が尽きても構わないと暴れるだけ暴れた。

 瓦礫と共に闇底へ、真っ逆さまに落下。

 墜死を前にしても、鬼神は静かに眼を瞑る。

 狂気の雄叫びが突き上がる。

 絶望的に蠢く泥暮らしの軍勢。奴等は何処にでも潜んでいる。堕ちたのなら、また戦えばいい。四肢を喰い千切られる未来ではなく、敵を蹴散らす光景を脳裏に描く。


『限界が何だってんだ。何度でも、這い上がってやる』


 一瞬、か細い繋がりが脳裏に走った。遠退く薄闇の空へ、直感的に左手を(かざ)す。

 風を薙ぐ回転音。弧を描いて高速飛来してくる物体、護人杖(ごじんじょう)を力強く掴み取った。

 この手触り。手応え。頼もしい。染みついた精素のおかげか、よほど密接と繋がっているらしい。

 これさえあれば、まだやれる。


『大丈夫だ。俺を信じろ、アサメ』


 返事がない。ややもして。


『私は一度、貴方に裏切られました』


 重い響き。底での一件が、まだ尾を引いているのか。


『いや、あれはサガドらを騙し討つ為の』

『違います。もっと過去の、貴方にです』


 被さった声に、ゴクロウは黙って耳を傾ける。


『貴方は大義の為なら、愛をも餌に変えた。そして独りになって死んだ。貴方を殺すだろう私を見据えて、死んだ』


 知らないことは答えられない。


『結局、貴方を裏切ったのは私です。身に起こる責任の全てを自分のものにできずに、辛い決断を、させてしまいました』


 過去は過去だ。言葉を返そうとして。


『だからゴクロウ。私はもう二度と後悔したくない。失いたくない。これから立ちはだかる敵を撃ち破る為にも、許してくれるのなら、もう一度貴方を信じたい』


 響く。

 どうしようもなく、胸に響く。

 熱く滾る感情が心から押し寄せてくるのを、ゴクロウは気力に変えた。

 錯覚などではない。無限に力が湧いてくる。

 ならばまだ、やれる事がある。


『アサメ、お前が側にいてくれて本当に良かった。全力で応えよう』


 最後の力を振り絞り、一回転、感応術発動。空気層を生んで蹴り跳ぶ。崖を足蹴にしてより踏み込み、上方を目指す。


「往くぞッ」


 地上へ、雷猛る曇天へ。

 鬼神は紅蓮の軌道を引き、高く高く飛翔。

 奈落の崖から噴き上がり、何度か空転して地上へ降り立つ。

 もうこれ以上は。鬼神として振る舞える時間が過ぎた。何歩かたたらを踏み、膝に虚脱感(きょだつかん)を覚えてがくりと崩れ落ちる。

 全身を炎が纏う。すぐに掻き消えると、そこにはゴクロウとアサメの二人。

 がらんがらんと喧しい音を立てて護人杖(ごじんじょう)と長刀が先に転がり。


「ゴクロウッ」


 そして巨軀が、力無く地に伏した。

 すぐにアサメが傍に(ひざまず)いてゴクロウを仰向けに寝かせる。深刻な損傷。偽王の身体はこの危篤状態を無事に済ませるのか、心配でならない。


「大丈夫、ですよね」


 右腕は欠けたまま傷口はどす黒く塞がり、体力の限界を迎えていた。

 斬り飛ばされた筈の刃尾がくねる。復活したアサメは、だが重苦しい倦怠感(けんたいかん)を抱えていた。ゴクロウの胸に、項垂れるようにして耳を当てる。心臓の鼓動が弱い。心臓を貫いた刺し傷は薄桃色に張って癒えてはいる様子だが、十全ではないらしい。伝わってくる生命力の微弱さに死の不安が付き纏う。


「いつもみたいになにか適当に答えてくださいよ」


 声に覇気もなく、どうしても気力が湧かない。

 この硬直は真身化(シンカ)直後の弊害。心身共に多大な消耗を突きつけ、代償として生命力を著しく奪う。無闇矢鱈と出せない最強の切り札たる由縁。


「何でも、いいから、お願い」


 このまま終わるのか。

 またいつ崩れるかも解らない、この禁足域で。

 人の龍、夜見が深淵から這いずり上がろうと地を掴んで超巨軀を乗り出している。

 地上には既に泥暮らしの軍勢が這い出ており、地上を灰肌で埋め尽くそうとしていた。

 大戦が始まる。大勢の命が散る。避けられない。


「このまま寝る気ですか」


 終わるわけにはいかない。

 金縛りを振り解くようにして震える腕に弱った膂力を込める。


「私は、嫌です。起きてッ」


 動けないのなら、背負ってでも逃げ出すまで。


「ああ。あの時も彼にそう縋っていたね」


 それはあまりにも不意だった。

 聞いた記憶のある、聴き慣れない声。

 いつから。最初から。いやそれよりも。

 恐る恐ると声の方を向く。

 光沢のある茶髪、翡翠に近い眼、透き通る様な白い肌の女。

 よく見知った姿。過去の姿。


「な、んで」


 アサメ本来の姿が、目の前で微笑んでいた。


「久しぶりだね。今はアサメと呼ばれているのかい。素敵な名を付けて貰ったじゃないか。母音から始まる名は呼び親しみやすいからね」


 確信があった。

 アサメの脳裏は困惑から、瞬く間と怒りで埋め尽くされた。


主上(オーダー)、か」

「ああ。そんな呼び名もあったか。懐かしい。本当に懐かしいよ」


 主上(オーダー)

 アサメの本体は悪びれもせず、心から懐かしそうに目を細めていた。


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