世界ノ理二刃向カウ者 3
超速と推移する真身化体同士の戦闘行為。
対して遙か上空まで跳ね上げられた二振りの刃は静止したかのような緩い回転落下を始めた。
狂ったような連弾を繰り出す蜥蜴人は一層と雄叫ぶ。コンマ数秒以下の剛速で左右から五発ずつ打ち、鳩尾へ肩を押し込もうと突進。だが何故か、目と鼻の先にいるはずの標的に当たらない。
鬼神は右脚を引いた左半身のみで迎え撃つだけ。
というよりかは、ただ揺れている。
ゆらゆらと拳打の雨を擦り抜け、蚊でも叩き落とす程度の軽い反撃を挟み込む。
いつでも殺せる。
いや、わざと戦闘を引き延ばそうとしている。
憤怒に震える蜥蜴人。
続く下下中中上五連蹴りの兆候を察知した鬼神は差し出した膝で初動を防御し、ふと左手を伸ばす。胸を軽く押し退けただけで連撃阻止。片腕で充分だった。
蜥蜴人の喉が不気味に迫り上がるのを予見。毒噴射。
神速の手刀で即潰す。
「ごぼぉッ」
噴出する劇毒の飛沫。
転身を交えた肘鉄で刺々しい竜の横っ面を殴り倒し、飛び散る唾液の一粒ずつすら浴びない。
充填完了。
鬼神の脚が地面を掻いて腰を落とし、紅蓮を纏って膨張した右拳を振り被る。溜め込んだ精素を解放。一層と熱を放って紅く輝く。
鬼の剛腕と爆炎の推進力が、破壊とは何かを語った。
撃発。
「果てまでぶっ飛べ」
爆噴と放たれた正拳突き。
焦る蜥蜴人が咄嗟に構えた腕の防御ごと粉砕。
このまな腹筋を上下に弾けさせ、臓腑を壊滅的に揺さぶって背骨を。
「うおおおああああッ」
拉ぐはずだった。
右拳から放たれた赫灼の弾道は爆風を伴って蜥蜴人を掠め、滅茶苦茶に乱回転させながら吹き飛ばす。だが回避姿勢までは潰せず、無理矢理捻って横に跳ぶ。瓦礫を巻き上げながら地を擦り、制動をしてのけた。
爆炎の軌道はそれでも一直線に走り、遙か後方の巨岩に炸裂、爆散。
高熱の衝撃波が辺り一面の瓦礫を全て四散。灰の粉塵が晴れた頃には、何一つ残されていなかった。
「有り得、ねえ」
荒い息を繰り返す蜥蜴人。右腕は千切れかけ、腕骨を剥き出していた。
「よく避けた」
傲岸不遜な鬼神は不動を保ち、突き立つ長刀の傍で静かに佇む。熱波をそよそよと浴びて白銀の髪を遊ばせていた。
「クソが、馬鹿げてる。有り得ねえッ」
静観する金銀の虹彩異色に、怒り叫ぶ。
歴然とした戦力差を前に、足掻く他ない。
腕の再生完了を待たず、地を蹴って再突撃。滑り込み、水面蹴りからの爪髪による斬撃幕と回し蹴りの連撃。当たらない。
回転力が乗ったままの上段蹴り直後に、怖気。
居ない。何処だ。
『下よッ』
足元から鬼神の視線。
地表ぎりぎりまで上体を仰け反らせた曲芸回避に戦慄する。
大刃尾に支えられた巨軀が勢いよく捻転、倒立したかと思いきや、全体重を乗せた踵落としが蜥蜴人の顔面をまともに突き刺した。
そのまま地表へ叩き込む。
地響きと共に大地が陥没。蜘蛛の巣状の大亀裂が四方に罅走った。
鬼神がぐぼりと血の糸を引いて脚を上げる。しぶとくも顔面の原型を留めた蜥蜴人がびくびくと痙攣に震えていた。
「まだなんだろう。早く起きろ」
擬態死はもはや通用しない。
全身を歪めたまま跳ね起き、鬼神の周囲を超高速で滅茶苦茶に飛び回る。
もはや見飽きた。撹乱と見せかけた時間稼ぎに過ぎない。
不快な骨音が響く。
「どでづも、ねえよ、お前達の真身化は。まさに起死回生だ」
顔面が再生しているのだろう。苦し紛れと語りかけてくる。
「心のどこかで侮っていた。覚醒しても俺達が圧倒できるとッ」
跳躍した蜥蜴人。
ようやく落下してきた曲刀と細剣を把持。
着地後、雷撃の如く蛇行、疾駆。
死角を突いた致命の刃と刺突が鬼神を襲うが、視線もくれず大刃尾を振る。
鋭い音を立てて打ち返した。
「侮るのではなく」
突き立つ長刀を逆手で抜刀。走る金銀の視線。再三再四と強襲してくる標的を定めた。
刀身を纏う紅蓮炎を置き去りにするほどの踏み込み、剣戟の快音が飛び散る。
「俺達を斃しうる勝機を、見出すべきだったな」
炎越しにして、鍔迫り合った。
「その凄みは何だッ、何がお前達を押し上げたッ」
互いが互いを乗り越えんとする圧力が、膠着を生む。
響く雷鳴。
遠い空には力む曇天の御尊顔。血管の如き稲妻が近くに落ちる。ついに手当たり次第と地上を穿ち始めた。
両者、動じず。
目前の敵のみを殺さんと力み合う。
「叫びだ」
鬼神が唸る。
「生きたいと叫ぶ魂が俺達を震わせた。諦めたくない。挫けたくない。こんな理不尽な世界をぶち壊せってな」
金銀の揺らぎなき眼光、紅柑子の憎悪。
激熱放つ炎刀越しにして、凶相を寄せ合う。
「理不尽な世界を壊せだと。ふざけるな」
引かない。引けば敗れる。
「何百万年経とうが、いつの世だろうが、弱者にとっての理不尽こそが世界のあるべき理なんだよ。
お前のそれは妄言だ。僅かな金を餌に、与えられたちっぽけな箱の中で何も知らず知ろうとせず、こそこそと欲を浪費する愚か者の思想だ。
そしてそんな価値すら無い連中から淘汰されていく。夜光族のようにだ。見当違いに喚くだけ喚いて、上位者に飼い慣らされたまま食い物にされる運命でしかないッ」
「俺はお前達の考えは否定しない」
「そうだ。無駄で無意味で無意義だと理解しろ」
「だからこそ抗う意義がある。暴力を理屈がましく正当化して、殺戮を尽くす奴にはなッ」
溢れる怒りに圧された蜥蜴人は踏み込みも退くことも許されない。地を爪で掻いて踏ん張りながら、恨みがましく言葉で噛みつく。
「違う。世界を変えようとするな。受け入れろ。利用しろ。立ち位置を入れ替えることでしか、俺達は生きていけない。生きて“は”いけないッ」
「生き方を決めるのはお前じゃない、世界じゃない。俺だ。俺達だッ」
鬼神が踏み込み、猛然と押し迫った。
地面を勢い良く裂く。前方の巨岩へ、蜥蜴人の背をめり込ませた。苦悶の表情を浮かべたが、紅柑子の瞳は憎悪に燃えたまま。
「現実に目を向けろ。陰謀に巻き込まれる危険を知りながら目を背けた夜光族を。裏切りと、炎の海と、無慈悲な雪崩に巻き込まれて死に絶えた愚かな夜光族を」
「彼等は使命を果たそうとしただけだ。何度侮辱すれば気が済む」
蜥蜴人は追い込まれた全身を震わせ、渾身の力で僅かに押し返す。
「何度でも言ってやるよ、そして見せてやるよ。だから共に来るんだ。俺達とお前達は捕食者。食物連鎖の塔を登り詰め、蹴落として、理不尽の頂きで弱者の肉を貪るのが理だッ」
「存分にやれ。貴様らだけで腹を括れ。いいか、言い訳がましく後悔するなよ」
「言われるまでもないッ」
「だったら来い、ぶっ潰してやるッ」
「ならばお前達は敵だッ、世界の敵だああああッ」
大蛇の大顎門、顕現。
魔毒を撒き散らす絶叫が辺りに響き渡った。
膠着、強制解除。
両者跳び退き、だが鬼神は影の大蛇に片脚を縛られた。
「小賢しい」
一瞬で焼き切るも、蜥蜴人に乾坤一擲の機を与えてしまった。
「いや、これが俺達の勝機だッ」
腹の底に溜め込んでいた琥珀色の毒霧を、地表へ噴霧。爆発的な勢いで毒闇が蔓延。
瘴気の黄煙に視界が覆われ、岩をも融解させる異様な酸が発生、しゅうしゅうと死臭を振り撒く。有毒と邪気の精素が非科学反応を誘発させ、幾千万もの小蛇が出現、四方八方から襲来。
『ゴクロウッ』
『動け、ねえッ』
燃え滓になろうと構わず、小蛇の波が鬼神の全身に噛み喰らう。
爪先を削る程度の感覚が、骨の髄まで蚕食。
「ぐううううおおおおおおッ」
地鳴りを引き起こす怒声。
激痛に次ぐ激痛に次ぐ激痛。
「痛えよなあ、俺達はこの永遠の苦しみから、絶対に逃れられねえッ」
なぜか痛覚の遮断を意識的に行えない。身動きも取れない。
毒の効力だ。神経を暴走させられていた。
「があああおおおおおおおッ」
暴れ悶える。
血肉が爛れるより早く再生、腐食咬撃の繰り返し。治らない傷にひたすら塩水を浴びせられているかの如き神殺しの罰。
気が狂う。
脳裏まで暗い焦熱によって焼け爛れていく。




