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世界に刃向かう者 14

 ゴクロウとアサメは一言と発さない。

 何度か振り返りながら追撃の可能性を案じるが、徒労に終わる。

 立ちはだかる崖道の半ばから、大穴の形に切り抜かれた曇天を見上げた。分厚い黒雲に血走る紫の稲光は、凶兆(きょうちょう)を叫んでいるかのようだった。

 それでも二人は生還を諦めず、崖に刻まれた大階段を掴み、岩壁の出っ張りを蹴り込んでよじ登る。

 アサメの手を借りるゴクロウの左腕には、血で染まった包帯。深く刻まれた刀傷の回復は早く、血止めを塗る前にはある程度流血は治まっていた。

 黒血の染み込んだ護人杖(ごじんじょう)が背中で揺れる。ゴクロウの頑強な身体は度重なる転落と狂い女リプレラからの暴虐を受けて満身創痍(まんしんそうい)のはずだったが、気付けば動けるほどには回復していた。

 地下の底は着実と遠ざかって暗く(かげ)り、地上の風が運ぶ冷たい匂いを全身で受け止める。

 辛酸を浴び続けた、長い道のりだった。


「あの」


 背を向けて登るアサメが、ぽつりと呟いた。


「どうした」

「解らなくて」


 視線は合わさない。


「何が」

「貴方の本心と嘘が、です」


 要領を得ないな、とゴクロウは少し考え、だがそれは自分もだったと反省する。


「教えない」


 むっとようやく見つめ返してくる。それでも軽々とゴクロウを引っ張り上げ、次の階段へ。

 改悛(かいしゅん)の情を垣間見(かいまみ)せた彼女の横顔を、ゴクロウはじっと見つめた。


「じゃあ、いいです」


 拗ねて膨れても、少女らしい可愛げはどこにもない。代わりに、顰めた眉すら美麗に映える顔立ちに思わず見惚れる。不器用で、白にも黒にも染まりやすい純粋な彼女の心。


「でも、あいつらに乱入されて有耶無耶(うやむや)になった返事が残っているな」

「えっと」

「お前は言ったな。戦う道を往くって。今でもそれは変わらないか」

「はい」

「それで興奮したお前は言うに事欠(ことか)いて、のうのうと生きろ馬鹿(バカ)ゴリラ阿呆(アホ)と突き付けたわけだ」

「いや、そこまでは」

「こっから俺が言うはずだった続きな」


 手を借りてよじ登る。

 地上まであと二、いや一段。


「俺達は二人で一つなんだろ。背中を合わせれば、右を見ながら左を向ける。アサメがあらゆる死を乗り越えて、夜光族の無念を晴らすってんなら、いいじゃねえか。全力でやればいい」


 差し出されたアサメの手を掴んで、登り詰めた。

 莫大(ばくだい)と広がる地上の裂け。

 地層ごと剥げた山々に囲まれ、二人は手を取り合ったまま立つ。

 曙をひた隠す曇天は尽きない雷を孕む。

 遠い背後には硬直したまま天を睨む巨龍、穢土(えど)垂迹者(すいじゃくしゃ)夜見(よみ)

 天も地も、混沌を極めていた。

 大戦の予兆に相応しい凶相だった。

 だが、ゴクロウは見回さない。

 アサメの手を掴んだまま、真っ直ぐと鋼の瞳を見つめる。その奥には、揺るぎない意志で強く煌めいていた。


「俺は俺の為に、俺達の魂を分かつ為に、アサメと背を合わせて戦う。逃げるなんて真似(マネ)、俺がすると思うかよ」


 ようやく聞けた。

 望んでいた言葉を噛み締めるアサメは首を横に振るい、真っ直ぐと見つめ返す。


「思いません。私達なら成し遂げられます。必ず」


 天地が狂う中、二人はこの世界の闇へ立ち向かう覚悟を誓った。

 互いの手を固く結んだ合ったまま。


「あと、その、早合点して、ごめんなさい」


 アサメが罰を悪そうにして(うつむ)き加減で(あやま)る。(いく)つもの苦闘を乗り越えて、少しだけ表情豊かになっていた。


「仕方ね、許してやる」


 冗談ぽく言いながら、ゴクロウは笑いかける。


 微笑み返すアサメの全身が、鮮血に染まった。


 どさ、と膝をついた巨軀が、力なく凭れ掛かる。

 思考に空白が差し込まれた。


「え」


 精緻(せいち)に整ったかんばせから温かい血を無情と滴らせながら、アサメは硬直していた。

 何が起こったのか。自分の血ではないのは明らか。

 震えながら、ゆっくりと視線を下へ。

 温かい何かが腰辺りに顔を埋めている。癖っぽい赤髪。ゴクロウの旋毛(つむじ)が見えた。

 だったら私の手を握るのは、何。

 太く逞しい、右腕の肘先。


「俺達も地獄から帰ったぞ、ゴクロウ、アサメ」


 聞き覚えのない、だが聞き覚えのある冷めた声音。

 血管が慄然(りつぜん)と凍る。アサメは無防備なゴクロウを守ろうと咄嗟(とっさ)に抱き寄せた。或いは底知れぬ恐怖を抑えようとしたのか。

 声の主へと向くが、居ない。

 見回すが、誰も何も居ない。


(まど)わされるな、アサメ」


 弱った、だが揺るぎない戦意の声。

 我に返る。まだ息がある。血液が溢れて止まらない腕を抱かせるようにしてゴクロウへ預けると、自重を支えきれずに横たわった。


「大丈夫です。落ち着いて、血を、早く止めてッ」


 冷静が必要なのはアサメ自身だが、気付かない。気付けない。

 ゴクロウの腰から曲刀(ヤタガン)()ぎ取って構え、荒涼とした地上を見回す。何処に消えた。身体の震えが止まらない。極限まで(たかぶ)ったアサメの生存本能が危急を警告。


「落ち着け、後ろに」


 弾かれた様に刃尾を振り抜く。

 剣戟。

 直後に激痛。視認不可の斬撃を喰らった。歯を食い縛って疼く痛覚に耐える。呆気なくかち上がったそれは、断たれた刃尾。弧を描いて血を撒き散らしていた。

 まるで思考が追いつかないまま、(きびす)を返す。

 それと、対峙した。


「油断した俺達の敗けだ。認めよう」


 (うるし)色の鱗に覆われた、一匹の蜥蜴人(リザードマン)

 脱力した両手には、(すす)けた瘴気を放つ長刀(マルドバ)細剣(ダオダラ)

 鱗よりも赤みがかった黒髪はきめ細かに編み込まれ、先端には細く鋭い爪牙がじゃらじゃらと揺れる。

 表情そのものが失せた竜の相貌(そうぼう)に、紅柑子(べにこうじ)の瞳。 

 狂気と残忍と憤怒。


「そんな、まさか、その姿は」


 脳が拒絶しようにも、まざまざと見せつけられている。理解せざるを得ない。纏う精素が、渾然一体(こんぜんいったい)と化している。

 サガドとリプレラ、なのか。


「だから二度目は油断なくお前達の心臓を(えぐ)り出し、完全に停止するのをこの手で、この眼で、全身で見届けてやる」


 耳に主身、聴覚に半身。

 二つの声質が織り重なって響いた。

 アサメに肉薄。

 思考が追いつかない。見当違いの位置に構えた刃は長刀(マルドバ)の軌道を防げず、下方から斬り上げ。アサメは右半身をばっくりと斬り裂かれた。


「ぐうううッ」


 鮮血が飛沫(しぶ)く。

 真っ赤に開いた刀傷は発火したかのように熱い。

 アサメは吐き気を(もよお)しながらも銀髪を束ねて槍を振るうが、まるで当たらない。

 足音を聴いて背後を振り向くが、もういない。


「があああッ」


 溶岩(マグマ)を浴びたかのような激痛が背中を襲う。無数の爪で掻き立てられていた。髪は千切れ、毛羽立つ外套(マント)は無残に散り、数え切れない掻き傷、いや(めく)られて垂れた皮膚からばたばたと血が溢れる。

 鋼の眼を血走らせるアサメはよろけながら逆手で小太刀を抜き、右で曲刀(ヤタガン)を構えて索敵。

 居ない。


「もう少しは戦えると思ったんだがな」


 砂埃。

 わざわざ正面に立った蜥蜴人(リザードマン)を睨む。編み込みの髪爪から、アサメの血肉がぼとぼとと滴っていた。


「その、姿は」


 憎き敵の輪郭(りんかく)が次第にぼやける。

 アサメは視野狭窄(きょうさく)を起こし、全身にのたうつ激痛。毒まで浴びせられていた。

 どくん、と脈を打つ。臓腑(ぞうふ)が迫り出すえげつない感覚。血の泡が口許から(あふ)れる。


(やっとここまで、きたのにッ)


 全ての力を敵の心臓へ集中させ、曲刀(ヤタガン)投擲(とうてき)

 蜥蜴人(リザードマン)はあろうことか、避ける素振りすら見せなかった。

 狙いが逸れ、敵の左胸に突き刺さる。

 ちら、と自身に突き立つ刃を呑気に見下す紅柑子(べにこうじ)の瞳。


「返却感謝する」


 何気なく柄を掴んで引っこ抜いた瞬間、血が細く伝っただけで瞬時に傷が癒合(ゆごう)

 こんなもの、(たお)せる道理が一つもない。

 思いついた悪態しか、ぶつけられなかった。


「この、化け蛇、が」


 呆気なく限界を迎えた。アサメの片膝が折れ、抗い切れずに(ひざまず)く。


(あの時、止めを刺しておけば)


 虚無ばかりが心中に広がる。


(苦しむだけ苦しんで、今までの時間は、なんだったの)


 もう、どうだっていい。

 手元から小太刀が溢れ、横向きに倒れようとして。


「やりやがったな、てめえら」


 怒髪天(どはつてん)()くゴクロウに、しっかりと身体を支えられた。

 だが息は絶え絶えで、支える左腕はどうしようもなく震えている。右腕は欠けて血が足りないだけでなく、アサメ同様、毒を盛られていた。


「お互い様だ、ゴクロウ」


 気付けば必中の間合いに蜥蜴人(リザードマン)が立つ。

 睨む。手が出れば、足が動けば。

 だが、異形の人影より産まれた大蛇にゴクロウは縛られ、まるで動けない。

 もはや、手負いの獣に似た眼光をただぶつけるだけ。


『ジェブ、俺に言葉をくれ。お前の遺言を、俺の腕に刻む』


 それはどこかで聞いた、遠い過去の言葉だった。

 聞き覚えも、話すこともできる。


『くたばれ、地獄に堕ちろ』

『百年後に会おう』


 最期の力を絞る。

 ゴクロウはアサメを強く抱き寄せた。

 残酷と風斬(かざき)って(ひるがえ)長刀(マルドバ)

 とどめの一突きが貫通。

 切っ先はアサメの胸を容易(たやす)く貫いてゴクロウの心臓を刺し、真紅に染まった(きっさき)が背中から飛び抜けた。

 横倒しに、傾いでいく。

 血溜まりの上を転がる護人杖(ごじんじょう)

 二人は瞳孔を散大させて(むな)しく見つめ合い、血と血で交わって一つに繋がった。


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