世界に刃向かう者 13
剣戟が響いたのは、一度きりだった。
曲刀と長刀が擦れ合って震え、火花が咲く。
(動けねえ。大蛇に縛られているみてえだ)
冷や汗を流すゴクロウは尋常ならざる術に囚われていた。
拡大した紅柑子の瞳は、残忍な熱。
「生きるクルしみを教えてヤル」
リプレラの喉から、謎の男の声。
鍔迫り合う状態からの横一閃に、ゴクロウはなす術なく吹き飛ばされた。
背部まで突き抜ける重い一振り。だが金縛りは解けた。瓦礫を蹴散らしながら構え、敵影を追う。
蛇行する疾駆。
惑わされまいと全神経をリプレラに集約させ、殺気を読む。尾を引いて揺れる漆黒の赤髪は、まさしく毒蛇の狩り。
(これがリプレラの本性、いや、この長刀の)
過った瞬間、消失。
鳩尾を抉る衝撃。
呼吸が数瞬止まり、受け身を取れず地面へ激突。臓腑が捩じ返る激痛の中、柄頭が叩き込まれた場面が脳裏に蘇った。
歯を食い縛って気力を絞り出し、ぎりぎりと顔を上げた。眼前に革靴。
「ツブれろッ」
仰け反り切れず、視界がどす黒く眩む。
ゴクロウの巨軀が中空を横切り、背中から岩壁に衝突。重鈍不動の壁がゴクロウを残酷なまでに受け止めた。
「ご、ガハッ」
血混じりの吐瀉を散らして地面に沈む。
内外共に損傷絶大。
(次元が、合わねえ)
今まで散々と繰り返した仮想敵との戦闘予測が、全て無に帰した。
己の血溜まりに溺れるまいと必死に足掻く。支える手が鮮血で滑って汚れるだけで、まるで立てそうにない。
革靴が見える。
「うえ、きッたな」
男の声とリプレラの声が歪に重なっていた。
襟首を握られる感触。強引に立たされた。
ふらつく脚はままならずリプレラに凭れ掛かる。敵の肩を借りるなど許されないと押し返そうとして、腹に一発膝蹴りを貰った。
「がふッ」
だが、背後へ転べない。何かに支えられたまま。
「許さねエ。細斬りにして、もっとクルしめてヤろうよ、母さん」
「そうね、マルドバ」
暗く狭窄する視界が歪んで渦巻き、絶望へと引き込まれそうな錯覚に陥る。
だからだろうか。リプレラのすぐ背後。
長身痩躯の影が立体的に浮かび、紅柑子と榛色の虹彩異色眼が暗闇の中で妖しく輝いていた。
ゴクロウはドロドロと揺れる意識に喝を入れ、金眼を血走らせながら刮目。やはり眼差しの幻覚から逃れられない。
現実だ。残喘を繰り返しながら、馬鹿なと弱々しく呟いた。
ゴクロウを吊るしていたのは、リプレラの背後から生じた影の巨腕。
闇染めの精素を纏う狂い女は嘲り、怒り、呪詛を吐いた。
「そっくりじゃない。そのギラついた目つき、気にクわねエんだよ。己の力も弁えずに突っ込んじゃって。バカなのはてめエだクソヤロウ」
母と子と、声が交互に入れ替わる。
耳と聴覚を掻き乱す異質な音声。悪霊に取り憑かれたリプレラの理性に、ゴクロウは起死回生の光を視た。
「ほ、しい」
リプレラが目を細め、首を傾げる。
「助けて、ほしい。命がほしい。ほしい」
震える右腕を伸ばし、リプレラの襟を掴もうと空を泳がせる。だが届かない。どんなに腕を振っても、指先一つ及ばない位置にリプレラは立っていた。
憐んだ四つの視線。
「もう命乞いなんて。興醒めにも程があるわ」
長刀を振り被り。
「喰ってヤる」
一気に振るった。
燃える灼血に塗れた左の手を、ゴクロウが振るった。
「寄越せ」
影の巨腕を、掴んだ。
「熱ジ痛イイイアアアッ」
渾身の力で握り潰し、意外にも脆い腕をへし折った。拘束が解け、地に足が着く。
動揺と憤怒を露わにしたリプレラへ即座と詰め寄る。
「悪霊ってのはよく燃えるもんだな、おい」
今度こそ右手で、リプレラの胸倉を掴んだ。
絶対に離さない。燃え盛る左手を振りかぶる。
「死ッ」
細剣を抜刀。
一瞬の隙さえあれば。
「アサメ、ぶっ飛ばせえええええッ」
砲弾の如き飛び蹴り、擦過。
握り込む指が千切れ飛ぶ前に手離した。
リプレラの顔面が割れ、歪んだかと思いきや、視界外へと消失。気付けば真横へ吹き飛んでいた。
重い衝突音が微かに地を揺する。アサメの蹴り足ごと崖にめり込んだリプレラは、見るに耐えない顔面崩壊を引き起こしているだろう。
アサメは唇をひき結んだまま、壁を蹴った。軽やかに跳躍。中空へと高く翻り、着地。
一、二、三。
微動せず。
リプレラ、影の子、撃破。
(感謝するぜ、姦凝り。雪山でお前をぶん殴っておいてよかった)
よし、とゴクロウは心の中で拳を握った。
気力の限界を迎え、膝をついて崩れ落ちる。
「この馬鹿ッ」
罵声を浴びせながらも駆け寄ったアサメに支えられた。
血の唾を飲んで呼吸を整え、体力回復に努める。
「だ、な」
辛うじて頷く。
思い出したかのような激痛に、ゴクロウは無理矢理笑って地獄の責め苦を封じ込めに掛かる。これが意外と、馬鹿にならない。
「へ、見たかよ。味方を欺いて敵を討つ高尚な戦法なんだが、いや、だいぶ詰めが甘くなっちまったな」
「無茶するにしても、もっと他にやり方が」
アサメは涙目だが、流さない。
彼女の顔を見ていると、妙に心が落ち着いてくる。
「本心じゃない。わざと傷つく言葉を選んだ。殴りたきゃ殴れ」
「こんな身体で、殴れるわけ」
「いや、嘘ついた。一部は本当だ」
アサメはぐっと唇をひき結び、抗議しようと息を吸った。それよりも早くゴクロウは待て、と掌を掲げ、続く言葉を制した。
「それより肩、貸してくれ。先に決着をつけよう」
腑に落ちず黙り込んだアサメの肩を借りる。やや鎮火しつつある黒焦げた人跡の前へ、二人して見下した。
「ゴ、グ」
人から発する肉脂は不快な臭気以外の何物でもない。サガドは焼け爛れて半ば溶けた形相を向け、ただ睨んでいた。
「ロ、オオ」
敵意に満ちた呻き声を、なおも上げている。上下の唇が張りついてもはや言葉すら発せず、明らかな危篤に違いなかった。
「サガド。これがお前らの末路だ。諦めろ」
振り向いた先のリプレラはやはり沈黙したまま、壁に抱かれていた。彼女は勿論、影の子が蠢く気配も感じない。蘇るにしても、すぐには動けまい。
横を向けばアサメは沈黙の怒りを発したまま、見下していた。
「アサメ、あれを」
転がる曲刀を、ゴクロウは指差した。サガドの愛刀。改めて拾い上げ、軽く見定めた。
見た目以上の重厚感が確かに伝わってくる。一体何十人もの血を吸ってきたのだろうか。だが手入れは丁寧で、良くも悪くも使い込まれている。
これで持ち主の首を落とすか。
もしくは放って、罰を噛み締めさせるか。いずれにしても死は確定している。進軍する泥暮らし共に喰われて跡形無く消えるのだから。
「どうしますか」
「どうしたい」
くるりと手元を返し、曲刀を半回転。
刀身を器用に指で挟むとアサメに柄を差し出した。
生殺与奪を譲る。
アサメは冷たい表情のまま刃をじっと見つめ、だが首を横に振った。
「もう、いいです。二度と見たくない」
そのまま顔を地上へ向ける。
それがアサメの答えだった。
「承知」
短く了承したゴクロウは曲刀を腰に吊り下げる。戦利品として、遺品として勝手に譲り受ける事にした。
「よし。さっさと地上へ這い上がるぞ」
振り返らない。
二人は肩を組んだまま、重い足に残る力を込め、崖道に手をかけた。
地上は、すぐそこだ。
ゴクロウとアサメが天井を目指し、もうすぐ地上へと手が届く頃。
大穴の底。決着の跡。
ごぎり、ばぎり、と不快な骨音が悍しく響く。
「痛い、わあ」
「こんなになって、可哀想に」
「ねえ、サグ。何も知らない愚か者に、業火よりも苦しい地獄を、味わせてあげましょうよ」




