世界に刃向かう者 11
ゴクロウとアサメは袋小路があると知りつつも、燃え盛る炎を背にして狭い通路を一直線と駆け抜けていた。目前には投石するために開かれた砲門が四角く切り開かれている。
アサメは怒りを晴らすように疾駆、石畳に尻尾を刻みつけて急加速、跳躍。剛速を脚に乗せて蹴り込んだ。
地を揺する爆撃。
分厚い壁を破壊してそのまま突き抜け、宙へ放り出た。
風圧が長い銀髪を乱暴に乱す。身の丈を包んで余りあるゴクロウの外套をはためかせ、大門上部から落下。身を捻り、悠々と落差を目測する。常人が落ちれば例え打ち所が悪くなくとも墜死する高度だが、半身としての潜在能力を引き出したアサメには些事であった。
着地と同時に柔軟と身を丸め、滑らかに連続横転。
アサメは無傷で飛び降りると、自ら空けた穴を見上げる。
何処から調達したのか、ゴクロウは縄のようなものを投げ垂らした。護人杖を背にし、懸垂下降を開始。
(貴方みたいに感情を操れるほど達観してない。私だって自分が興奮し過ぎていることくらい、解っている)
まるで気など晴れなかった。
どうしたいのか、どうあるべきか。解らないからただ沸き起こる激情に身を駆られている。答えが知りたい。
だが、と背ける。
ゴクロウは危なげなく着地。感応術で縄を燃やして退路を断つ。
「こうも大掛かりな門だと、開門まで時間が掛かる。今のうちに距離を稼ごう」
アサメは黙って頷き、地上へ続くであろう巨大な隧道と対峙した。
脇道はなく、一直線の急勾配な洞道。遠方の天井にぼっかり空いた大穴から、雷光が瞬いて注ぐ。外は近い。
二人並んで坂道を駆け上がっていく。雷光により暴かれる闇。今まで奔走していた洞道とはまるで様相が異なっていた。
「気味が悪いな。本当に同じ地の下なのか」
岩喰い蟲の巣穴は一つも見当たらない。
襞状に突出した鋭い岩壁が全面をびっしりと覆っており、まるで巨人の胃袋から食道を通じて脱出しようと試みているかの様だった。
隙間風が通い、不気味に反響。怨みがましい死者の呻きにも聞こえる。寒々しい外気の匂いがした。
此処を登り詰めればほぼ間違いなく深淵からの生還を果たしたと言えるだろう。
だが、儀式を破綻されてもなお雷鳴響く地に果たして何が待ち構えているのかはまるで予想がつかなかった。
「アサメ」
「何ですか」
アサメはぶっきらぼうに返すが、ゴクロウの穏やかな声音に彼なりの気遣いをすぐに感じ、ばつが悪くなる。
「地上に出たら、何がやりたい」
それは使命ではなく、願望を想起するような問いかけだった。
「何ですか、急に」
「いいから。無いのか」
「やりたいことなんか。とにかく出たら、まずは闘う体制を立て直さないと。連中や裏切り者を野放しにしたまま夜光族の弔いなんかとても挙げられません」
「アサメ。それは本当に、お前が果たすべき行いなのか」
重い声に、アサメは思わず走る足を止めた。
追い抜いたゴクロウが緩やかに振り向いて立ち止まる。
触れてはならない綻びに、二人は触れようとしていた。
「皆を見捨てろ、とでも言いたげですね」
「そうだ」
ゴクロウはきっぱりと答えた。
裏切られた。
想いが一緒だと思っていたアサメは鋼の瞳に怒りを込めて睨みつける。
「荷が重過ぎるんだ。お前が復讐心を捨てても、誰も薄情だなんて思わない。逃げたとも思わない。お前が息巻いてこの大戦に臨んでも、蹴散らした先には無量の死だ。敵も味方も、信じられないほどの命が失われる。潤うのは戦争を支えるユクヨニみたいな商人だけ。本当に報われる当事者なんか誰も居ないんだよ」
返す言葉が無かった。
確かにゴクロウの言う通りだろう。ぐうの音が出ないほどの正論だった。
「考えるんだ。アサメ。今が選択の時だ。お前は何がしたいんだ」
刹那。
身に覚えのある感情を抱いたアサメは、頭に走った電撃の如き痛みに思わず手で押さえた。
静かに声を震わす。
「私はそれでも戦います。戦う力がある。私は貴方と違って、良心の呵責に耐えられない」
納得できない。受け入れられない。
想いが何一つ一致していない。
裏切りどころか最初から、道は違えていた。
「貴方は逃げて生き延びて、傍観者として何の未練もなく己の人生を過ごせばいいッ」
アサメは怒声で以て、決別を宣言した。
怒りで潤む鋼瞳と、ただただ静穏な金眼。
しばらく見つめ合う。
空間は凍てつき、痛く苦しい沈黙に包まれ、息をするのさえ憚られた。
ゴクロウは何も応じず、眼を瞑る。
一呼吸置き。
「居るんだろ、出てこいよ」
アサメはハッと視線を振った。
ざく、ざくと砂利を噛む足音が両端から響く。
挟み撃たれた。怒気を纏ったままのアサメは即座に跳んでゴクロウの背に周り、やり場のない殺気を惜しげもなく放つ。
「貴様らッ」
襞の岩壁、その陰から。
二人の殺人鬼が闇を連れ添って現れた。
一方の手には雷光を照り返す曲刀が、もう一方には黒血を滴らせた長刀が。
「こんな面白い現象が観られるとはな」
「ほんと、仲違いする主身と半身なんて、初めて観たわ」
忌々しい。
ゴクロウは瞼を細く開いて、鋭い視線を左右に飛ばす。挟撃に対抗せんと背を合わせて回る。
「どうやって先回りした。サガド、リプレラ」
ゴクロウは低く唸る。無表情のまま身動ぎしないサガドを睨み。
アサメは嬉々として肩を竦めるリプレラと対峙した。
「此処、数千年前に存在した古城みたいなのよ。この道にのこのこと侵攻した軍隊の背後を突く隠し通路が橋の下に通っていて、そこらの岩陰と繋がっているわけ。攻め手には死角よねえ」
この襞状の岩は暗がりも相まり、攻め手側の視界では平面な模様にしか思えない。
いまだ寒々しく擦り抜ける隙間風は、罠の証であった。
(当たりだったな)
目敏いゴクロウは勘付いていた。再会するならば、この洞道以外、有り得ない。だからこそサガドとリプレラの索敵を為し得た。
「これはお節介なんだが、別れ話は取り消した方がいいぞ。二人とも」
サガドの挑発。
ぶわりとアサメの銀髪が膨張し、八叉の槍を編む。刃尾が空を裂いて鳴き、今に跳び掛かろうと地面を擦る。
「貴様らにとやかく言われる筋合いはない。ここで葬ってやるッ」
だが、ゴクロウは。
「止めろ、アサメ」
「なんで、どうして止めるんですかッ」
叫びを無視し、無表情を貫くサガドを見つめる。
「サガド、お前、まだ俺と手を組みてえのか」
「お前にその気があるのなら」
そんな、と息を呑む音が聞こえた。
「正直に言おう、サガド。少しだけだがお前と共に行動してようやく解った。馬が合うってな。お前の実力なら、必ず生きて再会すると信じていた。お前はどうだ」
「やめて。これ以上失望させないで」
「期待以上だ。へらず口さえ我慢すれば、俺はこの国を牛耳るに足る影響力を得られる。間違いない」
「貴方は己の為なら、悪党の肩まで持つんですかッ」
「黙ってろ」
たった一言。
「俺とお前はもう関係ねえ。邪魔だ。どこへでも行って、愚かに喚いていろ」
容赦ない拒絶が、アサメの表情から何もかも奪った。




