世界に刃向かう者 8
狂い女リプレラ。
そして、鬼人アサメ。
一騎当千の女傑二人による凄絶な殺し合い。
彼女らの間に割り込もうとする者は普く斬られ、貫かれ、引き寄せられて肉の盾や投擲物の様に虐げられ、斬撃が飛び交う毎に、剣戟が鳴く度に容赦なく命が奪われていく。
破滅的な戦闘力を有する矛先をこの大軍の奥、地上への門へ向ければ、突破できる可能性は確実に跳ね上がるに違いない。
だが。
「イヒヒ、アハハハハッ」
「がああああッ」
砲弾の如き飛び蹴りを放ったアサメを、リプレラは哄笑を張り上げながら往なす。
「たまらないわ、力に脅かされ、死に追い詰められる生の実感。貴女を這いつくばらせたら私はどこまでイクのか、教えてッ」
「黙れエエエエエッ」
高速機動にようやく目が慣れたゴクロウは戦斧を背負いながら見抜いていた。
アサメは精彩の欠片もなく、激情のまま暴走している。心臓へと容易く手が届く滅殺の連撃だが、ゴクロウの眼にはただ子供が自棄を起こして手足を振り回しているだけにしか映らなかった。
対するリプレラは八つ当たりを理解した上で、生と死の境で舞踏に興じている。
(悔しいんだよな。でもよ、聞いてねえぜ)
ゴクロウは固唾を飲む。
獣の本能と人間の欲望が際限なく高められ、渾然一体と化した醜い闘争を目の当たりにさせられる。
これが半身のあるべき力なのか。
「神化したか。しかも随分と急激に」
「完全に我を失ってやがる。その神化とやらの影響か」
「知るか。お前の半身だろうに」
これ以上語るつもりもないだろう。一刻を争う今、論争の余地などは許されていない。
「止めるぞサガド。このままじゃどっちも体力が尽きて連中の餌食になる」
「逃走経路を探すのが先だ。半身なんざ放っておけ。俺についてこい」
きっぱりと冷淡に吐き捨てた。
価値観の相違だ。知ってはいるが、気に食わない。
「だったら勝手に行けよ」
不可視の火花が散る。
所詮は利害が一致しただけの敵同士。
ゴクロウは視線を切って駆け出そうとして、しかし道を曲刀に阻まれる。横目でじっくりとサガドを睨んだ。
「ゴクロウ。俺は親切でな。聞き分けのない奴らの耳は全て削いできたんだ。使わないなら要らないだろう。もう一度言う。俺についてこい」
凶暴な半身にして凶悪な主身あり。
脅しではない。感情の読めないサガドの無表情は真実味を否応なく突きつけてくる。
脅しを噛みしめるゴクロウは、鼻で笑った。
「だったらお前の説得力のねえ舌、平和を愛する俺が引っこ抜いてやるよ。これ以上、無駄な血を流さないようにな」
この男が誰かに屈するなど、有り得ない。
数瞬の睨み合い。
呼吸を読む。人が何かを行動する時は息を吸う瞬間ではなく、吐く瞬間。
斬る。弾く。
鍔迫り合う。
「信じるのはここまでだ、サガド」
「早まるなよ。今なら片耳で済ませてやる、ゴクロウ」
「差し出すと思うか」
「いいや」
両者は石畳を蹴って間合いを取り、次の手を繰り出そうとした。
だが。
獣の遠吠え。
痰が絡んだような不快な絶叫に、ゴクロウとサガドは思わず振り向いた。
地の底へ続く石の大橋、その終端。
暗がりをゆっくりと破いて現れたのは盲目の獣が二匹。
大きい。
長大な首をもたげる。扁平な面が闇に漂う様は白貌の亡者そのもの。踏み出す前肢には異常発達した鉤爪。やはり胴体も尻尾も細長く、滑らかな体表には灰色の班目が不気味に波打つ。差し詰め、毛を毟られた鼬鼠だろうか。
それだけではない。
人など簡単に呑み込む体躯、その背には全身を逆棘の甲冑で全身を武装した錆色の騎士が二人。そこらの雑魚とは明らかに高次元の格を放っている。
異形の騎兵の背後から、飢えた兵隊の行進が続々と追随する。増援だ。
多少でも与えた損害を無慈悲と帳消しされ、圧倒的な物量をまざまざと見せつけられていた。
「サガド」
「なんだ」
白貌の獣は首を蛇行させるのを止め、視覚以外の何かで捉えた二人の獲物に向く。鉤爪で石畳を擦り、今にも猛然と駆け出しそうな勢いを醸していた。
絶望的な劣勢。勝率は皆無。生き延びるには逃走のみ。
「もう少し休戦しねえか」
「気が合うな」
二人して悟られない様にじりじりと後退するが、無駄な足掻きだった。がばりと獣の顎が開いた瞬間、ゴクロウとサガドはほぼ同時に踵を返し、全力で疾走した。
唾液の糸を引いて震わせ、咆哮。
一秒でも逃げる時間を引き延ばさなければ。護人杖を背負う暇もなく逃走するゴクロウは、背中を叩きつける恐怖をびりびりと喰らいながらも後方を一瞥。
(速)
即座に前を向く。
一歩の跳躍幅が広過ぎる。速力に特化した長躯はあくまで軽やか。騎手からは全速でなくとも狩れるという絶対の自信と傲慢を、錆びた鉄仮面の奥に垣間見た。
(一杯食わせてやるよ)
集中。
後頭部にひりつく殺意は眼差し。目測により得た速度、雷鳴に紛れる微弱な蹴り足、明滅し乱立する影などから交錯予測時間を瞬時に叩き出す。引きつけがまだ足りない。
研ぎ澄まされた五感により、第六感覚醒。
思考の加速に反して時の流れは粘り、重みを感じる。
狙いを狙う。敵視を可視化。呼吸を整え。
(今ッ)
長い首を蛇行させ、咬撃。
顎がゴクロウの右脚へ、がちりと虚空を噛む。
跳ね上げて避けた脚で巨頭を全力で踏みつけ、瞬発力を生む。ゴクロウは後方へと仰け反りながら宙へと飛躍した。
予見した未来と現実が重なった、完璧な反撃。
世界が重い。
怯んだ獣を眼下に捉え、宙返りの最中に戦斧を抜く。見上げる騎士の眼には僅かな動揺と狂った怒り。大剣を掲げて防ごうにも、一手遅い。
「潰れらあああッ」
乾坤一擲と振り下ろされた一撃。
全身鎧の左肩口を快音と共に叩き割ってもなお止まらず、骨肉、心臓、肺腑を両断し、腰辺りまで斬り裂いて漸く止まった。温い黒血が凄まじく噴出。それが何故か、水よりも貴重な命の源に思えた。
時間の流れは等速へ。狂ったように獣が駆ける。
逃げ惑う泥暮らしの先鋒部隊へ突っ込みながら、ゴクロウを振り落とそうと荒ぶる。
片手は杖、もう片手には死骸付きの戦斧。
暴れる獣にほぼ手放しに近い状態での騎乗では、たちまち振り落とされてしまう。
そして、戦斧が思うように抜けない。
(仕方ねえ)
騎士を引き摺りながら跳び下りた。
捨てる覚悟を決め、戦斧を手放す。騎士の死骸はけたたましい金属音を響かせながら転回。ゴクロウは石畳の上を何度も横転しながら受け身し、勢い良く立ち上がった。
苦痛に呻いても許されるなら、存分に発散したい。
「イマだ。土足人をコロセ、喰ラエッ」
だが、泥暮らしの軍勢、渦中のど真ん中。
「喰ってみろよ。腹ぶち壊してやる」
昂り止まない闘志を全身に流し込んだゴクロウは護人杖を大きく振り回し、金眼をかっ開いて構えた。




